2018年06月16日

伊藤キム

伊藤キムさんは、年齢が二つ上なだけでほぼ同年代なので兄貴分みたなもの。

家に遊びに行ったり仲良くしてもらって。可愛がってもらっていたと思う。

その踊りは、切れ味鋭く自分で決めた振りを何度もなんども稽古して、納得がいくまで繰り返して鬼気迫るものがあった。

いまは違うかもしれないが当時はテクニックが大好きでそのうえ、もっともっとという向上心に限りがない人。

今日右手が10センチ伸びたら明日は11センチ、明後日は12センチという感じ。それを他者にも要求する。

丁度これから世に打って出ようという時期で、勢いに満ち溢れていて凄みすらあった。応援して贔屓にするファンも沢山いた。

麿さんからの影響は、歳が離れていたこともあって当時はあんまり自覚していなかった。

キムさんからの影響は、歳が近いぶんわかりやすくて強烈だった。

まずは身近な兄貴の影響を受けるような感じだったのかもしれない。

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photo by Nobutoshi Takagi
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2018年06月17日

ギチョ

昨日は、昔馴染の杉本浩二と久しぶりに会いました。アダ名はギチョ。

ギチョは、小学校1年の途中に大阪から引っ越してきて。

それまで杉本マサシがいて、左ギッチョでギッチョンというあだ名で呼ばれていた。

けれども同じ苗字の杉本浩二が引っ越して来て、いつの間にかギッチョンのあだ名はマサシから浩二のほうに渡ってた。

ある朝、学校に行ったら廊下に男子全員が正座してて、どうしたのか聞いたら「杉本くんに正座してろ言われました」てなことがあったなあ。

当時の先生が大学出たての若い先生でギチョの横暴があまりにも目に余るので、「誰かギチョと喧嘩しなさい!」と言ったら杉本マサシがすぐさま手をあげた。

机と椅子を片付けてギチョとマサシが喧嘩して、一発でギチョがマサシを投げ飛ばし流血し終了。熱血指導。

そんな喧嘩のめっぽう強いギチョの粘土を、引っ越して来たばっかりの時に壊したらしいけれど覚えてないなあ。

ギチョは、中学では野球部のキャプテンで番を張ってて。しかし高校は公立高校に進学して文武両道。

高校では有名な厳しい顧問のいるラグビー部に入って。

一緒に入った同級生は、皆んな辞める中で続けてた。そういえば杉本マサシも、辞めずに続けてたとか。ど根性だな。

高校を出て、夜景の見えるところでギチョの家の車に乗って、二人でよく何時間も喋ってた。

わたくしは東京に行くと言ってて、ギチョは海外に行くと話してた。

ギチョは、その通りにいまはインドネシアにいる。

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ラグビー、現役続行を決意した杉本浩二・51歳。
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2018年06月18日

1995年

1/17 (tue)雨月稽古。性格を超越したエネルギーとその“ふり”によって踊る。

イメージを想起させるもの、こと。シンプルなもの程、力強いし伝わる。

稽古中にニュース速報。神戸で地震。全ては他人事か。実家へ電話するが通じず。死者300人。

こころとからだの分離。つけない嘘 俺は平気?

1/18 (wed) 死者1500人 1500人? よくわからない。

1/19 (thu) 死者2400人 煽り立てるマスメディア。混乱が混乱を呼び、騒ぎは大きくなっていく。俺は相変わらず。

1/20 (fri) おそらくスポーツ新聞だろう。とてつもなく大きな見出し『死者5000人』…なんだか喜んでいるように感じるのは俺だけか。ただでさえ溢れる人間が一人でも多くいなくなる。とか。

雨月稽古。天界と魔界 結界 焦ることはない。落ち着け、イライラするな。思い通りに行かないからといってそれがどうしたというのか。うごかない身体。とまらない欲望。うごけない世界。

1/21 (sat) そのうち現金なスポーツ新聞などは、報道しなくなってしまうのだろうなあ。そして皆んな忘れていく。本当は何も終わりはしないし、変わってもいないのに。つくりだされる悲劇、美化される人の死、忘れ去られるいま、現在、未来。

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Illustration by Kumotaro Mukai

1995年1月17日、たしか稽古中にニュースが入って、皆んなでテレビを観た。その日は、まさかそこまで大変なことになるとは思っていなかった。

そういえば、3.11の時も世田谷パブリックシアター稽古場にて、本公演の稽古中だった。

村松君とわたくしの二人のシーン。

いままで一回もそんなことがなかったのにアクシデントが何度も起きて。おかしいなあ。とやり直していたら地震が起きた。

虫の知らせだったのか。

しかし、こればっかりは自然さんのことだから仕方がないのだと思います。

神様といってもいいかもしれないけれど。自然という神は無情で容赦がなくて、人類のことなんてこれっぽっちも気にかけていない。

大自然の前では、本当は無力な人類の姿がむき出しになってしまうのだ。
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2018年06月19日

訪米

映画監督・佐藤訪米に出会ったのは、1995年1月21日。

飲み友達の木村さんという方の家で、星野建一郎を介して。

当時、訪米は映画を製作中だった。

後日、京都の事務所に泊めてもらったけれど、事務所は若者が溢れてて雑魚寝したり酒盛りをしたりと梁山泊の様相を程していて興奮したのを覚えてる。

映画が完成してそのイベントに呼ばれ、京都まで星野達と行った。

ジャズバーだったので、本番前に村松君とウィスキーをしこたま飲んで。

人生で酔っ払って踊ったのは、あの時一度だけだな。適当でいい加減なイベントだった。

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佐藤訪米監督作品『京極真珠』ポスター。

訪米はその後、祇園南座の真裏でラーメン屋を始めて。

鉄割京都ツアーの時に遊びに行ったり。得体の知れない人が店の奥で寝てたり相変わらず面白かった。

いつの間にか祇園の店はなくなってて。便りは京大の近所から届いた。

『ぴちがい裁判』京都公演の時に久しぶりに行って。奥村君が日本で一番美味いと絶賛する中華そばを皆んなで頂いた。

先日も、その京大側のお店『みみお』に伺って夏にやる夜市というお祭りで踊るにあたっての打ち合わせをした。

これからもよろしく!
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2018年06月20日

淡路滞在、一日目

2018.6/20

いよいよ淡路島、五色町都志に入りました。

川西では地震に逢い縦揺れと横揺れの違いについて経験し、淡路では田んぼから水を抜くほどのめぐみの雨が一日中、降り続く。

一日目、まずは掃除から。どんな家にするのか?イメージをする。

その後、家の隅々までつぶさに観察する。大事に使われてるなあ。と感嘆しかり。女性の力、お陰さまを思う。

どうしたいのか?どうなりたいのか?

舞踏について。お芝居について。あれこれと考えたり。少しうごいたり。

アホになったり。ロマンを観たり。

I feel about Roots, Sky, See Window. Space......

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舞踏レクチャーショウ 於:兵庫県川西市 音楽:築山建一郎
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2018年06月21日

淡路滞在、二日目

2018.6/21

ここ五色町都志の家は、もともとは母親の実家です。いまは誰も住んでいないので別荘扱いです。

要するに別荘の主人、というか管理人というか。ただの居候というか。柔らかい感じで毎日を歩いて行こう。

そういえば、昨日行った自転車屋。

奥さん「その自転車の色は、薄空色でええんかいな」

旦那さん「んん、薄空色。。そうやな」

自転車の色の言い方が絶妙で旦那さんも納得の表現でした。

曇りのち、薄曇り。少し日が射したり。

お墓へ行って掃除、しきび交換。

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書を飾ったり。書:五女 恒子

いつ訪れるかわからない、美人で、頭が良くて、いつまでも若々しくて、キュートで、そしてかしましい5人のお姉さま方のために、思い出の詰まった実家をぴっかぴっかにしておくのだ。

いろんなところに気を効かせて、落とし穴を仕掛ける心持ちで。

掃除、片付けを続ける。だんだんとなんとなく。

とにかく皆んなが気持ちよく暮らせる家にしよう。
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2018年06月22日

淡路滞在、三日目

2018.6/22

晴れ。まずは洗濯。

その後、仏壇の掃除。木谷家は真言密教です。お位牌のホコリを払って外へ並べる。

自分が木谷家の六代目だと確認。仏壇の金箔が剥がれて来てる。京都で安い金箔がブームやとか訪米が言うてたなあ。直したい。

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木谷家の家紋は桔梗です。

一番汚れていると思われる、台所の掃除にとりかかる。

ゴミが出る。ごみ収集の曜日がわからないので、お隣の住吉堂さんへ。紙・ダンボールの収集が一ヶ月に一度だと聞いてびっくり。まあいいか。

14時、十川英二さんに挨拶しに高田屋嘉兵衛記念館へ。

その後、洲本のコーナンへ連れて行ってもらう。浄水のカートリッジを購入。

戻ってきて二日ぶりのお風呂へ。しかも温泉。気持がちいい。また頑張ろう!という気になる。

都志の家へ帰ってきてビール飲んで、掃除してたら出てきた1994年のワイン飲んでおやすみなさい。
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2018年06月23日

淡路滞在、四日目

2018.6/23

今日は土曜日か。休みがちで働こう。雨なので屋内作業に終始する。

二階の奥の三畳を掃除する。片付ける。倉庫がわりの場所なので、お宝がたくさん出てくる。

大きな木箱が出てきたので開けたら伊万里の皿が対であらわれる。恒ちゃんの書の下に飾ってみる。そこだけいい感じの骨董屋になる。

恒子さんは、木谷家の五女でして書の先生です。

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昨日お風呂の帰り道、お店にたまねぎが売っていたので、値段を聞く。有機栽培の最高級たまねぎ、1箱4,000円なり。

「今こちらにいまして。一ヶ月間、はい、木谷」とか雑談してたら「あーきだにさん。知ってるわよ。」おばちゃんと急に打ち解けて。

そこへ、丹下段平そっくりのお爺さんが軽自動車に乗って登場。

「へー、木谷先生とこの」「同級生おったな…えーっと75歳やから…あー照子ちゃんや。」

なんと段平、木谷家の二女・照子さんの同級生だった。

お爺さん遠い目をして「木谷先生のとこ、町で初めてのプレハブやったんや。先生変わってるとこあるからプレハブにしはってんな。」言うてた。

阪神淡路大震災で建て替えたそのハイカラだったプレハブの家も、20年経ち外側はけっこう痛んできてる。
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2018年06月25日

淡路滞在、五日目

2018.6/24

朝から晴れ。さあ今日は大仕事。セルフ・リフォームのための道具諸々を買うために、山を越えて隣町まで買い物に行きます。

続く。

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帰ってきて、表札の文字を塗る。いい感じ。
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2018年06月26日

淡路滞在、六日目

昨日は、朝8時に自転車“薄空号”で出発して、二時間かけて山を越えてコーナンへ。

帰りは、大量の荷物があったので二時間半かかる。

帰宅したのは15時。大変だったけれど天気が良くて気持ちが良かった。

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鮎原の峠を越えて。

木谷家の次女、照子姉さんが庭に敷いた雑草よけの黒いシートがいい感じ。

そのまま青空稽古場としてつかえることに気付く。

元山海塾の、浅井NOBUのところは『月明かりの移動劇場』だが、こちらはまんま『月明かりの劇場』

綺麗に掃除して、からだを少しうごかす。

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まるでリノリウム。

行く行くは平台を敷いて、テントで屋根をつくろう。
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2018年06月27日

淡路合宿

晴れ。

インターネットの時代だから、世界中どこにいても誰とでもやり取りができてしまう。

スカイプもあるので打ち合わせもできる。

ここ淡路島にも日本中から移住して来て、そうやって仕事をしている人が沢山いることを今回知った。

午前中、某ファッション誌の請求書をつくる作業に追われる。

これでできたと思って東京に送っても不備が見つかりやり直し。向いていない仕事。。

請求書を送ったりメールで打ち合わせをしたり映像の資料を編集してファイルで送ったり、YouTubeにしてアップしてアドレスを知らせたり。

いまも営業、売り込みのためにやるべき仕事は沢山あるけれど一番やりたい仕事は、人前に立って踊る仕事。

庭のスペースを舞台にして何かやれそうなので来年夏、企画しよう。

あと、合宿はここなら10人ぐらいなら泊まれそうなので、上のログハウスをいまから予約すればあと20人は泊まれる。計30人。

夏祭りで踊って、庭でも踊って。

「淡路島で合宿じゃ!」

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photo by Jyunichi Matsuda
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2018年06月28日

1995年2月10日

「ヘラヘラ笑ってんじゃねえ!ニヤニヤしてんじゃねえよ!!」本公演稽古中に、麿さんにはじめて怒鳴られる。

「前の日に飲みすぎたんじゃねえの。」てきな冗談めかした麿さんの質問に、冗談っぽく返したのだと思う。気に障ったんだな。

母親にはしょちゅう怒られてしばかれてて、滅多に怒らない親父にも包丁で刺されそうになったりして、怒られ慣れてたわたくしですが、麿さんの怒鳴りには肝がうわずって泣きそうになった。

怒鳴ったあと「しまった」という間が麿さんに一瞬あったのを覚えている。

そこから超一流のお芝居が入ってきてわたくしに言いながらメンバーみんなへ訴えかけていた。

その日から「こいつは怒っても大丈夫。」と麿さんが思ったのかどうかわからないけれど、しょっちゅう怒られるようになった。

歴代のメンバーの中でも怒られた回数は、一二を争うかもしれない。

怒鳴られたり殴られたり蹴られたり、いろいろとあったなあ。

原因はいつもわたくしが生意気で、悪いことをするからだったんですが。いまとなってはいい思い出です。

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殴られても蹴られても、懲りずに粋がるわたくし。
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2018年06月29日

十川英二さん

昨日は、用事があり十川英二さんと洲本までドライブ。

道中にさまざまな話しを聞くのが、淡路島のいろいろについての勉強の時間でもある。

英二さんは、木谷家の次女・照子さんの旦那さんの弟でわたくしにとっては親戚です。

今回、来年の合宿に向けていろいろと動いてもらっています。

五色町で何かやるならば英二さんに相談すれば大丈夫というぐらいに力強い味方です。

いまは引退されていますが五色町の役場で定年まで務めあげて、最後は教育長を長く務められていた。

御年83歳?!ですが、まだまだ現役で階段は、一段飛ばしで駆け上がるのでついていくのが精一杯。

無類のせっかちで、車の運転はスピードがすごいので隣に乗っているとヒヤヒヤする。

淡路島は完全な車社会なので、いま問題になっている高齢者が運転免許を返すとかなかなか難しいらしいです。

しかし実は、遠い洲本市まで車でわざわざ行かなくても、なんでもインターネットで注文できる。野菜からパソコン機器までネットで注文できる時代だもんなあ。

五色町は過疎化が進んでいて、小学生が80人弱しかいないそうです。お年寄りの一人暮らしも多い様子。しかしこの問題は東京でも同じか。

空気は美味いし水は美味いし、遠浅で静かでとっても美しい海があって、魚は獲れたてで鮮度抜群です。

土地は安いしのんびりしまくってて、こんな良いところに皆さん住めればいいですね。仕事は探せばいくらでもあります。

これだけ交通が隅々まで発達していて、インターネット化も進んでいるから日本中どこに住んでも、情報や経済、流通的には同じなのだと今回痛感した。

そういえば、淡路島の食料自給率は107パーセントです。

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わたくしが子どもの頃から愛してやまない、瀬戸内海の遠浅で穏やかな美しい海。
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2018年06月30日

1995年

2月12日 『海印の馬』通し稽古@板橋稽古場

安産祈願稽古 ノリに乗って入り込んでガンガン行こう。見せる形の追求も忘れずに。村松を喰うためには?考えろ。下手でもいい、気持ちだけで持っていくのだ。

2月13日 稽古ダメ出し 稽古終了後、チケット確認のTel, etc..etc...

2月14日 朝から積み込み 舞台監督・増やんこと増本知尋、怒鳴る力一杯に

2月15日 仕込み

いよいよ小屋入り、新宿ゼロに入る。仕込み開始。再び増やん、力一杯怒鳴る。活気づけなのか?緊張感をつくるためなのか?お祭り気分を盛り上げているのか。

安産祈願の軽い場当たり 遥か彼方の地平線に村松が…sud...あんなに遠いのでは喰うとかどうこうとか無理だな。

予想もしなかったことが起こり、大駱駝艦の本公演に出演するのだ。

出られるだけで。が欲を出し、いつの間にか場位置に不満を持っている。いまの俺には何の力もないのです。いまいる俺は、自分の力でこの場所に立っているわけではないのです。

初心忘るべからず。他力本願のオレ、違うだろう。

2月16日 照明シュート ゲネ スポットライトと 音楽と 気持ちがいいのだ

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いよいよ劇場入り。頑張ろう。
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2018年07月01日

海印の馬

1995年2月17日
大駱駝艦天賦典式『海印の馬』新宿スペースゼロ公演開始。

海印の馬というのはその昔、豊玉陸橋そばにあった大駱駝艦の本拠地、豊玉伽藍という真っ赤な5階建てのビルのなかの劇場で育てられた作品で。

12ヶ月間で12公演やるという、とんでもないシリーズ企画のオムニバスでして名シーンだけを集めて再構成して一本の作品にしたという怪物で。

オープニングからエンディングまで、一分の隙もないコンセプトアルバムのような作品。

「“うみじるし”というのはなかなかないからなあ」と大鯨艦・艦長の宮内さんが言っていたけれど、わたくしは“海馬”と関係しているのだと睨んでいます。

人類の壮大なる共時的記憶のものがたり。

一年中、24時間つかえる劇場があるというのはとんでもないことです。

ただそれだけに地点の三浦君も言っていたけれど、幾らでも稽古ができるという言い訳ができない状況でもあるのも確かでたいへんなことでもあります。

やることがないから稽古をする。そして踊りが生まれる。

当時、妊娠中だった大先輩・古川あんずさんのために安産祈願という群舞を男共が稽古場兼劇場にて夜な夜な酒を飲みつつ創ったとか。

そんな由緒ある名作が初舞台という幸福なわたくしです。

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その頃やっていた、お化け屋敷のチケット。
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2018年07月02日

初舞台

1995年2月17日金曜日 19:00〜
『海印の馬』オープニング

音響、大阿久さんの音があまりに大きすぎて合図が全く聞こえずボロボロ。だった。

楽屋に戻ってきて先輩・楠田健史さんの怒りが爆発。

「オメエら何の為に稽古してたんだ!稽古してたんだろ!!」ドアをズンズン叩いて吠える。

しかし、いちばん間違えてたのはこの楠田さんだったのだが・・・

ちなみに楠田さんは“舞踏派ZERO”というグループを奥様の筆宝ふみえさんと主宰をされていまして、先ごろ舞踊批評家協会新人賞を受賞されました。

「おめでとうございます。」

そして前出の現在は退かれていますが、長く大駱駝艦の音響を担当していた大阿久和夫さん。

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ニューヨークタイムズに「大阿久の音は象に聞かせるのか。」と書かれたとか、次に音響を担当していた関克郎さんには“難聴の大阿久”とか様々なことを言われていましたが、まあ音がデカかったのです。

メインのフェーダーを上げきったら、足でアンプのボリュームを上げていくらしいです。

音響が大阿久さんの時に、劇場でスピーカーの前に座っています。

時間になり照明が消えて行ってだんだん暗くなって。暗転になりました。

ト、スピーカーから「サーーーーー」というノイズが聞こえてくるのがもの凄く怖いんですね。そのあとの客を全員吹っ飛ばすほどの爆音が予想されます。

そんな大阿久さんですが、もうらくだの音響から退かれた後にパブリックシアターでの『海印の馬』稽古の時にふらりとあらわれて。

男性の群舞“安産祈願”のシーンでフェーダーを握ってくれた。

それまでのダンサーが音を出していた時と全く違って、びっくり仰天したことがあったなあ。

目に見えて踊りも良くなって。

音響ひとつでこんなにも変わるものなのだ。と感動。大阿久さんお元気かしら。

そうそう初舞台。

覚えているのは、オープニングのこと。安産祈願のこと。あとは、とにかく舞台が広く感じたことかな。
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2018年07月03日

再演と強度と

『ふたつの太陽』再演の準備に入っています。

メキシコ・パツクアロと淡路島・五色町都志でインターネットを介したやりとりをしてツアーの準備が進んでいます。

ふたつの太陽はわたくしの祖父、木谷真一が1945年8月6日、広島にて被爆死したことを取り上げた作品です。

8月6日の8時15分にとどまり彷徨い続ける木谷真一を軸に展開していく舞台です。

今回はメキシコとの共同制作ということで現地のダンサーを起用するという条件で、メキシコの劇場での公演が実現しています。

初演のメンバーを全員連れていければいいのですが、今回はそれができぬ。皆んな、すまぬ。

内容的にもだいぶん手直しをしようと、日々イメージを飛翔させております。

再演というのは初演で腑に落ちなかったところ、力及ばず曖昧になってしまったところなどを直すことができるのでいい機会です。

再演によって作品が成長していく。こんにゃく座やひとみ座のように日本全国にネットワークを持っていて、一年中ツアーでレパートリーを回していく。

そんな日を目指して頑張ろう。

ツアーを重ねて色んなところでやることによって、どんどんと作品が強度を増して育っていく。そのためにはなるべくコンパクトな作品の方が有利なのですが。

ふたつの太陽は、美術や道具など結構なボリュームがあるのでたいへんです。

しかし日本国内では、最近お呼びがかからないけれど、こうして呼んでくれるところが世界の中にひとつでもあるのは、本当にありがたいことです。

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『ふたつの太陽』初演のメンバーでメキシコへ行くのはわたくしと川口隆夫さんだけです。photo by bozzo
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2018年07月04日

才能

『海印の馬』新宿スペースゼロ公演、あっという間に終わり。

中打ち上げで、舞台監督の増本さんに「お前才能ないんちゃうか」と言われて。売られた喧嘩は買いますよ。と結構深い夜になったような。

増やん、新人には必ずそれを言うみたいで。潰そうとかいう気はなくて挑発してるのだろうな。

まんまとはまって絶対にやめない。とこころに誓った夜。

増やんのひと言ではびくともしないけれど、麿さんに「お前は才能ない。やめろ」といつ言われるか恐れてた。覚悟もしてた。

はじめたのが遅いというのもあったけど、自信がなかったんだな。

才能とはなんだろう。努力では追いつけないもの。目に見えないけれど確かに存在するもの。

100メートルを9秒で走るとか、球を早く投げるとか遠くへ打つとかわかりやすい才能もあるけれど、芸術点とか入ってきたらわかりにくくなる。

むかし飛行機の中で観た映画。

ジュリアード学院に一族郎党から高い学費を出してもらって期待を背負って入り、皆んなの目指すソリストにもなって、その後フィラデルフィア管弦楽団に入り。

順風満帆で音楽家の道を進んでいた男の人が、ある夜「わたしはソリストにはなれないのだ。」と悟った。

誰かに才能がないと言ってもらえたら、いっそ楽なのだろうけれど、自分で気づくと言うのが残酷なのだけど、将来的には成長への大切なプロセスなのかもしれない。

「誰でも才能を持っているのですよ。この世に生まれたというだけで大いなる才能なのですよ。」

というのがわたくしの伝道していることですが、まだまだ世間の人にはその素晴らしさと真髄を理解してもらえていない。

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これでいいのだ。photo by Aiho Kaneko
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2018年07月05日

個性

ここ数年、特別支援学校や福祉施設でワークショップをやったり、デフ・パペットシアター・ひとみで振付をしたりと多様な人々と知り合いになっています。

自分自身でも勉強したりしていると、色々な社会の思い込みというか常識や根深い差別を思い知ります。

それもあって最近、いわゆる『障害』という言葉のことを考えます。

差し障りがあって害がある。何に対して差し障りがあるというのか?何に対しての害なのか?何をもって正常とするのか?

わたくし自身も眼が非常に悪いので、以前から疑って考えていました。悪い?何と比べて悪いのか?

視力を矯正すると言います。正常な状態に合わせることです。

正常?自分が見ている世界が正常だなんて自信をもって言える人などいるのだろうか。

そもそも他人が見ている世界がどんなものなのかなんて、誰にもわからないのに。

色盲の人もいれば色弱の人もいる。乱視に近視に斜視に片目の人もいて全盲の人もいる。それが世界でしょう。

私は他の人と同じように眼が見えているから正常です。数が多いものこそが正しい。という論理。

そこに異を唱えなければ、舞踏の存在価値などないとも思います。

眼が見えようが見えまいが耳が聞こえようが聞こえまいが、それが自分自身に与えられた世界だとしたら、その世界を受け容れて愛して信じて生きていくのをお勧めします。

誰かの価値観や社会が良いという世界に合わせる必要など全くないのです。

閑話休題。

障がい者福祉は金になるから。とひどいことを言う奴もいますが、確かにオリンピック景気のいま。

経済や利益追及の祭典で現実を無視しまくっている“オリンピック”は下らないが、この機会を利用できるだけ利用しまくる。

パラリンピックのほうの勢いも借りて、色々と日本の福祉の底を上げて、常識を変えていく。

そうすれば莫大な税金をかけてでも他のことをさて置いてでも、オリンピックとやらをやる甲斐があるのかもしれない。

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横尾忠則さんが“ハンデ”という言い方をしていたけれど流石だなと思った。うちの女房は“個性”と言います。それもいい。@光の丘 撮影:金子愛帆
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2018年07月06日

死について

舞踏は、死を嫌いません。

どちらかというと好みます。初期の頃は暗黒舞踏派と名乗っていました。暗黒=死ですね。

暗闇でアンコを喰う舞踏だとか土方巽特有の韜晦で。ならばこっちはと『舞踏?』という作品で暗闇でマンゴを喰いました。

“萬國舞踏派”というのも15年ぐらい前に立ち上げようとしてました。

それはさておき。わたくし自身は、死なんておそれることではないのではないかと睨んでいます。

本当のところは誰にもわからなのだし。だっていま生きている人は、誰も死んだことがないのだから。

当たり前ですが。

死後の世界とか生まれ変わりとか色々言われているけれど、実際のところ確実ではないわけでいまいち信用ができないし説得力に欠ける。

目に見えない世界は信じています。信じているしどちらかというと好きです。信じているだけに宗教的というか説教臭が漂ってくると嫌になる。

この世にわからないことの、ひとつやふたつあったっても罰は当たるまい。

死んだらどうなるかわからない。その末期「あー、はいはい」か「うわー!そうきた!!」か「えー!?まじでー」か。はたまた「…」か。大いに楽しみではないか。

近代知の巨匠・埴谷雄高が人類にできる最も意識的な行為が「自殺と子供をつくらないこと。」と断言しています。

死は恐れないわたくしではありますがどちらも出来ません。

“死”という人類にとっての永遠の謎。死を考えることは“生”を見つめることでもあります。闇があるからこそ一筋の光にも感動できるのです。

だからこそ土方巽は光よりも闇、この社会が忌み嫌う死・暗黒のほうを大切にしたのだと思います。

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澁澤龍彦はその著書『マルジナリア』で死刑の問題は、「恐怖と苦痛にある」と看破していた。
そういえば死刑囚の俳句集を読んだことがあるけれど、壮絶だったなあ。
布団たたみ 雑巾しぼり 別れとす
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