2018年04月22日

ありがとうございます。

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沢山の誕生日メッセージありがとうございます。

51歳です。

50歳は新しいことを始めるのに良い。ということで『ブログ?』を始めました。

写真と文章を毎日更新します。

そして、ご報告です。

舞踏家集団デュ社に大駱駝艦から独立した湯山大一郎が加わりました。

初の正式メンバーです。

これからは、二馬力で頑張って参ります。

今後とも、

向雲太郎、湯山大一郎

そして舞踏家集団“デュ社”を、

何卒よろしくお願い致します。

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photo by bozzo

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2018年04月23日

51歳と1日

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photo by Yuji Yamamoto

51歳の1日目。ひとつひとつ頑張らずに頑張ろう!

写真は、舞踏カンパニー”大駱駝艦(だいらくだかん)”に入るために区切りとしてやった、個展の仕込み風景。

断筆宣言をして、全てを出し切ろうとたいへんに意気込んで張り切ってやった。

「退路を絶った。」by Haori Akikaze

そこから20年間絵を描かなかったが、50歳になってまた描き始めた。そんな絵もここでアップしていこう。

ちなみに奥で写真を撮っているのは、セツモードセミナーの同Q生、水野健一郎。

水野は、いまやいろんな学校で教えていて、BEAMSから出ている作品集には坂本龍一さんが解説を書いている。羨ましい。ちなみに坂本さんと師匠の麿赤兒は友人です。

坂本さんの娘さん、美雨ちゃんは壺中天の兄弟子で戦友、村松卓矢の作品で音楽を提供したりする関係ですが、俺はまだお会いしたことがない。

お会いできるのを楽しみにしています。

さて親友の水野ですが、NHKの番組のオープニングアニメをつくっていたり、作品が渋谷の地下鉄でどでかいポスターになっていたり、と大活躍。

描き続けた成果なのだ。

そして、この写真を撮ってくれた親友の山本祐司さんが、同Q生では一番の出世頭です。絵で家を建てるのだから大したものです。

しかも葉山。

脱帽。
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2018年04月24日

1999年

いまここ。足るを知る。か。そうだ竜安寺へ行こう。

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左から、徳久欣 大友透 若林淳 向雲太郎 村松卓矢 田村一行。

写真は、1999年7月31日 伊豆。

まずは、徳久欣。超がつく遊び人で、現在は長野で薪ストーブ職人になってます。ホームページで見たらカッコいいストーブだった。>>kintoku stove

同期の大友透。1200ccのバイクを乗り回しブルーズを唸るナイスガイ。「透はバイクに乗ってる時は、かっこいいんだよなあ。」by Akaji Maro

いまは、奥さまの実家、高知でキューリ職人になっています。ちなみに奥さまの美波里ちゃんは、大駱駝艦の先輩です。

兄弟子、若林淳。彼のことを語ると今日では到底記しきれないですが、いまは渋さ知らズメンバーです。

客演だと言いはりますが、自分で独立してカンパニーを持っていてでも他所のグループにも出る。

それが客演です。そこしか出ていないのならメンバーです。しかしこのメンバーかメンバーではない問題ですが、親友と同じで自分がどう思うかで決まると最近、思ったり。

向雲太郎。舞踏家集団デュ社主宰。ヒゲがダサい、水中眼鏡を外せ。

兄弟子、村松卓矢。

村松君のことは、また改めて記します。大駱駝艦の先輩でありながら、同期のようなところもあり。でも歳下で、戦友であり親友であり、そしてライバル。

弟弟子、田村一行。三人兄弟の末っ子で超マメ男。天使と悪魔の顔を持ち、普段はニコニコ「どうもどうも。」と調子が良くていつも低姿勢です。

しかし、ひとたびお酒が入るとブラック一行が召喚、毒舌をかまします。大駱駝艦番頭。

写真を撮ってくれてるのが、一行の当時の彼女か。なんだか喧嘩をしてたような。

皆んないい顔をしている。当時のらくだかんカー”エルフ”を拝借して泊まりがけで伊豆に遊びにいったときの写真。

いまでは考えられないな。牧歌的な頃のお話でした。

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追記、2019.4/4
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2018年04月25日

雨か

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激しい雨が俺を濡らす。何もかも。。
雨だな。

写真は伊藤キムさんの出世作
"Dead and Alive"ドイツツアー。

初演のメンバーは伊藤キム、遠田誠(まことクラヴ) 鎌倉道彦(コンドルズ)向雲太郎。

前から照明の森島都絵、?、キムさん、平敷秀人、雲太郎に遠田誠、舞台監督の高橋大輔。平敷はヨーロッパで活躍中!

初演のメンバーでまたやりたいなあ。高樹さん企画してくれないかな。
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2018年04月26日

秋田ぶるうす

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戌井くんのエッセイに東陽さんのイラスト。

昨日は、鉄割アルバトロスケットの創立メンバー山内(伝説の裸俳優、8月スズナリで完全復帰。)と新宿で飲みまして、その後四谷3丁目“秋田ぶるうす”へ。

『秋田ぶるうす』は、漫画家片岡東洋さんがオーナーのおスナック。スナック愛好家の玉袋筋太郎さんはもちろん、いろんな方がいらっしゃる素敵なおスナックです。

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写真は熱唱中の戌井昭人氏で、こちら場所は熱海来宮のおスナック。
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2018年04月27日

風呂

風呂に鯉がたくさん泳いでいる。

風呂は岩がごつごつしてけっこう深くて暗い。

栓が抜けているので、

栓を閉めようとするが深くてなかなか閉められない。

クサリを持ってぶらぶらと栓をゆらしてはめようとするが、

入ったのか入ってないのかよくわからない。

仕方がないので下へおりて行って手で閉める。

あっ、夢の話です。

これは、2018年9月21日に追加で記していますが、こういうことが出来るのもWeblogの特徴ですね。

印刷物なら出来ない。常にアップデートしていく『ブログ?』ゆらゆらといつまでも定着しない。

1993年12月から書いている日記というか雑記というかも、読み直してあとで追記したりします。

「青いな雲太郎。」とか「いや、なかなか良いことを言ってる。」とかその時点での感想、意見などを書き足しています。

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こんなイメージか。illustlation by Kumotaro Mukai 2019.1/21
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2018年04月28日

4月28日

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ゴールデンウィークか。関係ないな。

自分は結構なファイルマンでありまして、20代の頃の貴重な印刷物などをファイルしています。

そんなものもここでアップしていくぞ。

写真は20年ぐらい前のCLUB ACID TOKYOのフライヤー。

クラブは若い頃からよく通ってました。

大阪時代は、仕事が終わると『エンタツアチャコ』のアチャコさんのお孫さんがやってるレゲエ居酒屋、その名も"ACHACO”でまずは一杯。

それから宮本さんのベンツでJR高架下の大阪ダイナマイトへ。狙ってた女の子を宮本さんにとられて部屋までいって本当に迷惑。

セツ時代は「銀座、原宿、六本木。」毎晩飲み歩いて。

一番通ったのは新宿で、2丁目の”サザエ”や”69・ろっきゅう”に毎晩いって朝まで飲んでた。

ある晩、喧嘩がはじまったらゲイマスターが「トラブルはノーよ!」いうて客を叱ってたのをいまでも覚えてます。
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2018年04月29日

対話

韓国と北朝鮮が融和ムードですが、もともとアメリカとソビエトに無理やり引き裂かれたことを考えると「良かったなあ。」と思ってちょっとジーンとしたり。

暉峻 淑子先生が対話が終わった時に殴り合い、戦争がはじまると言っておられます。相手をわかろうとする心が大切。

やっぱりキーワードは“対話・インタラクティブ”。

自分の開催するワークショップでもインタラクティブ・ワークショップと銘打って“対話”を重点に置いてやります。

依頼されておこなう施設でのワークショップでは、人間の多様性ということを考えて“わかりあう”ということに重点を置いてやったりします。

人それぞれ色んな性格や癖、生きてきた人生の長さや経験も違うので、まずはわかりあおうという雰囲気づくりが大事。

施設の人たちはコミュニケーションの取り方も人それぞれなので、自分の常識を疑うということも大切。

こころを開いて、柔らかく、大きく。

右でも左でもどっちでもいいじゃないか。

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@光の丘 撮影:金子愛帆 いい写真。右:アシスタント、鈴木清貴。
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2018年04月30日

延期

今年は次々と企画が延期になっています。

4月中国・北京、5月兵庫県・伊丹アイホール、7月イギリス・ロンドン。。

そんな中、10月メキシコツアーだけは決まりそうだ。

良かった。

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photo by bozzo

『ふたつの太陽』というデュ社の旗揚げ公演をもって行きます。

そんでもって、2020年に帰ってきた『ふたつの太陽』と題して、東京での再演を目指す。

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photo by bozzo

岡本太郎さんの第五福竜丸の壁画はメキシコから日本に戻ってきて、渋谷駅の壁に飾られている。

チムポムがそこに福島の絵をゲリラ的に、追加したのは2011年3月11日だったけど冴えてたなあ。

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コピーライトマーク 2010-2011 Chim↑pom All rights reserved.

アップデートされて今と過去がつながっていく世界。

岡本太郎さんも、絶対にあの世で大喜びしてたと思います。

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LEVEL7 feat.明日の神話
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2018年05月01日

魂戯れ

古巣、大駱駝艦の本拠地“壺中天”で新作の稽古が始まったようです。

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弟弟子、松田篤史の tweet  いいわあ。

ここまでぎゅっと凝縮して壺中天のことを言いあらわすなんて。

壺中天は別名『舞踏虎ノ穴』と呼ばれているが、ただただ面白い作品を創る。

その思想のもと日々汗を流し、泣いたり笑ったり喧嘩したりしてまさしく切磋琢磨している。

稽古が終わってからの呑みもまた鍛錬と24時間365日作品創りが行われている、舞踏の聖地なのであります。

そして「ただ面白いだけでいいのか?」という問いかけももちろんありながら。

初期壺中天は舞踏の実験精神そのままに日々、どこまで自分を更新できるかの競い合いも行われていたように思う。

いまはどうなのかな?

師匠の麿さんに褒められるのではなく、怒られることを目指していたようなところもあった。

それをまた麿さんが、面白がってくれたり。

人は放っておくとすぐ保守的になってしまうようにできているようだが、そんな自分を叱咤激励してくれているのはいまだに“壺中天魂”なのであります。
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2018年05月02日

ナミダバシ

昨日は、知人のお笑い芸人、奥村太朗を応援しに渋谷のヨシモト∞ホールへ。頑張ってたなあ。

コンビ名は『ナミダバシ』あしたのジョーが好きなんで。

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ひと昔前なら、一攫千金を狙って不良が選ぶ職業はプロボクサーだったが、いまは間違いなくお笑い芸人ですね。

日本の中で一二を争う競争率の高い職業かも。需要もあるしそれを遥かに上回る供給量を誇る。

役者も掃いて捨てるほどいるけど、お笑い芸人も同じなんだろうなあ。めちゃめちゃ厳しい世界。

しかし努力次第で夢を掴みとれる可能性があるから良いなあ。いや実力があれば現実になるのだから夢ではないか。もちろん才能がまずは必要。

最高の相方と知り合う運や、素敵なスタッフと知り合う縁も必要です。

どうしても、需要も供給も限りなくないに等しい舞踏と比べてしまう。

そういえば、奥村君と出逢ったのは、下北沢スズナリ『蠢雲』本番あとの風呂屋でした。

話しかけたのはこっちだけど、そこから話しが興味深く進み2時間ぐらい話したかも。面白かったなあ。

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"Shun-Un" @Suzunari photo by bozzo

一攫千金の夢があるから人が集まる。仕事がないから人が集まらない。

なんとか仕事を生み出して、需要を増やすのだ!!

PS---奥村君、お疲れ様でした。面白かったで。お互いに頑張ろう!
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2018年05月03日

大器晩成

昨日は忌野清志郎さんの命日でした。

そういえば清志郎が亡くなった日にでっかい虹がかかって話題になってた。

雨上がりの

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忌野清志郎(Ⓒ阿部高之)

清志郎は21歳の時に『僕の好きな先生』で売れてから、苦労して苦渋をなめながらも音楽を続けて。

大ブレイクするのは1980年、29歳の時。売れたのが早いから大変だったんだな。それだけに心に沁みる歌が多いのですが。

友人の写真家、長島有里枝ちゃんの名言で「男は売れるのが遅ければ遅いほど良い。」というのがあります。

有里枝ちゃん自身は、清志郎と同じ20歳で売れて。

若くして売れた人だからこそ言えることです。俺が言っても負け惜しみ。

有里枝ちゃんは去年、東京都写真美術館で回顧展というか個展というか大々的にやっていました。

パンクロックな人柄そのままの、とっても素敵男前な展覧会で感動した。

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負け惜しみついでに言うと、舞踏家は割と遅咲きの人が多いです。

創始者の土方さんが代表作『肉体の反乱』を発表したのは40歳の時。

師、麿赤兒も若くしてアングラ界の大スターだったけどメジャーになって来たのは50歳越えてから。

そして先駆者の大野一雄さんがフランスで大ブレイクしたのは70歳!!

早く売れるのに越したことはないと思うけど、大切なのはそのあと。

清志郎は悪戦苦闘の日々を描く『ロックで独立する方法』という本を書いてるけど、大好きなことを仕事にしていくのは至難の技。

続けないとダメなんだけど、ただ続けるだけでもダメ。

常に前進しようとする意志が肝要なんだと思います。
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2018年05月04日

距離感

延期となった『アホとロマンの皮袋』は、20年間在籍した大駱駝艦から独立して一発目のソロ公演です。

舞踏の紋切り型のイメージの代表“白塗り”との訣別の心を込めて舞台上で白塗りして、舞台上で落として終わった作品。

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オープニング。photo by bozzo

まあでも人の前でいかに面白く居られるか?の追及で、塗るとか塗らないとかは実はどうでもいい。

どうでもいいんだけど大きな問題で、無自覚にやるのが一番ダメなんだと思う。

おなじく延期となった『舞踏?』は、先鋭ということを考え、疑うことから始まる舞踏の真髄を披露しつつ、舞踏をものとして扱って創った作品。

そういうことが好きではない観客に靴を投げ込まれた。

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土方さんのトレースシーン。photo by bozzo

ダミアン・ハーストも言ってるけど、大切なのは対象との距離感。

便器を作品として扱ってしまう。本物のガイコツにダイヤを埋め込んで売ってしまう。

距離をおいて対象化する醒めた視線が必要。

いっぽうで理屈抜きの面白いものもまたありだと思うし、何かを込めて踊るということも大切だと知りながら。

どちらにしても観終わって何も残らないようでは、脳天気。

現実が虚構を遥かに凌駕するいま。少しぐらいの悪意では足りないのかもしれません。
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2018年05月05日

子どもの日

わたくし、生まれも育ちも兵庫県であります。

伊丹市で産湯に浸かり、喘息で死にそうになって川西市へと引っ越したんですわ。

幼き頃は、色白栗毛の可愛い子どもでした。

中一で早々とドロップアウトして、中三は毎日遅刻とサボりの日々。校則無用で酒にタバコに剃り込みに中ラン、ボンタンでした。

そんなわたくしに行ける高校などあるわけがなく、越境入学で大阪の名門不良高校へ行かせて頂きました。

この高校は、井筒監督の映画『ガキ帝国』のモデルになった高校です。

大阪梅田会といういまでいうと関東連合みたいなもんですが、梅田会の幹部が沢山いて皆んなピストルを持ってたとか。

うちの高校は空手部と応援団がなかったんですが、どちらもリンチで死人が出て廃部になったとか。

ちなみに応援団は日本大学応援団の団長を毎年輩出してたとか。もったいない。

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中学で副番長を務めていたわたくしですが、そんな大阪の高校はレベルが高く、その中でもオール巨人師匠とか赤井さんとかサッカーの金田さんとか浪商の牛嶋さんとかは伝説の不良です。

わたくしはすぐに平民になりまして、毎日学校をサボって映画館通いの日々でした。

映画にはいっつも助けてもらったから、いつか恩返しをせねばなあ。

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親友のミー君とマー君と。

続きは明日。
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2018年05月06日

にほんけんぽう

高校時代は、日本拳法部に在籍していました。

日本拳法はよく日本憲法と間違われますが、剣道の面と胴をつけてボクシングのグローブをはめて殴り合うという日本憲法とは似ても似つかないシロモノです。

ちなみに投げ技もあるので空手のように腕を出しっぱなしだと、取られて投げられるので要注意です。

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一応、黒帯です。得意技は直蹴りです。押忍。

在籍してましたが、毎日サボってました。

先輩に見つからないように、悪友の宮崎堅一と裏のフェンスを乗り越えて毎日、梅田に遊びに行ってました。

そんな不真面目な部員のでしたが、部自体は有名な強豪で7年連続日本一でした。押忍。

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日本拳法部の合宿で仲間と。

部長は松村先生で六段とか七段とか。揉み上げがいかつかったなあ。

ボクシングの世界チャンピオン渡辺二郎さんはいまはやくざになってはりますけど、日本拳法の先輩です。

身長が低いのに、体重無差別で闘う日本拳法の五段とか六段とか。梅田で一回見かけたけど、いかつかったなあ。

ちなみにうちの学校は、退学がなくて3年間で100日も行ってないですが、無事卒業しました。

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男前のじろべえと。じろべえを待って校門に大量のJKが出待ちしてました。

高校では流行りの無気力を装ってたわたくしですが、卒業してデザインの専門学校に通い始めると久原鉄秀という良き兄貴分、そして良きライバルが現れたりして、段々と燃え上がってくるのでした。

続きは明日。
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2018年05月07日

絵について

絵を描くのは、こどもの頃から大好きだった。朝早く起きては絵を描いてた。上手いとも評判で。

小学5年の時に先生に、けなされて低評価で悔しくて。そこから段々絵を描かなくなった。

「絵なんて赤ん坊の頃から、誰だって描いてるもので、それに点数とかつけるからおかしくなるんだよ。」

なんてわかって来るのは20歳過ぎてからで。嫌になった。自信をなくした。

中学の時に宿題で”風景を描け”というのがあって宿題なんてやったことのない人間だったから、持っていた大瀧詠一さんのアルバムのジャケットのイラストを模写して提出した。

そしたらスゲー褒められて校長室の前に長いこと飾られてて恥ずかしかったなあ。

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ⒸHiroshi Nagai Penguin studio

「いやいや真似しただけですから。」って。

いまだったら、「これはトレースと言いまして自分の身体をメデュームにしてオリジナルが憑依してて。」とかなんとか、かんとか言うのだろうけど。

高校2年ぐらいの時に友達に誘われてデッサンの教室に通い始めて褒められたりして、ちょっと真剣に美大というものに興味を持ち始めたのだけど、時すでに遅し。

なにしろ勉強の”べ”の字もない奴だったので当たり前のように落ちました。

いまなら「一生勉強です。」とか言うけれど、あの頃はわかってなかったなあ。嫌いだったのか。いまは学ぶのが大好きなのに。

興味のあることが他にあったのか。勉強する意味わかってなかったんか。

いまはたまに反省したりもするけれど、あの頃の自分は自分で結構真面目に悩んでたように思うな。たぶん。

甘かったな。

しかし甘さの中に旨味はあるらしいので良しとするか。

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淡路の海でパチリ。
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2018年05月08日

鉄秀

自分の頃は専門学校というと、やくざにはなれないけれど真人間にもなれない。というようなひとが行くところ。というイメージ。要するにどこにも行けない人。自分です。

しかし行ってみると、四国の不良でお父さんもお母さんもいない天涯孤独の身でおばあちゃんと泥棒で食べてたという奴がいたり、

有名な暴走族のリーダーで、でもおかんがメチャメチャ怖いので、朝飯食べる時におかんから見えへんほうだけ、髪の毛ムラサキにしてた男とか。

面白い奴がたくさんいて、よく一緒に遊んだ。

あとは久原鉄秀ですね。この人は東大阪のほうの不良で歳はひとつ上なんですが高校の時にダブってるので同級生。

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@ ザ・スズナリ。photo by bozzo

初対面の時に「お前、夢なんや?」いうて聞いて来はったぐらいにアゲアゲな人で。

課題が出て皆んな新聞紙ぐらいのB3サイズを一つ持って来てる時に、B全という畳ぐらいの作品を何枚も持って来たりド派手なパフォーマンスを繰り広げてた。

専門学校を卒業して入ったカプコンで麻雀ゲームの部署に配属されたのを知ると、ビルの最上階の社長の部屋にいって、

「俺はこんなことやるためにカプコン入ったんちゃう!!」

いうて怒鳴り込んで別の部署にかえてもらったり、ゲーム会社でも暴れてたみたいです。

やめてアムウェイ始めてからも、イケイケでパールだかなんだかになってました。

この頃は、アムウェイやれやれうるさいので縁を切ってた。

鉄っちゃんとはいまも仲は続いてて、大駱駝艦の本拠地壺中天で『遊機体』という作品を一緒につくったり、今年の1月にも禅問答ライブやったりしてます。

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『遊機体』@ Morishita studio, 2013. photo by bozzo.

そんな鉄っちゃんに「冷めとんな。お前は青き冷め夫じゃ。」とか挑発されてるうちに、何故か「俺は東京に行ってセツいうところに入るんじゃ。」となっていくのです。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:09| ブログ?

2018年05月09日

JOKE

友達は皆んな鉄秀の影響を受けてカプコンに就職したけど、わたくしは右向け右みたいなのが嫌なので行かなかった。

けれど「これをやりたい!」みたいな思いもなく。

デザインの学校だからデザインの会社に行くか。ぐらいの気持ちで一社だけデザイン事務所を受けた。

すると何故か社長に気に入られたようで受かった。

大阪平野町にあった『オフィス・ジョーク』。社長の田井中さんと右腕の森さんでやっている二馬力のデザイン事務所。

田井中さんと森さんは大阪のヤラカス館で出会った。

ヤラカス館は明治29年から続く老舗広告代理店。意気投合した二人は、まあもし潰れても「冗談、冗談。」いうて独立してジョークを始めはったらしい。

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ジョークは惜しくも2015年に解散。お別れ会の後で。一番前のサングラスが田井中さん、前列右が森さん。

ジョークは、17時になったら飲みながら仕事して、そのあと毎日どこかへ飲みに行くという会社で、お酒の飲み方をはじめ色々なことを厳しくも楽しくしっかりと教えてもらいました。

デザインのほうも才能があったみたいでメキメキ頭角をみせ田井中さんに「5年おったら日本一のデザイナーにしたるで。」いうておだてられてたけど、上京の夢捨てきれず。

「上京して絵描きになります。デザインは二度とやりません。」いうて2年たらずで退職。

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でも結局、上京してデザインやって糊口をしのいだり、大駱駝艦に入ってからもワークショップや合宿・壺中天公演のチラシのデザインをずっとやってしまう・・・

「田井中さんごめんなさい!」

退職金をたしか何十万かもらって、車を買うか東京行くかで迷って「いやいやあかんあかん。」と東京に行くことにしたのでした。
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2018年05月10日

東京へ

1980年代というとイラストレーションが時代の最先端という頃で安西水丸、ペーター佐藤、吉田カツ、鈴木英人、原田治、矢吹申彦、河村要助、黒田征太郎。

わたくしが模写した永井博、ヘタウマの牽引者、湯村輝彦なんかが前線を走ってて。

生頼範義、西口司郎なんていうリアルなイラストを書く人もいて。

和田誠、宇野亜喜良は世代は少し前で。日比野克彦が活躍しはじめた頃か。
(敬称略)

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ⒸKatsu Yoshida

専門学校でイラストを勉強し始めてたのでめちゃめちゃ意識した。

学歴がなくても、実力だけで有名になれる。みたいな世界。

そんな時、東京にプロのイラストレーターを次々と輩出しているイラスト梁山泊のようなところがあると風の噂が流れてきた。

その名はセツモードセミナー。
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早速調べて資料を取り寄せた。と思う。そしたらなんと試験はなくて入るのは抽選だと。

試験官の主観が入らないある意味公平な入れ方。たしか4月と9月、年に二回抽選があった。

そして9月の入学を目指して、選ばれるかどうかわからないのにとにかく上京。若気の至り。

8月終わり、風力3、晴れ。

靴下に数十万ぶち込んで、東海道線で時間をかけて一路東へ向かったのです。
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2018年05月11日

東京と世界

しかし東京というのは、人間の住むところではないとしみじみ思います。

人は多いし、人間のつながりも弱いし。ごみごみしてて殺伐としてるし。

たまに大阪へ帰るとホッとする。人情に厚くて。道を聞いたらその場所まで案内してくれたり。お金を取られるのではないかと不安になるぐらい親切。

そういえば、サンフランシスコも人が温かかったなあ。だいたいどんなところでも南に行けば人は温かくなり観客の反応も熱くなる傾向にあります。アメリカは10都市以上回ったが同じ印象を受けた。

そしてだいたい空港から一歩出れば、そこがどんな街かわかります。歓迎されているかどうかもファーストインパクトでわかる。最初に話す人の態度とか。

インドはものすごい歓迎してくれてた。空港でたらフェンスにつかまってスズナリで出迎えてくれて。これはちょっと違うか(笑)

ニューヨークは冷たかったなあ。東京と似てた。パリも油断ならない。一回騙されました。

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マドリードで買ったポストカード

マドリードとバルセロナは京都に似てる。どこが?と問われると困るけど強いていえば空気と水。

タンジェはちょっとパリに似てたか。メディナで道に迷って行き止まりにおばあさんがいたので道を聞いたらお金を要求された。100円ですが。

ソウルは安っぽい秋葉原。北京は偽物の秋葉原。シンガポールは偽物のヨーロッパ。

香港は九龍城が良い感じだった。台湾は面白かったなあ。これは感想だけど。人も良い感じでした。

ああでも韓国では盗難にあいました。国立の劇場の楽屋。高額の金には手をつけずにわからない程度に盗まれてた。打ち上げまで誰も気づかなかったぐらい。プロの仕業。

リオの人が物静かだったのは意外。治安も全然悪くなかった。サンパウロは日本人街がどでかくてびっくり。歴史を感じた。

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サンパウロの市場にて

テルアビブも静かだった。テロで亡くなる可能性は自動車事故で亡くなる可能性より低いとか。でもエルサレムは怖かった。

結局、アフリカからヨーロッパへと陸路で抜けようとすると必ず通らなければならない要所を聖地と称して三兄弟が取り合っているという図式なのだと感じた。

メキシコシティは、、、やめておきます。参考までにいっておくとメキシコは世界で一番誘拐の多い国。

そうやって考えると東京は平和。いま住んでいる西東京もとっても住みやすい。なんだかんだで、もう30年以上住んでるもんな。東京。

人生50年。3分の2は東京で過ごしたことになる。

そんな東京の話しは明日。
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