いま文化庁の仕事で、淡路島の五色町都志にある家の庭に舞台をつくっています。
感染症対策万全の野外稽古場にするのです。
3年前に都志にひさしぶりにいったら「空き家になっていますが大丈夫ですか」というようなチラシが入っていた。「ならばじぶんが」と住みはじめた。
最初に行ったときに庭をひとめ見て「これは舞台がつくれるな」と直感、実際に庭で稽古をして公演をもくろんでいた。
ときを同じくしてデュ社に入ってきた湯山大一郎と後輩の小田直哉と呑んでいるときに「淡路島を本拠地にしたらええんちゃいます。」と言われて「なるほど。」
木谷家は、この都志には江戸時代から住んでいるようで、仏壇のいちばん古いお位牌を見ると寛永6年と記してある。そこから呉服屋をやり学習塾をやりと、あきないに使っていた場所でもあるのです。
自転車で5分のところにある墓地の管理もしていて、先日は大量にたまっていた古い卒塔婆をお寺へ持っていってお焚き上げしてもらった。
お墓に庭の水仙を植えることを思いついて、家から持っていって植えようとしたら下から階段が出てきた。ここ木谷家の墓地は高野山から敷き石を取りよせたりして作られている結構、大きな墓で入り口に階段があるのです。
埋まっていた階段を掘り起こしてきれいにして、その下を余っているモルタルでかためます。行くたびに雑草を抜いていたが、今後の墓守のためにもコンクリートでかためます。
家へ帰ってきて作業をしていたら、十川英二さんがきてくれた。英二さんは2番目のお姉さんのご主人の弟さんで、じぶんとは遠縁の親戚になる。
移住してきたばかりの頃に、なにかとお世話になったのです。
今回も神主さんを紹介してくれたり材木屋を紹介してくれたり、地鎮祭のときの竹を家から切って来てくれたりと大助かり。彼岸の入りだからとお墓を掃除しにいってくれていたようだった。
「ありがとうございます」
お彼岸なので、お墓も綺麗にできてちょうどよかった。夜は仏壇のまえで、こころを込めてしっかりと真言を唱えます。
しかし考えてみたら、お彼岸ということについて“あちら側"ということ以外、よく知らないので調べてみた。
“太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さがおなじになる春分の日と秋分の日をはさんだ前後3日の計7日間を“彼岸”と呼び、この期間に仏さまの供養をすることで極楽浄土へ行くことが出来ると考えられていたのです”
だって、へえ。そうなんだ。
『なむ』STphoto by Shiho
引用:メモリアルアートの大野屋 Web site