応援する力士が増えました。
淡路島出身の照強関。
彼の誕生日は、なんと1995年の1月17日、地震発生から15時間後に生まれた。
地震発生から15時間ぐらいって、いちばん混乱していたころだな。街中に救急車はもちろん、消防車やパトカーのサイレンが鳴り響いて大混乱しているなか産声をあげた。
幼い頃から繰り返し被災を記録した映像を見せられて育ったが、本人には「この日に生まれた」と聞かされても自覚なんてなかったそうです。
そりゃそうだ、生まれたばかりだもんな。
小学校4年生で相撲をはじめ、中学卒業をまえに15歳で伊勢ケ浜部屋に入門。しこ名は師匠の第63代横綱、旭富士の伊勢ケ浜親方が被災地への思いをこめて「ひとびとを元気に明るく照らすように」と名付けてくれた。
その運命のような出生に注目が集まるたびに、とんでもない日に生まれたんだと自覚するようになっていく。責任というか「少しでもひとを元気にしたい」という気持ちが芽生えるようになった。
天まで届けとばかりに豪快に大量の塩をまくのも、そんな思いが込められている。
169センチ、114キロと小柄な照強だが、同じ部屋の日馬富士や安美錦、宝富士や照ノ富士という特徴豊かな先輩力士にもまれるなかで着実にちからをつけた。後輩にはおなじく小兵の翠富士がいる。
「入った部屋がよかった。まわりの支えに恵まれている。」と本人が語るように、伊勢ヶ濱部屋の雰囲気はもちろん厳しいが明るい感じで風通しがよさそう。
毎朝の部屋での稽古おわりには他の力士よりもながく目をつむり「今日も無事に終わらせていただき、ありがとうございます。」と祈るという。
「被災地から手紙をもらうことも多い。とくに『この日』は負けられないんです。」
1月17日に土俵へ立つことに誰よりも強いこだわりがある。「関取でこの日をむかえたい。幕内でこの日をむかえたい。」と毎年のように言いつづけ、地道に番付を上げ願いを叶えてきた。
次の目標は3役でこの日をむかえること。
「口に出して言うことが大事。言ったことは必ず叶うから。」だって、いいねえ。
左手上腕の筋肉が断裂している照強は、惜しくも敗れて26回目の1月17日を白星で飾ることはできなかった。
しかし、彼の強烈な思いは勝敗を超えて阪神淡路に届いていると感じるのでした。
『塩をまく照強』宮武祐希撮影、毎日新聞社
参照・引用:2021年1月17日 毎日新聞