2022年04月19日

いのちをまもる交通社会に

2019年4月19日、午後2時ごろ。

千葉県の会社で働いていた松永拓也さんの携帯電話に着信があった。

それは見知らぬ番号だった。不審に思いながら電話にでると相手は警察だと名乗った。

「落ち着いて聞いてください・・・奥さんと娘さんが事故にあいました。」相手は、いま喋っていることが大したことではないとでもいうように冷静だった。

妻の真菜さん(当時31歳)と娘の莉子ちゃん(当時3歳)とは、昼休みにテレビ電話で話したばかりだった。ふたりは自宅から池袋の公園へと遊びにいっていた。

真菜さんのそばを離れようとせず、母親にじゃれつく莉子ちゃんの愛らしい姿が目に焼き付いていた。

「命はあるんですか、生きてるんですか!」松永さんは必死でたずねたが電話の相手は「危ない状態です。とにかく来てください。」と詳しいことをいわず、ただ繰り返すばかりだった。

ただならぬ雰囲気を心配した上司につきそわれて会社を出て駅で電車を待つ。電車に飛び乗りスマホをひらくとネットニュースの見出しが目に飛び込んできた。

“池袋にて車が暴走。12人が重軽傷”  “親子とみられる女性と女児が心肺停止”

ひざがガクガクとふるえて背筋に汗が吹き出てきた。立っていられずにその場に座り込んでしまった。

「嘘だろう・・・いやいやそんなわけはない、ひと違いだ。」

スマホを閉じると、なんどもなんども首を振りながら目をかたくつぶって祈りつづけた。「どうか無事であってくれ・・・」

病院へいくとふたりとも亡くなったと告げられた。

即死であったという。夢ではなかった。その場に崩れ落ちると号泣した。

落ち着いてから松永さんは、妻と娘が安置されている病院の一室へと向かった。そしてベッドの上に寝かされているふたりと対面した。

傷だらけの真菜さんと、顔に布をかぶせられた莉子ちゃんが横になっていた。莉子ちゃんの顔にかぶせられた布を取ろうとすると「見ないほうがいいです。」と看護師に止められた・・・

真菜さんと出会ったのは2013年の6月、沖縄。一目惚れだった。

2016年1月11日、莉子ちゃんが誕生。幸せな生活のなかでの突然の暗転だった。

事故のあと1ヶ月ほど休職した松永さんはどうしていいかわからずに、気がついたら事故現場近くの公園のベンチに何時間も座っていた。「死んだほうがましだ。」

生きる目的を失ったのだ、ふたりはすべてだった、いつも3人だった。

この先なにをして生きていけばいいのか、この先なにをすべきなのだろう、どうやって生きていけばいいのだろうか。

事故を起こした運転手を憎み恨み、考えは堂々巡りをつづけた。

「しかし憎しみは被告を思うことに時間をつかっている。そんなことよりふたりへの愛と感謝で、こころを満たしたい。」との考えに至ったという。

松永さんは2020年4月16日に実名を公表し、ふたりの死をむだにはしたくないとの思いから「誰にもこんな思いをさせたくない。」と事故防止のための活動をつづけておられます。

今日で事故から3年、合掌。

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松永さんは写真と動画も公開されている。事故の半年ほど前に撮影された写真。「みんながいつもの自然な笑顔で、いちばん好きな写真。」

参照・引用:2020年3月15日 毎日新聞『ストーリー』取材:山本有紀 / 2020年4月16日 朝日新聞デジタル
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:07| ブログ?