むかしから“あほ”になる修業をつづけているが、まだまだあほになりきれません。
関東なら”ばか“ですね。
鉄割アルバトロスケットでは“馬鹿舞妓”という演目で終わるのが恒例のようになってますが、観た後輩が「このひとたちは本当は馬鹿ではないのにばかなふりをしている。何故だろう?」と感想を漏らしていた。
何故そんなことをするのか。
舞踏は舞台上で頭のおかしいふりをしたり気が狂っているふりをする。そしてそれを価値観のバロメーターにしたりする。「まだまだ普通だし、常識的だなあ」とつくり直す。
何故そんなことをするのか。
しかしわざとらしさがあってはいけません。本当に気が狂ってると思わせないといけない。
なので本物さんが舞台に立つと喰われたりしてしまう。これはむかしからままあることで「あっちは本物だから」という言い訳はよく聞く。
舞踏家は「あたまが良すぎてはダメだが、あほすぎてもなれない」と言われている。知性が必要だともされていて、じぶんも若い頃はとにかく猛烈に本を読んだ。
創始者、土方巽は高卒。
しかし圧倒的な読書家で、当時の知の最高峰、埴谷雄高や澁澤龍彦、三島由紀夫といったかたたちを翻弄してしまうぐらいにあたまのキレるかただった。
反面そういうインテリたちが及びもつかないぐらいの狂気を持ちあわせた危険な雰囲気を纏った不良で、最高のあほでもあった。
知的だけど不良で常人の想像を絶するような馬鹿なことをする。
ヒロポンやってすごいスピードで本を何冊も読んでたとか急に暴れだして場をめちゃめちゃにしたとか、深夜に弟子たちを呼び出して稽古したとか晩年はまったく踊らなくなったとかとか伝説や神話が沢山のこっている。
それらを真似して追いかけてるひとがいるが格好わるい。
自分はじふんと唯一無二のあほの道をあるくのです。
テニスコーツの名曲『光輪』の映像に馬鹿舞伎がうつっている。アイデアとiphone撮影:植野隆司