2018年09月09日

修業と修行

小沢昭一さんがテレビの中は芸を磨き上げる修業なんてものはいらない世界だとその著者『背中丸めて』で看破されています。ナマな素の面白さがどんどん消費されていく世界。永六輔さんも同じことを仰っています。

まるでいま大流行の回転寿司と同じですね。機械で握ったシャリの上にナマをただ乗っけるだけ。それが大人気でどんどん消費されていく。回転寿司の世界には、修業して磨き上げられた職人の腕前なんぞはまったく要らない。

さてわたくしはこの『ブログ?』を毎日記すのは修行だと思って続けています。

お坊さんは生きることすべてが修行です。朝起きてから食べて座って寝るまで。『食う寝る座る』という30歳のサラリーマンが永平寺の雲水として修業するとっても面白い本があります。

その本によるとまずは、最初に入門してきた新入りの常識を徹底的に破壊。信仰宗教や自己啓発セミナーが真似してますので気をつけましょう、魔性。禅の世界では徹底的に破壊して空っぽにしてからが修行のはじまり。こちらホンモノ。

他人に空っぽにしてもらえない場合は自分で努力します。真っ白な空っぽのアホになろうとする。毎日毎朝そこからのスタートです。

座禅の目的はとにかく空っぽになること。心を空にして何も考えない。なかなか難しいことです。

ましてや都会に住んでいたら何も考えないなんてほぼ不可能。大量の情報が常に追いかけてくる。混雑している道を歩く時に人は莫大な情報処理をしています。心がとても忙しくなっているのですね。

急に眠くなったりするのはそれが原因。精神がリセットを要求している。ZZzzz...

たまに田舎の山や海へ行くと癒されるのは、情報が限りなく少ないから。せっかく海へ行っても芋洗状態では元も子もないですが。

限りなく広がる水平線に身を委ねていると、からだの“圏”がどこまでも広がってゆく心もちがします。“圏”とは舞踏用語でからだの周りの感覚です。成層圏の圏。西洋ではアウラ“aura”と言います。オーラとも読みますね。

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”圏”図解 by Kumotaro Mukai

都会ではこのオーラが小さくなってしまいがちです。満員電車ではまさに身を縮こませてどんどん肩身を狭くして。圏なんて無くなってからだにめり込んでしまいます。

自分の心を大きくして、生きることすべてを修行だと考えれば嫌なことも進んでやれるかもしれません。また修業して腕前を磨いた料理人のつくるものは、永遠不滅であり必要とする世界は必ずあります。そんなことを考えながら今日も頑張って生きていくのだ。
posted by Mukai Kumotaro at 10:11| 日記

2018年09月08日

ぴちがい

軍隊式の厳しいバイト。重量物を運ぶのだけど危険な仕事で。威張りちらす嫌な奴がリーダーで。それの威を借りる狐が沢山いて非常に感じが悪い。

移動するというのでその隙に逃げて帰ろうとするが置いてあった自転車がなくなっている。

しまった。逃亡防止に全てまとめてどこかに移動されたか。仕方なく皆んなを追いかける。

商店街の巨大な体育館に凄まじい人数が整列しててまるで軍隊のよう。皆、殺気立ってる。一番後ろに並んで何とかバレなくてセーフ。どんどん進んで行くが一体、何があるのか?

あっ、夢の話しです。

わたくし、日記をつけ始めてから同じように夢日記も覚えている時だけ書いています。目が醒めた時にすぐに書かないと忘れてしまうので枕元にずーっとノートを置いています。

最近はスマホも置いてこうして記しています。夢日記は色んな作家さんがつけてまして、まだ生きていられる方で有名なのは横尾忠則さんですね。

ちなみに夢日記を書いてると気が狂うとか言われてますが、この商売少々気が狂ってるくらいの方がいいものを創れます。ので大丈夫です。

子どもの時に、岡本太郎さんがぴちがい病院に入院してたとの噂を聞いてとっても恐ろしかったのを覚えている。

けれど、いま太陽の塔を見たりすると常軌を逸してるぐらいの心ではないと、あの常識はずれのものは創れなかっただろう。と納得したり。

だいたい舞踏なんてものは頭がおかしいぐらいではないと面白いものはつくれない。

壺中天の頃、村松君とわたくしの間では価値の判断基準は気が狂ってるかどうかで、これを街中でやったら捕まるかどうかだったり。まだまだ気が狂ってないなあ。つくり直し。みたいな。いまはどうか知らないけれど。

常識を疑って、常軌からはみ出して夢みたいな面白い作品を創りたい。そう思うからこそ夢日記をつけたり不良の魂を忘れないようにして、ふざけて不真面目であろうと日々精進するのだ。

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NYのスタジオ"CAVE"のご主人シゲさんの話しを興味深そうに聞くデヴィッド・ボウイ。彼も夢日記をつけていた一人。
posted by Mukai Kumotaro at 09:14| 日記

2018年09月07日

地震、カミナリ、火事、台風

台風の次は地震です。天災は忘れた頃にやって来るのではなくて、次々とやって来ます。

こんなに大変な場所によく住んでるな。日本人。南海トラフ大地震とかいうのも100%来るとわかっているのに逃げずにじーっと待ってるなんて。

しかし世界中どこに逃げても何かしら天災はあるのか。天災に合わなくても事故にあったり。。いかんいかんネガティブ思考。自己啓発は下らないけれど、一理あることは確か。悪いことを考えればその通りに成るよう自分で選んで生きていく。

だいたい良いことも悪いことも突き詰めていくと自分で選んでいる。というのはその通りだと思う。日本に住むことを選んでいる。東京に住むことを選んでいる。淡路に住むことを選んでいる。

そういえば、日本列島は地震が多いからそういう場所に原発があったらどうなるか?壮大な実験だった。という噂がまことしやかに流れてたな。被害妄想。か?

世界地図の西を上にすると、アフリカ大陸から中央アジアを通ってまるでパチンコ台の受け皿のようになっているのが日本列島だとか。もうその先は海しかなくて。

良いことも悪いことも世界中の全てが最終的に流れ込んでくる。そんな場所。そしてそこで色んなことが熟成されて発酵してガラパゴス化していく。そんな島。なのかな。

地果てるところ、日出ずる黄金の国・ジパング。エデンの東は日本だと色々な作家さんが言ってるけどそうかもしれねえ。

しかしわたくしも含めて一度経験してみないと実感としてわからないのだと思う。どんなに大変なことなのか。戦争も大地震も。

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パチンコ台説、実際にやってみるとあんまり説得力ないな。誰に聞いたのだっけ。考えてみれば情報発信元も曖昧だし。けれどもエデン(アフリカ)の東というのは事実。
posted by Mukai Kumotaro at 10:30| 日記

2018年09月06日

死者ノ書‘96

大駱駝艦天賦典式『死者ノ書'96』の稽古がはじまった。

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宣伝美術:奥村靫正 宣伝写真:野上眞宏

折口信夫『死者の書』〜中将姫が主人公ではなく、死者としての大津皇子から見たこの世の物語。

神話の神々や伝説の人物ではない、赤裸々なありのままの人間像を描き出す。

人にわかってもらおうとしないこと。その心は媚びを生み弱みを生み、押し引きの関係にさし障る。「舞台は恋愛と同じ」by 室伏鴻

例えば “匂い、臭い、ニオイを嗅ぐ時” に人はそれをどう持つのか?何を匂うのかによって持ち方が変わってくる。どんなニオイか?それによってニオイを嗅いだ時の反応も違ってくる。どんな状況か?その状況によってからだ全体の在り方が決まってくる。

それらをイメージして設定して、内容をつくり出してうごきに必然を持たせる。それが観る人に説得力を持って訴えかける。

舞踏はパントマイムと似ている。パントマイムは動きに嘘がないように工夫をしてつくっていく。舞踏もうごきに嘘がないように工夫をするのだけどイメージでアプローチをするところがパントマイムとの大きな違いか。

壁を触っている。どんな質感の壁か?表面はどうなっているのか。座って触っているのか?そもそも地面はあるのか。ひょっとして壁にぶら下がっているのか。壁の凸凹に指を一本一本引っ掛けている。とか。

そのイメージをどこまでからだで忠実に表現できるか。そこに嘘はないか?一本の指でぶら下がっているならば、一本の指以外は脱力をして重力に従っているはず。

からだに芯を通す。どこが中心なのか常に意識をする。そのためには吊られるのが簡単。芯、軸、中心。全てからだが吊られていればつくり出せる。

いや。芯とはそもそもつくり出すようなものではないのか。からだの感覚。臍下丹田の一点とおなじ。

自分のからだの内側の感覚で他人には決してわからない。自分だけの自分にしかわかり得ない感覚。いまそこに確かにある感覚。
posted by Mukai Kumotaro at 08:13| 日記

2018年09月05日

台風一過

いま、淡路島にいるのですが、昨日は真上を台風21号が通って行きました。

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はじめに五女の恒子姉さんから電話があり。1961年の室戸台風の時は「洲本で下宿してたけど瓦が外をビュンビュン飛んでガラスを割って飛び込んできたのよ。」とか、上沼恵美子は淡路島の人で「お母さんに抱っこされてた時に瓦が飛んできて頭に当たったらしいわよ。」とか色々とビビらせるので雨戸を全部閉めて二階に避難。

しかし風と雨が雨戸に当たる音が凄まじくて。耳栓をして昼寝をしようとするけれど、家が地震ぐらい揺れて。窓を少し開けて外を見たらこれは瓦が飛ぶなというぐらいの暴風で。

次に四女の衣子姉さんから電話があって「一階の方が揺れないわよ。二階に避難は洪水のときね。」と言われてなるほど。と速攻下へ移動。そしたら台風の目に入ったのか静かになって。

耳栓をしてキャットナッパー。うとうとして目が覚めたら通り過ぎてた。

そういえばチャーチルが「これをお勧めする。」と全閣僚に勧めたのは昼寝だったとか一昨日のテレビでやってたな。

“キャットナッパー”は、アメリカのモンロー研究所が開発したCDでちょうど30分間で目が醒めるようにできている昼寝のための音楽。ナップは昼寝。その名も『猫の昼寝』

それはさておき、台風ですが甚大なる被害と多大なる大混乱を関西中心に巻き起こして、いまは北海道を過ぎたあたりで温帯低気圧になったのか。

今日の淡路は台風一過、よく晴れていい天気。

今回の台風で犠牲になった人が昨日は、一人だったけれど今日見たら11人とか。死者の数でその被害を語るのは人類の常だけど人数ではないのだといつも思う。ご冥福をお祈りします。
posted by Mukai Kumotaro at 09:43| 日記

2018年09月04日

グルーポ

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コンタクトゴンゾの塚原くんが、昨日呟いてた“グルーポ・ヂ・フーア” 観たかったなあ。

その瞬間にバスに飛び乗って、新幹線を乗り継いで電車乗り継いで往復30,000円かけて行けばギリギリ観れたかもしれない。

しかしそこに運命のように居合わせて観てしまう。というのがいい。塚原くんは偶然いたのか。もしかして狙ってたのか。レジデンスか何かしてたのかな。

売れっ子だからいい場所に居合わせる機会も多くなり、それが刺激となってまたいい作品を生み出し更に活躍する。選ばれた人の持っている相乗効果だな。

『イノア』 映像で少しだけ観たけれど塚原くんが評価する理由がわかった。ブラジルのストリートから生まれてきたダンス。いま世界でも有数のスラム街があるブラジル。貧富の格差の問題は世界的だけど日本なんて比べ物にならないぐらいに貧富の差が大きい。メキシコも。

問題意識を持っていまここのダンスを生み出す。そこには切実な身体とそのからだから生み出される切実なダンスがある。

身体を駆使して時にスリリングに放り投げ出して世界とコミットしようとする、イライラとした屈折した意志のようなものが垣間見え。更に先端を走るセンスの良さもピカリと光り、それがまた危うい感じを掻き立てる。

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舞踏がかつて持っていた身体を投げ出す危うい感じ。いまはもう絶滅危惧種かもしれない時代の先端を走っているような雰囲気。悔しいがこういう時にいつも亡き室伏さんを思い出す。

室伏さんは結局グループを維持することができなかったけれど、フーアはその“感じ”や“雰囲気”を共有できているのも素晴らしいと思う。

しかしYCAMはいつもいいプログラムをやってるなあ。一度しか行ったことがないけれどアンテナがビンビンの優秀なプログラマーが揃っているんだな。いつかコミットしたい。
posted by Mukai Kumotaro at 09:11| 日記

2018年09月03日

小沢さん

わたくしが大駱駝艦に入った頃のプロデューサーは小沢康夫さんでした。

らくだのはじめてのネクタイ組といわれて制作募集で入ってきたとか。麿さんに厳しく仕込まれて毎日泣かされてたとか。

噂はいろいろ聞いたけれど、わたくしが入った時は押しも押されぬ大プロデューサーで。

新参者のわたくしを結構可愛がってくれて、いろんな抜擢も小沢さんがしてくれていたんだろうな。スペースゼロ公演の時は雑誌の取材を受ける役目を仰せつかったり。

無尽塾のチラシのデザインも小沢さんがやれと言ったのだと思う。

新入りが色々やるのを快く思わない麿さんを説得してくれていたのかもしれない。

新入りとプロデューサーだったけれど実は歳がそんなに変わらなくて。すぐに兄貴分的な存在になり、いろんなことを教えて貰った。狸穴くんも小沢さんの薫陶を猛烈に受けてた。

当時、まだまだ知るひとぞ知る存在だった麿さんを大メジャーにしようと様々なアプローチで日々、仕掛けていた。

大駱駝艦のプロデューサーをやめてから、浜井弘治さんのマネージャー的存在になって。数年経って浜井さんと袂を別つ瞬間に何故かわたくしも同席してて。

引き止める浜井さんに対して「浜井さん、悪いけど闘いだよ」と小沢さんがきっぱりと突き放していたのが忘れられない。

浜井さんのプロデュースを辞めてからプリコグという制作会社を立ち上げて。そのあとプリコグを人に任せて現代美術のプロデュースをしていた。

いまは島根だか鳥取に住んでいると神戸dBの横堀さんから聞いた。都会好きの小沢さんが?!意外。

さて1996年、小沢さんにとっては大駱駝艦での最後のプロデュース作品、天賦典式新作『死者ノ書'96』の稽古が始まろうとしていた。

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小沢さんの浜井弘治事務所への転職案内。
posted by Mukai Kumotaro at 07:29| 日記

2018年09月02日

SUPER?

1995.12/16,17 SUPER SAL VANLLA

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下北沢タウンホールのスーパーサルヴァニラ公演が終わって。打ち上げで麿さんがあんまりよく言ってなかったのが印象的だった。サルヴァニラは大駱駝艦的世界からの脱却を標榜していたからだろうか。真っ黒な背景のらくだに対して真っ白にしたり。

その気持ちはわかるけれど、単なるアンチで終わっていたのかな。

この頃から、大きくておおらかで滑稽味のある及川と、細くて切れ味鋭い真面目な菊池の絶妙なサルヴァニラバランスが崩れてきたのだと思う。

及川くんが制作的なことに時間を取られて、演出や振付という世界感に菊池色が強く出はじめたのかな。どんどんスタイリッシュな方向へと向かい、初期の混沌とした感じや猥雑さがなくなっていってしまった。

メジャーになるために変化する必要があったのだろうけれど、本当はメジャーになればなるほど逆に適当さやいい加減さというのは大切になってくるのだと思う。

麿さん曰く、「2、3年すると萎れてくる。」その象徴的なことだと思う。流行へと擦り寄るのではなく、時代に逆行するような志向がないと色褪せて萎れていってしまう。

サルヴァニラはこのあと10年ぐらい活動をしていたがどんどん色褪せていくのが不思議だった。

すごく厳しく言ってしまうと格好だけで中身がなかったんだろうなあ。格好良さに若い子たちが触発されて時代の寵児みたいになりかけたけれど、それでもやはりそこには確かな実体というか内容が入っていないと説得力がなく「あれっ?」となってしまうのだと思う。

それはともかく、稽古の時に見せた群舞の中での村松の飛び抜けたエネルギーの放出の仕方、素晴らしかったなあ。「ここまでやっていいのだ。」という驚きはいまも忘れない。

同じ、驚きは星野からもしょっちゅう感じた。「人間は、こんなに変でもいいんだ。」と。

趣味や趣向が全く違う二人。端で二人の会話を聞いてると一発触発的なギリギリのところでふざけ合うのでハラハラした。

最終的には袂を別つのだけど、それを許容していた麿赤兒の偉大さと二人が同じ舞台に立っていた大駱駝艦はやっぱり面白いグループだったんだなあと思う。
posted by Mukai Kumotaro at 05:07| 日記

2018年09月01日

1995.12/7

パフォーマンス:遂行する。

太田省吾『舞台の水』を読む。

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真実について
「“真”は他の排除。“実”は他の受け容れ。拒否と排除と選択。肯定と受容から諦めへ。」か。ふーん。

舞台の水について
「劇空間においての水は、情景としてではなく、装飾としての水でもない。水そのものとしての水でなければならない。」

「蛇口は壊れていなければならない。〜水は人物の感情表現の材料や素材となってはならない。水量が多くなると水は熱をもち、水音は語りはじめ濁る。〜押しつけではない単調さが肝要。」か。ほうほう、ふむふむ。

「ドラマとは、人生の単調で退屈な部分を削ぎ落としたもの。」という根強い思い込みを疑って捨て去る。〜太田省吾

「音は音であり、人間が人間であることをそのまま受け入れて、秩序の大切さとか感情表現の素晴らしさとか、その他われわれが受け継いできた美學上の空論に対する幻想を捨てなければならない。」〜“サティの魅力的な退屈さ” ジョン・ケージ

水は水であり、音は音、光は光、そして人間はあくまでも人間であるというあたりまえの事をあたりまえに描くという太田省吾やジョン・ケージのひとつの考え方を知る。

そしてそれだけではなく、そのつまらなさも一方にはあることも知る。劇的なるものの面白さも一方にはあると思う。

「一切の要約、一切の概念化なしの肉体で“生”の時間をわしづかみにする。」

概念化なしの肉体?理解不能の肉体ということだな。はみでる精神とはぐれる肉体で“生”の時間をわしづかみにする。

月は自覚なく光り
深い闇をつくる

人生はフェアじゃないという事実。ここからアイロニーが生まれる。 アイロニー:反語(嫌味)皮肉
posted by Mukai Kumotaro at 07:22| 日記

2018年08月31日

うんざりぴょん

[序]
ちちをかえせ  ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ  わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉『原爆詩集』より

今日は8月最後の日。もう1日だけ戦争の話を。

去年は夭折の詩人、峠三吉さんの生誕100年だった。

上記の詩は『原爆詩集』の序で峠は、そのあとに続く詩への入り口として、より多くの人を招き入れたくてこの詩を書いたのだという。しかしこの序の部分だけが有名になり、一人歩きして平和記念公園の中にも詩碑がある。

筆舌に尽くせないというが、言葉をいくら尽くして惨劇を描こうとしても一編の詩の前では過剰にうつってしまうのかもしれない。

名匠・今村昌平監督が井伏鱒二の名作『黒い雨』を映画化してたけれど、忠実にリアルに作ろうとすればするほどグロテスクでホラー映画のようになってしまい観ていられなかった。所詮つくりもの。

2014年に『ふたつの太陽』という被曝死した曽祖父を主人公にした作品を創るにあたり、参考にと観たのだけれどこの方向へは絶対に向かってはならないと思った。

またあの日の惨劇を説明をするという方向へも向かってはならないと自分を戒めた。

何が起こったのか?を知りたいのならば、広島平和記念資料館へ行けば良いのだから。

自分にしかできないアプローチで自分にしかできない物語を描き出す。最終的に腑に落ちたのはそこでした。

前にも記しましたが、「いま広島では若い人の間で原爆アレルギーともいえる拒否反応が強い。」と広島市文化財団の方が言っていました。しかし一方東京では、1945年8月6日に何が起こったのか知らない人がほとんどです。かくいうわたくしも作品を創るために取材をするまではほとんど何も知らなかった。

知らぬが仏。“見ざる言わざる聞かざる”という日光東照宮の有名な彫刻がありますが、子どもには余計なことを見せるな言うな聞かせるなという徳川家康の教えらしいです。

2017年吉祥寺シアターの小学生ワークショップでその日は、8月6日だったのでほんの少し原爆の話しをしたらアメリカから帰国したての女の子が「もー、なんでそんな話しするのー!」と心の底からうんざりしていた。。

悲しい話は、もうやめたい。

posted by Mukai Kumotaro at 10:24| 日記

2018年08月30日

普通って?

名前は知らないし覚える気もないけれど女性の政治家が、生産性がないと言ったとかで世界的な波紋を呼んでいますが、片寄った人としか付き合って来なかったのだろう。

友達に1人でもそういう人がいれば、その人を傷つけるようなことは決して言えなかったと思う。

セツの時にも1人いたけれど、わたくしががっつりと付き合ったのは大駱駝艦の後輩・松田篤史君です。

色んなことを教えてもらって、エロんなことを学びました。面白いぞー。

まっちゃんは子どもの頃から自覚して、そのために中学からその道で有名な某学園に行ったりと特別に剛の者だけど、川口隆夫さんなんかは大学の時は女性と付き合ったり色々と悩んでいたみたいです。

ダムタイプというレクチャーやパフォーマンス、作品として広く世に知らしめたカッコいいチームもいますが、メジャーな先駆者といえば美輪明宏さんですね。

美輪さんが有無を言わせず唯一無二に成功しているから、後進は活躍しやすいということはあると思います。

自分と少しでも違うと許容できない人間という小心者。国が違うから差別する。肌の色が違うから差別して。性が違うから差別して。セクシュアリティが違うから差別する。

だいたいが弱いものいじめ。

ルーツという黒人映画に涙したあとにKKKの集会に平気で参加する矛盾に満ちた存在。

それが人間だから差別はなくならないし解りあうなど所詮は無理かもしれないけれども、せめて自分と違う存在を認める。ことぐらい出来ればなあ。

とやかく言わない。人は人。

政治家という模範を作らねばならない人たちが、こんな有様なのだから何もかもが無理に思えて来ます。

そもそもこの国のリーダーが差別主義者なのだから仕方がないのか。

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まっちゃんと当時のパートナーさとちゃんのツーショット。いまも家族のように同居してますよ。
posted by Mukai Kumotaro at 06:34| 日記

2018年08月29日

才能の違い

鄭義信さんが監督した映画『焼肉ドラゴン』を拝見する。

舞台が昭和40年代の伊丹でまさにわたくしが過ごしていたところなので勝手に親近感。轟音を響かせながら飛行機が真上を飛んでいくのが懐かしかった。

いい映画やいい舞台を観ると頑張ろうという気になるが、あまりにも素晴らしいと同じ(というと烏滸がましいが。こんな字を書くのだな)表現者として生きているのが嫌になる。

数々の賞を受賞している選ばれた才能ある人、鄭義信さん。かたや人間国宝でかたや無名の舞踏家。

こんにゃく座にも作・演出されていて、下手に近いところにいらっしゃるのがまた辛く感じる。比較なんてしなければいいのだけどほぼ同業者なので。。

いい作品をつくりたい。心の底からそう思う一方で、年齢や金銭的な制作のことも含めて創作の大変さを考えると、もうわたくしには出来ないかも。と気が遠くなったり。

しかし宇野君いい役もらってました。それ以上にキム・サンホという韓国の役者さん、力が抜けてて良かったなあ。

いい役者さんと一緒に仕事をしてどんどん良くなっていく。相乗効果だな。

ラストのシーンを1日かけて撮ったのだけれど、スタッフになんだかしっくりと来ない雰囲気が漂っていて、次の日に監督の鄭さんが撮り直したいと言ったら真木よう子さんが真っ先に握手して来たとか。

好きだの嫌いだの上手いだの下手だのと色々と偉そうに言われる人気商売だから大変だけど、人として素晴らしい方なんだ。と思いましたよ。

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戌井昭人と宇野翔平の素敵なツーショット。撮影者は誰なのかな。
posted by Mukai Kumotaro at 17:08| 日記

2018年08月28日

霊と戦争

「戦争だけはいやなもんだから、あれさえなけりゃ、あとは世の中、何がどうなったって、どうってことないやなんて、ほざいてます。」小沢昭一『背中まるめて』

戦争といえば麿さんのお父さんは、戦艦の艦長で偉い方だったとかで戦死なさってますが、わたくしの父方の祖父は一兵卒で戦争に参加、逃げ回って帰って来たとかで。

1997年10月、麿赤兒ソロ『トナリは何をする人ぞ』の神戸公演。

立派に戦って戦死した艦長の息子である麿さんと、逃げ回って帰国した一兵卒の孫のわたくし。

境遇がまったく違うし立場がまったく違うのに、同じ舞台に立つというのがなんだか申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになったのを覚えています。

『トナリは何をする人ぞ』というのは、わたくしたちがさまざまな人の霊を座布団や椅子にのせて連れてくると麿赤兒が、その霊と踊るという作品。

連れてくるのは土方巽とかA・アルトー、D・マッカーサーとかいう歴史上の人物。

わたくしが誰を連れてくるのかという話になった時に、無名の小市民である祖父“M”の霊を連れて来たらいいのでは。ということになり。

本番最終日だったか、舞台上に麿さんとわたくししかいないのに、霊をのせた座布団を紐で足に結んで立っているのだけど「つんつん」と誰かが紐をずーっと引っ張っていたのは面白い体験だった。

麿赤兒は目の前で踊っている。

後ろの座布団から何かが確かに紐を引っ張っている。

舞台上には二人しかいない。

振り返って確認したいがうごいてはいけない演出。

麿さんに本番後、その話しをしたら「そういうことを感じられるのはいいことだ。」と言っていたと思う。村松卓矢は「そういうのはだいたい下級霊だ。」とか馬鹿にしていたけれど。

そういえば、わたくしの祖父・向井守は兵庫県伊丹アイホールのご近所の『白雪』をつくっている小西酒造の番頭さんだった。

戦争から帰って来てからも小西酒造に復帰して元気に働いていたけれど、わたくしが生まれたときは既に亡くなっていたので実際に会ったことはない。

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白雪のキャッチフレーズ。いまはキャッチフレーズは違うみたい。
posted by Mukai Kumotaro at 14:14| 日記

2018年08月27日

身の丈

吉田東通り夜市2018、終わりました。事故もなく無事に、と言いたいところですが、パフォーマンス終了後に全身の筋肉硬直でまったく動けなくなり、救急車で病院に搬送されました。

点滴を打ってもらい、ようやく小康を得て真夜中に帰り、うとうと。

熱中症と脱水と筋肉疲労でした。今回泊まっていたのは、ラーメン屋の二階です。

サンルームで冷房がなくて日中50度近くになってたと思うのだけど、そこに滞在していた疲労の蓄積と本番中に水分を補給しなかったのが原因か。

ゲストハウスに泊まればよかったのだが交通費と宿泊費は、出ないということだったから経費削減。仕方がないですね。

来年8月は、ドイツのフェスティバル参加と、帰国してすぐに鉄割本番が決まっているので、夜市参加は出来ないですが、もう少しよく考えてやらないとまた、わたくしのように無理を強いられる人間が出てしまうと思います。

お祭りを盛り上げたいという気持ちはよくわかりますが、身の丈を知って、これ以上は手を広げずにやることが大事かもしれません。

わたくし自身もその条件でなし崩し的に引き受けてしまったことを、猛省しています。

そして矢張りエネルギーとパワーを発散させてカラダを酷使する金粉ショウというのは、若い人のやるもので、51歳のお爺さんがやるのは無理があるのだと、病院のベッドで死にそうになりのたうち回りながら心から痛感しました。

もう若くなのだ向雲太郎よ。それこそ身の丈を知れですね。

今回、わたくし人生最後の金粉を目撃した人たちは貴重なものを観ましたね。と言いたいところですが、今年の11月にもう一件入っているだよなあ。。

大丈夫か俺。

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病院から戻って特別に泊めてもらったみみお横のゲストハウス“入ル”。町家を改造しためちゃめちゃ素敵なところです。

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入り口からゲストルームを望む。そろそろ予約が取れない人気のお宿になりつつあるようです。
posted by Mukai Kumotaro at 11:29| 日記

2018年08月26日

金粉2

はじめて大須に行った時に、ギリヤークさんのパフォーマンスを観ながら実行委員長をやられたこともある原智彦さんに解説を交えながら色々と教えてもらうという贅沢な時間を過ごした。

中でも大道芸における“寄せ・掴み・見せ・脅し・落とし”の話しはなるほどなあ。というものでたいへん勉強になり10年近く作品を創るときの指針になった。

正確に覚えていないのでここでは話しませんが、大須へ行く機会があったら原さんに直接聞いてください。

原さんは麿さんと友達で、自身でもスーパー一座というグループを主宰していました。

村松卓矢が客演したことがあり結構影響を受けていた模様で、度々スーパー一座での話しをしていた。

わたくしがダンサーとして大須に参加したのは、その後だいぶん経ってからだったが抜けるような空の下、360度から観られて踊るという経験は特別なもので、投げ銭を頂く経験もまた格別なものだった。

1,000円稼ぐことの大変さを思い知り、これだけ頑張って100円かあ。と落胆し。

若い人、舞踏家に限らずモダンダンサー、コンテンポラリーダンサーなんかも体験してみるといいと思います。

責任者としてグループを率いて行った時に、原さんから大須大道町人祭をはじめるに当たって目玉を二つ作ろうと、ギリヤークさんと大駱駝艦に出演をお願いしたという話しを聞いた。

その二つは見事にお祭りの目玉になり、今日に至っている。

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スーパー一座で村松君がやった餓鬼阿弥。こんにゃく座でわたくしも振り付けたことがあります。
posted by Mukai Kumotaro at 12:30| 日記

2018年08月25日

お酒

「酒は飲んでも飲まれるな。」なんてえことを申しますが本当にそう思います。

飲んで気持ちよくなるのは良いと思うけれど、飲まれてしまって人に迷惑をかけるのだけはいけません。

かくいうわたくしも酒での反省は数知れずですが。。

一番厄介なのが呑んで絡む人間。

説教や忠告、大きなお世話で自分の考えを他人に押し付け、そういう自分に酔ってしまいまわりが見えなくなる。

それを、誰も注意しないとそれで良いと思ってしまう迷惑なだけの人になってしまう。

まわりも嫌な気分になるし、結果その人自身も損をしているのだと思います。

売られた喧嘩は買うわたくしで自分から売ることはあまりないですが、酔って人に絡んでいて、それが明らかに弱いものいじめだったりすると我慢なりません。

今日は、いよいよお祭り当日です。

お酒を飲む行為とは神に近づく為のものです。お酒自体に神聖なパワーやエネルギーが秘められているのです。昔はお酒を作るのは女性の役目でした。刀自ですね。巫女さんのような存在だったのかな。

卑しくて醜いわたくしたちが一時、崇高に輝きたいがために、連日浴びるようにお酒を飲み浮世離れしようとして行く。

そして儚いその身を神に捧げる。お祭りとはそんな日なのだと思います。

飲んだら笑え

酔ったら踊れ

話しは明日だ。

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今回、絶大なるお力をお借りする吉田神社。その境内に奉納された夥しいお酒たち。無事終えて、美味い酒を飲むぞー!
posted by Mukai Kumotaro at 08:39| 日記

2018年08月24日

学園祭ノリ

高校や大学の学園祭的雰囲気というのは嫌いではないですが、いい大人がそれを引きずってやるのはあまり好きではないです。

内容を伴わない、ただ”だらしないだけ”なものというのは、時とともに淘汰されて消え去っていくのだと思います。

やはりここでも遊びが出て来ますが、先日南禅寺へ行ってはじめて拝観しましたが、究極の遊びの権化。

果てしなく自由な雰囲気の中に、”しん”と激烈に厳しい部分があり無駄が一切ない。

遊びとはすなわち無駄ですが、この両極端の引っ張りあいがあってこそ永遠に歴史に残っていくのだと思います。

京大吉田寮がいよいよ取り壊されるとかという噂を聞きますが、学園祭的な自由な雰囲気は素晴らしいと思いますが、ゴミが散らかっていたり物が散乱していては、蔑視されても仕方がないかな。と思ったり。

今回、お世話になる吉田東通り夜市も過渡期にあるようで、学園祭的ノリが通用しなくなって来ているようです。

あまりにも統制されて理路整然としたものはお役所的でつまらないのですが、陳腐で安っぽくなってしまうのは勿体ないと思います。

手作りの良さは残しつつ、それをしっかりと支える確かな部分も必要。そのためには参加する個人個人が決して甘えることなく自覚を持って挑まなければならないのだと感じます。

過渡期の今回にわたくしが参加するのも何かの縁。若者に「うわーい、こんなにだらしなくていいんだ〜。」と感じさせるのも先輩の役目なら、「うわ、きびしくてこわっ!」と思わせるのも先生の使命だと、頑張ります。

路傍のお地蔵様の裏の顔は不動明王だったりします。どこまでも優しい面と、てっていてきに怖ろしい面がないと嘘になってしまうのだ。そう思います。

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見事な本尊、釈迦如来が安置されている南禅寺法堂の天井から睨みをきかす今尾景年画伯畢生の大作、幡龍。
posted by Mukai Kumotaro at 09:56| 日記

2018年08月23日

8月ジャーナリズム

8月だけ戦争を回顧する報道が集中することを“8月ジャーナリズム”と言うそうです。(8月23日毎日新聞・余録)

決して悪いことではないと思います。風化させてはいけないことですから。

『ブログ?』も戦争の話しをもう少ししましょう。

“子は鎹”なんてえことを申しますが、ほんとうにそうだと思います。その鎹を失った悲しみはどうすればいいのだろう。

先日の関西の地震でブロック塀の下敷きになり、たった一人だけ亡くなった女の子。そのお母さん、お父さんの悲しみはどうすればいいのだろう。

Oh, Mr. President, listen to me

前略 大統領さま

1945年8月6日 約14万人と言われる死者のうち、犠牲になった子どもは何人いたのでしょう?

1945年8月9日 約7万人と言われる死者のうち、犠牲になった子どもは何人いたのでしょう?

「わたくしは、いかなる理由、原因、理屈、言い訳、論理、主張があったとしても大量殺戮兵器・原子力爆弾の無差別、無警告の実戦投下は違法であり、間違っていたと言い続けます。」

Oh, Mr. President, why are you so mean?

いま、広島の若者には原爆アレルギーともいうべき拒否反応が多いそうです。資料館もリニューアルという名の改悪を行なっている。「観覧後の心情に配慮した空間を整備します。」(8月23日毎日新聞・余録)だって。

そうして本当のことは伝わらずに忘れられ風化して行き、また同じことが繰り返される。

けれど、それが人間という醜い生きものの宿命か。

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報道写真家 ジョー・オダネル撮影「焼き場に立つ少年」(1945年長崎の爆心地にて)
眠るように亡くなっている妹を背負い立つ少年。順番を待っているのかな。

posted by Mukai Kumotaro at 09:59| 日記

2018年08月22日

遊び

いま、京都吉田東通りの中華そば“みみお”の2階に居候中ですが、今日はお店が営業ということで階下から出汁のめちゃめちゃええ香りが漂って来よります。

「たまらんち会長!」しかし本番前のからだにラーメンは禁物。日曜日まで我慢、辛抱です。とほほ。

さて今回、お祭りに呼ばれて京都を訪れていますが、わたくしたちは言ってみればお祭りのプロフェッショナルです。

”お祭り”とは、言わば”遊び”ですね。言い換えれば遊びのプロフェッショナルです。遊んでお金を頂くのですからいい商売だとお思いでしょうが、これがたいへんです。

お祭りは、ほとんどがボランティアで成り立っています。少ない予算でやりくりしているので、わたくしたちのような芸者風情に渡すギャラなどあるわけがなく。

そこで通りがかりの紳士、淑女にお金を恵んで頂くという風になるわけですね。これを投げ銭と申します。

早い話が乞食ですね。しかしただでお金を恵んでもらえるはずはなく、そこで“芸”の登場です。今回は金粉ショウです。

「レディース&ジェントルマン。おとっつぁん、おっかさん。そして子どもたちよ。

舞踏家集団デュ社と申します。

以降お見知り置きを。

さて今回、ご覧いただくのは金粉ショウでございます。

俗に、皮膚呼吸が出来なくなるという大変に危険な芸でございますが、

俗に、皮膚呼吸が出来なくなるという“たいへんに危険”な芸でございますが

見事最後まで踊り切りました際には、盛大なる拍手と

盛大なる投げ銭を

お気持ちで結構でございます。お気持ちで結構でございますので折りたたんで

どうぞ、よろしくお願い申し上げます!!」

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仕込みをする頑固親父の背中。「皆さま、京都吉田東通り夜市へのお越しをスタッフ、出演者一同心よりお待ちしております。実行委員・中華そば”みみお”店主、佐藤訪米。」
posted by Mukai Kumotaro at 08:16| 日記

2018年08月21日

Kyoto in

京都に入りました。中華そばみみおの2階で、お世話になっています。

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事務所のような倉庫のような隠れ家です。素敵。

主人の佐藤訪米が、ずーっと何だか仕込みをしてはります。何日も仕込みをして一杯のラーメンにすべてを懸ける。

そうして、味にうるさい役者・奥村勲氏が絶賛する中華そばが出来上がる。

何日も稽古して一瞬のパフォーマンスにすべてを懸ける、わたくしたちと似てるなあと思います。

お互いにたいへんな商売を選びましたな。まあ好きで選んだのだから仕方ないか。しかしラーメン屋と違い、舞踏は商売としてまだまだ認めてもらえていませんが。

朝早く目が醒めたので、竜安寺に行って拝観。“吾唯足知”と口を中心に彫り込んである有名な蹲があるお寺。蹲が思いのほか小さくてあっけなかった。

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蹲の英語の説明。わかりやすい。

夜の稽古までまだまだ時間があるので、大好きな大徳寺へと足を伸ばす。とっても爽やかで気持ちがいい。

大徳寺に一歩足を踏み入れると“ちん”とした空気に身が引き締まる。ここ大徳寺は千利休の切腹の理由になった逸話の残る禅寺で、利休、古田織部、石田三成や名だたる武将が参禅したところ。

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清水寺とかは海外からの観光客でごった返してひどい有り様だが、ここ大徳寺は外国の方は少なく、いてもとってもマナーのいい人ばかり。マナーが悪いと和尚に怒鳴られるが。

その時によって拝観できるお寺が違うけれど今日は大仙院へ。千利休の首を加茂の河原から持ち帰った和尚がいたお寺だそう。庭を観ていると何故かジーンとする。

大徳寺門前でお店を構えていられる、漆芸修復師の清川廣樹氏と知り合う。金継ぎについてから、漆について、そして金箔をつかったパフォーマンスについて話す。いい出会いであった。

そういえば、大仙院でお抹茶を頂いたのだけど、太閤秀吉も同じお茶を喫んで良いことが三度起こったとかで、覚悟するようにと書いてあった。清川さんとの出会いはその一つかもしれない。
posted by Mukai Kumotaro at 15:24| 日記