100兆円なんていうど派手な話しから目を離せば、毎日100円にも事欠くような現実が重くのしかかる。
とほほ。
ないだけならば、野菜は庭のもの、お米は隆夫さんに送ってもらったものがまだあるしお酒も大量の紹興酒があるが、借金というものがどこまでも追いかけてくる。
追いつめられていると、何のために生きてるのかと考えてしまう。けれどそれも思い込み。役にたつ人間じゃないと生きていてはいけないのか?
そんなことはない。
何のために生きているのかという問いがもう能力主義にやられている。とか考えるのはいいが現実としてお金は必要。借金取りからの連絡ばかりでこのままだと首をくくるか車に飛び込むか・・・
しかし、それらは逃げでしかないし、のこされた妻に迷惑でしかないのでやめておこう。
悪事でもはたらこうかとも考えるが、母親の教育のおかげで罪の意識に耐えられないこころになっているしすぐに捕まるだろうからそれもやめておこう。
しかしないものはない。最後は都志まで取り立てにきたら大したもの。そのときは「お金を返して欲しかったら仕事をください」とか開きなおろうと夢想する。
この3年間の大騒ぎで仕事がすべてキャンセルになってしまった。海外での仕事もすべてキャンセル。国内のイベントなどの実演産業は自粛がつづき完全に萎縮状態、新聞を見ているとテレビに出ているひとがちらほらと開催しているだけ。
食べていくには有名になるしかない。有名になるためには公演をやらねばならないがやると赤字になる。
次回『舞踏?虎ノ穴』も何回計算しても赤字になってしまう。1日60人以上入ればなんとかみんなにギャラを払えるけれどそんなことが可能なのか。
やるまえから暗い気分になる。ならばやめてしまえばいいが、それではやはり何のために生きてるのかわからなくなる。
野外舞台が泣いている・・・
とか悲観していたら急遽、踊ることになる。仕事をつくってくれた建一郎に感謝。
ありがとう、ほんまに助かります。
チラシはほぼできているが折り込むところがない・・・