2022年02月11日

The anniversary of Katsuya Nomura's death

2月11日は野村克也さんの命日。

根っからの愛妻家で、どうみても悪妻の沙知代さんをこころの底から愛していた。

奥さまが帰ってきてぽいぽい脱ぐ服を、あとからついていって片付けてたらしい。偉いなあ・・・いや、愛ゆえに出来ることなのか。沙知代さんを亡くしてからメッキリ老けたとか。

じぶんには野球しかない。そう断言していた。

600本塁打という大記録を達成した日は観客が7000人。いっぽうの巨人戦は5万人ちかく入っていた。「花のなかにはヒマワリもあれば、ひとめにつかないところでひっそりと咲く月見草もある。」

家が貧乏だったので、バットが買えず1升瓶に水を入れて素振りしていた。

無名の高校生だったのでデータを調べて正捕手の年齢の高い南海ホークスを狙ってテストを受けて入団に成功、初打席は3球3振。

何度もクビになりそうになりながら、猛練習とあたまをつかう野球でメキメキと頭角をあらわす。そこからの記録は数え上げたらキリがない。1965年に戦後初の3冠王にかがやく。

ワンシーズン、52本塁打は落合が並んでいるけれど、いまだに破られていない。勝つためにあらゆる手を尽くす、知略を巡らし作戦を練る。選手時代からそれは変わらなかった。

引退するきっかけはじぶんが試合に出たいために、味方の選手に「打つな」と思ったときだとインタビューで語っていた。

監督になってからは名言が多数ある。

苦労をしているから人間洞察が途轍もない。ID野球というぐらいであたまのキレも抜群、常に論理的に考えているから説得力がズバ抜けていて、ことばにいちいち深いものを感じる。

もの凄い形相で怒ったとかいう逸話を知ると、執念のようなものを感じて師匠の麿赤兒を彷彿する。

生前に野村さんは“人生”という二文字から四つの道を説いていた。

人として生まれる 人として生きる 人を生かす 人を生む

無類の寂しがり屋だったが、群れるのは好まなかったそうです。

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1961年、日本シリーズ前の練習で長嶋茂雄と談笑する野村克也の絵。

参照:2020年2月12日 毎日新聞 Wikipedia.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:26| ブログ?