2021年01月04日

あらためまして、プロフィールのような

向雲太郎(むかいくもたろう)ともうします。

舞踏というものをなりわいとして、生かして頂いております。

1994年に舞踏カンパニー大駱駝艦に入団。

舞踏家、麿赤兒に弟子入りし修業。

それから約20年間、すべてのラクダカンの本公演へ出演し2001年からは、自身の振付・演出作品の発表を開始。10作品を発表して、国内6都市、国外6都市でも公演。

2001年に創った処女作『2001年壺中の旅』がさまざまな要因がかさなり、ビギナーズラック的に大ヒット。師匠も唸るほどの出来栄えで再演をかさね、2006年には、第37回舞踊批評家協会賞・新人賞を受賞。

2012年7月に大駱駝艦から独立、ソロ活動を開始。

12月、ソロ作品『アホとロマンの皮袋』を発表。白塗りとの訣別の気持ちを込めてオープニングで塗り、エンディングで白塗りを落として終わった作品。

「やっと雲太郎という名前の意味がわかった」by 山田うん

「ここまでおもしろいとは思わなかった」by 遠田誠

「この人はこれからどんどん有名になる人だから」by 大須賀勇

「あなたの頭のかたちは観ていて飽きないわね」by 秦宣子

評判はとても良かったけれど、再演の機会がなく今日まで来ています。どこでも再演いたします。

2013年からセゾン文化財団のシニアフェローを頂きはじめた。これは嬉しかったなあ・・・日本で年間に数人しかもらえない助成金。

普通は伝手があったり、独立してからの仕事の目処をつけて辞めるのだろうけれど、そういうことが嫌だったので徒手空拳のまま独立。あるのは不安だけだった。

この独立してから助成金をもらっていた3年間は、夢のような充実した毎日でした。だいぶん舞い上がって『ワークインプログレス』『舞踏?』『遊機体』とたてつづけに作品を発表。

2014年に曽祖父が被爆死したヒロシマの原爆を扱った作品『ふたつの太陽』にて舞踏家集団『デュ社』を旗揚げ。

2015年、前代未聞、全編無音の問題作『春の祭典』を発表。賛否両論を巻き起こすが、ちから及ばず世間的にはまったく話題にならず残念。リクリエイションしたい。

2016年『ぴちがい裁判』では劇作に挑戦して死にそうになった。クラウドファンディングもやって頑張ったが、赤字を背負って身うごきができなくなる。

2018年、活動の拠点を淡路島へと移動。

2019年、デュ社第4回公演『舞踏?レクチャーパフォーマンス』を城崎国際アートセンターにておこなう。

「舞踏とは何か?新しい舞台表現とはどういうものか?」と問いながら、おもしろいということにこだわり作品を創りつづけています。

また日本国内はもとより世界各地でも、からだへの様々なアプローチを試みるワークショップを開催しております。

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『舞踏という何か』刊行イベントにて。photo by bozzo. 2020.2/14
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:27| ブログ?