2018年07月13日

1995年雨月以降

2月28日『雨月』千秋楽
初日に鎖から落下するというアクシデントを経験したわたくしでしたが、悪夢のエンディングも終わり『雨月』千秋楽のフィナーレも終わり。打ち上げはあったのかな。覚えていない。

これで終わったんじゃない。これが始まりなんだという意気込みだったので覚えていないのか。

そういえば思い出したけれど、この新宿ゼロ公演の時に終演後に劇場の外にいたら「新宿駅はどっちかね?」とお爺さんに尋ねられて。「あっちです」と答えて顔を見たら大野一雄さんだった。

大野さんは「ありがとう」と礼を言うとスタスタと軽快に歩いて行った。あの歴史的舞踏家・大野一雄と対話した。ちょっと自慢。

3月31日〜4月2日@中野テルプシコール
伊藤キム+輝く未来『蝿の王』
キムさんが新グループを旗揚げ。その名も輝く未来。“現代にふさわしい、新しい「舞踏」の模索のため結成するダンスカンパニーです。”〜公演チラシより

ワークショップには相変わらず通っていたけれど参加はしなかった。何故かは詳しくは忘れてしまったが、影響力の強いキムさんと距離を取ろうとしていたのは確か。けれど公演の手伝いは毎日やっていた。舞台の仕込みも手伝って。

4月21日22日『雨月』大阪公演。@吹田メイシアター
雨月のサブタイトルが“昇天する地獄” 阪神淡路大震災の直後だったのでそれはまずいのでは。ということになったように思うけれどそのままおこなった。

いま思うとなにがまずいのかわからない。地獄が昇天するのだからいいのでは。

この大阪公演、現代美術家の森村泰昌さんが特別出演。空中ブランコに森村さんそっくりの人形が乗るという演出があって。そのそっくりの人形の制作を村松卓矢とわたくしが任命されて。

最初マネキンを森村さんにつくり変えるという作戦だったけれどマネキンが見つからず。わたくしが森村さんと背格好が同じだと言うことで急遽石膏で型を取って人形をつくるということになり。板橋の稽古場で型取りした。

村松君は一応美大出身だということで石膏型取りは経験があるとか言っていたけど全身の石膏どりは難航を極め、特に下半身の型取りは全ての毛が石膏に練り込まれて固まってしまうというとんでもない事態になり。

長い毛はハサミで切ってどうにか難を逃れたが、太ももやスネ毛ほか短い毛が如何ともし難く。気合いもろとも引きちぎるという荒技で。

ものすごく痛かったのを覚えている。恥ずかしい姿勢でうごけずに悲鳴をあげるわたくしを尻目に村松君が爆笑していたなあ。とっても笑えた。いまとなってはいい思い出か。

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この頃、大駱駝艦のチラシのデザインをやり始めた。記念すべき第一作。無尽塾第1期生募集チラシ。イラスト:村松卓矢
posted by Mukai Kumotaro at 18:02| 日記

2018年07月12日

ターン

東京に戻って来ました。人が多いですね。多すぎる。人の少ない淡路島にいたので余計に多く感じます。

だいぶん前に電車の中で「人が多すぎるんだよー!」と叫んでる方が居らっしゃいましたがまあ気持ちはわからないでもない。

東京一極集中がすぎる。けれど小池さんも東京自民党も人は多いほど税金が入ってくるからこれでいいのだろうな。不動産屋さんもウホウホ。西東京市も巨大マンション建設ラッシュ。三菱地所に三井不動産etc...

東京の人口の1パーセントでも淡路島に行けばなあ。と思う。東京で波に乗れている人はそれでいいと思うのですが、そうではない人、しんどいなあ。とかたいへんだなあ。とか都会の波に乗れていない人は地方に行くと人生が変わりますよ。Iターン結構、Uターン上等。

場所によっては閉鎖的なところもあると思うが、淡路島なら大歓迎されます。

気候温暖で穏やかで美しい海があって人も大らかで。土地は安くて沢山空いています。とか言ってわたくしもそれに気付いたのは50歳過ぎてからだもんな。

自分も含めて都会に憧れる。みたいなのって何なんだろう。都会の魔力か。盛り上がっている感じがして、華やかでお洒落でチャンスが沢山あるみたいな。

しかし実際はそんなことなくて、上を見ればきりがなくて隣の芝生は青く見え、欲望は果てしがなくていつまでたっても満たされない。

人は多ければ多いほど競争が激しいのは当たり前で。都会はチャンスは多いかもしれないがリスクも多い。それより何より都会ってのは環境的に、人が生きていくのには適していないのだと思う。スピードも速すぎるのだ。

まあ、そんなこと若いと関係ないか(笑)

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夕暮れの瀬戸内海。遠くに四国が見える。はやく帰りたいなあ。
posted by Mukai Kumotaro at 18:55| 日記

2018年07月11日

普遍的存在

昨日は大阪万博公園へ。太陽の塔の内部が再生されたとかで48年ぶりに拝見に。

万博が開催された1970年といえばわたくしは3歳ですが、真っ黒いアフリカのお面が沢山飾ってあったのをはっきりと覚えています。

当時の大阪万博のテーマが "人類の進歩と調和" それをテーマ館のプロデューサー岡本太郎はテーマが大嫌いと公言。全面否定するんだって。

「どだい進歩と調和なんていう甘っちょろいテーマからして気にいらない。進歩とは人間疎外を深化させることだし、調和とは他人の足を引っ張って無力化することを体裁よくいいくるめた言葉」だって。

わかります。未来に対する根源、進化に対する退化ともいうべき考え方。好きです。

明に対する暗、正に対する邪、という真逆の引っ張り合いをよしとする精神は、いまのわたくしにも引き継がれています。ひょっとすると50年近く前の体験が影響をしていたりして。

立候補しているのは2022年か。次回、万博がもし開催されたら秋元康とか隈研吾なんていう政治的な人を選ぶのではなくて岡本太郎みたいな、とんでもない人に任せたら面白いのになあ。いまそんな人は日本にいないか。いや麿さんがいるな。

自分も含めて個の規格というかスケールが小さくなっているのだろうなあ。もっとはみでてはずれてはぐれてもいいのに。

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なんともいえない素敵な造形。両腕の中の構造が圧巻でした。

万博公園にどっしりと屹立する太陽の塔の姿はとにかく格好いい。ただ一つだけ残った普遍的な存在。

しかしかっこいいのだけれど色んな説明を聞いてしまうと、その当時他のパビリオンの中にあってこそのアンチテーゼで、存在価値があった気がして少し寂しくもの足りない感じもしたのだった。
posted by Mukai Kumotaro at 15:01| 日記

2018年07月10日

これから

淡路島を離れました。さらば瀬戸内の海よ。また会おう!

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一転快晴の中を一路、神戸三ノ宮へ。途中土砂崩れにて通行止め。二箇所迂回。

鉄割の練習のため東京に戻ります。

2018年8月9日から12日まで、鉄割アルバトロスケット・スズナリ公演よろしくお願いします。『無題』だそうです。ちからがヌケる。

今回はデュ社の湯山大一郎も初参加。湯山にとって良くも悪くもめちゃめちゃ勉強になると思います。ちょいと偉そうで上から目線ですが、わたくし1999年からやってますんで。

鉄割は、親知らズと渋さ知らズが舞台の常識を蹴っ飛ばすようないい塩梅で。

演出とかプロデュースとか舞監とかはぜんぶ自分の踊りを踊ればいいんだよの心で。しかし皆んながそれをわかっているわけではないところがらしくて。

その公演に関わることすべての適当でいい加減さが、舞台に集約されていて。しかし狙ってやっているのではないところが奥深い。ここもまた絶妙の塩梅で。

役者は手練れが揃っているので、舞台上では0.1秒の遊びをやっていたりします。鉄割をやるといつも「“間”なんだよなあ。すべては」と実感します。

終わって8月25日(土)京都、吉田町夜市にて踊ります。訪米よろしく。

どういう内容になるかはこれからです。キャストをもう一人探して、構成を決めて音を編集して振付をつくったりアンプを直したり、いろんな準備は鉄割と平行。

荷物も東京から京都へと送らねば。それだけの労力の見返りがあるかどうかは投げ銭次第。努力して頑張ります。

10月24日から11月12日までメキシコへ。『ふたつの太陽』再演です。いろんな問題が山積みで、結構な変更になるけれど如何相成りますか。適当でいい加減に行こう。ラテンだもんな。

今回は萬時を連れていけないので、わたくしが木谷真一役をやります。川口隆夫さんと湯山大一郎と音楽の井上祐二とで行って参ります。珍道中に乞うご期待。

そして、2019年3月25日から31日まで森下スタジオにて『舞踏?』ワークショップです。一年ぶり。楽しみ!
posted by Mukai Kumotaro at 10:48| 日記

2018年07月09日

淡路舞踏

今回、来年の五色町夏祭りで踊らせて頂くため、十川英二さんと一緒に洲本市の観光課へ行く予定でしたが、長く続いたキロクアメとかの異常事態などで次回に延期。

山を越えていくので、スリップして谷底に転落なんて洒落にならないですから。

8月末に淡路に帰ってくるのでその時に出直します。一年後のイベントのことなのでそれで大丈夫でしょう。

五色町の夏祭りは灯台から打ち上げられる盛大な花火を、真下の津志海水浴場から観ることのできる迫力ある花火大会が目玉で、結構大きなお祭りです。

四国や神戸からも車で人が集まって来たり、お盆で人出もすごく多いです。

なにをやっているのか。いったい何者なのか。じっさいに観てもらうのがいちばん。我々のいちばんわかりやすい名刺がわり。口でいくら説明したところでなかなかわかってもらえない。

一度じっさいに観てもらう。すべてはそのあと。そこから始まると言っても過言ではないと思います。まずは知ってもらい、だんだんと定着して根付いていく。

そうして、淡路島から関西に日本に世界に。と舞踏を発信していこうという意気込みです。

来年、五色町津志で世界中から参加者を募って合宿をやって踊りをつくって、五色町の夏祭りでおどって。そのまま京都の夏祭りでもおどって。

公共施設ウェルネスパーク五色で地元の人たちを対象に舞踏体験ワークショップをこつこつやって。

ここからまたいちからはじめるのだ。『淡路舞踏』を立ち上げるのだ。タネをまき水をやりじっくりとしっかりと時間をかけて育てていくのだ。

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お隣の住吉堂本舗さん。とっても美味しい嘉兵衛餅という銘菓をつくられています。五色町へお越しの際は、お土産にどうぞ。
posted by Mukai Kumotaro at 08:52| 日記

2018年07月08日

1995年

2月28日 大駱駝艦天賦典式『雨月』

初日にエンディングで鎖から落ちる。高さは2メートルはあったのか。

めくるめく走馬灯。暗転中に駒ちゃんが助けてくれる。thanks!

それ以降、あまり動けず苦痛の日々が続く。。

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そういえば、この頃パンツで生活してた。新宿にもパンツ一丁で行ったりしてた。

新宿スペースゼロでの二本立ての2本目『雨月』その雨月のラストシーン。

全員で高下駄という30センチぐらいある下駄をはいて練り歩いた後、2メートルぐらいの高さに張ってある鎖によじ登り足でぶら下がって。というラストの一番盛り上がるところ。

稽古では、エアーでやるんですね。「はい、鎖にぶら下がっています。暗転!」とか言って暗転の中、整列してフィナーレ。ゲネでも一応やったけれど、ほぼぶっつけ本番。

暗転になるまでぶら下がり続けるという演出で。ところが本番ではなかなか暗転にならない。何故ならセンターで主役の麿さんがお芝居しているから。ゲネでは麿さんは踊らなかったから短かったのだ。。

膝の裏でぶら下がっているのだけど、痛くて痛くてどんどんずり下がってきて。

暗転ギリギリまで耐えたけれど落下。下に脱ぎ捨ててあった高下駄に激突したりして。腰を強打して。

それ以来、腰痛に悩まされるようになった。あとで聞いたら皆んな手で持ってたらしくて。それは反則だろう。と思った。

思ったけれど、自分の身は自分で守ります。という現場の鉄則をまだ知らなかった。馬鹿正直に手で持ってはいけないと決めつけて怪我をしてしまった。

いまだったら、適当にお芝居をして誤魔化しながら、手で持つというのも踊りにしてしまえるのだが。

舞台というのは、怪我や事故とは背中合わせの危ないことをいつもやっています。だからこそ保険に入ったり刃を落としたり、入念に有事に備えるということが必要になってくる。

しかしまだこの頃はそんなことも知らズ。

結構長く後遺症に悩まされることになったのだった。
posted by Mukai Kumotaro at 09:36| 日記

2018年07月07日

キロク

キロクアメというらしいです。歴史的記録的豪雨。世界中で異常気象が続いて。しかし異常がずーっと続くとそれはもう正常だな。

淡路島も、ものすごい雨と風でおそろしい。けれど外で神様たちが大騒ぎしてお祭りして遊んでいると考えるとちょっと興味深い。

アメリカでは台風に名前をつける。女性名詞をつけるのは何故だろう。スペイン・フランスでは海は女性名詞ですね。

「今夜、未明。室戸岬の海上から超大型の女神が本土へと上陸した模様です」なんて言われるとどんな凄い奴なんだろうと想像がふくらむ。

そういえば、地球の地軸が斜めになってきているらしいですね。何年後かわかりませんが、日本はブラジルの位置に行き、ブラジルが日本の位置に来るらしい。

南米化する日本。面白そう。皆んな真っ黒に日焼けしてサンバが流行って陽気な性格になって。サッカーも強くなったりして。

逆にブラジル人が肌が黄色くなって、四季を楽しんでワビサビとか言い出して。

恐竜が絶滅したのも気象が変化して寒くなったからと言われてますが、人類が絶滅するのもそんな理由なんでしょうね。

宇宙ができた時に人類はいなくて、宇宙がなくなる時も人類はいないのだろう。そんな大したことのない存在。それが人類。

鈴木大拙先生が「その昔、宇宙はひとりで孤独だった。対象になる存在が欲しくて人類を創った。宇宙を神と呼ぶのが西洋の宗教」と仰っていましたが宇宙にとって存在する役目を終えた時、人類は滅ぶのかもしれない。

一瞬で簡単に人の命を奪っていくこの大自然というもの。やはり畏怖して崇め奉るべき存在なのでしょう。

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ここ淡路島洲本市五色町津志も、何年か前に川が氾濫して水浸しになったとか。
posted by Mukai Kumotaro at 11:37| 日記

2018年07月06日

死について

舞踏は、死を嫌いません。どちらかというと好みます。初期の頃は暗黒舞踏派と名乗っていました。暗黒=死ですね。

暗闇でアンコを喰う舞踏だとか土方巽特有の韜晦で。ならばこっちはと『舞踏?』という作品で暗闇でマンゴを喰いました。萬國舞踏派というのも15年ぐらい前に立ち上げようとしてました。

それはさておき。わたくし自身は、死なんておそれることではないのではないかと睨んでいます。まあ本当のところは誰にもわからなのだし。だっていま生きている人は、誰も死んだことがないのだから。当たり前ですが。

死後の世界とか生まれ変わりとか色々言われているけれど、実際のところ確実ではないわけでいまいち信用ができないし説得力に欠ける。

目に見えない世界は信じています。信じているしどちらかというと好きです。信じているだけに宗教的というか説教臭が漂ってくると嫌になる。

この世にわからないことのひとつやふたつあったって罰は当たるまい。

死んだらどうなるかわからない。その末期「あー、はいはい」か「うわー!そうきた!!」か「えー!?まじでー」か。はたまた「…」か。大いに楽しみではないか。

近代知の巨匠・埴谷雄高が人類にできる最も意識的な行為が「自殺と子供をつくらないこと」と断言していますが、死は恐れないわたくしではありますがどちらも出来ません。

“死”という人類にとっての永遠の謎。死を考えることは“生”を見つめることでもあります。闇があるからこそ一筋の光にも感動できるのだ。

だからこそ土方巽は光よりも闇、この社会が忌み嫌う死・暗黒のほうを大切にしたのだと思う。

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澁澤龍彦はその著書『マルジナリア』で死刑の問題は、恐怖と苦痛にあると看破していた。
そういえば、死刑囚の俳句集を読んだことがあるけれど、壮絶だったなあ。
布団たたみ 雑巾しぼり 別れとす

posted by Mukai Kumotaro at 17:19| 日記

2018年07月05日

ハンデ

ここ数年、特別支援学校や福祉施設でワークショップをやったり、デフ・パペットシアター・ひとみで振付をしたりと多様な人々と知り合いになったり、自分自身でも勉強したりしていると色々な社会の思い込みというか常識や根深い差別を思い知ります。

それもあって最近、いわゆる『障害』という言葉のことを考えます。

差し障りがあって害がある。何に対して差し障りがあるというのか?何に対しての害なのか?何をもって正常とするのか?

わたくし自身も眼が非常に悪いので、以前から疑って考えていました。悪い?何と比べて悪いのか?

視力を矯正すると言います。正常な状態に合わせることです。

正常?自分が見ている世界が正常だなんて自信をもって言える人などいるのだろうか。そもそも他人が見ている世界がどんなものなのかなんて誰にもわからない。

色盲の人もいれば色弱の人もいる。乱視に近視に斜視に片目の人もいて全盲の人もいる。それが世界でしょう。

私は他の人と同じように眼が見えているから正常です。数が多いものこそが正しい。という論理。そこに異を唱えなければ舞踏の存在価値などないとも思います。

眼が見えようが見えまいが耳が聞こえようが聞こえまいが、それが自分自身に与えられた世界だとしたら、その世界を受け容れて愛して信じて生きていくのをお勧めします。

誰かの価値観や社会が良いという世界に合わせる必要など全くないのです。

閑話休題。

障害者福祉は金になるから。とひどいことを言う奴もいますが、確かにオリンピック景気のいま。

経済や利益追及の祭典で現実を無視しまくっている“オリンピック”は下らないが、この機会を利用できるだけ利用しまくって。

パラリンピックのほうの勢いも借りて、色々と日本の福祉の底を上げて、常識を変えていければ、莫大な税金をかけてでも他のことをさて置いてでもオリンピックとやらをやる甲斐があるのかもしれない。

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横尾忠則さんが“ハンデ”という言い方をしていたけれど流石だなと思った。@光の丘 撮影:金子愛帆
posted by Mukai Kumotaro at 11:10| 日記

2018年07月04日

才能

『海印の馬』新宿スペースゼロ公演、あっという間に終わり。

中打ち上げで、舞台監督の増本さんに「お前才能ないんちゃうか」と言われて。売られた喧嘩は買いますよ。と結構深い夜になったような。増やん、新人には必ずそれを言うみたいで。潰そうとかいう気はなくて挑発してるのだろうな。まんまとはまって絶対にやめない。と心に誓った夜。

増やんのひと言ではびくともしないけれど、麿さんに「お前は才能ない。やめろ」といつ言われるか恐れてた。覚悟もしてた。はじめたのが遅いというのもあったけど、自信がなかったんだな。

才能とはなんだろう。努力では追いつけないもの。目に見えないけれど確かに存在するもの。

100メートルを9秒で走るとか、球を早く投げるとか遠くへ打つとかわかりやすい才能もあるけれど、芸術点とか入ってきたらわかりにくくなる。

むかし飛行機の中で観た映画で、ジュリアード学院に一族郎党から高い学費を出してもらって期待を背負って入り、皆んなの目指すソリストにもなって、その後フィラデルフィア管弦楽団に入り。

順風満帆で音楽家の道を進んでいた男の人が、ある夜「わたしはソリストにはなれないのだ」と気づいたという話しをやっていて。

誰かに才能がないと言ってもらえたらいっそ楽なのだろうけれど、自分で気づくと言うのが残酷なのだけど将来的には成長への大切なプロセスなのかもしれない。

誰でも才能を持っているのですよ。この世に生まれたというだけで大いなる才能なのですよ。というのがわたくしの伝道していることですが、まだまだ世間の人にはその素晴らしさと真髄を理解してもらえていない。

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これでいいのだ。photo by Aiho Kaneko
posted by Mukai Kumotaro at 11:26| 日記

2018年07月03日

ふたつの太陽

『ふたつの太陽』再演の準備に入っています。メキシコ・パツクアロと淡路島・五色町でインターネットを介したやりとりをしてツアーの準備が進んでいます。

ふたつの太陽はわたくしの祖父、木谷真一が1945年8月6日、広島にて被爆死したことを取り上げた作品で、8月6日の8時15分にとどまり彷徨い続ける木谷真一を軸に展開していく舞台です。

今回はメキシコとの共同制作ということで現地のダンサーを起用するという条件で、メキシコの劇場での公演が実現しています。初演のメンバーを全員連れていければいいのですが、今回はそれができぬ。皆んな、すまぬ。

内容的にもだいぶん手直しをしようと、日々イメージを飛翔させております。再演というのは初演で腑に落ちなかったところ、力及ばず曖昧になってしまったところなどを直すことができるのでいい機会です。

再演によって作品が成長していく。こんにゃく座やひとみ座のように日本全国にネットワークを持っていて、一年中ツアーでレパートリーを回していく。そんな日を目指して頑張ろう。

ツアーを重ねて色んなところでやることによって、どんどんと作品が強度を増して育っていく。そのためにはなるべくコンパクトな作品の方が有利なのですが。

ふたつの太陽は美術や道具など結構なボリュームがあるのでたいへんです。

しかし日本国内では、最近お呼びがかからないけれど、こうして呼んでくれるところが世界の中にひとつでもあるのは、本当にありがたいことです。

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『ふたつの太陽』初演のメンバーでメキシコへ行くのはわたくしと川口隆夫さんだけです。photo by bozzo
posted by Mukai Kumotaro at 18:41| 日記

2018年07月02日

初舞台

1995年2月17日金曜日 19:00〜
オープニング 音響・大阿久さんの音があまりに大きすぎて合図が全く聞こえずボロボロ。だった。

楽屋に戻ってきて先輩・楠田健史さんの怒りが爆発。「オメエら何の為に稽古してたんだ!稽古してたんだろ!!」ドアをズンズン叩いて吠える。しかしいちばん間違えてたのはこの楠田さんだったのだが。

ちなみに楠田さんは舞踏派ZEROというグループを奥様の筆宝ふみえさんと主宰をされていまして、先ごろ舞踊批評家協会新人賞を受賞されました。おめでとうございます。

そして前出の現在は退かれていますが、長く大駱駝艦の音響を担当していた大阿久和夫さん。

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ニューヨークタイムズに大阿久の音は象に聞かせるのか。と書かれたとか、次に音響を担当していた関克郎さんには「難聴の大阿久」とか様々なことを言われていましたが、まあ音がデカかったのです。メインのフェーダーを上げきったら、足でアンプのボリュームを上げていくらしいです。

音響:大阿久の時に、劇場でスピーカーの前に座っています。時間になり照明が消えて行ってだんだん暗くなって。暗転になりました。ト、スピーカーから「サーーーーー」というノイズが聞こえてくるのがもの凄く怖いんですね。そのあとの客を全員吹っ飛ばすほどの爆音が予想されます。

そんな大阿久さんですが、もう音響から退かれた後にパブリックシアターでの『海印の馬』稽古の時にふらりとあらわれて。

男性の群舞“安産祈願”のシーンでフェーダーを握ってくれて。それまでのダンサーが音を出していた時と全く違ってびっくり仰天したことがあったなあ。目に見えて踊りも良くなって。

音響ひとつで、こんなにも変わるものなのだ。と感動。大阿久さんお元気かしら。

そうそう初舞台。覚えているのは、オープニングのこと。安産祈願のこと。あとは、とにかく舞台が広く感じたことかな。
posted by Mukai Kumotaro at 16:10| 日記

2018年07月01日

海印の馬

1995年2月17日
大駱駝艦天賦典式『海印の馬』新宿スペースゼロ公演開始。

海印の馬というのはその昔、豊玉陸橋そばにあった大駱駝艦の本拠地、豊玉伽藍という真っ赤な5階建てのビルのなかの劇場で行われた作品で。

12ヶ月間で12公演やるという、とんでもないシリーズ企画のオムニバスでして名シーンだけを集めて再構成して一本の作品にしたという怪物で。

オープニングからエンディングまで一分の隙もないコンセプトアルバムのような作品でして。

「“うみじるし”というのはなかなかないからなあ」と大鯨艦・艦長の宮内さんが言っていたけれど、わたくしは“海馬”と関係しているのだと睨んでいて、人類の壮大なる共時的記憶のものがたりなのだと思っています。

一年中、24時間つかえる劇場があるというのはとんでもないことです。ただそれだけに地点の三浦君も言っていたけれど、幾らでも稽古ができるという言い訳ができない状況でもあるのでたいへんなことでもあります。

やることがないから稽古をする。そして踊りが生まれる。

当時、妊娠中だった大先輩・古川あんずさんのために安産祈願という群舞を男共が稽古場兼劇場にて夜な夜な酒を飲みつつ創ったとか。

そんな由緒ある名作が初舞台という幸福なわたくしです。

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その頃やっていた、お化け屋敷のチケット。
posted by Mukai Kumotaro at 16:46| 日記

2018年06月30日

1995年

2月12日 『海印の馬』通し稽古@板橋稽古場
安産祈願稽古 ノリに乗って入り込んでガンガン行こう。見せる形の追求も忘れずに。村松を喰うためには?考えろ。下手でもいい、気持ちだけで持っていくのだ。

2月13日 稽古ダメ出し 稽古終了後、チケット確認のTel, etc..etc...

2月14日 朝から積み込み 舞台監督・増やんこと増本知尋、怒鳴る力一杯に

2月15日 仕込み
いよいよ小屋入り、新宿ゼロに入る。仕込み開始。再び増やん、力一杯怒鳴る。活気づけなのか?緊張感をつくるためなのか?お祭り気分を盛り上げているのか。

安産祈願の軽い場当たり 遥か彼方の地平線に村松が…sud...あんなに遠いのでは喰うとかどうこうとか無理だな。

予想もしなかったことが起こり、大駱駝艦の本公演に出演するのだ。出られるだけで。が欲を出し、いつの間にか場位置に不満を持っている。いまの俺には何の力もないのです。いまいる俺は、自分の力でこの場所に立っているわけではないのです。初心忘るべからず。他力本願のオレ、違うだろう。

2月16日 照明シュート ゲネ スポットライトと 音楽と 気持ちがいいのだ
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いよいよ劇場入り。頑張ろう。


posted by Mukai Kumotaro at 07:35| 日記

2018年06月29日

十川英二さん

昨日は、用事があり十川英二さんと洲本までドライブ。道中にさまざまな話しを聞くのが、淡路島のいろいろについての勉強の時間でもある。

英二さんは、木谷家の次女・照子さんの旦那さんの弟でわたくしにとっては親戚です。今回、来年の合宿に向けていろいろと動いてもらっています。五色町で何かやるならば英二さんに相談すれば大丈夫というぐらいに力強い味方です。

いまは引退されていますが五色町の役場で定年まで務めあげて、最後は教育長を長く務められていた。御年83歳?!ですが、まだまだ現役で階段は、一段飛ばしで駆け上がるのでついていくのが精一杯。無類のせっかちで車の運転はスピードがすごいので隣に乗っているとヒヤヒヤする。

淡路島は完全な車社会なので、いま問題になっている高齢者が運転免許を返すとかなかなか難しいらしいです。しかし実は、遠い洲本市まで車でわざわざ行かなくても、なんでもインターネットで注文できる。野菜からパソコン機器までネットで注文できる時代だもんなあ。

五色町は過疎化が進んでいて、小学生が80人弱しかいないそうです。お年寄りの一人暮らしも多い様子。しかしこの問題は東京でも同じか。

空気は美味いし水は美味いし、遠浅で静かでとっても美しい海があって、魚は獲れたてで鮮度抜群で、土地は安いしのんびりしまくってて、こんな良いところに皆さん住めればいいですね。仕事は探せばいくらでもあります。

これだけ交通が隅々まで発達していて、インターネット化も進んでいるから日本中どこに住んでも、情報や経済、流通的には同じなのだと今回痛感した。

そういえば、淡路島の食料自給率は107パーセントです。

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わたくしが子どもの頃から愛してやまない、瀬戸内海の遠浅で穏やかな美しい海。
posted by Mukai Kumotaro at 07:09| 日記

2018年06月28日

1995年2月10日

「ヘラヘラ笑ってんじゃねえ!ニヤニヤしてんじゃねえよ!!」本公演稽古中に、麿さんにはじめて怒鳴られる。

「前の日に飲みすぎたんじゃねえの」てきな冗談めかした麿さんの質問に、冗談っぽく返したのだと思う。気に障ったんだな。

母親にはしょちゅう怒られてしばかれてて、滅多に怒らない親父にも包丁で刺されそうになったりして、怒られ慣れてたわたくしですが、麿さんの怒鳴りには肝がうわずって泣きそうになった。

怒鳴ったあと「しまった」という間が麿さんに一瞬あったのを覚えている。そこから超一流のお芝居が入ってきてわたくしに言いながらメンバーみんなへ訴えかけていた。

その日から「こいつは怒っても大丈夫」と麿さんが思ったのかどうかわからないけれど、しょっちゅう怒られるようになった。歴代のメンバーの中でも怒られた回数は一二を争うかもしれない。

怒鳴られたり殴られたり蹴られたり、いろいろとあったなあ。原因はいつもわたくしが生意気で、悪いことをするからだったんですが。いまとなってはいい思い出です。

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殴られても蹴られても、懲りずに粋がるわたくし。
posted by Mukai Kumotaro at 20:16| 日記

2018年06月27日

淡路島で合宿じゃ!

2018.6/26

晴れ。インターネットの時代だから世界中どこにいても誰とでもやり取りができてしまう。スカイプもあるので打ち合わせもできる。ここ淡路島にも日本中から移住して来て、そうやって仕事をしている人が沢山いることを今回知った。


午前中、某ファッション誌の請求書をつくる作業に追われる。これでできたと思って東京に送っても不備が見つかりやり直し。向いていない仕事。。


請求書を送ったり、メールで打ち合わせをしたり、映像の資料を編集してファイルで送ったり、YouTubeにしてアップしてアドレスを知らせたり。


いまも営業、売り込みのためにやるべき仕事は沢山あるけれど、一番やりたい仕事は、人前に立って踊る仕事。庭のスペースを舞台にして何かやれそうなので来年夏、企画しよう。


あと、合宿はここなら10人ぐらいなら泊まれそうなので、上のログハウスをいまから予約すればあと20人は泊まれる。計30人。夏祭りで踊って、庭でも踊って。

「淡路島で合宿じゃ!」

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photo by Jyunichi Matsuda


posted by Mukai Kumotaro at 13:20| 日記

2018年06月26日

淡路滞在、六日目

2018.6/25

昨日は、朝8時に自転車“薄空号”で出発して、二時間かけて山を越えてコーナンへ。帰りは大量の荷物があったので二時間半かかる。帰宅したのは15時。大変だったけれど天気が良くて気持ちが良かった。


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照子姉さんが庭に敷いた雑草よけの黒いシートがいい感じで、そのまま青空稽古場としてつかえることに気付く。のぶのところは『月明かりの移動劇場』だが、こちらはまんま『月明かりの劇場』綺麗に掃除してからだを少しうごかす。


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行く行くは平台を敷いて、テントで屋根をつくろう。

posted by Mukai Kumotaro at 10:25| 日記

2018年06月25日

淡路滞在、五日目

2018.6/24

朝から晴れ。さあ今日は大仕事。セルフ・リフォームのための道具諸々を買うために、山を越えて隣町まで買い物に行きます。続く

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帰ってきて、表札の文字を塗る。いい感じ。

posted by Mukai Kumotaro at 20:29| 日記

2018年06月23日

淡路滞在、四日目

2018.6/23

今日は土曜日か。休みがちで働こう。雨なので屋内作業に終始する。


二階の奥の三畳を掃除する。片付ける。倉庫がわりの場所なので、お宝がたくさん出てくる。


巨大な木箱が出てきたので開けたら伊万里の皿が対であらわれる。恒ちゃんの書の下に飾ってみる。そこだけいい感じの骨董屋になる。


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昨日お風呂の帰り道、お店にたまねぎが売っていたので、値段を聞く。有機栽培の最高級たまねぎ、1箱4,000円なり。

「今こちらにいまして。一ヶ月間、はい、木谷」とか雑談してたら「あーきだにさん。知ってるわよ」おばちゃんと急に打ち解けて。


そこへ丹下段平そっくりのお爺さんが軽に乗って登場。「へー、木谷先生とこの」「同級生おったな…えーっと75歳やから…あー照子ちゃんや」なんと段平、木谷家の二女・照子さんの同級生だった。お爺さん遠い目をして「木谷先生のとこ、町で初めてのプレハブやったんや。先生変わってるとこあるからプレハブにしはってんな」言うてた。


阪神淡路大震災で建て替えたそのプレハブの家も、20年経ち外側はけっこう痛んできてる。

posted by Mukai Kumotaro at 00:00| 日記