2022年03月17日

神戸大空襲の日

1945年3月17日。

神戸はアメリカによる大空襲をうけた。

無数のナパーム弾が降りそそぐなか神戸の狭い路地は右往左往するおおぜいの人たちで大混乱、悲鳴と怒号が入り乱れていた。

たちまち炎はひろがり逃げるところはなくなり、立ち込めるけむりでまえが見えなくなる・・・

1944年7月にサイパンが陥落するとアメリカ軍は、日本本土空爆にむかう戦略爆撃機B29の基地をあっというまに整備。造船所や軍需工場をねらった爆撃だけではなくナパーム弾をつかった市街地への無差別爆撃も開始。

「もし負ければわれわれは戦争犯罪にとわれる」と空爆を指揮した将軍がくちにしたように市民を無差別にねらうのは戦争中といえどもやってはいけないこと。

しかしいっこうに降伏しない大日本帝国に打撃をあたえるためには市民を標的にした無差別爆撃こそ効果があった。

神戸港があり全国有数の大都市で戦時下におよそ100万人が暮らした神戸は、アメリカ軍による本土空爆の重点的な攻撃目標となっていた。本州の東西をむすぶ鉄道や幹線道路の輸送網を破壊することも目標とされた。

戦争終盤になると日本の本土には連日のようにB29が飛来するようになる。神戸は5月11日、6月5日にも空爆をうけて街は壊滅、かんぜんに焦土と化した。

2月4日の神戸へのはじめての無差別爆撃で26人が犠牲になる。3月17日の空爆で2598人が亡くなり5月11日の空爆で1093人が亡くなり、6月5日の空爆で3453人が亡くなり、犠牲者は8000人以上と言われるが正確な人数はわからないとか。

3月10日に東京、12日に名古屋、13日には大阪の都市がつぎつぎと大空襲によって甚大な被害をうけていた。しかし、まだまだ大日本帝国軍は戦いつづけ本土決戦をさけび「最後のひとりまで戦うのだ」とプロパガンダをつづけた。

そのあいだにもアメリカでは核兵器の開発が続行され実用化へむけて急ピッチで作業はすすんでいた。

広島、長崎への無差別での核兵器実戦投下への針は刻一刻とさらにすすんでいくのだった。

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空爆で亡くなったひとのなかには、もちろん子どもや赤ちゃんもいた・・・合掌

参照:2022年3月16日 朝日新聞、2022年3月17日 神戸新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:32| ブログ?