重要なのはしゃべりかたではなく、しゃべるないようである。
たとえばこどもが必死でなにかを発表している。それを聞いて文法や喋りかたをうんぬんする愚。
語学力よりもなにを話すかが重要でひとはそれを聞きたいのだ。
おどりの偉大さは1時間のあいだひとこともことばを発しないのに、観るもののこころをうったりするところなのだと思う。ことばがないのに説得力をもつのはそのひとじしんの魅力、そのひとの人間としての内容の説得力。
つまるところ結局はそのひとがなにを思えるか、なにを考えられるかであり、そのひとがなにものかが重要なのである。
そうして、そのひとを磨くのはおのれじしん。
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侵攻したり征服したり戦争で勝ったりすると言語を奪ってことばを押しつける。
スペインやポルトガル、イギリスがやってきたことであり、大日本帝国が植民地でやっていたことであり、アメリカがフィリピンでやったことであり、いまは中国がやっている。
そんな人類の歴史のなかでみると「日本語でものを考えることができる」という世界じゅうでも稀有な状態にあるじぶんの特権を知る。
日本は世界で唯一、論文を英語ではなくて自国語で発表しても認めてもらえる国なのだという。
そして遠くは空海であり、近代では渋沢栄一であり湯川秀樹、最近ではシュクロー・マナベ、大谷翔平があらわれて日本人は世界と比べても遜色なく最先端をいっているのだと教えてくれているとか、とか。
しかしふかく考えると日本にもともと住んでいたのは縄文人であり、弥生時代に大陸からやってきた渡来人たちが先住民たちを沖縄と北海道へと追いやったのだ。
すこし考えれば、わたしたちが日本人と自称することは可笑しいのだと気づく。
日本人って誰?
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危機こそ進化するチャンス。
人類は危機から逃げつづけ試行錯誤しながら進化しつづけてきた。
水のなかからにげ、木の上からにげ、エデンからにげ、エジプトからにげ、大陸からにげていまに至っている。
逃げることは生きのびるための大切な営為でもある。
『たきあれこれ』
参照:2022年1月 Wedge 『国際化の時代 真に必要なのは英語力より国語力』松井考典 千葉工業大学学長