横綱、鶴竜が残念ながら引退しました。
いろんな関取から惜しむ声が出た。
それぐらいに、ほんとうに人格者で素晴らしい横綱だったようです。
しかし、まるで椿のように散り際が見苦しかった。今場所で引退することは決めていたようで「すべて相撲を取れないかもしれないが、とにかく出たい。」と本人は言っていたとか。
たしかにもう一度だけ鶴竜の相撲を観たかった気もする。
あらゆるスポーツでやっている引退試合のように記念として出ることを相撲協会は許さなかった。
理事長八角親方の、そのまた師匠の北の富士さんも反対したようです。
相撲はスポーツではない。神事である。
そうして横綱というのは神さまであるそうです。神だから許されることと許されないことがある。
行司も神相撲だけをさばく偉い方がいるようだが、いまは神さまがいないのでお休みしてる。そんな特別な存在、横綱。
次の神さまは誰か・・・朝乃山に期待がかかるけれど、どうもメンタルが弱い。妻が“まさよ”と呼んでる正代も、悪いクセがまったくなおらず伸び悩んでいる。押し相撲の貴景勝は好不調の波が大きい。
いまいちばん近いところにいるのは、大関復帰が確実になった照ノ富士関。ひざの怪我さえなければとっくに神さまになっていたと称される大器。
鶴竜も結局は怪我で泣いた。
からだが大きくなりすぎてるのが原因だと言われているので、体重制限をすればいいのになあ。と大きなお世話ですが思ったりする。
身長制限があるのだから、体重制限も取り入れれば怪我をする力士が減るかもしれない。
いま読んでいる戌井昭人氏の小説『さのよいよい』に元相撲取りが出てくるけれどやはり怪我で引退して、いまはキャバクラの呼び込みをしている。
小説によると力士ってのは、どんなにちからがあってもほとんどが幕内に上がるまえに怪我でやめてしまうそうです。
そんなのもったいないではないですか・・・そうやって考えると怪我をしないのも才能のうちなのか。
素晴らしい体格とありあまる才能を持って、さらに運と縁に恵まれた選ばれたひとびと。
それが幕内力士。
その中でもさらに選ばれた存在が横綱なのです。
『庭のフリージアが咲いた』