2020年06月19日

Les Demoiselles d'Avignon

マティス大回顧展の圧倒的な作品点数にも、もちろん感激した。

けれど、それよりなにより『アビィニョンの娘たち』を見たときのしびれるほどの感動は、いまでも忘れられない。

実物は高さが2メートル以上あった。

写真で見たのとはまったく比較にならない迫力に圧倒されて打ちのめされた。唯一無二の強力な野生のようなエネルギーとパワーを発していた。

これをはじめて見たひとは度肝を抜かれただろうなあ・・・


1907年、秋。

画商のアンブロワーズ・ヴォラールは、パブロ・ピカソがアトリエをかまえる『洗濯船』へと向かっていた。

今日の朝、ピカソから興奮した声で新作がやっと描けたと電話があったのだ。

彼は、晩秋のパリ、ルビック通りの坂を汗をかきながら足早にのぼっていた。洗濯船へと着くと逸る気持ちを抑えて、ギシギシとなる暗い階段を上っていく。

ピカソは明るい色調の絵で最近、売れて来つつあったがまだ無名に近かった。だがヴォラールは、ほとばしるようなその才能に惚れ込んでいた。

ドアをノックするとすぐにドアが開いてピカソのギョロ目が出迎えた。相変わらずの眼光の鋭さだが、今日は機嫌がすこぶる良いようだ。

部屋へと招き入れられたヴォラールは、挨拶もそこそこに早速新作の前へと向かった。

真っ白な布がかけられた巨大なキャンバスがそこにはあった。何か言い訳をしようとするピカソを制して彼は言った。

いいから早く見せてくれ。

ピカソは意を決したように布を引き下ろした。

これが新作『アビィニョンの売春宿』だ!

ヴォラールは息をのみ、絶句した。

いままでに彼が一度も目にしたことのないものがそこに存在していた。

理解不能、完全に狂っている。頭がおかしくなりそうだった。人がねじ曲がり立体的なのかなんなのか。特に右側の娘?なのか?一体どうなってるんだ!

理路整然と絵の解説をつづけるピカソの声を聞きながら、彼は狂ってなんかいないのだ。と思った。

圧倒的な天才をまえにひれ伏したいような感覚を覚えながら足が震えていた。

じぶんはいま猛烈に感動しているのだ。やっと気持ちが整理出来てきたヴォラールはそう思った。

少し冷静になってきたヴォラールはこの絵をどう売り出すか。計算もはじめていた。

これは事件になるぞ。そんな風にも思いはじめていた。ひょっとしたら絵画の歴史が変わるのかもしれない。

窓の外は枯葉が舞い散りはじめている。

アトリエのなかには暖房もなかったが、寒々とした部屋のなかで幾何学的に光り輝くその絵だけが異様な存在感を放っていたのだった。

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『アンブロワーズ・ヴォラール』
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2020年07月30日

1945年7月

今年も、もうすぐ8月です。

それとともに曽祖父、戸籍上は祖父ですが、木谷真一の命日が近づいて来ています。

1945年7月、広島は大きな空襲もなく穏やかな日常が流れていた。

全国的に梅雨が長引き肌寒い日がつづいている

広島市横町の『丸佐呉服店』では閉店の準備がちゃくちゃくと進んでいてシンイチは、残務整理や片付けをつづけている。

丸佐呉服店は、淡路島の五色町都志出身であるシンイチの兄・木谷實平(きだにじつへい)が立ち上げた呉服屋で、往時は数十人の丁稚や番頭が働く大店であった。

ジツヘイは大阪、北海道、広島に店を出して大成功していた。全国を忙しく飛びまわるジツヘイに代わって広島の店はシンイチに任せられている。

しかし戦争で規模がどんどん縮小し、とうとう広島の店も閉めることになった。

物資が極度に不足し呉服など着るひとは、もう軍部のお偉いさんの奥方などしかいない。

広島の店も開店休業のような状態がずっとつづいている。

家族はすこし前に、シンイチの故郷である淡路島へと疎開をした。広島駅で別れを惜しんだが、店の片付けが終われば彼も家族の待つ淡路へと帰れるのだ。

鬱陶しい雨が降りつづきやりきれない気持ちになるが、家族のことを思うと少し気分が晴れた。

ここ広島は七つの川が豊かに流れる城下町で、いまは軍都として人が沢山働いている。

物がなく貧しい毎日だが空襲がない広島では、それ以外は戦前とあまり変わらない日常が流れている。

ふと、戦時中だということを忘れてしまうような瞬間もあった。

しかし市内では労働力の不足を補うために全国から学徒の動員がつづいていた。これによって8月6日に約7200人の学生たちが犠牲になるのだった。

日本軍は本土および本土近海にて制空権・制海権を失い、日本近海に迫るようになった連合軍艦艇に対して特攻機による攻撃が残された手段となっている。

同じ頃、太平洋のテニアン島のハゴイ基地では科学者たちが原子力爆弾“リトルボーイ”が、サンフランシスコから船で到着するのをいまかいまかと待っている。

いっぽうポツダムでは米英支三国共同宣言の用意がすすみ、日本への無条件降伏の勧告と天皇制を戦後利用できるかの議論がつづいていた。

運命の歯車はゆっくりとうごきつづけていたのだった。

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『燃える』

参照:バイオウェザーサービス『異常気象を追う』| ヒロシマ平和メディアセンター『学徒動員』| Wikipedia.
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2020年08月04日

木谷真一、70歳

キダニ家は広島市内で呉服屋を営んでいた。

キダニ家四代・キダニジツヘイが大成功。大阪、北海道、広島に店を出していた。

広島では市内の横町付近にて、シンイチが『丸さ呉服店』を任されていた。商売は戦争がはじまるまで順調で、結構手広くやっていたと聞く。

当時の広島は静かな城下町で川が豊かに流れる、ほんとうに住み心地の良い町だった。東京や大阪が大空襲を受けるなか、何故か広島だけは大した空襲はなかった。

しかし長女マサコの婿、シンスケが「軍港のある広島は危ないから早く淡路へ来るように」という手紙を淡路島に住む甥からうけとり、躊躇を感じながらも移住を決断。

妻のフミコと長女マサコ、長男サブロウ、次男トシオ、次女ナオコは、シンスケの生まれ故郷である淡路島洲本へと残務整理のため残るシンイチを残し、1945年3月下旬にさきに引っ越していた。

家族の出発のとき、長いあいだ親しくつきあったひとたちが大勢、お別れを惜しんで広島駅まで見送ってくれた。

あのひとたちは、皆んな8月6日に亡くなるのだった・・・

その日、キダニシンイチは早朝の空襲警報で目が覚めた。いつものように空襲はない。

またか、布団の中でそう思う。

最近誤報が多い。敗けつづきで軍部も混乱しているのだろう。目が覚めてしまい、しばらく布団の中で輾転としたが、もう夢の中へと戻ることはできなかった。

仕方なく起きるとメガネをかけて、灯火管制の黒幕を開ける。外は薄日が差しているがまだ太陽は照りつけていない。朝曇りのカンパチというが、今日はそうなりそうだ。

トイレに行き用を足そうとして、朝勃ちしていることに気づいた。

おや?どうしたというのだ、マイリトルボーイよ。

トイレからでて洗面所で顔を洗い歯を磨いた。誰もいない家はガランとして急に老け込んでしまったようである。

台所へいき簡単に朝ごはんを用意する。昨日の夜にお手伝いさんがつくってくれた残りものを、そのまま食べた。

男のひとり暮らしは、何かと不便でいけんのう。

そう思いながら寝室へと戻り浴衣を脱ぐとシャツとズボンに着替えて玄関へといき、帽子をかぶりステッキを持って日課である護国神社へのお参りに出かけた。

道中、やはり雲間から太陽があらわれはじめた。

蝉はまだ鳴いていないし、それほどは暑くない。人もまばらである。

お参りを終え、護国神社を7時半に出る。

始業の9時までにはまだ間があった。

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『キダニ家家族写真』1935年頃、市内の写真館にて。後列左よりマサコ、シンイチ、サブロウ。前列左よりナオコ、フミコ、トシオ。次女・ナオコさんだけが、まだご存命である。
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2020年08月05日

いつもの朝

1945年8月6日、7時半頃。

シンイチは毎朝の日課である、護国神社へのお参りをすませた。

今日はお手伝いのひとが2人来てくれる。そろそろ残務整理も終わり、すっかりと片付いてきていた。

一週間後には、淡路島へと旅立ち家族に会えるのだ。広島を離れるのは寂しいが、家族に会えるのはやはり嬉しい。

少し気分が明るくなったシンイチは、始業時間の9時まで散歩をすることにした。手に入るものなどないに等しいが、淡路にはないものをお土産にしてやろう。何がいいだろうか。

孫の陽子が好きなみかんの缶詰が手に入ればなあ。そんなことを考えながら相生橋の上へと入った。相生橋は本川と元安川をまたいでかかる、まるで猿股のような橋である。

アメリカならあ、さしずめ“ T ”じゃ。T-backじゃ。戦争がはじまるまで、外国語大学で英語を専攻していたシンイチは、そう思いひとりほくそ笑んだ。

まあ、ええか。

戦争で一切の財産も何もかも失いつつある。しかし、人生もこの川のようなもの。流れていって海へとかえり、終わる。それでいいのかもしれない。流れにただ身を任せれば・・・

ゆっくりと雄大にうねっていく元安川の流れを、橋の上から欄干に手をつき飽きるともなく惚れ惚れと見ていた。

ここ広島は水の都である。太田川は、よこがわの北側で六つの支流に別れる。満々と水をたたえ休むことなく流れつづける六つの川。ぼんやりと川面を見ていたが、蝉の声ではっと我にかえる。

もう8時か。

そろそろ店に帰って用意をはじめるか。懐中時計で時間を確認するとそう考えた。お洒落好きなシンイチは呉服屋にもかかわらず、普段は洋装で通していた。

中洲から木橋を渡り、広島県産業奨励館を右に見ながら歩きつづける。

幟町のおせんていまで来たときだった。盛大に鳴く蝉の声に混ざって、かすかに飛行機の飛ぶ音が聞こえた気がした。雲ひとつない夏の空を見上げる。

三機のB29が飛んでいるのが目に入った。爆撃にしては結構、高度が高かった。偵察か、呟いたときだった。あっ、何か落とした!そばにいた子どもたちが口々に叫んだ。

キラリと光るものが落ちてくるのが見える。

パラシュートか?シンイチはそんなふうに思った。

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とにかくお洒落さんだったのよ。次女のナオコさんはそう回想する。
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2020年08月06日

ふたつの太陽_2020

1945年8月6日 8時15分

広島の青空に、摂氏12000度の“ふたつの太陽”があらわれた。

太陽の表面温度が6000度。

太陽、ふたつ分の狂気が人類の手によって解き放たれた。そこにいた一人一人。そしてそのひとにつながるすべての命を永遠に絶つ光と熱と風。10万人のシンイチがその日、亡くなった。

まずは光。

“千の太陽を集めたよう”と形容されるその光で一瞬に消え去ったひと、多数。コンクリートの建ものには人間の影だけが残った。

そのあとの高温の爆風で一瞬で燃え尽きたひと、無数。爆心地周辺の地表の温度は摂氏4000度にも達した。いまだに死者の数の誤差が、プラスマイナス1万人といわれる所以である。

不幸にも生き延びてしまったひとは 火傷で全身を真っ黒に膨らませ 皮膚がベロベロにめくれ 腕が千切れ 腹が裂け 内臓がこぼれ落ち 目玉が飛び出る

爆心地から離れていたひとには 無数にガラスの破片が突き刺さる

そして あちこちで次々と起こる火事 逃げようにも逃げるところがない 川に救いを求めてなだれ込む人々は 次から次へと溺れ死ぬ 竜巻が巻き起こり 人々は天高く舞い上げられ 地面に叩きつけられて死ぬ・・・

その瞬間、まるで巨大なフラッシュをたいたように目の前が真っ白になった。

真っ白なのだけれどそのふちは、赤や緑や紫やいろんな色が気味悪く縁取っていた。

と、耳をつんざくような音がしてシンイチは吹き飛ばされた。耳が聴こえなくなって無音になった。ゆっくりと起き上がるとあたりは真っ暗で何も見えなかった。耳のつかえがとれた瞬間に人々の悲鳴と叫び声が聞こえてきた。

そばにいた子どもたちは吹き飛ばされて、黒焦げになったり、無傷のままだったりの状態で死んでいた。

じぶんはどうなっているのか?顔を触ってみるがぶよぶよとしていて感覚がない。あたりからはたちまち火が上がり、あちこちで火事が起こりはじめたので慌てて歩きはじめる。

切れた電線が垂れ下がりばちばちと火花をあげている。一頭の馬が燃えながら走っていく。カラスが燃えながらぴょんぴょんとはねていく。

血を流していないひとは1人もいない。頭から、顔から、手から、裸のひとは胸から、背中から、腿から、どこからか血を流している。皮膚がだらんと垂れて、両手を幽霊のように前に出して歩いているひとが大勢いる。一糸まとわずに歩いているひとも大勢いる。

近くに爆弾でも落ちたのか・・・

なにが起こったのかまったくわからないまま、シンイチはとにかく丸さ呉服店を目指すのだった。

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『原爆投下直後』提供:広島平和記念資料館/撮影:米軍

参照・引用:『黒い雨』井伏鱒二 新潮文庫、『父と暮らせば』井上ひさし 新潮文庫、『ヒロシマを世界に』広島平和記念資料館編、『原爆詩集』峠三吉 平和文庫 日本ブックエース発行、『夏の花』原民喜 集英社文庫、『ヒロシマ・ノート』大江健三郎 岩波新書
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2020年08月07日

1945年8月6日、夕刻

シンイチは、ゲンバクの落ちたヒロシマの街を歩きつづけた。

泣きわめく声が聞こえるのであたりを見回すと、子どもが家に挟まってうごけなくなっていた。

よく見るとそれは知り合いの子だった。火はすぐそこまで迫っている。

からだはほとんど外に出ているのに、片足が柱と柱にはさまって引き出せないのだ。助けようとするがどうにもならなかった。周りを見ても全裸で狂ったように歩く真っ黒なひと、ひとばかり。もうすぐ楽になるからな。シンイチは、謝るように手を合わせ逃げるようにその場を立ち去った。

助けてあげられなくてごめんな。

流れる涙を拭うこともなく歩きつづけた。自分自身も全身大火傷を負っていた。服はズボンがかろうじて半分残っていた。真夏だというのにぞくぞくとするぐらいに寒い。

震えながら歩いていると、とつぜんはげしく雨が降りはじめた。真っ黒な雨だ。どろりと泥のように重たかった。黒い雨を浴びながら歩く。靴はいつの間にかなくなっている。腫れ上がり真っ黒で、ぶつかっても誰だかわからない顔・・・顔・・・

じぶんもそうなのだろう。

そんなことをぼんやりと考えながらシンイチは、火の手に流されるようになり逃げ惑う群衆に流されながらも、いろんな知り合いの安否を訪ねて回る。

声を限りに叫んでいる男、悲鳴をあげながら走る女性や子ども、苦痛を訴えるひと、道端に坐りこんで、助けをもとめるように空に向けて差し出した両手を振っているひと。

崩れ落ちた家のわきで、合掌瞑目して一心に祈っているおばあさん。四つん這いになって鳴き声をあげながら、わずかずつ進んでいる男。

いろんなひととすれ違う。

燃え上がって通れないところは遠く迂回しながら、夕方まで歩きつづけ死体の山の上を歩きつづける。皮膚が破けずるりとすべり、こけてしまうこともしばしばだ。

会うひと会うひとに名前を聞くが、誰だかまったくわからない。全員が全員、誰かを探している。みんな何処へ行ってしまったのか?わからない。

何もかもわけがわからないが、ひとつ確かなのは、誰かに「死ねばいい」と思われたということ。ぼやけた頭でそんなふうに思う。空は黒煙でどんよりと曇っている。午後にはすべての死体が腐りはじめていた。

日が落ちてくるとヒロシマの空は、炎で夕焼けのように真っ赤になっていた。

シンイチは歩きつづける。何度もなんども嘔吐して喉が乾いて仕方がない。鼻血も止まらない。

マサコ、もう会えんかもしれん・・・シンスケ君、みんなのことをよろしく頼む・・・フミコ、フミコ・・・水を・・・水をくれんか・・・

水を・・・みず・・・みずがのみたい・・・みず・・・

もうそれしか考えられなくなっていた。

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夕方、変わり果てた姿で丸さ呉服店に帰ってきた曽祖父。声でしか本人だとわからなかったという。
キダニシンイチ、享年70歳。没:1945年8月6日、夜「合掌」

参照:『夕凪の街 桜の国』こうの史代 双葉社、『この世界の片隅に』こうの史代 双葉社、『黒い雨』井伏鱒二 新潮文庫、図録『原爆の絵』広島平和記念資料館編 岩波書店、『原爆詩集』峠三吉 平和文庫 日本ブックエース発行、『夏の花』原民喜 集英社文庫、『ヒロシマ・ノート』大江健三郎 岩波新書
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:41| 小説のようなもの

2020年08月13日

原爆投下、一週間後

原子爆弾が実戦投下されて一週間が過ぎていた。

シンスケは義父・シンイチの安否を確認するため家族やみんなの反対を押し切り、単身ヒロシマへと向かうことを決心。

心配するひとたちに見送られ、朝早く洲本の家を出るとバスに揺られて岩屋へ。岩屋港から船に乗り神戸へと向かった。

船中もヒロシマに落ちたという新型爆弾のことで持ちきりだった。そしてどうやらナガサキにも落ちたとの噂だった。噂は混沌として判断に苦しむが、ヒロシマが壊滅的被害を受けたことは本当らしい。

しかしじぶんの眼で確かめるまでは信じたくなかった。

大阪からヒロシマ行きの汽車を探す。ひとで混雑する駅の構内に、ヒロシマへの電車が不通になっていることが、頻りにアナウンスされている。なんとか尾道まで行く汽車を探し、ぎゅうぎゅうの車内に身をこじ入れた。

途中、何度か空襲警報が鳴り止まったが何もなかった。そろそろ昼だからか車内は静かで、みんな騒ぎ疲れたかのように眠ったり黙りこくっている。

尾道で汽車を乗り換えると、一路、ヒロシマ市内を目指す。

今日は小雨交じりの空で涼しいぐらいだった。噂ではヒロシマに黒い雨が降ったとか。その雨に当たると髪の毛が抜けてしまうらしい。そんなことがあるのだろうか。シンスケには、わからなかった。

汽車でいけるのは、ヒロシマ駅のひとつ手前の矢賀駅までだった。そこから同じように、家族や知人の安否を確認するため市内へと入る人々とともに線路を歩く。

途中、軍のトラックが市内へと向けて何台も走って行った。

ヒロシマ駅の北にある東練兵場あたりまで来たとき、眼の前に広がる光景をみて彼は絶句した。なんなんじゃ、これは!!悲鳴をあげると地面に崩れ落ちて絶叫しつづけた。

ヒロシマの街が完全になくなっていた。

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爆心地『島病院』を中心に撮影された写真。左:原爆投下前、右:原爆投下後 撮影:米軍。

シンスケは、うずくまって泣きつづけた。その横を当たり前のように人々が通り過ぎていく。

しばらく放心状態でいたが、ひとしきり泣くと気分が落ち着いてきた。もしかしたら父はどこかに避難していて無事かもしれない。そんな淡い期待もこころに浮かんできた。鼻水と涙をぬぐい気を取り直して立ち上がると、再び歩きはじめた。

おせんていの前を通ると無数の死体が焼かれて煙を上げていた。同じようにあちこちで死体を焼く煙が上がっていた。シンスケは手ぬぐいで口を抑えながら、店のあった爆心地へと入っていった・・・

原爆投下一週間後のヒロシマでキダニシンスケは、いったい何を見たのか。淡路島に帰ってきた彼から親戚一同で話しを聞いた。

大人があんなに泣くのを、はじめて見た。そう当時5歳だったヨウコが回想する。

大黒柱を失って暗く沈むキダニ家だったが、シンイチの孫である五人姉妹は、焼け野原に咲く花のように美しく朗らかに成長していくのだった。

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キダニ家五姉妹。左から三女:ハルコ、長女:ヨウコ、次女:テルコ、五女:ツネコ、四女:キヌコ。
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2020年08月15日

戦争のおわり、平和のはじまり

1945年8月15日、正午。

夏の空はどこまでも青く、晴れ渡っていた。

ラジオの前に座ってシンスケは、かつて神と言われたものの声を聞きながら不思議と涙が出ない自分を冷静に見つめていた。

ながれてくる言葉はながながとわかりにくかったが、要するに「武器を置き、敵対行為をやめるように」と国民に訴えかけていた。戦争は終わったそうじゃ。シンスケは家族にそう教えてあげた。

妻のマサコは四女のキヌコを抱きながら泣いているが、安堵の涙だとわかった。

母、フミコは怒ったような顔をしていた。サブロウとトシオはわかったのかわかっていないのかわからないが、神妙にしている。長女のヨウコがテルコとハルコの面倒を見てくれている。まだ6歳だがここ半年のあいだに急に大人びたようだった。

最近、シンスケは夜眠れない日々を過ごしていた。

3日前にヒロシマで目撃した、この世のものとは思えない光景がまだ頭から離れないのだった。

完全に廃墟になってしまっていたヒロシマの街。燃やされつづける無数の死体からあがる煙。空き地に積み上げられた数えきれないほどの骸骨と骨。火傷をした人々の群れ。

未だに路上に放置されて荼毘に付されない死体の山。噂では朝鮮人だということだった。こんな状況になり死体になってもまだ差別する人間というものは、本当にどうしようもないと思った。

腹が立って、情けなかった。同じ人間ではないか。

そもそも日本人などと威張っているが、元々は大陸から渡ってきた人がほとんどだ。

日本列島にもともといた人間は縄文人で、いまは北海道と沖縄に追いやられているのだ。そんな当たり前のことが何故わからないのだろう。いや知らないだけなのだ。

差別は無知からくることを彼は知っていた。

神戸大学をでているシンスケは戦時中も、教養と知識が豊富にあったので日本軍の論法には矛盾と嘘を感じていた。軍港があるのに空襲がほとんどない広島を知り合いの軍人たちは誇っていたが、信じずに移住したのも何かがおかしいと感じたからだった。

そのお陰でいまも、こうして生きている。

シンスケは天皇の声がまだ流れつづけているラジオの前から、そっと立ち上がり薄暗い部屋から外へと出た。長生きしよう。庭へとでて美しい青空を天高く仰ぎみながら、思った。

死んでいった人たちの分まで長生きするのだ。

そうシンスケはこころに強く誓っていたのだった。

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『キダニシンスケ』
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2020年11月27日

家族の肖像

お帰りなさい。

シンイチが家の門をくぐると、妻のフミコが出迎えてくれた。

ひさしぶりにみる妻の顔をみて、じぶんがとんでもなく長い旅をして帰ってきた気がした。

おじいちゃん。孫のヨウコが走ってきてシンイチに抱きついた。なんじゃ、もう起きとるんか。

シンイチはお土産のミカンの缶詰をカバンから出すと、さっそくヨウコに渡した。大喜びして走っていく彼女の後ろ姿を見ながら、大きくなったのう。と感慨深く目を細めた。

玄関をあがると長男のトシオがちょうど学校へといくところだった。おい、元気か。声をかけるが無視して靴をはくと出ていった。ひさしぶりやけん恥ずかしいんよ。かばんを受け取りながら、フミコがかばうように言う。

サブロウは?次男のサブロウの姿が見えないが、もう学校だろうか。クラブが忙しいみたいでね、ここのところはやいんよ。上着をうけとりながらフミコが言う。

いまは朝の7時頃か。高校へは自転車でひとつ山を超えていかねばならない。

いってきまーす。次女のナオコの元気な声が聞こえた。そちらをみるとちらりとうしろ姿の影だけがみえた。

シンスケさんとマサコが風呂をわかしてくれとるよ。朝から風呂とはぜいたくだが、ひさしぶりに帰ってきたのだ。それぐらいはいいだろう・・・ひさしぶり・・・いったい、いつぶりなのか。

浴衣に着替えるとさっそく風呂へと向かう。台所を見るとフミコが朝飯の用意をしていてマサコも手伝っていた。後ろ姿を見ながらシンイチはまた目を細める。

あー。お湯に入ると声が腹の底から出てきた。湯に入るのはいつぶりだろうか。考えようとしたがうまく記憶が出てこなかった。そういえば昨日はどこにいたのだろう。

お湯の加減はどうですか。シンスケが聞いてきた。最高じゃあ。

ほんとうにこころの底からそう思った。

ヒロシマはいまどうなっていますか。トーンを落としてシンスケが聞いてきたが、ヒロシマとはなんだろうと不思議に感じ曖昧に答えた。ヒロシマ・・・どこかで聞いたようなことばだ。あたまを振るが思い出せない。

風呂から出ると食事の用意が整っていた。けれども誰の姿も見えない。

そろそろ8時か。いまは何時だろう。時計を見ると8時15分で止まっている。

かあさん、お茶をもらえるかな。

なぜか返事がない。がらんとした家の中にうつろに声は響いた。どうしたのだろうか。不安になったシンイチは立ち上がろうとするが手に感覚がない。

あたりはどんどん暗くなっていく。

かあさん、お茶をくれんか。かあさん・・・フミコ、フミコ・・・水を・・・水をくれんか・・・

水を・・・みず・・・みずがのみたい・・・みず・・・

いつのまにか暗黒に呑み込まれたシンイチは、もうそれしか考えられなくなっていた。

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『シンイチ』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:48| 小説のようなもの

2020年12月03日

河のほとり

シンイチは河べりを歩いている。

向こう岸へと渡りたいのだけれど、いっこうに橋が見当たらない。

河はとんでもなく大きくてどす黒くうねっていて向こう岸は、はるか霧にかすんで見えなかった。

ひとつ積んではハハゲンシ、ふたつ積んではチチゲンシ、ゲンシゲンシと積むゲンシ・・・ちいさくうたいながら、河原のいろんなところで子どもが座って石を積んでいる。

子どもたちの顔は真っ黒に焼け焦げていたり、赤く焼けただれたりしている。ほとんどの子は裸だった。

そこへ真っ赤な顔をして黄色い髪の毛で鼻が異様に長い男がやってきて、子どもたちが積んだ石を蹴り飛ばして崩していく。

からだには無数の時計をぶら下げている。まるでミノムシのようだ。

あっちへいっては蹴り崩し、こっちへいっては蹴り崩す。子どもたちは崩れた石を泣きながらまた最初から積みはじめる。

むごいことよのう。シンイチは思わず呟いた。するとその男が彼のほうを振り向くとぶら下げた時計をガチャガチャと鳴らしながらズンズンと歩み寄ってきた。

はろおぐっぱい、いまなにいった?青い眼がべつの生きもののようにギョロギョロとうごいて歌いながらたずねてきた。

いや・・・シンイチはもごもごと苦笑いをした。顔を伏せながらぶら下がっている時計を見るとすべてが8時15分だった。

おまえ知らない。だから教える。このものたち、ゲンバク。亡くなり成仏ない。これからこの世界、永遠イシ積みつづける。ゴウのようなもの背負った。男はそう、へんな片言で歌うと懐から喫煙具を取り出した。

いま何時?ぽこぽこ言わしたあと男が大量に白い煙を吐き出しながら聞いた。シンイチは懐中時計を取り出した。8時15分で止まっていた。

へろうぐっぱい815だね。ふかく納得したように男は煙草と喫煙具をポケットにしまってそう歌った。

おまえ、いま世界、ここ世界。彷徨いつづける。ここ終わりない、始まりない。ある、815、ただいま、おかえり。

男はそういうとふたたび、子どもの積んだ石を蹴り飛ばしにもどった。

ゲンバク?聞いたことのないことばだった。

ゲンバクとはなんだろう。シンイチは、ぼんやりと考えながら河べりをさらに歩いていく。

しばらくいくとボサボサあたまで団子鼻の男が、なにかぶつぶついいながら歩いていた。

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『Untitled 2020.12.3』
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2020年12月13日

ぼさぼさあたま

ぼさぼさあたまで団子鼻のおとこが、ピーナツをポリポリとかじりながら河べりを歩いている。

歩きながらなにかをつぶやきつづけているのでシンイチは、そばにそっと近づいて聞き耳をたててみる・・・

イーはエネルギー。

壁に向かって思いっきり石を投げたら壁がへこむ、窓に当たったら割れる。

これは投げた石にエネルギーが宿っているから。えっ?あっは、まさにそう。

エムは質量。単純な重さとはちがうそのモノのうごかしにくさ。無重力状態でも象よりピンポン球のほうが速くうごく。重さは変わるけど変わらないモノ、それが質量。

うんうん。光は質量がゼロ・・・ えっ・・・へえ、すごくかるいんだね

シーは光速。はい、うんうん。

光の速さは秒速30万キロ。だいたい月までが38万キロだから・・・1秒で月までいく速さ・・・その光の速さのじじょう。とても速い。

うん?そうそう。あっは、うんうん。このみっつのモノを結びつけると驚くべきことが見えてくる。

たとえば1グラムのモノ、この1グラムのピーナッツ、これがもしもエネルギーに変わったらどのぐらいになるか?・・・

E=mcのじじょうをつかって計算すると、なんと1万トンのモノを100万キロ運ぶだけの力になる・・・1万トンのモノを100万キロ運ぶ。

とっても大きいちから、あっは、そうそう。

電気に換算すると、たとえば電気アイロン、これはけっこう電気を喰う。電子レンジと一緒にかけたら一発でブレーカーが落ちるけど、1グラムのモノから生まれるのは、なんと、アイロンを1,000年間かけっぱなしに出来るぐらいの電気。

とんでもない、エネルギー。

満席のジャンボジェットならば、東京とニューヨークのあいだを8往復させられる。えっ、マジで。そのとんでもないエネルギーがこの小さなモノの中に閉じ込められてる。

夢のエネルギー。アトミックエネルギー。

あっは、わたしは太陽の仕組みを解きはなった。おっほ、わたしは神のパズルを解いた。太陽の中では常にE=mcのじじょうが起ってる。

一粒の鼻くそに、街をひとつ吹き飛ばすだけのエネルギーが秘められているのだ!

男は、一呼吸おくとまたぶつぶつと呟きはじめた。

シンイチはピーナツをかじりながら歩いていく、ぼさぼさあたまで団子鼻の男の背中を見つめている。

ワタシハタイヨウノシクミヲトキハナッタ。

ワタシワカミノパズルヲトイタ?

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『ぼさぼさあたま』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:20| 小説のようなもの

2020年12月26日

雑踏のシンイチ

シンイチは河のほとりをなおも歩く。

あたりはどんよりとうす暗く煙っていて不気味でさびしい。

いまが朝なのか昼なのか夜なのか、まったくわからない。

歩いていると、ひとがだんだんと増えてきた。みんなぼろぼろの格好をしておなじ方向へと進んでいく。ほとんどのものは血で薄汚れた包帯をしている。片足で松葉杖のもの、腕のないもの、内臓がはみ出てそれを引きずっているものまでいる。

シンイチはひといきれのなかを歩きつづける。しんどいのに足はうごく。どこへいくというのか。いけるとこなどあるのか。

ぶつかるひとぶつかるひと、みんなどこへいくというのか。

巨大なたてものが遠くに見えてきた。そこへとつづく道には電飾が色とりどりに輝き、屋台が両側に並んでいる。ひとがさらに増えてきて賑やかになってくる。

なんなんだろうか、ここは。シンイチはもの珍しそうにキョロキョロとあたりを見回しながら、雑踏をのろのろと歩いていく。

屋台には見たこともないようなものがところ狭しと並んでいる。けれどもすべてのものが黒焦げだ。ひとつの屋台に黒焦げのみかんの缶詰が置いてあった。

ヨーコの好物じゃ。そう思って缶詰を手に取る。あんた目が高いな。軍服を着た鋭い目つきをした店のおやじが話しかけてきた。

それはヒバクカンヅメじゃ。欲しいのなら1万ポコ、払え。

モノの名前もそうだが、聞いたこともないことばにシンイチの手は止まる。なにも持っていない彼は缶詰をしずかに置く。

なんだ、買わないのか?あきらかに不満そうな店のおやじの視線から逃れるように顔を伏せると、シンイチはあいまいにうなずきながら店のまえを離れた。

ポコというのはなんだろう。

さらに歩いていくと巨大なテントの前にぼろぼろのひとたちが大勢で並んでいる列があった。ひとの波に押し流されるようにシンイチもその列へと並ぶ。

肌が透きとおるほど白い真っ赤な顔をした鼻の高い男たちが、そのぼろぼろのひとたちを銃で追い立てている。ひとびとは次々とテントのなかへと入っていく。

テントの入り口がだんだんと近づいてきた。

なかからは大きな音楽や悲鳴が断続的に聞こえてくる。恐怖にかられて列から離れようとしたが銃で押し戻される。

あきらめてシンイチは真っ暗な入り口のなかへと足を踏み入れた。

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『河のほとり』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:21| 小説のようなもの

2021年01月07日

暗闇を抜けると

シンイチは真っ暗な通路にいる。

通路には明かりも何もないがだんだんと目が慣れてきた。

前からは相変わらず大声と悲鳴が聞こえてくる。それをかき消すように重低音で、ものすごい音楽も聞こえてくる。

じりじりとすすんでいると、うしろのおとこが話しかけてきた。肌が真っ黒な、その背の高いおとこは『ホフムラ』と名乗った。どうもどうも、はじめてですか。じっと前を見つめながらにこやかにホフムラは喋った。

はじめて?ホフムラさんはなんども来とるんですか。まあね、オニとあきないをしとるもんで。

オニ?聞いたことのないことばにシンイチは、内心戸惑いながら曖昧にうなずく。あの銃をもって入り口にいた、肌が白くて真っ赤な顔をした鼻の高い男たちのことか。

よく見えなかったが、シンイチにはわからないことばでなにかを話し合っていた。だって悔しいじゃないですか。あいつらのためにわしらこんなふうになったのに、まだいじわるしよるねん。

ホフムラは心底うんざりした顔でそういうと、ため息をついた。彼らのためにこうなった?どういうことだろうか。考えながら歩いていると前が明るくなってきた。

暗闇から突然に明るいところに出たので一瞬目が見えなくなる。相変わらず凄まじい大音量に混じって悲鳴が聞こえている。

まだ状況はよくわからない。

舞台のようなところに老婆と老爺がいて、1人づつそこへとあがり何かをしている。それをオニたちがとり囲んでワイワイと騒いでいる。

つぎ!

ばばあがそう叫ぶとシンイチの前の男がおそるおそる舞台にあがった。明かりが男に当たる。からだが浮き上がるほど、音楽が大きく鳴り響いている。地面が揺れるぐらいの大きさだ。老婆が包丁をまな板に突き刺して、怖しい形相で男をにらんだ。

オニが何か叫んでいるがよく聞こえない。男は首を振りつづけるが、観念したように包丁を持つと自分の股間に包丁をあてる。

ぎゃー!舞台上には男の凄まじい叫び声が鳴り響き、オニたちは爆笑する。男は股間から血を流しながら、切りとった自分のイチモツをじじいに渡す。じじいはそれを目の前にある天秤にヨロヨロとのせる。

あれで愛国心をはかってんねんや。うしろからホフムラが笑いながら耳元にささやいた。

カタンといって天秤はイチモツのほうへと傾いた。

男は老婆からチケットのようなものをもらうと、先の黒いカーテンのなかへ泣きながら消えた。

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『無題 2020.1.7』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:41| 小説のようなもの

2021年01月15日

ビリケンあらわる

オニにうながされてシンイチは舞台へとあがる。

いくつもの好奇の目が彼を見つめる。

あおるように音楽がさらに早く大きくなる。

シンイチはからっぽの手を見る。と、老婆が彼の手を持って包丁を振り上げた。

ザクッと包丁は手の甲を刺しつらぬいた。手のけんを外してつらぬく老婆のワザに感心しながら、じわじわと広がる痛みをこらえる。

ここ越えたかったらカネだせ。ババアのしわがれ声が耳もとに粘りつく。

ネダン10万ポコ。シンイチはなにも持ってないのでただ首を振りつづける。ないならポコ切れ!ババアは甲高く叫ぶと出刃包丁を引き抜き、ドンっとまな板に突き刺してキバをむき出して笑う。

背中に脂汗をかきながらシンイチは包丁に手をかける。包丁はギロギロと鈍いひかりを放っている。手はブルブルとふるえ、血でヌルヌルとすべる。

自分のペニスを切り落とせというのか?そんなことが可能なのか。

爆笑しているオニたちにあおられて、シンイチは包丁を引き抜くと目をつぶった。

さよなら、マイリトルボーイよ。あきらめて目をつぶり息を吸い、さあ思い切ってひと息で。

と、そのとき男が叫びながら舞台に上がってきた。ジェスチャーでちょっと待てと叫んでいるとわかる。ばばあとじじいは知らん顔をしている。

絶体絶命のピンチにあらわれた救世主はやはり肌が黒かった。オオサカの神さま、ビリケンのようにあたまがとがっていて未熟児のような細長い目をして、からだ中から煙を立ちのぼらせている。

大声でババアとなにかを喋っている。ババアは、わかったわかったと、うんざりしたようにシンイチに戻るようにゼスチャーする。とりあえずじぶんのリトルボーイは助かったようだった。

つきそうようにビリケンがついてきた。ホフムラもなぜかついてきていた。オニは見ているがなにも言わない。

歩きながらビリケンは『ブダマツ』と名乗った。ばばあとおなじとろけるようないい香りがした。

あの男たちはねえ、大きな間違いをしているんだよなあ。ブダマツはそう良い声でいった。

肌の色が白いというだけでさあ、オレらを差別してるんだよねえ。ブダマツはよく通る太い声でいった。

ぼんやりと彼のことばを聞きながら、なるほど、彼のいうことが正しいのならばじぶんも肌が黒いのだろう。

シンイチはそう思った。

おまえのせいであきないがめちゃくちゃやないか。裏口からたてものの外へ出ると、ホフムラがシンイチを突き飛ばしてツバを飛ばした。わしのせいで?とまどいながら口ごもる。

まあまあ。ブダマツがすばやくかばう。

沈黙がどんよりと暗い空の色とかさなり重くのしかかる。事情は飲み込めないが申し訳ない気分でシンイチは下をむく。ほんましゃあないやっちゃで。ホフムラはそう吐き捨てるようにいうとどこかへ歩き去った。

さてとシンイチさん、いくところはないんでしょう。ボクたちのところへ来るといい。

そういってブダマツはさきに歩きはじめた。

シンイチは遅れないように、とにかくそのあとについていくのだった。

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『ホフムラ』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:17| 小説のようなもの

2021年01月22日

シェルターのなかへ

シンイチは、煙をまきあげながら雑踏を歩くブダマツを追いかける。

からだ中にお香のようなものをつけているのだ。

みんなこちらを見ながら煙をよけていく。

その煙に隠れるようにシンイチは歩いていく。煙はとろけるようないい匂いをさせている。ブダマツが雑踏から細い道へと入っていくのでついていく。一歩入ると、ひと気はなかった。

歩くスピードがはやくついていくのが精一杯、聞きたいことが山ほどあったが聞けなかった。

路地からはなれてすこし入ったところにいき、ブダマツがあたりを見回して土をどけると地面に板があらわれた。板をあけて蝋燭をともす。

うながされてシンイチは、はしごを降りていく。カビ臭いようなにおいがあたたかい空気と一緒に立ちのぼってくる。

はしごを2メートルほど降りるとひとがひとり通れるぐらいの通路があった。モクモクとブダマツが降りてきて先へいけとジェスチャーする。

シェルター。ブダマツがぶっきらぼうにそう言った。聞いたことのないことばだったが何故かスッと腑に落ちた。

ほそい土のトンネルを抜けると急に広い場所へとでた。空間にひな段のようなものがあって、その上で10人ぐらいの人間が猿山のサルのように飯を食べているのが蝋燭の光でちらちらと見えた。

上のほうにホフムラもいた。

「ぐー」とシンイチのおなかが大きな音を立ててなった。微笑んだブダマツにいざなわれていちばん下へと座る。新入りだ、仲良くしてやってくれ。ブダマツはそうニホン語でみんなに言うとどこかへ消えた。

男たちはやはり黒い肌をして無言でなにかを食べていた。

うなだれて座っていると肉の入った木の器が回ってきた。そんなやつに喰わせることないねん。上からホフムラが大声で言っている。下っ端らしきその男は無視して皿を置いた。

シンイチは一気にむさぼり喰う。すっぱいような不思議な味の肉だが、からだの奥からやる気がみなぎってくる。

とにかく空腹な彼はうまい、うまいとなみだをながしながら、むさぼり食べたのだった。

食べ終えてひとごこちついていると器に入った液体が回ってきた。ひとくち飲むと酒のようだった。飲んだことのない味の酒でアルコールがきつい。

むせながら、酒を飲むのなんていつぶりだろう。

酒に弱いシンイチは一気にまわるアルコールを感じながら、いい気分で考えていた。

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『ブダマツ』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 05:12| 小説のようなもの

2021年01月29日

それからどうした

シンイチがとうぜんとした気持ちでいると男たちが騒ぎはじめた。

どうやらなにかがはじまるようだ。

じゃあ、みんな裸になるか。責任者らしき比較的に肌の色が白い、いるかのような顔をした男がまっさきに全裸になってニホン語で言った。

シンイチはすでにほとんど裸なのでそのままでいる。じゃあ、横になろう。つづいて男が指示した。

横になろうとするとひじの皮がずるりとむけた。うごくたびに全身のやけどがひどく痛む。仰向けになると刺さっている無数のガラスの破片が背中に喰い込んでシンイチはうめき声をあげた。

あちこちでうめき声があがるので、みんなおなじようにガラスの破片がからだに刺さっているようだった。上のほうで、痛いのーくそーとホフムラが大声で怒鳴っていた。

痛みをこらえてしばらく息をとめていた。けれどもいままで緊張していたのだろう、横になれてこころの底からリラックスした気分にもなれた。おおきく息を吐くとゆっくりおおきく吸った。

そしてまたおおきく息を吐く。どんどんこころのなかが、からっぽになっていくのがわかった。

からだの痛みもやわらいでいく。

ふっとロウソクが消された。

からだのなかをからっぽにしよう。そうしてあたまのなかもからっぽにしよう。なにもかんがえない。どうしてもなにかをかんがえてしまうやつは、その思考を追わない。

窓から空の雲をながめているように、ただその考えをながめるだけ。

となりの男はいびきをかきはじめた。シンイチもだんだんと眠たくなってきてしきりにあくびが出た。

こころを静かにするといままで気にならなかった、からだを這ううじ虫のうごきを感じた。かゆいような痛いような感じだ。それにあわせてからだをもぞもぞとうごかす。じぶんじしんがうじ虫になったような不思議な感覚だった。

そのままうじ虫にうごかされよう。じぶんでうごくのではない、うごかされるのだ。生きているのではない、生かされているのだ。

シンイチは一匹のうじ虫になっていた。そろりそろりと、すこしずつ進んでいく。

ここはいったいどこだろう。真っ暗なふかい土のなかのようだ。

なぜこんなに苦しまなくてはならないのか。息が苦しい、呼吸ができない喉が渇いて仕方がないつばがまったくでない。それでも手探りですこしづつ進んでいく、まるでうじ虫のように進んでいく。

小さな光のようなものが見えてきた。

その光がだんだん大きくなってくる。近づけば近づくほどに明るくなってきてそして・・・

ぱん、と男が手を叩いたのでシンイチはわれにかえった。

ロウソクがふたたび灯された。

なんだか生まれ変わったように身もこころもリフレッシュしていた。

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『いるかのような顔をした男』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:22| 小説のようなもの

2021年02月05日

イメージと夢と現実と

じゃあ立ち上がろう。

いるかのような顔をした男が言った。

ずーっとつづいていた吐き気は、いつのまにかおさまっていた。

のろのろとからだが崩れないように丁寧に立ち上がる。立ってもおなじ、なにも考えない。ただ死体がぶら下がっているだけ。

生きるのつらい。ホフムラがしみじみとつぶやいた。生きるのがつらい?シンイチはてっきり死んでいるとばかり思っていたのでびっくりする。なにも考えない、ぼーっとする。2人に気づいて、いるかが声をだす。

ぼー・・・

なにかがピカッとフラッシュをたいたように光った。

アッと思い目をつぶった瞬間にすさまじい爆音が響きわたり、シンイチは5メートルほど吹き飛ばされていた。あたりは爆風と土けむりで真っ暗になった。

しばらくじっとしていたがよろよろと立ち上がる。まわりのひとたちは倒れたままだ。そのあといろんなものが飛んでくる。飛んできた無数のガラス片がからだに突き刺さる。そのたびにシンイチはうめき声をあげる。突き刺さるガラスにうごかされる。

あちこちで火の手があがる。

火がからだを焼く。あついあつい、くるしいくるしい。からだが燃えている。パチパチといって肉が焼ける。肉の焼けるいい匂いがする。おなかが減った、息ができない、苦しい、助けてくれ。

燃え尽きて黒焦げになってもまだ立っている。ぽろぽろと灰がくずれる。

シンイチは右の目が見えなくなっていた。近眼で眼鏡をかけていたが熱で溶けて顔にくっついてしまっている。レンズも溶けていたがかろうじて残っていた。

左目だけで見るようになってから右脳で考えるようになったのか、イメージの世界に入り込むことが多かった。夢なのか現実なのかも曖昧になっていた。

耳はずーっと遠かった。さーっというような音が常にしている。

そのとき、ポコないやついるか?!入口のほうで甲高く叫ぶ声がきこえて、騒ぎがおこった。シンイチはイメージの世界からわれにかえる。

誰かがシンイチを探しにきたようだった。ブダマツが近づいてきて、煙で彼をかくす。

入ってきたのは河のほとりのおおきなたてものにいた老婆だった。両手に出刃包丁をもち、赤い腰巻一丁でゆったりとしずかにこちらへ近づいてくる。

白目をむき口もとのヒゲからキバが光りよだれが垂れ、しわしわの乳房がぬらぬらと光っていた。

近寄ってきて老婆は鼻をふんふんとならしている。ブダマツのからだからながれる煙のせいで、どうやらシンイチの存在に気づかないようだった。

ゆっくりとゆっくりと見事にすべるようにうごいて、老婆はどこかへと消えた。

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『河のほとりの老婆』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:21| 小説のようなもの

2021年02月12日

はじめてをどる

じゃあ、ふりーだんすやろっか。

緊張がとけてシンイチが立ち尽くしていると、イルカのような顔をした男が言った。

ふりー、なになに?このひとはなにを言い出したのじゃろう?

男の指示でみんなが一斉にうごきだして用意をする。シンイチは邪魔にならないようにと、ひな壇のいちばん上へと移動して状況をじっと探る。あれ、なんかひとりずつやりはじめたぞ・・・もしかして、おどっているのか?

うん?このひとのうごきはおもしろいな。舌を出してくねくねとタコみたいにおどっていて、やばい、終わってしまった。

このままじゃと順番がまわって来るということか・・・わしに。

ホフムラもサルのようなポーズでおもしろくおどった。そのあと、はみ出ている内臓で縄跳びをして観ているものを爆笑させた。

シンイチも気づいたら笑っていた。笑うなんていつぶりだろうか。

じゃあ、えーっとつぎは、シンイチ?

こんなことなら来るのではなかった・・・ひと前でおどる?!そんな、そんな恥ずかしいことするぐらいなら死んだほうがましじゃ〜(((;꒪ꈊ꒪;)))

あれ、死んでるのか?

足を引きずりながらノロノロとひな段の前にある空間へと出て、さてどうしよう。

真っ黒な顔に白い目だけをギョロつかせて、みんなが興味深そうにみている。さぞやおもろい見世物じゃろう、生まれてはじめてひと前でおどるのを観るなんて。

試しにホフムラの真似をしてサルのようなポーズを取ってみた。しかしワンポーズで終わって、時間にして5秒ぐらい。

やばい、これでは終われない。素人ながらそれはわかった。みんな結構長くやってたから。

困った。これは困った。なにをしていいかまったくわからないよー。がくがくぶるぶる((((;゚;Д;゚;))))

あーあ。

しばらくなにもせずにただ立っていた。

あかん・・・もうあかん。

耐えられない〜!いうてシンイチは申し訳ないここまでです。とあたまを下げた。

静寂のあと誰かが拍手をして、つづいてみんなも拍手をした。おどろいた彼は顔をあげた。爽快な気分で座っていると、ホフムラが隣にやってきた。

いやーおもろかったで。ホフムラに言われて恐縮していると、ブダマツがやってきてマスターに挨拶にいこうという。

マスター?疑問に思いながら立ち上がるとホフムラもついてきた。

ほそいトンネルを通ると、さらにほそい土の階段を下へおりていく。さらにいくと突き当たりの和紙のようなうすいドアからひかりがもれている。

シンイチにはわからないことばで、ブダマツがなにか言った。

ブダマツが呼びかけると、なかからしわがれた声が響いた。

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『サルのポーズをとるホフムラ』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:23| 小説のようなもの

2021年02月19日

マスター マエストロ エム

ブダマツが外から声をかけると、シンイチにはわからないことばがなかから聞こえた。

ひかりの向こうから低くしわがれたやさしげな声がひびく。

新入りです。ブダマツが日本語でいうと、入れ。と声はちいさく答えた。

ブダマツにうながされて障子のようなものを注意深く押すと、ゆっくりと開く。

なかは薄暗くて甲冑や鎧、槍や刀がずらりと並んでいて怖しかった。いちばん奥の暗がりに光がともっていてゆらりとなにかがうごめいた。

その影はゆっくりとうごくとこちらを向いた。影がどんどん大きくなる。怒髪天のような髪の毛を逆立ててシルエットになっている。影になってよく顔はわからなかった。

その影が、いまおとこはいらねえんだよなあ。としわがれ声でつぶやいた。

わしらはブトウというものをなりわいにしている。聞きながらはじめて聞くブトウというものがどんなものなのか想像してみたが、まったくわからなかった。

さっきあんたはおどっただろう。シンイチとおなじぐらいの歳なのか、マスター マエストロ エムと呼ばれる男は言った。はい、とても恥ずかしかったです。そうだ、恥ずかしいのはいいことだ。恥ずかしさのないものは下品なだけになる。

エムはカチンとオニの払い下げだというジッポライターを鳴らして火をつけうまそうにタバコを吸った。

そういうものか。シンイチにはわからなかった。

そのあとシンイチをよそに、エムとブダマツとホフムラで長いこと真剣になにかを話していた。と思っていたら爆笑したりしてわけがわからない。

シンイチにはわからないことばなので、お経でも聞くようにぼんやりとその光景を眺めていた。

なぜか奥の暗闇に老婆がいる気がした。

それにしてもあんたはひどい格好をしてるな。ブダマツ、彼にツンをやれ。エムは最後にそうニホン語で言うとゆっくりとゆっくりとふたたびうしろを向いた。

からだがあればいいんだよ。

部屋を出ようとするシンイチに、そうエムは背中で語りかけた。

忘れるようなことは要らないことなんだよ。

次の瞬間・・・

マスター マエストロ エムのことばが、あたまのなかへと止めどなく流れ込んできたのだった。

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『M』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:06| 小説のようなもの

2021年02月26日

ブトウの門

おまえはいまブトウの門のまえに立っている

上手い下手などどうでもいい

うごけないとか 体型がどうとか関係ない

もがいても もがいても それでもどうにもならない束縛とたわむれてしまおう

アソビ あそび なにもかも遊び 真面目で真剣で命懸けの

こけたっていいんですよ なにをやってもいいが なにもしなくてもいいし なにも出来ないかもしれないがそれでいい まちがっていてもくだらなくても 適当でいい加減でもいい まちがいなどない 

だれかが決めた価値観などクソ クソ真面目などクソ

ペロリとした滑稽でチープなおもしろさを デロリとした下手クソで混沌とした世界の愉しさを ギロリとしたヤバンで原始的な格好よさを思い出せばいいのに

うごくな! なぜうごく? おどればいいのですよ ではおどりってなんだ? かんがえるな あたまをカラッポにせよ 阿呆になれ もっともっと もっと! からだもカラッポにせよ

うごくのではない うごかされるのだ

生きているのではない 生かされているのだ

どもるようにおどればいいでしょう からだは勝手に語りだしますよ 

うまれたことがすでにもう才能だったのに 教育などで身についてしまった常識や社会的通念は 才能をどんどん奪って逝くのだ

味のしないペラペラの乾いた毒にも薬にもならない匂いを抜かれた 害のないいいにんげんに成ってしまった?

あっは!才能を取りもどせ!常識をうたがえ!ほんとうか?ほんとうにそうか?

なにごとにも最初がある そしてなにをはじめるにも いまがいちばんはやいときなのだ

いまの運命を変えるには なにかしら思い切った行動が必要なのだ ときにはみずからの全存在をかけて 自己実現へのアクションを起こしてみるのもいいではないか

思い切って門のなかへ 足を踏み入れてみるといい

その一歩はまさしく 無尽蔵な可能性を秘めた

あたらしい宇宙への第一歩になるだろう!

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『闇に消えていく、マスター マエストロ エム』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:08| 小説のようなもの