東日本大震災の被災地と幽霊をテーマにした論文が注目を集めているそうです。
新聞を読んではじめて知る。
作者は東北学院大学の学生だった工藤優花さんで、宮城県石巻市と気仙沼市のタクシー運転手から聞きとった体験をもとに震災と死について考えている。
大学のゼミで学んだ工藤さんらの論考を収めた本の『呼び覚まされる霊性の震災学』は増刷を重ねているとか。
工藤さんらは高校3年の春に震災を経験する。被災や支援の様子を肌で感じながら学生生活を送ったので、その視線は被災者と重なっているそうです。
あるタクシー運転手は6月の真昼に分厚いコートを着た青年を乗せた。行く先をたずねると「彼女は元気だろうか」とつぶやいた。「はて、知り合いだったかな」と考えていたら青年は姿を消していて、座席にはリボンがついた小さな箱が残されていた・・・
幽霊は存在するとの前提に立っているのが印象的だそうで、タクシーの走行記録などがその証になっているという。
工藤さんは幽霊がなにを伝えたかったのかに思いを巡らせて「大切な誰かにたいする無念」と結論づける。
震災で生きのこった人間にとっても亡きひととどう向き合うのかは切実な問題。なにか言いのこしたことはないだろうか、なぜわたしだけが生きのこったのか・・・
神戸新聞論説委員の田中伸明さんは本を読みすすめるうちに、工藤さんたちが死者と生者の無念をくみ取り両者をつなごうとしていることに気づく。
証言をした東北のタクシー運転手たちがまた乗せたいと口を揃えることにも驚いている。「話して嘘だと言われたら彼ら幽霊を傷つけてしまうかもしれない」と、ある運転手は体験談をこころにしまっているという。
「にじむ死者への敬意。そのことばを引き出した取材力に感服する。」
そう田中さんは『日々小論』で書かれていた。
「幽霊は存在する」じぶんもそう思います。目に見えないもの、ことを信じなくなり人間は不自由になってしまった。
生と死はつながっていて分かちがたく人間の人生のなかに存在する。
死者はもういなくなったのではなく、わたしたちのこころのなかにいまも生きているのです。
庭になんだかわからない紫の花がたくさん咲いててしらべたら"ムスカリ”という花だった。
参照・引用:2022年3月17日 神戸新聞『日々小論』