ひとつの感覚であとの4感を呼びさますようなものをつくる。
観客は目隠しをする。質感にこだわって視覚にうったえかける。
目をつぶって触れる展覧会とか、目をつぶって感じる舞台とかと考えると目というのはほとんどの情報を得ている器官なのだとわかる。
その人間最大の器官、目というものが見えないというたいへんなことにいつも愕然とする。そんなかたが全国にたくさんいる。
目をつぶって街を歩くなんて無理。3歩と歩けない、怖いのです。目が見えることが前提であらゆるものがつくられている。目が見えないひとのことなんて、ほんのひと握りのひとしか考えていなくてわずかに点字があるだけ。
その点字の位置が日本全国で統一されてなくて施設によってバラバラだと新聞にのっていた。
目をつぶって街を歩いてまず点字を探すなんて不可能なのです。
ならば何のための点字なのだろう。
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いまこの現代で唯一、容認されている最後の偏見、学歴差別。
その学歴差別に代表される学歴偏重主義。
アメリカの政治哲学者、マイケル・サンデルが著書『実力も運のうち』で「人類最後の偏見からの脱却こそが能力主義を打ちやぶり真に価値ある労働へとむかい、格差と分断を解消する方法だ」と指し示している。
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「くちびるのまわりに文化が横たわっている」
そうフランスの哲学者ミッシェル・セールは言う。食べる、味わう、すう、はなす、うたう、なく、わらう、くちづける、愛撫する。口はもっとも基本的な器官で、文化をになうところである。
知性の刺激もそこからはじまり、赤ん坊はものの形状をかじったりなめたりしながら確かめる。
考えるとは、そもそもがものごとを吟味すること。つまり味わい分けること。そしてホモ・サピエンスは語源をたどれば「味わう人」を意味するそうです。
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自然は無慈悲か、神仏の警告を見落とすな。
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わからないを肯定する無欲なこころ。
ナルホイヤ
ちょうど1年前に野外舞台をつくりはじめた。
参照:2021年12月16日、2022年2月11日 朝日新聞『鷲田清一 折々のことば』