戦争中に大日本帝国は何度も間違いを犯したという。
まずアメリカの軍事力を大きく見間違えていた。
開戦前に戦争の終わりかたをまったく考えていなかったという話しもある。
1944年、サイパンなどのマリアナ諸島の日本軍がアメリカ軍に敗北、占領される。これによりB29による日本本土空爆が可能になった。戦争は海の向こうでやるものではなく、日本でおこなわれるようになる。
これを聞き、近衛文麿元首相が最高司令官の昭和天皇に早期終戦を訴えた。
しかし、昭和天皇は「どこかで連合国軍を叩き、その戦果をバックにしてより有利な条件で講和するのだ」と近衛の上奏文を却下した。
歴史に「もしも」はないが、この時点で、もし昭和天皇が近衛の上奏文を採用し講和を内外に宣言していれば・・・
その後のB29による凄惨すぎる日本本土への空爆や、沖縄での悲惨すぎる市街戦、ヒロシマ、ナガサキへの無差別核兵器投下もなかった。
その後も大日本帝国の指導部は政略も戦略も戦術もまちがえて国を破滅に導いていく。
連合国との講和の橋渡し役として頼りにしていたソビエトは、すでにアメリカ・イギリスとのヤルタ会談でドイツ降伏後に対日参戦を密約していた。そんなソ連に泣きついて弱みをみせてしまう。
虎視眈々とねらう泥棒に家の鍵をわたしてしまうような大失敗。8月9日、ソ連は旧満州に侵攻しおおくのひとが虐殺される。その後も約60万人が拉致され強制労働に隷属させられて6万人が亡くなったといわれている。
日本人だけで300万人が亡くなり、100万人以上が行方不明のままのアジア・太平洋戦争。
為政者はときにとんでもない間違いをする。そのつけを払わされるのはいつでも民衆。いまもロシアの指導者が間違いをおかしつづけている。
そうならないために権力者たちを監視しどこへ向かおうとしているのか?
なにをしようとしているのか見極めて注視しつづけなければならないのです。
庭のプラムの花が咲きそう。
参照:2021年12月8日 毎日新聞、12月10日 東京新聞