2018年07月31日

語源

『鯖を読む』というのは江戸時代に生まれた言葉で“腐りやすい魚だから”だそうです。

幕府への献上品だった鯖。すぐ駄目になるから早く数えないといけない。結構数え間違いがあったとか。 by チコちゃん。あっ、でも諸説あるらしいです。

『初心忘るべからず』というのは世阿弥の言葉。

始めた頃の初々しい美しい心を忘れないで。みたいに使われているけれど、本当は真逆で。

初めてのあの恥ずかしく下手くそで見ていられない格好の悪い姿を決して忘れるな。という世阿弥の戒めですね。

『出世する』というのは世に出る。という風にいまは使われているけれど、本来は世から出る。という仏教用語。まるで逆の意味です。

出家。インドでは歳をとると家を出て、山奥に隠棲するという風習があったとか。

そういえば、昔の大駱駝艦は皆んなで共同生活をしていた。出家ですね。

土方さんのところも「社会的な戸籍を捨てて、舞踏の戸籍に入る」という言い方をして共同生活をしていた。同じ釜の飯を食って同じ舞台を踏む。運命共同体。

『カラダがあればいいんだよ』というのは、兄弟子・村松卓矢の口癖でした。

夏の合宿で何か忘れ物がないか。と聞かれたら「カラダがあればいいんだよ」と答えてて。元々は師・麿赤兒の言葉です。カラダがあれば何とかなる。という一つの教え。

地位がなくても 名誉がなくても お金がなくても カラダがあればいいんだよ。。その境地にはまだ行けない。

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インドの聖者たち。
posted by Mukai Kumotaro at 11:14| 日記

2018年07月30日

タマビ

1995.11/3 多摩美学園祭
トンチンカンを肯定し、ムニャムニャを肯定する。

村松君に誘われて多摩美の学園祭に出演。村松卓矢、初演出振付。

村松君と事務所に麿さんに挨拶に行ったら怒られたのを覚えてる。何故怒られたのか?忘れてしまった。

振付も演出もあらゆること、ほとんどが麿さんの真似で。でも全然違ってて面白かったなあ。ここで村松君との迷作デュオ“剣道”が生まれた。村松君との長い相方的コンビが始まった。

ホウキとハタキで闘って最後は村松君にぶん回されて、股間のソーセージにケチャップをぶっかけて喰いちぎって終わり。若林淳が借りてきたウェディングドレスにケチャップが付いて大変だった。

スモーク代わりに消火器を客席に放射してお客さんが呼吸ができなくなったり、首まで土に埋まったゴキブリコンビナートのメンバーの周りをバイクで走り回ったり、素人が火吹きをやったりドラゴン花火を口にくわえて肺を火傷して死にそうになったり、危ないことをやってた。

終わってから白塗りを流しで洗ってたら、そこは染色科の神聖な場所で滅茶苦茶、怒られた。

この時、ゴキコンの皆んなが終わったら食べようと楽しみに用意してた、ビニール袋に入った焼肉の肉が行方不明に。結局、若が間違って持って帰ってきてて。

その頃若林が、カバンがわりにビニールを持って生活してたんだな。そのおかげでゴキコン主宰の斎藤さんが激怒して絶交気味になってしまった。

しかし、村松君らしい適当でいい加減で滅茶滅茶な感じで楽しかった。

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多摩美のラスト。火まで使ってやりたい放題。村松君の眉毛が黒いのは黒ガムか。
posted by Mukai Kumotaro at 08:47| 日記

2018年07月29日

高校野球

そろそろ夏の高校野球全国大会が始まりますね。100回目か。

子どもの頃は、高校野球を観ていると高校球児と自分を比べて申し訳ない気分になったものです。

汗をダラダラ流しながら頑張っている球児と、部屋でダラダラしながらテレビを観ている自分を比べて罪悪感を感じて。

運動神経抜群でダントツに足が早かったスーパーマンのような小学校の時の同級生が、中学から名門・報徳学園へ野球をやりに行ったがレギュラーにはなれなかった。

当時は、まだサッカーブームの前でスポーツといえば野球で。日本中のスーパーマンが野球をやっていた。その中からまた選抜されてプロになるのだからとんでもない世界。ほんの一握りの選ばれた人間。活躍できる時期も短いし。

小学校の時に中日ドラゴンズにいたという先生がいたけれどゴリラみたいだった。

わたくしが高校の時は、PL学園全盛期で清原・桑田が大活躍していた。「PL、PL、PL、PL」毎日ほんとうにうるさかった。校歌を覚えてしまっているぐらい。

そういえば、敗けた学校が校歌を歌うようにすればいいと永六輔さんがずっと提唱していた。

最後に優勝した高校が校歌を歌う。出場した学校の全ての校歌が歌われるのだ。学校のクラブ活動の延長で、勝つことだけが目的ではないのだから。とってもいいアイデアだと思います。

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野球は子どもの頃からやってたけど、あんまり上手くなかった。
posted by Mukai Kumotaro at 14:18| 日記

2018年07月28日

ハレ

被災地の方々には、申し訳ないですが台風がやってくると子どもの頃から心がどこかウキウキします。

気分が高揚してくる。非常事態だからかな。もの凄い風の音がして家がミシミシいって。命の危険を感じる。みたいな。

空襲警報発令!なんてのもどこかしらお祭り的な感じがあったのじゃないか。と想像したり。どこか“ハレ”な感じがして。でもそれが毎日だと慣れっこで“ケ”になって。

1945年8月6日も広島では空襲警報が鳴ったが誰も逃げなかったというし。しかし逃げ場なんてなかったのか。

風よ吹け 何もかも吹き飛ばせ こんな理不尽で嘘だらけで差別に満ち溢れたクソみたいな世界を吹き飛ばせ 革命だ 革命だ

毎日毎日、アウシュビッツの囚人みたいに満員電車に詰め込まれて。かたやベンツの後ろで偉そうに踏ん反り返っている奴がいる。

自己責任という言い方が流行っているようだけど、単に運が良かっただけだから。ただその家に産まれたというだけだから。よく皆んな我慢してると思う。自分自身も。

誰か革命を起こさないかな。そこまでの不満はないのか。

どうしようもない世の中で少しだけ“ハレ”な、お祭り気分になれる台風上陸。昔は台風が来ると、雨戸を閉めて板まで打ち付けたりして用心したものだけど今はそんなことしないな。

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しかし岡山、広島、中国地方の人たちは気が気ではない。
posted by Mukai Kumotaro at 17:02| 日記

2018年07月27日

本1

初めて読んだ本は何だったんだろう。覚えているのは小学校2年の時に読んだ『巌窟王』。復讐劇にワクワクと胸躍らせて一気に読み終えた。

そこから決して熱心ではない読書遍歴が始まった。小学、中学の時は少年少女文庫の江戸川乱歩やコナン・ドイル、ジュール・ベルヌ。しかしもっぱら小説よりも漫画。『トイレット博士』に『がきデカ』『マカロニほうれん荘』

高校からは、学校をサボって毎日の映画遍歴が始まって本をほとんど読まなくなった。

東京に出て来てからは、ちくま文庫の古典や名作を熱心に一通り読んで。何故だろうか。知識欲に目覚めたのか。

セツモードセミナーで先輩が絵のタイトルにしていて『裸のランチ』を知って。そこからウィリアム・バロウズにはまって。

ビートを知って、ギンズバーグも読むようになって、さかのぼってジュネも読んで。同じ同性愛者で犯罪者でもバロウズの方がDRYな感じが好みだった。そこから渋沢さんを知って舞踏へと入って行く。

らくだに入ってからは、知性が必要不可欠だと暇があると本を読んで濫読がはじまる。

村松卓矢というライバルの読書家がいたこともあるけれど、全ては作品づくりの為でもあるのだった。

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いま読んでいるのは、イギリス湖水地方の羊飼いのお話し。遠い異国の牧歌的な時代と現代の羊飼いの現実に思いを馳せる。
posted by Mukai Kumotaro at 10:51| 日記

2018年07月26日

草鞋

1995.10/12(thu)19:00
木さん宅でキムさんと話す。

次回、伊藤キム+輝く未来の新作に出るのかどうか?という話し合いだったと思う。確か大駱駝艦の活動と被っていてスケジュール的に掛け持ちが難しくなってきたんだな。

いま手元にある仮チラシに名前が入っているから、わたくしの知らないあいだに勝手に入れられた名前が、どこかで問題になったのかもしれない。

最終的にどちらを選ぶのか。という話しになった。大駱駝艦か伊藤キムか。そう簡単に割り切れることではない。二三時間、話したと思う。

しかし「最初に草鞋を脱いだのはらくだなので」とわたくしが結論を出して終わりになった。「そうか雲はらくだを選ぶんだ」そうキムさんが言ったのをよく覚えている。

狸穴君なんかは「結論を出すのではなくどちらとも、うまく付き合えばいいのに」とか言っていたけれど、自分が出した答えに一点の後悔もなかった。

キムさんはあれよあれよという間に売れっ子になって行くが、わたくしも大駱駝艦での一層の活躍を開始するのだった。

バニョレのドイツ公演まで出演するという話しになって。不思議だけどキムさんとはそのあと20年間近く、一度も会うことはなかった。

再び出会ったのは2012年9月、わたくしが大駱駝艦から独立してまことクラヴに客演した時の稽古場のトイレだった。

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伊藤キムさん 写真:木伸俊 キムさんは子供の頃に片目を失って。それがまた特別な感じを醸し出していた。
posted by Mukai Kumotaro at 22:17| 日記

2018年07月25日

Dead and alive

1995年9月15日
伊藤キムさん新作の本番が、岡啓輔氏にダサいと言われた東京芸術劇場で行われた。

ちなみに岡君は元々は建築家だけど和栗由紀夫さんの下で舞踏をやっていて、その当時は岡画郎というのを高円寺でやっていた。

拙さや未完成を良しとして、いい加減で適当を標榜する反主流・高円寺文化の発信者的な存在。

その頃、わたくしはまだ高円寺に住んでいたので岡画郎には勿論、ちょくちょく出入りしていたけれどもう一発馴染めないところがあって距離を取っていた。

言ってることとやってることは、良くわかるのだけどノリが違うというか。

それはさておき、キムさんの新作のタイトルは『生きたまま死んでいるヒトは 死んだまま生きているのか

本番いい出来で、成功裡に終わり。観た人からも絶賛されて、若手の登竜門・バニョレ振付フェスティバルのヨコハマでの国内選考会を経てフランスの本線へと日本代表で出場するのだった。

このあとキムさんを、スターにしようというまわりの動きも相まってどんどん転がって行って、あれよあれよという間に売れていくのだった。

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フランス本戦で。全裸で終始股間を隠して踊る。
posted by Mukai Kumotaro at 11:51| 日記

2018年07月24日

死んでいるのか

1995.8/27(sun)
15:00 キム稽古
恥ずかしがる。質問に恥ずかしい。自分が恥ずかしい。立ち尽くす彫刻。
「死んでいるのか。生きているのか」丸谷才一の著作より

8/28(mon) 
朝バイト 16:00〜お化け屋敷

8/29(tue)
朝バイト休む 17:00キム稽古
ゆっくりと登場。回る彫刻から混乱する肉体へ。

9/1(fri)
朝バイト 17:00〜キム
うごく彫刻から〜質問を聞く死体。

9/2(sat) 
溺れかかった自分を救ってくれた救急隊員の顔に唾を吐くチェリー・ノーズ・ギオ「てめえなんてクズだ。喰うために働きやがっって」

9/3(sun)
なんと退屈だろう 立ち止まり決着をつけるのは 磨かれずにさびつき 使われて光り輝かず

9/10(sun)
「キムはどこでやるの?東京芸術劇場?ダサいね。ダサそうじゃん」by 岡啓輔

9/13(wed) 無尽塾
「らくだの女に教わることなんてねえ」by 菊池七変化

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Shichihenge Kikuchi ⒸMiro Ito
posted by Mukai Kumotaro at 12:53| 日記

2018年07月23日

ご奉仕

ボランティア精神は大切だと思いますが、わたくしボランティアは一回しかしたことがありません。

お金と時間に余裕がないととても出来ないことです。

被災地ではもう自衛隊とか引き払って行政に委ねられたんだな。そうすると何もかもお金が必要になってきて。

人が動くと対価を払わなくてはならない。当たり前。そこで無償のご奉仕が求められてくる。しかしこれは行政の人間の善意への甘えだと思います。

お金が全てではないけれど、大切なもので。対価・ギャラを支払うのはその人の心意気であったりする。

相手のことをどう思っているのか。言葉とか計れないものではなくリスクをしっかりと負っている。その証でもある。こちらも、その計らいを意気に感じたり。

友達だからと安く踊ったりするのを師匠はとても怒りましたが、自分の芸というものを安売りするなという教えでした。

明日は我が身と言いますが、天災はいつ自分の身に降りかかるかわからない。

だから被災地だろうがそうではなかろうが、気にしつつ心配しつつも自分に与えられた場所で、一生懸命生きればいいのだといつも感じます。

自分のことで精一杯。それでいいのだとも思います。

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"Banksia Books" ふにゃけた表紙からは想像もつかない、大声で言ったら消されてしまう“おカネの本当の話”が書かれています。
posted by Mukai Kumotaro at 16:20| 日記

ビッグカンパニー2

1995年7月
サルヴァニラという同世代の才能たちと付き合うようになり舞台にも出るようになり。

そういう流行の最先端というような格好よさを馬鹿にする、村松卓矢のような存在も一方にいて。

ダンスマスター若林淳のように自分の踊りにしか興味がないという人もいて。

中野新橋の事務所に居候してて、新宿スペースゼロ公演のときは毎日新宿ゴールデン街から劇場入りして、ゴールデン街に戻って朝まで飲んでまた劇場に入ってというような生き方をしていた星野建一郎(この時は星野葉二と名乗っていた)がいて。

そしてわたくしと同期でやはり事務所に居候しながら、ゼロの時は麿さんの運転手を務めていた大友透(芸名、えぼし床蔵。麿さんの映画やテレビや舞台の現場にも運転手として付いて行って、面白い体験を沢山していて羨ましかった。)がいて。

もうひとり無類の遊び人で、独特の交友関係と世界を持っていた徳久欣がいて。

そのうえ女性のメンバーが8人もいて。いま現在もビッグカンパニーだけど、当時も20人近くのダンサーを抱えていた。主宰の麿さんの器と魅力だな。

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音楽家で哲学家、東顔回さんの伊豆の別荘にお邪魔して。書斎にて文豪風のポーズをとる村松卓矢。
posted by Mukai Kumotaro at 10:23| 日記

2018年07月22日

はじまった

鉄割、練習始まりました。初日はまだあまり台本が出来ていなくて「じゃあ、今日はもう終わりますか」とすぐになったりするのだけれど、昨日は結構台本が上がってて、鉄割にしてはいつもの練習より遅くまでやって。

戌井君の試したいことに限りがなくて。ノリにノッてるなあ。肖って人生の波に乗りたいところです。

昔は、台本を書いている途中に誰かに邪魔をされると、「パソコンでそいつの頭をかち割ってやろうかと思う」と言っていた。

本人からではなかったように思うけれど、いまは小説を書くためにネタを集めているのでそれを鉄割にも流用してて、だから最近は台本の上がりが早いのだと聞いたことがある。

今回は、伝説の創設メンバーで裸俳優・山内たかちゃんに加えて、デュ社の湯山大一郎、そしてデュ社の『ぴちがい裁判』にも出演してくれた怪優・野嵜好美さんも出ますよ。

田口トモロウさんの憧れ、アングラ界の重鎮俳優・飯田孝男さんが「鉄割はコントの羅列なんです」と評するように独特で唯一無二の暗転手法が今回も炸裂します。

乞うご期待!!

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右、野嵜好美 左、飯田孝男 『ぴちがい裁判』より photo by bozzo
posted by Mukai Kumotaro at 10:16| 日記

2018年07月21日

鉄割というのは明治から大正にかけて活躍した鉄割熊蔵という芸人の名前から取られていまして、熊蔵さんはアメリカにも呼ばれて行ったりしてます。

“てつわり”ではなくて”かねわり”で。その鉄割さんとアルバトロス、アホウドリです。

ビートルズにも影響を与えた、ブライアン・ウィルソンという天才ミュージシャンの曲でAlbatorosという大名曲がありまして、鉄割のテーマソングみたいな。ブライアンはビーチ・ボーイズというバンドのリーダーです。

今回のお題は“無”。。ちょっと違うか。今回の“題”は無し。“non title”。

ちょっと前に観たインドネシアのドキュメンタリー映画、『Act Killing』のラストのクレジット"anonymous"が羅列されてるの怖かった。名前がバレると政府に殺されるから、協力者の名前は「不明」無とはちょっと違うか。

それはさて置き。鉄割熊蔵とアホウドリとロケットで『鉄割アルバトロスケット』

今日から、千歳烏山のお稽古場所でお練習が始まります。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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鉄割の看板俳優・奥村勲。奥村君が初めて演技したのは小学生の時でバスの中で…その話しはまた今度。

posted by Mukai Kumotaro at 14:55| 日記

狸2

狸2です。

狸穴善五郎は、何番目かは忘れたがダンサー・笠井叡さんの息子さんと同級生で、稽古場で遊んでいてオイリュトミーの祭壇を壊したことがあるとか。でも怒られなかったと言ってた。

狂気は人間なら誰でも持っているのだけど、エキンという男の影響で発狂してからそれが度々出るようになって。

ものごとを深く考えて何かを企む性質があって、無尽塾も壺中天での公演もまみちゃんが言い出しっぺで。

常に大駱駝艦のことを考えていて愛が深いのだけどその分、まわりと噛み合わず空回りすることも多かったり。

或る日、麿さんから芸能プロダクション『キャメルアーツ』のマネージャーに任命されて。

そこから一方で大駱駝艦の舞台にも立つプレイングマネージャーになったのだが、違う世界に入ってひとり孤立して行ったのかもしれない。

最後の方は舞台に立たなくなってマネージャー業に専念していたので、その頃のことはわたくしも詳しく知らなかったりする。

宝石商になっていると噂を聞いたけれど、いまは何処の空の下にいるのだろう。

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狸穴善五郎の演出作品に出演。麿さんに「むかいは今回、男を上げたな」と初めて褒められた。
posted by Mukai Kumotaro at 08:04| 日記

2018年07月20日

舞台でもそうですが、謎が深まるとそれを解決して欲しくなってくる。いつまでも解決されないとストレスが溜まってきて、しまいには腹が立ってくる。

平田オリザさんはその謎を解決する時間が短いとわかりやすく説明的に、長くなってくるとわかりにくく前衛的になってくるのだ。と著書『演技と演出』の中で“観客の想像力の幅”という言い方で書いてらっしゃいます。

麿さんの演出は、この幅が結構ながくて作品の最初から最後までだったりするので観客の想像力を限りなく羽ばたかせてくれます。

言葉がないというのも大きな要素であると思います。言葉があると途端に意味が欲しくなってくる。

少し前に東京Electrock stairs主宰のKENTARO!!君が演劇とダンスを、2本続けてだいたい同じような内容でやっていたことがあった。

演劇だと言われると物語り・説明が欲しくなって許せないのに、ダンスだと銘打たれるとどんなに意味がわからなくても全く気にならなくて。面白い試みだった。

なぜ、姉妹なのに一人だけ関西弁なのだろう?キャメルアーツの現マネージャー渡邊達也のように学生時代、関西の大学に行っていて似非関西弁を喋るとかいうのならわかるけれど、流暢な関西弁だし。

何故だろう?…あっ朝ドラの話です。

一度引っかかると言葉がわざとらしく嘘くさく感じたりして。

また長くなってきているとの感想があったので、このへんでやめておこう。

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平田オリザさんの本は結構読んでます。
posted by Mukai Kumotaro at 17:33| 日記

2018年07月19日

生きているのか

1995年4月11日(tue)18:00〜
伊藤キムさんの新作のための稽古がはじまった。

案山子の上にガイコツ 風に吹かれて揺れている 笑うガイコツ 歩く 突然 台風がやってくる 飛ばされる

新鮮な気分で動く それだけじゃなくて それ以上のこと? あたまを柔らかくし 風の向くまま気の向くまま

テーマ“物”
◎いままで身につけてきた既成概念の範囲での物ではなくて、始めて出会う。名前はまだない。
◎遊ぶ。その物と遊ぶ。どんどんエスカレートして遊ぶ。
◎物に振り回される。発想の転換。風船をふくらませる。どんどんふくらんでも割れない。風船=割れやすいという図式を壊す。
◎面白い動きを見つけたら、何度も繰り返して踊りにしてしまう。
◎面白がること。どんなにつまらないと思えることでも面白くできる。創意と工夫とインスピレーション。
◎もしも失敗したら、それを繰り返して踊りにしてしまう。
◎こだわりは捨てる。恥をかくのを恐れない。阿呆になれ。偉大なる阿呆の王になるのだ。

ゲーテ『ファウスト』を読み終える。あっけない終わり。最後にファウストがメフィストの手を離れ、天使たちによって天へと導かれるのは、少し急ぎすぎのハッピーエンドに思えた。けれど偉大なる幻視。

4月12日(wed)13:00〜 イベント・ヤマトタケル稽古
鎖ひとつ振るのにも色々あるのだ。ダメ出しに次ぐダメだし。ドサっと切れる。中途半端はダメ。思い切り。続いてきたものがそこで切れる。面白がる。

4月13日(thu)10:45〜 ヤマトタケル稽古
疲れた。はじけない体と心。もっと愉しもう。

4月24日 ヤマトタケル終了

太宰治『人間失格』を読み終える。
「もはやわたくしは完全に人間ではなくなりました」
強烈な自己自虐に見えて、実は平気で人を傷つけ踏みつけにする利己主義で打算的な太宰自身をも含めた人間批判。

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OK!!
posted by Mukai Kumotaro at 14:30| 日記

2018年07月18日

狸1

狸穴善五郎。まみあなですね。渋谷のほうに狸穴町というのがあります。

命名は麿さん。本名は小林です。小林くんは、毛深くてのっそりとしてて狐ほどではないけれど人を化かすようなところがある。言い得て妙というか、流石は麿さんです。

麿さんに命名してもらった人は数知れズ。惜しくも亡くなられましたが、名優、根津甚八さん。根津さんは、麿さんの状況劇場の後輩。

フランス政府から勲章をもらった大駱駝艦の出世頭、天児牛大。おーすげえ。“あまがつうしお”と打ち込んだら自動で変換された。macにはデフォルトで入っているんだな。昔は“てんじぎゅうだい”と打ち込んだものです。

さて、狸穴善五郎ですが、“まみあな”なので『まみちゃん』と皆んな呼んでました。

わたくしは、まみちゃんには色々とお世話になったり命を助けてもらったりしてて。人前で平気で喋るようになったきっかけもまみちゃんに貰ったり。

毎回、なかなかの無茶振りではあるのだが、わたくしもそういうのは嫌いではないので「上等じゃねえか」と受けてたって。結果、自分のためになっている。いや、自分でしているのか。

その代りに、うだうだ言ってるのを爆発させてあげたり。これは大阪公演の打ち上げの時。

いつまでも煮え切らない狸を挑発しまくって最後は泣かして発散させて。次の日、昼まで泥酔して寝てて連れて帰るのが大変だった。

躁鬱的なところがあって一晩中喋り続けたりして、ツアーで同室になると寝かせてもらえなかったりもした。

一時期、ものすごい数のアクセサリーをつけていて。しかし金属アレルギーだと判明してつけられなくなって。

金槌で全く泳げないので伊豆の海に行ってもひとりで浜辺にいて。それがまた狸らしくて。狸だから泳げないなんてそのまんまだな。

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東映映画スターばりのアーティスト写真。男前だったんだな。
posted by Mukai Kumotaro at 14:36| 日記

2018年07月17日

ビッグカンパニー1

死ぬほど恥ずかしい経験をした、初めての大駱駝艦ワークショップに参加してから約1年が経とうとしていた。

1年経たないうちに本公演に、しかも二本立てという大変な公演に出て。やることも二倍なら、覚えることも二倍で。

事故で死にそうになったのは、そういうすべての無理が溢れたのだろう。

抜擢をうけてのヤックン主演舞台の出演も無事に終え、やれるんじゃないかという自身もだんだん出てきて。

この頃どういう関係だったか忘れたがソロをつくって踊って。それがまた楽しくて。踊りをつくるということにも目覚めて。

当時、大駱駝艦のトップダンサーだった及川英貴(のちに蹄ギガと改名)と菊池創(のちに菊池七変化と改名)が主宰する“サルヴァニラ”にも当然のように関係するようになって。

菊池くんは、らくだに出演しているけれどメンバーではなくて、キャリアは圧倒的に長いけれどチラシの名前はわたくしより下で。そのへんは大駱駝艦は厳格で。

身長が2メートル近くもあって才能の塊のような及川くんと、対照的にスレンダーでナイフのように切れ味鋭い菊池くんのコンビが生み出すその世界は、瑞々しく刺激的で世の中を挑発しながら先端を走ろうとする意志のようなものがあり、勢いがあって格好良かった。

そして鶴山さんがいなくなってナンバー2になっていた狸穴善五郎。次回この狸穴さんの話しをするか。

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もう少しあとかもしれないけれど、当時はカメラマン一本だった木伸俊氏のシリーズ『舞踏の彼方へ』より。左上から反時計回りで今も活躍中の大橋可也さん、及川英貴、菊池七変化、若林淳、向雲太郎
posted by Mukai Kumotaro at 16:38| 日記

2018年07月16日

1995年3月8日

この世のすべての人間の不幸を一身に背負いこんだ様な孤高の立ち姿。

「失敗するかもしれない」この考えを今すぐ捨てることです。

大きな夢を描くこと。その夢に対して情熱を燃やすこと。必ず目標を達成してみせるという信念を培うこと。

いいことを思えば、いいことが起こります。

・心にはっきりと描く
・資料を読み研究する
・潜在意識に働きかける 一回一分 朝晩二回
・数分間、精神を集中して潜在意識にいいきかせる
・寝る直前にも
・明確な時間経過を持つ 半年!!

潜在意識と自己実現
プラス思考 前向きに 失敗は成功の母
中断するな 一気に行け!集中力 何からやるか?
信じれば不可能も可能となるのだ。

うごきの切れ=からだを自由自在に使いこなす
無駄のない動き=筋力+柔軟なからだ

まず、そのシステムから疑ってかかる。舞台、照明、振付、衣裳、音楽。だがそれは決してアンチであってはならないし、移行であってもならない。

なぜいまだにマイナーなのか。今あるものを守るだけじゃあ、前へ先へは進めない。壊すこと破壊することから始まる。

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そうそう。能書きとか、自己啓発もええけど具体的なアイデアを大切にな。28歳の俺。
posted by Mukai Kumotaro at 15:40| 日記

2018年07月15日

New盆踊り

昨日と今日、田無の盆踊り。盆踊りってのは音楽がもうひとつなんだな。型にとらわれずにやれればいいのに。なかなか難しいか。もっと若い人が主催してやればいいんだな。

田舎の方が逆に新しいことをする芽はあるのかもしれない。どうなんだろう。死者を弔う。そんな気持ちがあれば何でもいいのではないか。

近藤良平君が毎年、池袋の広場でやってるな。ニュー盆踊り。何がニュー何だろう?

一時期、踊ることとは即ち祈ること。と気付いてそればかり言っていた。ちと恥ずかしい。そんな当たり前のことではなくて、もっと自由に遊べばいいんだよ。

絵を描く。歌を唄う。サッカーをする。デザインをする。踊りを踊る。みんな遊び。人間の“生”を豊かにしてくれるこの遊びという大切なこと。

人類が遊びを発明したのは2万年以上前で、ヨーロッパの洞窟の中ではじまったとジョルジュ・バタイユは、その書『ラスコーの壁画』のなかで書いている。

何万年も前に洞窟の中でやっていたのは、火を焚きながら音楽を演奏し歌を唄い絵を描きながら踊る。というものだったんだと!いま形として残っているのが絵だけなんだな。

この何万年も前の犠式を現代に蘇らせるというのが、わたくしたち舞踏家が舞台上でやっていることです。

壁画をよーく見ると可笑しいんだよな。鳥の頭のかたちの杖を手に勃起したまま倒れている男とか。どういう状態なのか?

打ち殺した動物の魂を弔うというのが、この犠式のメインの目的なのだろうけれど何なんだろう?麿さんもよく作品のモチーフとしてつかっている。

ルーツというかそういう根源的なところを見つめるというのも舞踏の得意技。自分の背景や背後に景色を立ちあらわす。舞台を勝手に自分の周りにつくり上げる技術。自分の周りの空間をごっそりとうごかす。

“圏”といいます。auraですね。どこまで気で支配するのか。例えば劇場の空間で、舞台と客席。それも押し引きで恋愛と同じ。舞台側が押せば客は引いてしまうし、舞台上が引けば引くほど相手は惹きつけられる。

室伏さんの口癖でもあり能はもちろん、太田省吾さんもこの法則にしたがっている。

とか、あんまり関係ないグループ『鉄割アルバトロスケット』の練習がもうすぐ始まります。

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posted by Mukai Kumotaro at 12:59| 日記

2018年07月14日

1995年雨月大阪公演以降

『雨月』大阪公演では維新派のメンバーがこぞって舞台の仕込みを手伝ってくれて大助かり。

維新派は、更地に巨大なセットを泊まり込みで一ヶ月以上かけて自分たちの手で立ち上げ、終演後にまたセットを完全にバラして更地に戻すという職能集団で。

主宰の松本雄吉さんが一昨年に亡くなられ惜しまれながら解散してしまいました。

野外劇の先駆者で西の維新派、東の大駱駝艦と並び称されていました。

ツアー中は、吹田駅前の常行圓滿寺というお寺に泊めていただき、打ち上げの後にお寺で維新派のメンバーと朝まで飲むのも楽しかった。

7月28日〜8月19日
元シブがき隊の薬丸裕英さん主演の戦後50周年記念作品『ビルマの竪琴』に大駱駝艦ダンスマスター若林淳とともに派遣されるという抜擢をうけて。

沖縄、大阪、京都、名古屋をまわって東京公演とこれはもう張り切って色々と勉強をさせてもらいました。

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ビルマの竪琴パンフ出演者紹介文。

ビルマの竪琴のツアーを終えて夏合宿、冬、伊藤キム新作公演。そして1996年大駱駝艦天賦典式新作。

と、さあ。この“舞踏”という魔法のような表現方法の、完全にとりこになった向雲太郎はノリに乗ってズンズンと突き進んでいくのであった。

この頃、スターになると公言して止まなかったわたくし。若気の至りです。

しかし蜷川幸雄さん、ビートたけしさんや鶴瓶さんの若い頃の話しを聞くとやっぱり売り出そうと躍起になって、がむしゃらになりふり構わずに突き進んでいて。

そういう若気の至りが推進力になって、活躍への足掛かりになるのも本当のところだと思います。

しかし1997年に中野テルプシコールでソロ公演を目論んだりするわたくしですが、実現するのは大駱駝艦から独立した2012年。15年後か。なかなか思うようにならないのも事実。

人生、一歩進んで二歩下がる。みたいな感じだな。
posted by Mukai Kumotaro at 12:35| 日記