核兵器による抑止のちからを訴えるひとは「核でバランスをとれば戦争はおきない」と言ってきた。
だがそれが幻想だと今回のロシアによるウクライナへの侵攻ではっきりした。
なのに安倍元首相が言い出した核共有。「核共有の議論から逃げるな」と文藝春秋でも挑発している。
ヒロシマとナガサキで亡くなった莫大なひとたちのいのちの犠牲を踏みにじる、まちがっても口にしてはいけないこと。
そのあまりに軽率な発言に自民党と日本維新の会の議員がなんと追随、アメリカの核兵器の共有について本気で議論をしようとしているようです。
いっぽう当事者のアメリカは日本との核共有には否定的。ジェームズ・ショフ元アメリカ国防省アジア政策上級顧問は、アメリカが提供している核の傘は強力と説明。
アメリカ本土からの核兵器使用と日本国内に配備した核兵器使用に大差はなく、アジア地域の政治反応や核兵器の管理などの問題を克服するのは難しく核共有に見合う価値はないと冷ややか。
しかし「核兵器の使用」ということばを聞くと抑止のためではなく使うことを前提としているとあらためて実感。
議論さえ封じるのかと攻撃する者たちは核兵器の共有をしたい人間。議論になどなりようがなくて、いつものように数とちからで押し切るつもりでしょう。
ありえないけれど万が一、核共有が選択されたとしていったいどこに配備するつもりなのか?沖縄に配備するつもりなのか?そんなことは許されるはずもないのにどういうつもりなのか?
配備したいならばじぶんの家にどうぞだ。このやろめ。
過疎に苦しむ北海道の町をお金でつって核のごみ捨て場にするのとおなじこともたくらみそう。
世界122カ国が賛成し核兵器禁止条約が採択され発効と努力をつづけているのに、その努力を無視するような無神経すぎる発言。
人道に反する非道な大量殺戮核兵器を使われた国が、使う側にまわろうなんて考えられない発想なのです。
どれだけ筆舌を尽くそうが、核兵器は絶対悪。その前提を忘れてはならない。
原爆犠牲者の遺族として断固として抗議するのです。
アメリカの核兵器の犠牲になった母親の死体のそばに呆然と立ちつくす龍智江子さん。撮影:山端庸介 This image comes from the Google.
参照:2022年3月21日 朝日新聞 | 3月23日 毎日新聞