2019年04月02日

きのさき2

8月ドイツは、招聘なので気が楽ですが、11月城崎のレジデンス制作は自主企画なのでお金がかかるしたいへんだぞ。

チケット収入がないのでなんとかしなければなりません。11日間の滞在なので二人分の人件費と滞在の食費などをどう捻出するのか。

兵庫県の助成金に頼ろうとずーっと申請書を書いていましたが、すべて揃えて提出する直前に

対象とならない事業、@行政機関等から支援を受ける事業(会場使用料等の減免を含む)

という文言を見つけて。「むむ?」となり。

11月は、レジデンスアーティストということで滞在費や会場使用量が減免どころか無料なのです。

プログラムディレクターの吉田雄一郎さんに相談してみたら「たしかに、今回の事業は対象にはならないかもしれません。」と言われて。

念のために、兵庫県の担当の方にも電話してみましたがやはりダメでした。とほほ。

重大な文言を提出ぎりぎりに発見するなんて。。

デュ社副代表、湯山大一郎に連絡したら「他の助成金を探しましょう。」と励まされて。クラウドファウンディングも視野に入れるか。

しかしクラウドファウンディングとかいうと格好がいいけれど、実質は知り合いにお金を恵んでもらうという企画。

そんでリターンというお返しの品物を送るのがめちゃめちゃたいへんです。

まずは、内容を決めてそれに準じてサイトをつくって品物を用意してパッキングして郵送する。

『ぴちがい裁判』の時は、それも俺がすべて一人でやっていました。

そんなことよりも大切なのは、作品の中身なのですが。

だいぶん前から、金粉ショウで日銭を稼ごうと思っていて吉田さんに言ったら乗り気になってくれて。

駅に近いほうの神社の境内でやったらどうかとアイデアをもらい、観光客を相手にしてこれは稼げるかもしれない。

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城崎温泉の中心部にある四所神社。神社ほど金粉ショウの似合う場所はないのです。

あと二人ぐらい出演者を呼ぶのも可能かも。女性がいたほうがいい。誰か。。まだいいか。

神社での金粉ショウは大丈夫だけれども、肝心のアートセンターのレクチャーパフォーマンスになんとかして人を連れてこなければ。

入口を易しくしておいて、ほんものの舞踏の深奥を垣間見せる。とかいって金粉ショウも真髄は披露しているのだけど。

舞踏の手法をあれこれとつかいながら、内容的には「人間の根源的な何か?」を問う、今までの世界観を提示したい。

小さな世界と大きな世界の引っ張りあいを大切にしつつ、挑戦しよう 実験しよう。

そして、評判が良くてまた呼びたいと思えるレジデンスになるように頑張ります!!

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KIACの壁のサイン。學ちゃんの横に危口のサインが。
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2019年04月01日

4月1日

今日で『ブログ?』は、やめます。

というのは嘘です。今日はエイプリルフール、嘘をついても許される日。

さて、一昨日は城崎国際アートセンターで打ち合わせでした。レジデンスの下見も兼ねていたので、一泊させてもらいました。

急に行ったのに対応してくれて吉田君、ありがとう。

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左、プログラムディレクター:吉田雄一郎さん。真ん中、館長兼広報・マーケティングディレクター:田口幹也さん。はじめて会った気がしなかった。

城崎、最高だったなあ。新長田、パツクアロに続きまた住みたい町ができました。

ここ城崎温泉は、志賀直哉の小説に出てくる観光名所です。1925年(大正14年)の北但馬地震で町は全焼したのだそうです。

そのあと、当時流行りはじめていたコンクリートの建物ではなく、昔ながらの木造にこだわり三階までの建物にしよう。と町ぐるみで決めたそうです。

だから町並みに統一感があって、風情があるのか。

一軒一軒の旅館の集まりではなくて、城崎温泉というひとつの大きな旅館なのだ。と考えて町をブランド化したとか。素晴らしい。

夜に歩いたのですが、着物を着た若い男女が仲よさそうに歩いていて限りなくロマンチックでした。

下駄の音が「カランコロン」と至るところから聞こえ、とんでもなく雰囲気を盛り上げます。温泉街の雰囲気を否応なく盛り上げます。

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照明がインスタ映えします。照明デザイナーでも入っているのか?

そんな温泉街の、いちばん果てに城崎国際アートセンターはあります。もともとは会議場だった。

むかし、温泉といえばおじさんが遊びに行くところ。芸者さんを呼んだりして飲んだくれて。

女房への言い訳として遊びではなくて会議をしに行く。という名目をつくるために会議場をつくったのだとか。

しかし、そんな理由でつくった施設がうまくまわるわけがなく、すぐに立ちいかなくなって城崎が押し付けられるかっこうになり。

この巨大な施設をどうつかうか?10年ぐらいは放ったらかしで、でも維持費はどんどんかさんで。

「そうだ、アートセンターにしよう。」

豊岡市の市長さんが飛行機に乗っているときに思いついた。市長のあたまが柔らかいんだな。

そうして平田オリザさんやJCDNの佐東範一さんに相談したそうです。

それにしても豊岡市の観光ポスターとかいちいち洒落ていてセンスがいい。いいデザイナーが入ってる。

ここに11月は、11日間います。合宿は大好きなのでいまから楽しみです。

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エイプリルフールに新元号発表って、なにかの冗談のつもりか?
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2019年03月31日

Periodic table of the elements

元号とかいうのが変わるらしいけど、どうでもいい。

西暦だの元号だのややこしいので、一つに決めて下さい。アメリカの言いなりなのだから、西暦でいいのでは。

さてこちら、高野山レポートです。最後の結界“御廟橋”を渡ります。

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まずは脱帽します。ここからは、何もかもが禁止なので携帯の電源を落とします。

そして、塗香をしてから立派なお堂・灯篭堂の中へと入ります。

前回は、法要を行なっていて盛大でしたが今回はやっていなかったので少し寂しい。

さらに奥之院のお大師さまの廟へと進むと何処だろうか。

言葉のちがう、灰色の僧服を来て頭を剃りあげた女性たちが、雨で床が濡れているのにひれ伏してお参りしていてびっくり。

俺は弘法大師の法名を七返唱えて、そのあと灯籠堂へと戻った。ふと見ると、喜捨が表示してある。

20センチぐらいの小さな灯籠を奉納するのが、200万円だと書いてあって思わずのけぞる。

のけぞって上を見たら、その灯籠が天井から無数にぶら下がっていて仰天。

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どでかい島津家の供養塔の前で。photo by stranger.

そういえば、近代化の波が高野山にも押し寄せているようですが、山内には一軒もコンビニがなかった。素晴らしい。

酒造メイカー“剣菱”の社訓『止まった時計でいろ。』を思い出しました。

時代の潮流を追って変化していくのではなくて、そのままでいろ。

剣菱のいつまでも変わらないラベルを見ていると揺るぎない自信と誇りとを感じて、シンプルで無駄のないデザインはかえって斬新に見えてくるのでふかく納得。

帰りは、アメリカ村のシルクスクリーンの店 “ノスタルジー”でTシャツに色と言葉を入れてもらいました。

その言葉は、俺も大好きな言葉でした。

店員の赤嶺さんが「このあいだ早朝に高野山に行きましたよ。」と言ってた。弘法大師に朝ご飯を持っていくのを見たそう。羨ましい。

そのあとぶらぶらと歩き、ミナミの世俗の空気を吸って梅田で人にぶつかられたりしながら帰宅しました。

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聖地高野山内の路地奥に怪しげなスナックが。父親が「行ったことがある。」とか。お坊さんが集ったりするのか。
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2019年03月30日

高野山レポート2

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『傷だらけの天使』格好良かったなあ。

ショーケンが亡くなったんですね。城崎国際アートセンターのエレベーターの中で黙祷しました。

さて快慶作の見事な仏像があった霊宝館から、空海の御廟がある奥之院へと歩きます。

途中のなんとか院に、BMWだのセルシオだの高級車が並んでいました。

空海の遺産と恩恵で食べさせて頂いているくせに、贅沢するな。と腹が立った。

お大師さまが、牛車やかごに乗って移動してたか?自分の足で歩け愚かものが。

それかもっと安い国産車に乗れ。カローラとか。高野山の中を走るだけなら軽でも十分。

いつも思うけれど僧侶というのは、へんな商売。毎日毎日、座って本を声を出して読んでるだけで結構なお金がうごく。

自分自身はなんにも生産的なことをしないし、俺と同じように人に食べせて頂いている存在のはずなのにBMWに乗ったり出来るってどういうことなのだろう?

魔訶不思議。

それもお大師さまの恩恵か。巨額のお布施を頂いて天下国家のために使うならいいけれど、自分のために使ってはいけません。

それは反則。

とか思いながら、高野山内に一軒だけあるスーパーでお土産を買います。前回も買った胡麻豆腐です。

お土産屋ではなくて、住んでいる人たちが買い物する店なので安いです。

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弘法大師の御廟までは、一の橋前の“奥の院口”から歩くのが面白いです。

大通りから、結界の橋を渡り奥の院へ足を踏み入れます。ここから、さらに空気がかわります。

途中に、徳川家やら松平家やら島津家やらの大名の馬鹿でかい供養塔が並んでいます。

どれもこれも苔むしていてなんだかトトロの森へと迷い込んだような趣もありつつ、入ってはいけないところへと踏み込んでいるような不思議な感覚になります

真言宗総本山東寺は、他宗の僧侶の立ち入りを禁じています。高野山はどうなのかな。

新しい供養塔があるとちょっと興ざめ。その中でも周りの雰囲気に溶け込むようなデザインだったりするのもあるので、こんなところにも作者のセンスが光るのです。

一番でかいのは豊臣家のお墓ですが、お大師さまのお墓に比べれば庵です。

そうこうしているうちに御廟橋へと到着。最後の結界です。

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供養塔が木に呑み込まれていく。同じように文明は自然にいつか呑み込まれる。人もいつかは亡くなる。あれっ、空海は生きているのか。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:56| ブログ?

2019年03月29日

こうやさん

昨日は時間があったので高野山へといき、弘法大師・空海のお墓参りをしてきました。

真言宗徒なので、気が引き締まります。

一度目にきた時は、薄着だったので寒くて寒くてブルブルとずーっと震えていました。標高が高いので下界とは気温が違うのです。

今回は、前回の反省を踏まえて厚着をしてきたので安心です。

まずは、極楽橋まで電車で向かいます。経費削減のため鈍行で行くつもりが、飛び乗ったら特急で諦めて料金を支払います。

くねくねとした線路を走り、何度もトンネルを抜けます。

吉村昭さんのトンネル工事に命をかける男たちの話し『闇を裂く道』を読んでいるので感慨深いです。

小説ではまだ、岩盤崩落事故のために十数人が閉じこめられています。そしてちらっと見たらまもなく関東大震災も起こるようで。

車内では、真言密教の本を読んで気分を盛り上げます。

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真言宗開祖、弘法大師・空海御影。

若くして唐へと渡り、選ばれて恵果大阿闍梨から胎蔵界と金剛界の両部灌頂の秘儀を受けて伝法阿闍梨になった。か。ほうほう。

唐に1,000人いる恵果の弟子ではなく昨日今日、日本から来た若ものに密教正統の深奥を授ける不思議。

「私は前からあなたが来るとわかっていて、久しいあいだ待っていました。」by 恵果。

こうしてインドで生まれた密教の正統は、中国ではなく日本に伝わることになった。か。ふむふむ。

極楽橋駅で標高約500メートル。ここからさらに約500メートルをケーブルカーで上がります。

当たり前だけど、ケーブルや電車が走る前は歩いていたのだろうな。険しい山道を必死で登って下りて。高野山から何度も全国を行脚したりしてるけれど、その労力を考えると気が遠くなる。

高野山駅へと到着。バスが並んでいます。空海の墓所がある『奥の院』行きがありますが、いきなりは何なのでまずは『金剛峯寺』行きに乗車します。

何度も結界を超えていきます。最初の結界は、女人堂にあります。

前回は、高野山駅前から女人堂まで歩きました。むかし女性は、ここまでしか入れなかった。

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女人堂から高野山内へ。あきらかに空気がかわる。photo by wakasa15thfd

峻烈な紀伊山脈の中に奇跡のように広がる大盆地。

そこに4,000人が暮らしている。僧侶だけで1,000人いるとか。巨大な宗教都市、高野山。by バスの中のアナウンス。

まずは金剛峯寺にお参りして真言を唱えます。それから前回はいかなかった霊宝館へ。

快慶作の仏像などを拝んで休憩所で昼飯のサンドイッチを食べてから、いよいよ目的地“仏教界のスーパースター、天才・空海”のお墓へと向かいます。
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2019年03月28日

喧嘩3

このあいだ高知で大友透にあったら、「正虎が“喧嘩が滅法つよい”とか書いてたけど、そうかあ。って思ってさあ。」と言ってました。

確かに後輩・石川正虎は、普段大人しいから酔った時にタガが外れるだけで喧嘩はそんなに強いわけではないか。

さて、らくだの裏方でつくる“大鯨艦”の面々とは、ほとんど喧嘩しています。皆さん不良なので喧嘩は好物です。

艦長の宮内さんとは、大阪の寺で口論になりました。元右翼のけんぼうさんとも口論になった。

山海塾の舞台監督、小林裕二さんとは壺中天で口論になって外に出てファイトするギリギリまでいった。

常にもめてたのは、大駱駝艦の舞台監督:中原和彦さんです。

いつも喧嘩になって音響の関克郎さんに止められてた。最後のほうには、もう一緒に飲まなくなってたけれど。

こちらは、気持ち良く楽しく飲みたいだけなのに酔って絡んでくる人は頂けません。しかも人をみて絡んだりするから頭にくる。

壺中天の打ち上げでなんだったのか。兄弟子、星野健一郎がまた酔っ払ってぐちぐちと弱いものいじめをしてた。

星野は素面のときはとっても素敵な人間くさい人ですが、酔うとだめなんです。とっても嫌な面倒くさい奴に変身する。

最初は我慢してたけど、あまりにもしつこいから飛び蹴りをくらわせた。

面食らって転がったけど「なんだよー怒り(ムカッ)」いうて取っ組み合いになった。俺がマウントをとり続けてラストは引き分け、1時間ぐらいは戦ったと思う。

あばらにヒビが入って、星野もあばらにひびが入って。

次の日の朝、こちらは水に流そうとしてたのに「訴えてやる。」みたいなことを言っててすこし怖かった。

師匠とは、喧嘩はしたことはありません。

サンフランシスコの最高級ホテルのスィートルームから、ダウンタウンの坂の下まで思いっきり蹴り飛ばされたとき。

俺は、自分が悪くて一方的に怒られたという感じだったけど、次の日に麿さんが「いま、むかいと喧嘩してるんじゃ。」と言ってて「ん?」となった。

それはさておき。喧嘩の極意は、逃げることだと思います。

そのへんのかわし方は、戌井君が上手いんだよなあ。

一度ゴールデン街でタチの悪い酔っ払いにからまれた時、大声を出しながらよだれを流したりして圧倒的な気の狂い方でおっさんを翻弄してた。

喧嘩なんてやるだけ損、見習おう。

俺のらくだ時代に身につけた技は、丁寧語で怒鳴りまくるというやつです。これは効きます。ほぼ皆んな黙ります。

麿さんの兄貴分、石井満隆さんから学んだ技です。

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ドイツメールス国際ジャズフェスティバルのポスター、モデル:星野建一郎。
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2019年03月27日

くるま

昨日は、移動でした。バスがとれなかったので、豪勢に新幹線移動。

“ぷらっとこだま”というチケットでコーヒーかビールがついて一万円。少しでも経費削減努力はします。

最近は、バス移動が多いですが自動車は事故が多いので恐ろしい。バスに乗ってても「ヒヤッ」とすることがたまにあります。

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車に乗るならトヨハチか。昔しの車はいいなあ。

自動車には、何度も轢かれかけています。

ミシガンに滞在していた時に自転車に乗ってて、右折だか左折だかを間違えて轢き殺されかけました。

向こうは左ハンドルなので勘違い。怖かったなあ。

ある夜。吉祥寺の稽古場からの帰りに、止まってた車がいきなり猛スピードでバックしてきた。

驚いて自転車ごと倒れて、猛スピードでバックしてくる車の白いライトを見ながら「もうダメだ。」と諦めました。

1mぐらいのギリギリで止まって間一髪セーフ。運転手が降りてきて謝ってたけど恐怖で何も言えなかった。

このあいだのメキシコでも自動車工場のまえを通りかかったら、倉庫からいきなり車がバックしてきて轢き殺されかけました。おっさん後ろを見てないんだもんな。

完全に頭にきて「危ねえだろ!!」と怒鳴りました。けれど、おっさんぽかんとしてた。

仕方ない、向こうはスペイン語なので。

田無では、交差点で引っ掛けられました。こけてひじを打って。

運転手ともう一人がすぐに降りてきて助け起こされたが、買ったばかりの自転車のドロ除けが無残に折れ曲がって。

それ以来、事故車になってしまい調子がずーっと悪かった。

朝で急いでたから、そのままにして稽古に向かった。名刺をもらうべきだった。と「ガタガタ」いう自転車に乗りながら後悔した。

奥村君に言ったら「そういう時はすぐに警察を呼ぶんですよ。そんで慰謝料をがっぽりともらうんですよ。」と教えてもらったけれどあとの祭り。

うちの母親はむかし、車にはねられて大怪我をしています。いまだにその後遺症に苦しんでいて歩けなくなってきているのもそのせいかも。

一応、免許は持っています。

はじめて運転した時に事故りまして、それ以来怖くて乗っていません。乗ってたらいまごろ死んでたかもな。

いまだに車を運転している夢は、よく見ます。ブレーキとかアクセルとかわからなくて、全然うまくいかない。

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ワーゲンのバンもいいなあ。たまに見かけるけれど可愛い。
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2019年03月26日

赤児

さて、おめでたいニュースです。

デュ社の旗揚げメンバー松原東洋、無事に第一子誕生です。「おめでとう!!」

うちの娘が産まれたときに、東洋が「おめでとうございます。」といったら「何がめでたいんじゃ!」とあたまをはたかれたとか。

覚えてないなあ。

いまフェイスブック上では、祝福の嵐だろうな。あれ、東洋はやってないのか。奥さまの長谷川宝子はやってるのか。

フェイスブックは二次元のバーチャル空間ですが、こちら実際に家にいって赤ん坊の顔を見てきました。そんでほっぺに触ってきました。

可愛かったなあ。東洋のお母さんと宝子のお母さんが、駆けつけてらっしゃいました。孫ってのは、また格別に可愛いようです。

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命名、松原吹(まつばらふく)。

産まれて一週間、まだあちらがわにいらっしゃった。神さまというか精霊の段階です。人ならざるもの。

頭蓋骨のおでこの部分が開いているので、お風呂に入って洗ってあげるときには要注意です。

第三の目があるとされる場所で、大人には見えないものが見えている。成長するにつれて残念ながら閉まってしまう。

どころか眉間にシワが入っている人は、堅く閉じてしまっていますので気持ちを大きく持ちましょう。スマホを見ているときは、眉間にシワが入りがち。

赤ん坊の段階は、全と個でいうと全。梵我一如の状態にいらっしゃる。

人は言葉で世界を分けていくけれど、その言葉を持っていないから世界がひとつの状態のなかにいる。

成長するにつれて世界を分けはじめる。わたしとせかい、わたしとおかあさん。だんだん複雑になってややこしくなっていく。

うごきもとっても面白い。

歌舞伎の荒事は赤ん坊の真似をしている芸ですが、観察しているとほんとうに“にらみ”をやったりするので見ていて飽きません。

麿赤兒とは「わたしは赤ん坊です。」という意味です。

天賦典式は、赤ん坊を芸の師と仰ぎます。娘の日向子が産まれたときは、ずーっと観察してメモしたりしてました。

いろいろと面白いうごきをしまくります。うごきが整理されていない、未分化な段階なので面白いのです。合理的ではないうごき。

舞踏の理想形です。真似をしようとするけれど、どうしても作為的になってしまう。見たことのないうごきだけど、そこに嘘がないから説得力があるのです。

ワークショップでもよくやるエクセサイズですが、なかなか最高の瞬間をつくりだすのはむずかしい。

はまるとめちゃめちゃ面白いのですが。

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舞踏家と名乗る"Fool man"、松原東洋。デュ社旗揚げ公演『ふたつの太陽』より。photo by bozzo.
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2019年03月25日

ブトウ2

いまの舞踏の古臭さというかカビ臭さってのは何なんだろう?

身もふたもない今風の言いかたをすれば「ダサい。」

ググっても悲しくなるようなサイトしか出てこない。漢字ばかりの小難しいサイトとか、理屈ばかりの何だかなあ。と思うようなサイトとか。

もちろん、そうではないサイトもありますが。

土方巽は、とにかく格好が良かった。じつは、そこが重要だったりするのではないのか。

ソリッドというか、クールというか、何なんだろうあの纏っている雰囲気は?超一流のターレントでもあった。

師匠が『徹子の部屋』に出たときは、黒柳さんが土方さんのファンなものだから麿さんの話より土方さんの話しばかりで「おいおい。」となった。

それぐらいに人気があった。笠井さんによると「目をいじっていた。」らしいけど、格好を気にしていたことを物語る逸話です。

あとは、センス。

何だかよくわからないサイトとか写真が多いのは、センスがいまいちなのだと思う。

むずかしい言葉を並べたところで、実際の舞台の写真がイマイチだったら「はい、それまで。」

土方さんは、写真もすべてが絵になっている。兄弟子の村松卓矢も写真うつりは抜群だが、計算をしていた。ひとつのポーズが絵になるようにうごく。

室伏さんも詩人で理論派だけど、とにかく写真が格好いい。

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美しい。室伏鴻ソロ公演“quick silver”より。

麿さんも、最後は勘とセンスだといっている。師匠のセンスは想像外で「えーっ。」というイメージがたくさん出てきます。

そんな人を師匠にもって20年近くも側にいて、目の当たりにして芸を盗んでいたのだから幸せものです。

それはさておき。考えすぎなのだろうなあ。

先人の言葉にやられてしまっている。とくに土方さんは韜晦の人だから、言葉がむずかしい。

土方さんの言葉がわかりにくいのは、意味から逃れるため。それを真似してしまったら、単なるわかりにくい文章になるだけ。

むずかしいことをやさしく やさしいことを深く 深いことを面白く 面白いをていねいに ていねいを豪快に 豪快を感動的に 感動を笑いに 笑いを狂気にまで高めて 突き抜けろ

“常識”というはちまきを頭に巻いて、己のその古いこりかたまった考えと常に向き合うのです。

すべてを疑うことで、きっと新しいことが見つかる。

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これも好きな写真。撮影:阿波根治
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2019年03月24日

ブトウ

『舞踏』は、1959年に日本で生まれた舞台芸術です。

1959年は、土方巽と大野慶人の二人によって三島由紀夫原作の『禁色』が発表されてスキャンダルを巻き起こした年であります。

「これをもって舞踏元年とする。」と舞踏評論の大家、合田成男先生が仰っています。

生まれてから、まだ70年しか経っていない。

能が猿楽として歴史にあらわれてから約1000年、歌舞伎の出雲阿国が四条河原でおどりはじめてから約500年。

それらと比べるとまだまだ生まれたての赤ん坊のようなもの。認知度が皆無で、マイナーであっても仕方がない。

大野一雄という大天才と土方巽という大天才が出会って、まるで核融合のように誕生して一大ムーブメントをかたちづくった舞踏。

知的で不良の雰囲気をまとうそれは、格好がよく瞬く間に鋭敏な若もの達や知識人たちに熱狂的に受け容れられた。

速く速くとスピードをどんどん上げていく時代に、逆にゆっくりとうごくことを良しとした。ただそれだけのことで、肉体がよく見えるのだから不思議。

高く高くと上を目指しついには月までいった時代に、逆に低く低くと地を這うようにうごくことを良しとした。日本人には、西洋的な飛翔は似合わない。

舞踏は、その初期に暗黒舞踏と名乗っていた。

光ばかりを追い求めるのではなく、闇もこの世界にはあるのだと認めねばいけません。光あるところに闇はあるのです。光が“生”ならば闇、暗黒とは“死”。

死を忌み嫌うのではなく、自然の摂理として受け容れるのです。

日本国内ではマイナーな舞踏だが、世界へと目を向けるとメキシコでは大げさではなく「"BUTOH"にこそ舞台芸術の未来がある。」とばかりに若いアーティストがワークショップに殺到する。

なぜか?

やはり舞踏のその時代のアンチの気分というか、反逆性にアッピールされるようです。

まずは疑うという舞踏の魂。こんな時代でいいのか?オリンピックなんてやってる場合か?ほんとうか?それは本当か?

常に疑い、舞踏そのものも疑う。「舞踏を忘れろ。」は、室伏さんの口癖だった。

まだまだなんだかよくわからない、得体の知れない舞踏。

とかぶとうぶとう、うるさい。なんか古臭いのだよな。“舞踏”という言葉にまとわりついてしまった厄介なイメージ。

そこを何とかしないと、日の目を見ることは出来ないのかもしれない。

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10,000人、入ったという西武劇場の公演『静かな家』のポスター。舞踏公演で15日間もやるなんていまなら到底、考えられない。この頃、堤清二さんがパトロンだったと思うので、相当の優遇をしてもらったのだろう。Design by Ikko Tanaka.
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2019年03月23日

なりわい2

「舞踏というまだない職業で食べさせて頂こうとしているパイオニアみたいなものだから、貧乏なのは仕方ないよね。」と女房は言ってくれます。

「ありがとう。」

一生懸命に勉強をして泣きながら手に職をつけて子どもを産んで、そんで在宅で仕事をして。

己の糊口をしのぐので精一杯の旦那に代わって、一人で娘を育てているようなもの。大したもんです。

仕事がないときは、できる限りのことをします。主夫をします。主夫は副業ではないのか?ないか。報酬は一切いただかないので。

炊事、洗濯に片付け、布団干し風呂洗いゴミの分別ゴミ捨て買いもの、ぼろぼろになったシーツを裂いて雑巾にしたり。

掃除はアルバイトで長くやっていたし、得意なので徹底的にやります。トイレの掃除、風呂の排水溝の掃除、洗面所の排水溝の掃除、etc.etc..

主婦ってのは、ほんとうにたいへんだなあ。と思います。片親だったら一層忙しいからすべてが疎かになって心も荒れてしまったりして。

女のために副業をやるという選択もある。いさぎが良くてかっこいい。と世間ではされてる行為。

「僕は死にましぇん。」感動。そして結婚。

お金が稼げていいものを食べていい服を着ていい車に乗って、友だちともワイワイとやっているうちに、子どもが生まれて。

可愛くて可愛くて目に入れても痛くないほどにデレデレで、ベロベロ舐めまわしたりして。

子どもがだんだん大きくなってきて、学費なんていうものがかかるようになってきて。

働いても働いてもお金が足りない。そんな時に踊っている場合か?自問自答します。

食べられているならいいのです。食べられなくてたいへんで、だんだん歳をくってきて。。

「やめるか」

決断したら心がスッキリして、あとはもう何もかもが思い出になっていく。

女房には結婚するときに「俺は、にょうぼこどものために舞踏をやめることはしない。それでもいいのなら。」と承諾を得ています。

「すまない。」

こころで手を合わせながらもそんな自分勝手で穀潰しな自分を信じて、これからも頑張って頑張らないのだ。

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女房のために一応、結婚式はやりました。盛大にやるような身分ではないのでごくごく、近親者でこじんまりとやりました。
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2019年03月22日

なりわい

昨日は満月でした。

財布と通帳をひらひらとさせました。なんとか、お金が入って来るように念を込めてひらひらしました。

財布が空で、仕事がなくてひまでひまで仕方なくても副業は、決してしないように心に決めています。

そんなことをする時間があったら本業で食べさせて頂くために、奮闘努力して企業努力をするべきだからです。

ですが、アルバイトの募集が貼ってあったら凝視します。

安いです。860円とか。1000円いかない。

だけど売上は何億もあって、社長は何千万ももらっていたりしたらバカバカしくなります。世界で問題になっている格差です。

富の分配が公平におこなわれていない。

それゃ、腹いせにいろいろなことをやりたくなります。仕方ない。やり方が問題ですが。

古来から芸術家は、誰かに食べさせて頂いていた存在です。

ヨーロッパだと貴族、たとえばメディチ家とか、日本だと能の足利義満とか、世界だと宗教も大スポンサーでおかげで絵や彫刻で傑作がたくさん生まれてる。

相撲だとタニマチか。

ゴッホなんて弟のテオに、お金の無心の手紙ばかりです。絵の具ってのは、ほんとうに高いからなあ。

芭蕉は弟子の酒屋に「お酒を二升ばかり送ってくれないか。」と手紙をしたためています。芭蕉の職業は俳諧師であり乞食です。

「食べさせてもらっている存在だから、恥ずかしいという常識を捨てなければならないのです。」

「はい。」

「お金は持っている人が払えばいいのです。それでいいのです。」

「はい。」

そんなことを考えるぐらいなら、もっともっと面白い存在になれるように頭を遊ばせるのです。

いま、日本にはセゾン文化財団ぐらいしか真のパトロネージュはありませんが、世界に視野を広げればフランスなんかはいまだに国がやっていたりします。

山海塾は、フランス政府からお金を頂いて活動を続けています。噂では何億だとか。

ドイツがいま、舞踏で唯一食べさせていただける国です。今年の8月に呼んでいただく、舞踏家の吉岡由美子さんもずーっとドイツで暮らしています。

旧友の古谷もドイツで暮らしています。今度会えるので楽しみ。

ダンサーの伊藤キムさんは、いまは日本で活動していますが何年かドイツで活動していました。

日本に於いて、舞踏で食べさせて頂ける日が来るのはいつなのか?いつのことになるのか?100年先か。

能なんて職業になるまで何百年もかかってる。落語は職業になったのは、意外に最近で明治ぐらいなのか。

この世にまだない職業、舞踏家。

貯金なんて言わない。せめて借金しなくても生きて行けるようになりたい。

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左、向雲太郎。真ん中、鈴木ユキオ。右、古谷充康。
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2019年03月21日

鎌倉へ

堤清二さんには、生前にお会いできませんでした。残念無念。

お会いして自己紹介して「ありがとうございます。」と言いたかった。

それは叶わなかったので助成金を頂きはじめてすぐに、鎌倉にお墓参りへといきました。

田無から電車に乗って鎌倉へと向かいます。いい天気で気持ちがよかった。

鎌倉に着いたらさすがは観光地。人が沢山います。鎌倉霊園行きのバスに乗って30分ぐらいだったか。

霊園前のバス停で降りて坂を登っていきます。広いので調べた番号を頼りに向かいます。

少し迷って霊園事務所で花を買うついでに場所も訪ねます。有名だからすぐに教えてくれます。ここ鎌倉霊園は、西武グループの運営なのです。

山の頂上の堤本家のお墓とは少し離れた場所にありました。

だいぶん前に堤さんの自伝『彷徨の季節の中で』を読みましたが、いわゆる“妾の子”というような境遇で若い頃は相当の苦しみがあったようです。

女好きで下品な父に反発するように東大で共産主義にはまり、恋もかさなって悩む主人公。

その悩み苦しむ主人公の挫折と成長の姿が詩人でもある堤さんの、考え抜かれた言葉と格調高い文章で綴られていました。

ちなみに東大時代に友達とたむろしていたのが、平田オリザさんのお父さんが経営する劇場のカフェだったとか。

真っ黒な格好のいいモノリスのような墓石でした。文字が彫ってあったのだが忘れてしまった。和歌の句だったような。

そして花をいけるところなどありませんでした。

それは、堤さんからの「そんな常識は捨てなさい。」という教えのように感じました。花はどうしたのかな。そうだ花は結局買わなかったのだ。

そのあと霊園内をしばらく散歩した。

ここ鎌倉霊園は鎌倉駅から車で15分という立地もさることながら環境が素晴らしく、人気の高い高級霊園なので有名人のお墓が沢山あります。

川端康成、山本周五郎、萬屋錦之介、鶴田浩二、人間国宝・二代目尾上松緑、そして西武グループの創始者で政治家でもあった堤康次郎。

お墓参りを終えて浮世離れした鎌倉霊園からバスで山を下って、下界へとおります。

鎌倉駅前にある友人、勝見淳平君のとっても素敵なパン屋さん“パラダイスアレイ”へと寄ってから、東京へと帰りました。

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森下スタジオでやった『遊機体』の時に淳平君に頂いた巨大なパン。“遊機体”となってるはずだけど読めないな。
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2019年03月20日

SAISON FOUNDATION

昨日は、セゾン文化財団の懇親会でした。

セゾン文化財団は、1987年に堤清二氏の私財によって設立された日本では唯一無二かもしれない本物のパトロネージュです。

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堤清二氏。2013年11月25日に亡くなられました。2013年から助成金を頂いたけれど、惜しくもお会いできなかった。残念。

1年間助成してもらえるジュニアフェローが数人、私が頂いていたシニアフェローは3年間のあいだ助成を受けられ、日本で二、三人しか選ばれない。

そんな栄誉あるセゾン文化財団のパーティーなので、いま日本でトップを走る若い劇作家やダンサーが勢ぞろいして華やかでした。

ただし商業ベースではなく、先鋭的なジャンルの先頭をひた走る人たちなのでまだまだ知る人ぞ知る存在の方々ではあるのですが。

プログラムディレクターから常務理事になられた、いつまでも若々しい久野敦子さんの司会で開幕。

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久野敦子さん。笑顔がチャーミング。写真:山本尚明

久野さんは、スタジオ200という小劇場のはしりだった場所で働いておられて、なま土方巽をご覧になっています。

舞踊担当だったので助成金を頂いているときに、たいへんお世話になりました。

新しく理事長になられた片山正夫さんのひょうひょうとして笑える挨拶に続いて、今年からフェローをもらう人たちが挨拶。

『ぴちがい裁判』で主題歌を作曲してくれた、糸井幸之介さんもフェローに選ばれました。「おめでとうございます。」

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糸井幸之介 by google.

糸井さんには、ぴちがいの初日にアフタートークをお願いしてたのに、それをすっかりと忘れてしまうという大失態を犯してしまいました。

あの時は、経費削減のために作・演出・振付・制作・舞台監督・雑用のすべてを自分でやるという無茶をしたので。「ごめんなさい。」

そしてプログラムオフィサーの岡本純子さんからジュニアフェローの村川拓也氏が、懇親会の前に交流会をひらくという連絡をもらいました。

まだ作品を観たことはないのですが、以前から面白いことをやってるなあ。と注目していました。

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村川拓也 by google.

自己紹介をしたり作品のプレゼンをしなければならないとかで、若ものに混じって気がひけるなあ。と思うけれど、村川君に個人的に興味があるので好奇心で参加を決断。

昨日、村川君が飼っている猫が亡くなってしまったという笑ってはいけないけれど笑える理由で、急遽参加することが出来なくなったと連絡があり。

こちらもそういうことなら。と遠慮をしました。

しかしこちらも面白いことをやってるなあ。と注目していた山下残君が参加していたとかで行けばよかったかとちょっと後悔。

こういうのも歳をとって、フットワークが悪くなってきているからかもしれません。

好奇心はあるけれど、からだがついていかないのだ。

けれども懇親会では、沢山の作家さんたちと話せて刺激をたくさん受けました。

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山下残君と。いまマレーシアの国会議員と作品を創っていて、無料にするためクラウドファウンディングをはじめたとか。
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2019年03月19日

ふじさん

大阪〜東京間は、東海道が多いのですが昨日は中央道でした。

よく晴れていてずーっと正面に富士山が見えていて絶景。素晴らしかったです。富士山は、山梨側から見るのがいちばん美しい。河口湖のところからとか。

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有名な千円札の風景。BRUTUSの表紙より。

いままでで、いちばん感動したのは飛行機の上から見た富士山でした。

遠くからだんだん見えてきて気分が盛り上がって、それがじょじょに近づいてきてわくわく。

巨大なクレーターを真上からながめたら、圧倒的な存在感でした。

『ぴちがい裁判』京都公演の帰りに、トンネルを抜けたら巨大な富士山があらわれたのにも感動した。運転している田村げんちゃんと一緒に叫びました。

トンネルといえば、いま吉村昭さんの『闇を裂く道』というトンネル工事に命をかける男たちの小説を読んでいるので、通るたびにいちいち感慨深いです。

長野で通った恵那山トンネルは全長八キロ、1975年の開通当初は日本一の長さだったとか。あれは掘るのはたいへんだぞ。

まず最初に手掘りで掘り進む。鳥居のかたちに組んだ丸太で補強しながら10メートルぐらいいったら、今度は最初の掘り口をだんだんと大きくしてレンガで固めるのだとか。

山にトンネルを掘ることは大自然への挑戦であり、山はしばしば無力な人間の姿を崩壊というかたちで見せつける。

小説では、いま大崩壊が起こったところで、生き埋めになった人々を救うために救助抗を掘るのだが、二十四時間でわずかに二メートルしか進まない。

もう三日閉じ込められているけれど丸太や鉄骨、巨大な岩石に行く手をはばまれて遅々として進まない。

たいへんな手間と労力と時間がかかる作業であるうえに、常に危険と隣りあわせの仕事。

トンネル屋といわれる人々で山に入る前は、一週間前から女を断ち身心潔斎してしずかにその時を待つ。

山は女神であるらしく、その女神の嫉妬をかわないように細心の注意を払うのである。もちろん女性は、山には入れなかった。

そこまでしても安心などできず、トンネルへと入ったら山のわずかなもの音も聞き逃さないように耳を研ぎ澄ます。崩壊の予兆や湧水の音を聞き逃さないためである。

そんなとてつもない先人の努力の末に出来上がったトンネルをわれわれは、感謝するでもなく何の気もなしに利用している。

そのいま通っている場所で、多くのトンネル屋たちが亡くなっているかもしれないのに。

とか考えながら、がたがた揺れる車内で助成金の申請書を作成します。集中していると雄大な富士山や感慨深いトンネルを危うく見過ごしそうになります。

パソコンやスマホを見ていると無防備になるし、のめり込みすぎるので気をつけます。

こころが小さくなってしまいますので、気をつけましょう。

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posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:26| ブログ?

2019年03月18日

じょうきょう

「この世は舞台、人間は出演者。」by シェイクスピア

すべては芸のため。朝から晩まで修業です。死ぬまで続きます。俺が舞踏家である限り続きます。

さて淡路島、五色町都志に帰ってました。

すぐにはお金にむすびつかない雑事をやっていました。

まずはフライト助成の申請。間にあってよかった。そんでいまは、次の助成金の申請書のさくせいです。

売り込みをまったくやっていませんので、すぐにお金を頂ける仕事がないのは仕方ないのです。

独立して5年。強力なマネージャーがいればなあ。と思いますがそれも縁。

伸朗さんは、奥さまがマネージャー役をしているようでした。何千万とか稼ぐのだからあたりまえ。

ニューヨークでアトリエに遊びにいった杉本博司さんが日本人ではじめて一作、一億の値段がついた人。売ったのはこちらも奥さま。

現代美術というのは、錬金術みたいなものだと思います。

18世紀の骸骨にびっしりとほんもののダイヤモンドを33億円分埋め込んだダミアンハーストの作品は、120億で売れた。87億円の儲け。

それが何個も売れるってんだからなあ。

と夢のようなお話はさておき。こちら毎日、仕事がなくて暇で暇でどうしようもなくても、創作の灯火は消えないようにいろいろなことを考えています。

まずは5月、五色町都志公演。自主公演でそれほど大掛かりではないので気が楽です。

山の上の巨大な野外劇場とか候補地はあるけれど、やはり庭でやるのが一番良さそう。

けっしてマイナー思考ではなくて、そのほうがいいのです。アイデアも沢山あります。面白いことができそう。わくわく。

しかしゴールデンウィークに公演をやるのは無理そうで。

人件費が払えないので5月、一回限りの公演になりそうです。それでも何十万もかかるのだから舞台ってのは割に合わない。

けれど、名刺がわりの公演なのでそれでいい。何をやっているのか?色々と口で説明したり写真を見てもらうよりも、じっさいに観てもらうのがいちばん。

とかとか考えながら、東京に用事があるので田無に戻ります。川西に寄って両親の様子をみてから、飛行機ならファーストクラスなバスに乗って一路、東京へ。

都会は、スピードが速くて忙しいし人は多いし、がちゃがちゃとしてて風情のかけらもありません。

人と人との距離がめちゃめちゃ近いので嫌だなあ。とにかく近すぎるのです。“間”がなさすぎる。

いまから憂鬱です。

ぶつかっても謝りもしない。どころか舌打ちをされたりして。誰も彼もが殺気だってしかめっつら。圏もアウラもクソもないです。

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瀬戸内の海ともしばしお別れ。一週間で帰ってきますが。
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2019年03月17日

タバコ

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「喫煙は文化だから、決してなくならない。」五木寛之

しばらく前に女房にかくれて喫煙してたら発見されまして。

川西でも、妹の由美子に見つかりました。由美子は、旦那さんの貴久君がまだ喫煙しているので寛大です。

しかし煙草ってのは、何故あんなに毛嫌いされるのか?やはり匂いなのだろうなあ。icosとかいうのも室内だと甘いようなへんな匂いがする。

マナーの悪さもあるのだろう。ニコチン中毒者のマナーの悪さはひどい。くわえ煙草で平気でうろうろしてる。

吸い殻をどこでも捨ててしまう。あちこちに捨てられてる。白いのとか黄色いのとかフィルターは目立ちます。

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昔しはくわえ煙草で仕事をしたりするのがかっこよくて、映画なんかでもくわえ煙草でいろいろやるのが絵になった。

テレビで煙草のコマーシャルをやってたけど、お金をかけてて映画みたいだった。いまじゃあ考えられない。

JTの戦略で自虐的になって生き残ろうとしてますが、異常だと思います。あそこまでやらなくていいのに。

「からだはよけたが、煙がぶつかった。」とかいうやつです。へんなの。だけど煙が当たらないように細心の注意を払います。

パッケージの能書きもひどい。生き残るためだろうけど。

たばこ税も高すぎる。そこまでヒステリックにやらなくてもいいのに。原価は100円しないだろうけど600円って。

うちは父親が長く吸ってましたが、副流煙なんて関係なくもくもくでした。けど皆んな肺がんにはなっていません。

自動車の排気ガスのほうが、からだにはよっぽど悪いのです。

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久しぶりに買ってみた。アメリカンスピリッツのバナナ味。高級品。
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2019年03月16日

うちの母親は無類の舞台好きです。ほんとうにとんでもない量の作品をご覧になってます。

俺なんかは、ひとつ舞台を観るだけでへとへとになりますが、聞いたらそんなことはまったくないようです。

しかし、最近歩くことがままならくなってきているので、俺が代わりにいくことが増えてきています。

唯一ぐらいの楽しみの観劇が思うようにならないので寂しそうです。

車椅子やからだが不自由な人に対する対応は劇場によってさまざまですが、そんな言い方しなくてもいいのに。と思ったりする。

その点、宝塚は懇切丁寧です。さすが。

今回は、西宮にある兵庫県立芸術文化センター。こちらはあまり言葉遣いがなってなかった。係のひとの性格にもよるのだろうけれど。

観にいったのは、『イーハトーボの劇列車』こまつ座第126回公演。

作:井上ひさし、演出:長塚圭史、主演:松田龍平。

龍平君は映像の人だから大丈夫かなと思っていたら、“間”が独特で面白かったです。脇の人たちとのお芝居の温度差も興味深かった。

しかし、紛れもない主役のオーラを発してました。持って生まれたものなんだな。この人は映像よりも舞台のほうが面白さが生きるのでは。とも思ったり。

映像だと監督と編集マンによって“間”がつくりだされる。彼の独特の間やテンポが必ずしも生かされているとは限らない。

大島渚監督の『御法度』がデビュー作ですが、じつは俺も出てました。彼は主役、まだ中学生だったので毎日泣いてた。

俺は門番という完全な端役でしたが、大島監督が「スキンヘッドを生かして、羽二重なしのかつらを特別にかぶろう。」と言ってくれて。

大島渚にアップを撮ってもらいました。ちょっと自慢。

監督の「よーい。。スタート!!」の渾身の叫び声は、いまでも耳に残っていていつでも真似できます。貴重な財産。

それはさておきイーハトーボ。作品的には、眠たかったです。井上ひさしさんの言葉はもっと強くて力があるはずなのに物足りなかった。

若者受けのような笑いも好きではなかった。井上さんは喜劇の人だから、へんなことをしなくても台本通りにやれば笑えるはずなのに。

もったいない。

終演後に原作が置いてあったので、読んでみたらけっこう言葉を削ってた。

血の吐くような思いをして、はらわたを絞り出した言葉の数々。そのどれもが作品にとって必要不可欠なのだと思います。

言葉を削ることによって抽象化されて現代的になることは認めます。しかしそのぶんお話や内容がわかりにくくなるのは確実です。

最後まで内容がわかりにくかったのはそのためだったのかと。腑に落ちて、なぜそんなことをしたのか?演出として自分らしさを出したかったのか?

腑に落ちず、家路に着きました。

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鉄割に出たら面白いだろうなあ。立嗣の映画の主演をしてたりと意外に近くにいるので。
photo by Takashi Hirano
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2019年03月15日

美濃吉

あとで読みかえしてみたら、記事が長すぎたので二つに分けました。

こんなことができるのもWeblogならでは。一度読んだ人はごめんなさい。しかしちょいと変えたり追記したりしてますのでご勘弁。

さて以前、父親に「四流の料理屋。」と盛りつけを一刀両断されてから、いつか連れていってくれとリクエストしていた一流の料理屋へといって参りました。

これも芸のためです。一流を知るには実際にそこへといって、身をもって体験してみないとわかりませんので。

梅田駅前の最高級ホテルの25階へと伺います。

趣味の悪すぎるロビーにて時間まで待ちます。

大竹伸朗さんに任せたら、趣味が悪いのと良いのとのバランスが絶妙のとってもかっこいい場所になるのになあ。とか思ってたら時間です。

歩くことがままならなくなってきている母親の手を引いて入店。お店の人たちに出迎えられて、新婦入場の付き添いみたいでちょいと恥ずかしい。

店内は想像してた通りで、琴がながれてて正月ぽい。けれど25階から見える景色はおそろしく贅沢です。これも値打ちのひとつ。

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夕陽に燃える大阪。巨大地震が起こったら見えている淀川に津波がのぼってきて、大阪はすべて水浸しになるのだとか。

見たこともないお菓子が浮いてるお湯がでてきてスタート。あらゆる料理が上品で絶品でした。

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職人の「工夫にナキ、心遣いにシビレ、味に感動するのです。」小沢昭一『背中まるめて』より。

すべてが、ひとつの芸術作品、一流の職人が手間と時間と労力をかけるから値段が高くなるのは当たりまえ。と納得。

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すべては、やはり“間”なんだ。

今回は、懐石料理だからもともとはお茶からはじまったものですね。

千利休は、お箸をつくるとこからはじめたそうです。もうはじまっている一期一会。

宇和島でも感じたことですが大切なのは、やはり『心』なのだと思いました。そして大事なのは、そこに『愛』はあるのか。

「ごちそうさまでした。」
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:28| ブログ?

2019年03月14日

合掌

山田スミ子さんが亡くなってたんですね。

2月12日午前。結構前だな。

吉本新喜劇時代にファンでした。花紀京さん、岡八郎さんの全盛期で、博多淡海さんがまだ木村進で間寛平さんが売り出し中でめちゃめちゃやってた頃か。

赤井英和さんの舞台に友人の役者・浅野彰一君が出てて松竹座まで観に行ったときに、面白い女性がいるなあ。と思ってたら山田スミ子さんだった。

去年だからその頃はすでにご病気だったのか。73歳、まだお若い。

いまの朝ドラのお母さん役を山田さんがやればいいのになあ。山田さんがやればもっと自然で面白いのに。とずーっと思っていました。

カーネーションに出てたんですね。朝ドラのキャスティングは、ほぼ事務所の力だろうから吉本ではないいまは難しかったのか。

ご冥福をお祈りします。

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関西のスポーツ新聞では大きく扱われたのか。

デストロイヤーも亡くなりました。88歳。

8時だよ全員集合に出てたのか、お笑いのイメージしかないですが。

生涯で800試合だと。俺が800ステージに立つためにはあとどれぐらいなのか。

デビューしてから8年間は素顔でリングに立っていて、マスクをかぶって大ブレークだって。デビッド・ボウィがジギーに変身したように、別人格に変身したのだな。

素顔はまるで哲学者のようだったとか。

親友の和田アキ子さんがラスベガスでワンマンショーをやったときには、普通にチケットを買って花束をラストに渡して感激させたとか。

格好いい。

気を使わせない気遣いというのが本当に難しいのです。

3.11のときは神戸からきたボランティアの人たちが、人知れず机の上を拭いてくれたり「わかっているなあ。」という活躍だったようです。

昨今、流行りのボランティア。そこの人たちのためだ。という目的を分かった上での気遣い。

被災した人たちがなにを求めてるのか。経験しているからこそわかること。

そして井上ひさしさんがいうように恩を返すのではなくて『恩送り』がたいせつ。

次へ次へと恩を送っていく。恩を受けたら、困っている誰かへと送る気持ちがあるといいのだと思います。

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力道山と戦って、ジャイアント馬場と戦って、猪木と戦って。昭和のヒーローだな。合掌。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:39| ブログ?