2021年01月20日

裸を見るな。裸になれ。

昨日は思いついて急遽、糸井重里さんおすすめの石岡瑛子さん大回顧展へ。

展覧会のタイトルは『血が、汗が、涙がデザインできるか

名前はもちろん知っているけれど、作品はよく知らないのでレッツゴー。

朝はやく出たら満員電車、しかしそれでいい。気にせずに生きるのです。はやく罹患することが、あたりまえの世のなかになるように祈ります。

セゾン文化財団のスタジオのある森下駅のおとなり、清澄白河駅で下車。ブルーボトルコーヒーを筆頭に流行りのお店がつぎつぎとできて、東京のおしゃれポイントになっています。

東京都現代美術館へと来るのは3回目で、はじめてここへ来たのは大竹伸朗さんの大展覧会『全景』のとき。

そうして去年の2月に皆川明さんの展覧会『つづく』をここで拝見して『ブログ?』でもっと絵を描こうと決意したのだった。

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左から3人目、石岡瑛子さん。まだ世界へと飛び立つ前か。

石岡さん、凄まじいひとだった。

お父さんの石岡とみ緒さんは、日本におけるグラフィックデザイナーの草分けのひとりだって。

サラブレッドであり、幼い頃から英才教育を受けていたのだな。

「まったく見たことのないものを創ろう」という冒険心は生涯なくなることはなかった。歳をとってもラディカルでいることの大切さを悟り、攻めつづけ、革命を起こせるひとは数少ない。

じぶんが生まれた1967年に欧米9カ国を4カ月かけて旅行して、世界の最先端に影響を受けている。そういう意味では時代の寵児なのだな、時代が呼び出したという雰囲気を感じた。

石岡さんのターニングポイントは、トップで走っていた国内にこだわらずにアメリカへ渡ったとき。

しかし歓迎の絨毯を敷かれていたわけではなく、じつは英語を勉強するところからはじめていた。

英語を勉強し世界へと飛び立って日本とか日本人とかいう枠から大きく飛び出し、創造への冒険という旅をつづけて宇宙へと一気に突き抜けた感じだった。

石岡さんを見習っていまこそ世界へとうって出るぞと本気でこころに誓った。

感激にひたりながら、となりの公園でハトに見守られて弁当をパクリ。

そのあと清澄白河をぶらり。ラスタなお兄さんからコーヒー豆を買って、それからブラブラ歩いて森下スタジオへ。

受付にいた上田さんに、来年は海外に出ることを仄めかして帰宅。

大相撲は大混戦、星のつぶし合いがはじまっています。

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『ニーベルングの指環』デザイン画を模写。予算という概念がない世界があることを痛感。

参照・引用:2020年1月18日 糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの「今日のダーリン」
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2021年01月19日

てるつよしのいのり

応援する力士が増えました。

淡路島出身の照強関。

彼の誕生日は、なんと1995年の1月17日、地震発生から15時間後に生まれた。

地震発生から15時間ぐらいって、いちばん混乱していたころだな。街中に救急車はもちろん、消防車やパトカーのサイレンが鳴り響いて大混乱しているなか産声をあげた。

幼い頃から繰り返し被災を記録した映像を見せられて育ったが、本人には「この日に生まれた」と聞かされても自覚なんてなかったそうです。

そりゃそうだ、生まれたばかりだもんな。

小学校4年生で相撲をはじめ、中学卒業をまえに15歳で伊勢ケ浜部屋に入門。しこ名は師匠の第63代横綱、旭富士の伊勢ケ浜親方が被災地への思いをこめて「ひとびとを元気に明るく照らすように」と名付けてくれた。

その運命のような出生に注目が集まるたびに、とんでもない日に生まれたんだと自覚するようになっていく。責任というか「少しでもひとを元気にしたい」という気持ちが芽生えるようになった。

天まで届けとばかりに豪快に大量の塩をまくのも、そんな思いが込められている。

169センチ、114キロと小柄な照強だが、同じ部屋の日馬富士や安美錦、宝富士や照ノ富士という特徴豊かな先輩力士にもまれるなかで着実にちからをつけた。後輩にはおなじく小兵の翠富士がいる。

「入った部屋がよかった。まわりの支えに恵まれている。」と本人が語るように、伊勢ヶ濱部屋の雰囲気はもちろん厳しいが明るい感じで風通しがよさそう。

毎朝の部屋での稽古おわりには他の力士よりもながく目をつむり「今日も無事に終わらせていただき、ありがとうございます。」と祈るという。

「被災地から手紙をもらうことも多い。とくに『この日』は負けられないんです。」

1月17日に土俵へ立つことに誰よりも強いこだわりがある。「関取でこの日をむかえたい。幕内でこの日をむかえたい。」と毎年のように言いつづけ、地道に番付を上げ願いを叶えてきた。

次の目標は3役でこの日をむかえること。

「口に出して言うことが大事。言ったことは必ず叶うから。」だって、いいねえ。

左手上腕の筋肉が断裂している照強は、惜しくも敗れて26回目の1月17日を白星で飾ることはできなかった。

しかし、彼の強烈な思いは勝敗を超えて阪神淡路に届いていると感じるのでした。

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『塩をまく照強』宮武祐希撮影、毎日新聞社

参照・引用:2021年1月17日 毎日新聞
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2021年01月18日

過去を引きずったいま

昨日は、阪神淡路大震災から26年目。

光陰矢のごとし、早いものです。

1995年1月17日午前5時46分、観測史上最大の巨大地震が阪神淡路を襲った。

あの日は、大駱駝艦『雨月』大阪公演の稽古だった。

稽古場へいってテレビを観て、その状況に驚いて実家へと電話したけれどつながらなかった。そのあとも、東京にいたので被害の状況は報道で垣間見るだけだった。

どんどん増える死者の数を単なる数字としてショッキングに扱うメディアに腹をたてていたのを覚えている。

6434人のひとりひとりに、家族があって家庭があって恋人がいて友人がいて人生があったのです。さまざまな別れの数々。その中でも子どもとの別れほどつらいものはない。

高井ちずさんは、当時1歳半だった将君を失った。

帰省中に地震が発生。西宮の実家は全壊し、将君は倒れてきたタンスの下敷きになってしまった。運ばれた病院で懸命に心臓マッサージをつづけたが、将君のからだはどんどん冷たくなっていった。

息子を助けてやれなかったじぶんを責め、飛び降りたら死ねるかな。と思いつめる毎日。

あるとき、生き残った長女が「しょうくんとわたし、じしんでどっちがしんだらよかった?」と聞いてきた。

娘を悲しい気持ちにさせていたじぶんに気づき、それ以来ちずさんは、なるべく笑顔を見せて生きていこうとこころに決めたという。

森本由美さんは、当時1歳1ヶ月だった武史君を失った。

灘区の由美さんの家は2階部分が崩落、1階の部屋にいた由美さんは奇跡的に隙間にからだがはさまり助かった。助け出された彼女は「息子は?息子は大丈夫ですか?」何度もなんども周りに確認するが、みんな黙ったままだった。

武史君に外傷はなかった。

病院やそのあとに運ばれた遺体安置所では、武史君のきれいな顔をみて「かわいい赤ちゃんやねえ。」とみんなが声をかけてくれたという。

誰かを亡くしてじぶんだけが生き残るという災害や戦争で起こる悲劇。

井上ひさしさんの戯曲『父と暮らして』は、広島の原爆で助けられなかった父親や同級生にすまないとじぶんを責めながら生きる娘さんのお話でした。

なぜ、じぶんだけ生き残ってしまったのか・・・

井上さんは、自問自答する娘に亡くなった父の亡霊という存在を与えて、対話し励ましときに激怒しながらこころをなぐさめ癒していく。

じぶんを許してあげなさい。そうして亡くなったひとのぶんも幸せになれ。父親はそう叱咤激励する。

「亡くなった人は"もうこの世にいない“のではない。わたしたちは"ふり返ればいつでも彼らがいる世界"に生きているのだ。」by Genichiro Takahashi.

由美さんは離婚や「死にたい」という危機を乗り越えて立ち直り、柔らかな表情で笑えるようになっているそうです。

将君も武史君も生きてれば27歳か・・・お母ちゃんたちはいま、笑顔でおるで。

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弟弟子、松田篤史も被災。轟音と悲鳴で目が覚めたら天井が目の前にあった。そんな松っちゃんの処女作品がオンデマンド配信される。

参照・引用:毎日新聞 2020年1月17日 朝日新聞 2020年1月17日
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2021年01月17日

5日目、6日目、7日目のあんばい

子どもの頃から大好きな大相撲がはじまっています。

観ているとお祭りがおこなわれてるようなウキウキした気分になれる。

子どもの頃の大スターは北の湖。

輪島というライバルがいて、いつも水入り休憩がはいるながい相撲にテレビの前でハラハラドキドキ、手に汗を握ったものだった。

最近、むかしの映像を観ると超満員の観客の声援がもの凄くて、いまとのギャップに愕然とする。いつになったら興奮して座布団を投げるなんてことができるようになるのか?

気が遠くなる。

パラパラの寂しい数の客を入れるのをやめて、もういっそのこと騒動がおさまるまで大相撲は無観客でやればいいのにと思ったりもする。

オリンピックも無観客試合でやると決断すればみんな安心できる。テレビの特等席のほうがリラックスできるし移動しなくていいし、スローも観れるしアップも観れるしいいことづくめ。

さてシュモウの5日目、6日目、7日目の中盤戦。

幕内最下位の明瀬山が好調で6連勝だったが、7日目に敗れた。

とくになにもやってないので何故、好調なのかわからないそうです。

たるたるのお肉が魅力的で相撲をとると、やわらかいお肉が相手のちからを吸収する。のれんに腕押し、ぬかにくぎてな塩梅で押しても押しても手ごたえがなさそう。

今回の活躍でファンが増えて、国技館では明瀬山グッズがたくさん売れているそうです。

大関、貴景勝はプレッシャーにやられて4連敗していたが、やっと初日が出てひと安心していたところの勝ったり負けたりでまだまだ安定しない。

大関、朝乃山も勝ったり負けたりで安定せず。もう1人の大関、正代は調子が戻ってきて6勝1敗。

主役は幕内筆頭の大栄翔、27歳。絶好調で7連勝、幕内力士のなかでただひとり勝ちっ放しです。

とにかくなにも考えずに突っ込んでいく毎日。素晴らしい相撲でメキメキとちからをつけて自信満々、相撲を取るのが楽しくてたのしくて仕方がない感じ。

6日目には191センチの巨漢、照ノ富士を圧倒一気の電車道。ちいさいからだなのに強いなあ。と関心していたら大栄翔も182センチで161キロもあった。いい体格。

押し相撲は調子に乗せると手がつけられなくなるそうです。

横綱候補をすべて押し出して関脇小結の役力士をすべて押し出して、これからは下位とばかり当たるので優勝必死。

けれども、そううまくいかないのが人生というもので勝負は時の運、なにがおこるかわからない。

これから中盤戦、そして後半戦、どうなるか・・・

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『大栄翔』おはぎやま風から逸脱してきた。
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2021年01月16日

炎のひと、はんどうかずとし

週刊文春、文芸春秋の編集長、専務取締役などを歴任された作家の半藤一利さんが亡くなられました。

中学生のときに東京大空襲を経験。

落ちてくる焼夷弾、いわゆるナパーム爆弾は土砂降りの大雨なんてものではないほどに激しかったという。ぜリー状のガソリンでできたナパーム弾は爆発すると、木や紙でできた日本家屋に飛び散りなにをしても消えなかった。

向島に住んでいた半藤さんは、炎と煙に追われて逃げまどい川に落ち溺れかけたが船に助けられて九死に一生をえる。

救われた船上から対岸のひとびとが、火だるまになり燃え上がって死んでいくのを目撃した。死体の浮く川の水を飲み吐きながら、無数に折り重なる炭俵のような焼死体のなかを逃げた。

この体験が半藤さんの人生をかえた。

なぜこんなことが起きたのか?無謀な戦争に突きすすみ多くの犠牲を生んだ戦争とはなんだったのか?探求する原動力となった。

文芸春秋の駆け出し記者だったころ、坂口安吾の原稿取りの役目をまかせられた。安吾に「歴史書にはうそも書かれている。」といわれ、史料をつきあわせて推理して合理性を探さねばならないのだと教えられた。

それを機に安吾に弟子入りをして“歴史探偵”を名乗る。

じぶんの空襲体験は口にしなかった半藤さんだが、ある元軍人を取材して明白なうそをつかれてみずから記すようになったそうです。

そこで見えてきたのは多くの焼死体を見ても感情をうしない、それを口にしたくなかったじぶんのこころだった。人間性をうばう戦争の恐怖と、口にしたくないことが闇へと葬られる体験継承のむずかしさにも気づいた。

それからは、現代史の裏側にひそむ真実を探り出す探偵の本領を発揮し、生涯をかけて歴史の掘り起こしをつづける。

戦争継続か降伏かで大日本帝国政府が揺れうごいていた1945年8月14日から、玉音放送で戦争のおわりが国民に知らされた15日までの24時間を関係者への綿密な聞き取りと取材で克明に描いた『日本のいちばん長い日』を1965年に刊行。

文芸春秋の社内に勉強会を立ち上げて、クーデター未遂など終戦の秘密にせまった。著名な評論家だった大宅壮一編として出版されたが、実際の執筆は半藤さんだった。

へえ、知らなかった。

作品には戦争をはじめた政治家や軍人への怒りと、戦争の悲惨さを伝えたいという気持ちが込められているそうです。

いまでもあのレベルを超える作品はないと評される、唯一無二のノンフィクションはベストセラーとなった・・・

恥かしながら読んでいないので読みます。

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温厚な人柄でひろくしたわれた半藤一利さん。驚異的な執筆量で晩年まで作品を出しつづけた。享年90歳、合掌。

参照・引用:2021年1月14日 毎日新聞 | 2021年1月14日 朝日新聞
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2021年01月15日

ビリケンあらわる

オニにうながされてシンイチは舞台へとあがる。

いくつもの好奇の目が彼を見つめる。

あおるように音楽がさらに早く大きくなる。

シンイチはからっぽの手を見る。と、老婆が彼の手を持って包丁を振り上げた。

ザクッと包丁は手の甲を刺しつらぬいた。手のけんを外してつらぬく老婆のワザに感心しながら、じわじわと広がる痛みをこらえる。

ここ越えたかったらカネだせ。ババアのしわがれ声が耳もとに粘りつく。

ネダン10万ポコ。シンイチはなにも持ってないのでただ首を振りつづける。ないならポコ切れ!ババアは甲高く叫ぶと出刃包丁を引き抜き、ドンっとまな板に突き刺してキバをむき出して笑う。

背中に脂汗をかきながらシンイチは包丁に手をかける。包丁はギロギロと鈍いひかりを放っている。手はブルブルとふるえ、血でヌルヌルとすべる。

自分のペニスを切り落とせというのか?そんなことが可能なのか。

爆笑しているオニたちにあおられて、シンイチは包丁を引き抜くと目をつぶった。

さよなら、マイリトルボーイよ。あきらめて目をつぶり息を吸い、さあ思い切ってひと息で。

と、そのとき男が叫びながら舞台に上がってきた。ジェスチャーでちょっと待てと叫んでいるとわかる。ばばあとじじいは知らん顔をしている。

絶体絶命のピンチにあらわれた救世主はやはり肌が黒かった。オオサカの神さま、ビリケンのようにあたまがとがっていて未熟児のような細長い目をして、からだ中から煙を立ちのぼらせている。

大声でババアとなにかを喋っている。ババアは、わかったわかったと、うんざりしたようにシンイチに戻るようにゼスチャーする。とりあえずじぶんのリトルボーイは助かったようだった。

つきそうようにビリケンがついてきた。ホフムラもなぜかついてきていた。オニは見ているがなにも言わない。

歩きながらビリケンは『ブダマツ』と名乗った。ばばあとおなじとろけるようないい香りがした。

あの男たちはねえ、大きな間違いをしているんだよなあ。ブダマツはそう良い声でいった。

肌の色が白いというだけでさあ、オレらを差別してるんだよねえ。ブダマツはよく通る太い声でいった。

ぼんやりと彼のことばを聞きながら、なるほど、彼のいうことが正しいのならばじぶんも肌が黒いのだろう。

シンイチはそう思った。

おまえのせいであきないがめちゃくちゃやないか。裏口からたてものの外へ出ると、ホフムラがシンイチを突き飛ばしてツバを飛ばした。わしのせいで?とまどいながら口ごもる。

まあまあ。ブダマツがすばやくかばう。

沈黙がどんよりと暗い空の色とかさなり重くのしかかる。事情は飲み込めないが申し訳ない気分でシンイチは下をむく。ほんましゃあないやっちゃで。ホフムラはそう吐き捨てるようにいうとどこかへ歩き去った。

さてとシンイチさん、いくところはないんでしょう。ボクたちのところへ来るといい。

そういってブダマツはさきに歩きはじめた。

シンイチは遅れないように、とにかくそのあとについていくのだった。

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『ホフムラ』
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2021年01月14日

シュモウ3日目、4日目

オシュモウの初場所3日目、4日目。

かえり入幕の明瀬山(あきせやま)が4連勝。

明瀬山はからだが、とってもおもしろいです。

たぶんむかしはもっと太っていたんだな。太りすぎでからだをこわして下位に低迷していた。いっぱつ奮起して、きっとダイエットに成功して体調万全で幕内に復帰したんだ。

だからからだの肉がとんでもなく垂れ下がっていて、まるでブルドックのほっぺのようで観てておもしろい。おもしろいけれどそのかわいい見てくれとは裏腹に結構強くて、それも魅力ですっかりファンです。

おなじく初日に観てから大ファンになった、新入幕の翠富士(みどりふじ)も3連勝。

カッコイイわあ。

身長171センチしかないのに、190センチ近い巨漢力士たちを地に這わせる。

所属する伊勢ケ浜部屋の稽古を観たことがあるけれど、気の強そうな照強(てるつよし)と実力者、宝富士と怖しい雰囲気の照ノ富士が凄まじい緊張感のなかで、はあはあ言いながら何回もなんかいもぶつかり合っていた。

照強も小さいのですが、もっと小さいひとがいて注目していた。いま思うとあれが翠富士だったのだな。

明日は明瀬山と翠富士がぶつかるのだって。どうしよう、どっちも頑張れ。とか思っていたら明瀬山が勝利、はやくも幕尻優勝の声がかかります。

大関復帰をめざす照ノ富士は、残念ながら4日目に大栄翔に敗れて2敗と足踏みです。

あっちゃんに似た顔の大栄翔は初日から朝乃山、貴景勝、正代の3大関を倒して、この日は2度の優勝経験を持つ実力者、御嶽海を圧倒し4連勝。台風の目になりつつあります。

貴景勝はもう負けられないけれど、4連敗でうーん。

押しシュモウは波に乗れないと連敗に泣くので頑張れ。今場所、もし負け越しても来場所に白鵬と鶴竜の両横綱を押し出して文句なしで優勝すればいいのだ。

朝乃山は2連敗したが、だんだんと調子に乗ってきた。部屋に関取が1人しかいないので、稽古不足で前半はいつも連敗する。本場所で調子を合わせるしかないのでしかたがない。

この騒動が終わるまで関取の少ない部屋は辛抱です。

まだまだ序盤戦ではやくも大混戦、実力伯仲、これからどうなるか。

おもしろくなりそうです。

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『おはぎやま風、明瀬山』
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2021年01月13日

シュモウはじまってる

大相撲がはじまっています。

古代、ユダヤの時代から面々とつづく歴史ある競技、スモウ。

ユダヤではシュモウと呼ばれているそうです。

ユダヤのシュモウがシルクロードを通りモンゴルから中国、朝鮮をへて、日本へとわたりスモウへと変化をとげた。

「はっけよいのこった」はヘブライ語で「打ち勝つことは神聖なこと、問題なし」という意味があるんだとか。ほかにもヘブライ語の読みと共通することばがたくさんあるそうです。
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そんな歴史ある相撲はわかりやすいほんとうにシンプルな競技です。相手を倒したら勝ち。ただそれだけ。そんで頭突きにカチ上げに張り手と完全に格闘技です。

みなさん引退したらプロレスへと進出していいところまでいく。力道山を筆頭にキラーカーンやラッシャー木村、輪島や天龍、etc...etc...それぐらいに格闘技のなかでも強いほう。

さて初場所ですが、新入幕の翠富士(みどりふじ)に大注目です。身長171センチで並みいる巨漢力士をどんどん転ばします。

必殺技は“肩すかし”

組み合っているときにスッと肩をすかす。見事に転ぶ相手力士。ちからとか体重ではなくて、一瞬の気の合わせ方で相手を地に這わせる。柔よく剛を制す、合気道に通じるところなのでしょう。

翠富士は照ノ富士とおなじ部屋で宝富士と照強なんていう幕内力士もいて、朝に練習したら終わる部屋が多いなかで昼まで練習をするので有名だとか。

鍛錬は裏切らないのです。

力士の多い部屋と少ない部屋で稽古の量に差が出てきている。いつもは出稽古といってほかの部屋へと出向いて胸を借りていたのが、いまはそれができないとか。

もうこうなってくるとどこまでを家族と考えるか?なんてのとおなじ。家族はいいけれど恋人とは会うな。という話を新聞で読んだけれどそんな感じです。

部屋単位で考えるか同門までと考えるか、相撲協会全体でおおきな家族と考えるか。

不公平がでないようにそして場所がおもしろくなるようにするならば、おおきなくくりでとらえたほうがいいのです。

大関復帰をねらう照ノ富士は、バカボンにそっくりな阿武咲(おうのしょう)のはげしい頭突きで敗退。素人ならば一発で気絶する頭突きを4発も食らって、さすがの照ノ富士も前歯が折れたのか土俵をわり苦笑いを浮かべていた。

さて今場所優勝したら横綱になれる貴景勝は、今井のあっちゃんに似た大栄翔に敗れてなんと連敗。大栄翔はつづけて大関をほふった。

大関も平幕も実力伯仲、誰が勝ってもおかしくない。

戦国時代の様相です。

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『おはぎやまふせん、模写2』Copyright nombre. www.nombre.jp
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2021年01月12日

鬼、おに、オニ

娘が夢中になって読んでいた漫画『約束のネバーランド』

目が回るほど忙しい毎日のなか学校の図書館から借りてきて、すこしずつ目を輝かせて読んでいた。

ついでにじぶんも読了。

近未来、オニたちが支配する世界でオニが食べるために育てられる人間の子どもたちの物語。その子どもたちが農園と呼ばれる食肉製造所から脱走して、運命に逆らって自由を目指す物語りです。

仲間が助けあうところは漫画の『ワンピース』に近いのか。政治的な国家の話が出てきたり宗教も絡んできて『風の谷のナウシカ』をほうふつとさせる奥行きも感じる。

最後は子どもたちがオニの王さまに助けられて、なんていうファンタジーもある。日本で映画化されて、今度はハリウッドが映画化に乗り出すぐらいによくできていた。

オニが出てくるところは、いま大流行の『鬼滅の刃』に似ている。しかし鬼滅の刃というのはどうもこころが惹かれない。

絵と物語が子どもっぽすぎる。デカすぎる眼とアニメすぎる声優の喋りかたが恥ずかしい。鬼滅が小中学生向けならば、約束のネバーランドは中高生向けてな感じ。

読んでいて思ったが、オニを人間と考えると食べるためにいきものを飼育しているのだから、いまの人類と構造はおなじ。

食べられるために育てられ、死ぬときは食べられるとき。子羊や仔牛なんて子どもなのに食べるのだから、このお話とまったくおなじで残酷だなあ。と思ったりする。

たまごなんて生まれるまえに食べてしまう。

残虐で残酷なことを人間はやっているのです。

残虐で残酷といえば最近、テレビのドラマやネットフリックスの映画を娘と観ていると、ひとを殺すシーンがけっこう出てくるので大丈夫なのか。と心配になります。

影響を受けるひとはかならずいるだろうことは容易に想像できる。観ているうちにオニにこころを喰われて、実行にうつすなんていうことにならなければいいのですが。

あいかわらず凶悪な殺人事件はなくならない。

古代からオニとひとは表裏一体、殺人鬼というくらいでオニと殺人はむかしから関係が深い。この世ならざるところに潜むオニ。

ひとがつくりだすオニ。

誰のこころのなかにもオニは住んでいるのです。

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『約束のネバーランド 鬼の王さま』を模写。コピーライトマーク白井カイウ・出水ぽすか/集英社
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2021年01月11日

オンラインの限界と肉体性の欠如

先日、舞踏家集団『デュ社』のオンライン新年会をやりました。

いまデュ社のメンバーは、向 雲太郎と湯山大一郎と中島加奈子の3人です。

加奈子とは2019年のドイツ合宿で出会いました。

世界から60人がドイツのお城に集まって、2週間にわたって合宿するというスケールが桁外れに大きなイベントだった。ひとが多くいればへんなひとも多くなるし期間が長くなればなるほど、いろんなことが多く起こるあたりまえ。

ほんとうに楽しかったなあ。

大駱駝艦の合宿を20年ちかく経験していたじぶんでも、へとへとに疲れ果てた。参加人数がらくだかん合宿の倍で日数も倍、たいへんさも倍ならば、楽しさも倍だった。

そんな合宿のさなか参加者の日本人女性がおどるというので観にいったら、めちゃめちゃにおもしろくて感動。日本代表の活躍を目の当たりにしたような感じで嬉しかった。

そのあとその女性、加奈子はなぜか雲太郎振付チームに参加、一緒に作品をつくっていくうちに意気投合、なんとデュ社に入りたいとなってメンバーになりました。メンバーになったけれどデュ社は、ダンサーの組合や互助会のようにしようと結成したので拘束力はありません。

デュ社で公演するときやメンバーの誰かが公演をやるときは集まって全力で協力し助け合うけれど、そのほかのときは自由、なにをやってもいいのです。

雲太郎と湯山が住んでいる日本時間で、夜7時にオンライン開始。

アイルランドは朝10時。かなこが住んでいるのはアイルランドの下のほう、コーブという海沿いの町。首都ダブリンとは東京と京都ぐらい離れているそう。外を映してもらったらいちめんの雪だった。

いまアイルランドはロックダウン状態だとか。けれども緊急事態が宣言された日本とおなじで、買いものに出かけるし普段と生活はおなじだそうです。

久しぶりに顔を見てスケジュールを確認して近況を報告したり、雑談をしたりしながら湯山とじぶんはお酒を飲んでいた。かなこはシラフだったのですぐに退出してしまった。

そうだよなあ。

飲みながらならばだらだら過ごしても楽しいけれど、シラフのオンラインでは雰囲気や臨場感の共有がないのでなにか工夫がないとすぐに飽きてしまう。

世界中で流行っていて、猫も杓子もオンライン、オンライン。

オンラインでワークショップをしているひともたくさんいるようですが、じぶんはまったくやりたいと思わない。なにか決まったことを一方的に発信するのならばいいけれど、それではつまらない。

対話しながら双方向のインタラクティブにすすめていくのがワークショップの醍醐味と考えているし、相手が能動的じゃないとつまらないのです。

そうして、その場の雰囲気や参加者の息遣いを感じながら、即興的にすすめていくのもワークショップのおもしろさ。

残念ながらオンラインでは到底・・・

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2019年8月におこなわれたドイツブルーリン城での野外公演作品制作風景。Photo: schloss bröllin e.V. / Peter van Heesen
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2021年01月10日

コクギを止めるな

大相撲春場所が今日からはじまります。

はじまりますが、感染者が出ているとかで15日間やりきれるかはわからない。

けれども気にせずにやるしかないのではないのか。

どんな職種、業種にかかわらず、仕事をしないと生きていけないのです。感染症対策に気をつけるあたりまえで、感染したらしかたがない。

こんなときだからこそ相撲ぐらい観たいのです。また無観客でやってもいいじゃないか。

そうして聞き飽きた両横綱の休場・・・鶴竜は引退必至です。もうピークの過ぎた35歳、あとは衰えていくだけだろうけれど練習がまったくできてないとか。

若手が新しくどんどんちからをつけてきていて今場所15日間、真剣勝負の相撲を取ることでまたメキメキと成長する。

家で休んでるおじさんと、毎日土俵で真剣勝負をしてるわかものの差は広がるばかりでしょう。

本番に勝る稽古はないのです。

白鵬35歳は不可抗力の感染だから気の毒、感染はいつ誰でもする可能性があるのです。これで白鵬は感染を気にすることなく稽古ができるので、来場所に期待です。

どちらにしても、両横綱の時代は終わっている。残念ですが、上がいなければ下が育つあたりまえ。楽しみです。

新しく大関になったかわいい顔の貴景勝24歳が最有力優勝候補です。先場所は、おそろしい顔をした照ノ富士29歳との2番つづけての死闘を制し優勝。

その照ノ富士も優勝候補筆頭、圧倒的な不動の相撲で今場所もしも優勝したらいよいよ大関に返り咲けるかもしれない。

2人ともノリにのっているので楽しみ。

先場所、全休した朝乃山26歳と正代29歳の両大関はそろってカド番、今場所負け越すと大関ではなくなってしまう。一度落ちると戻るのは至難のワザなので、2人とも見ものです。

琴勝峰21歳なんていうピチピチの新人も前頭3枚目まで上がってきているし、豊昇龍21歳も幕内にはいってきた。おにぎりみたいな顔をした隆の勝26歳も強くなってきていて、今回も関脇で大関を狙える位置に腰をすえる。

番付上位には大関経験者や実力者がひしめいていて、今場所も誰が優勝するかまったくわからない大混戦になりそうです。

15日目、NHK最後のハイライト映像まで目が離せない。あっという間に見事に編集がされて放送されるので、いつも観て感動します。

今日の解説はカッコよくて大好きな元横綱、北の富士さん。

軽妙洒脱、ちからの抜けた解説はいつ聞いても愉快なのです。

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『おはぎやまふせん』を模写。Copyright nombre. www.nombre.jp
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2021年01月09日

The anniversary of Yoshito Ohno's death

昨日、1月8日は大野慶人さんの命日でした。

1959年、舞踏の生まれた瞬間に創始者、土方巽と立っていた奇跡のような、生き字引のような存在だった。

その舞台は『禁色』といって20分間、ほとんど真っ暗だったとかニワトリを絞め殺して観客が気絶したとかすでに伝説になっている。

能狂言、歌舞伎だったらあたりまえのように、人間国宝になって然るべきひとだった・・・

慶人さんをはじめて観たのは、川口隆夫さんの『大野一雄について』のときでした。本編が終わってフィナーレで、客席にいた慶人さんが花束を持って舞台へと上がった。

舞台へ上がるときに平然と二度、三度と花束を舞台に思いっきり叩きつけて観ていて唖然として、度肝を抜かれた。

一瞬でその場を支配する迫力に「本物が登場した」と、ひと目でわかった。

紛れもない本物だけがまとう雰囲気。荒々しいのだけど粗野ではなく、輪郭が濃いというか、いい加減で適当な怖さを感じた。

そのあと、ロビーで乾杯があって残っていたら、遠くに慶人さんが見えたので近づいて機を伺って、勇気を出して挨拶し話しかけた。

「何故、花束を舞台に叩きつけたのですか?」とたずねたら「だってそれはあなた、舞台にも挨拶をしなければいけないでしょう。」ウーロン茶を飲みながら、当たり前のように答えられて「はあ、なるほど。」となった。

「お酒ではないのですか?」と、おどろいて尋ねたら「アル中なので飲まないようにしてるんです。」と答えられてことばがなかった。

大野一雄舞踏研究所代表の溝端さんに聞いたら「ストレスでしょうね。」と言っていた。

あまりにも偉大な父親をもってしまったプレッシャーだったのか。

じぶんもまだあんまりわかってない若い頃は、大野一雄のそばにいるスキンヘッドのおじさんってな認識だったもんな。失礼しました。

それから、横浜のBankART studio NYKで一緒になったりして何度かお話しする機会を得た。

「わたしはね、土方さんにことばで振りつけられたから、いまもこうして自由に踊っていられるんです。かたちで振りつけられたひとたちはね、皆んな踊れなくなっています。」

そんなことを仰っていた。

80歳を超えてパンツ一丁になって、ひと前でおどる姿をみて「果たしてじぶんは80の時にあんな風におどれるだろうか・・・」自問自答したものだった。

あるアフタートークのときに「笠井さんが“舞踏”と言いはじめて、土方さんもいいじゃないか“舞踏”、舞踊は“ぶよぶよ”してる“ぶとう”ってのは固くていいね。と言ってた。」と仰っていた。

「へえ、そうなんだ・・・」とこころにメモメモ。

城崎国際アートセンターのレジデンス応募の際は、慶人さんに推薦状を書いて頂いた。

あれは一生ものの宝です。

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『大野慶人』享年81歳。 
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2021年01月08日

感染拡大は、個人の責任だそうです

日本国内に遅ればせながら緊急事態が宣言されました・・・

あれ、日本全国ではないのか?

なぜだろう?

普段は「にっぽんにっぽん」叫ぶのにこんなときにだけ、悪ものと良いものに分ける不思議。にほん全体で協力しあって静かにすればいいのに。

“パチンコ店”と“夜の町”のお次は、飲食店に責任を押しつけてなにをやっているのだろう?つぶれるのが嫌で借金を背負いたくなくて、時短営業などできないお店の名前を公表すると脅しをかけるなんて言語道断。

すぐにお金で解決しようとするけれど、そういうことではないのです。

いろんなことをあと出し小出しにして勇気がないのか。中途半端な策を小出しにするのは兵法では禁物、旧日本軍はそれが原因でアメリカに敗れた。

『兵力の逐次投入』というやつです。戦闘をしているときに、その都度場当たり的に兵力を投入するのは百害あって一利なしだそうです。

滅びた大日本帝国がなぜ逐次投入の思考に陥ったかというと、正確な情報収集を怠って敵の戦力をあなどって根拠のない楽観に基づいたから。

自分や自分のお友だちが儲かることだけを考えて、自分たちの都合のいいように考える楽観は厳しい現実によって打ち砕かれた。

この国のリーダー、しっかり国民を引っ張っていってください。よろしくお願いします。とか思っていたら、昨日の菅首相のテレビでの挨拶はなかなか真剣な感じだった。

けれども、いちばん訴えかけていた若者はテレビなんて見ないから伝わらないのだろうなあ。とも思ったりした。

いっぽう国外に目を向けると・・・

ドイツでは1日に590人が亡くなり、メルケル首相が目に涙を浮かべながら演説。

アメリカでは議会にてバイデン氏の勝利を確認。

トランプさんの演説にあおられて暴徒化したトランプ支持者が議会に乱入、警官と銃撃戦になり5人が死亡したそうです。

バイデン次期大統領は「テロ行為である」と断定、犯人はアメリカ国家の正当な法律によって裁かれるでしょう。

さすがにこれ以上の悪役を演じられないと判断したのか、トランプ現大統領もバイデンさんの当選をみとめて「理解と融和のときだ」と暴徒を非難し暴力をやめるように呼びかけた。

就任した4年間ではじめての善行。

最後のさいごに良いことを言うなんて、さすがはアメリカテレビ界最高のエンターテイナー、ドナルド・トランプなのでした。

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関係ないけれど、昨日の朝日新聞の宝島社の見開き広告には見事に斬られた。企画:宝島社+ADK  エグゼクティブ・クリエイティブディレクター:能丸裕幸(晦DKクリエイティブ・ワン) コピーライター、クリエイティブディレクター:三井明子(晦DKクリエイティブ・ワン) アートディレクター:副田高行(副田デザイン制作所) デザイナー:綿田美涼 撮影:熊谷元一

参照:2021年1月7日 朝日新聞 | 2021年1月8日 毎日新聞
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2021年01月07日

暗闇を抜けると

シンイチは真っ暗な通路にいる。

通路には明かりも何もないがだんだんと目が慣れてきた。

前からは相変わらず大声と悲鳴が聞こえてくる。それをかき消すように重低音で、ものすごい音楽も聞こえてくる。

じりじりとすすんでいると、うしろのおとこが話しかけてきた。肌が真っ黒な、その背の高いおとこは『ホフムラ』と名乗った。どうもどうも、はじめてですか。じっと前を見つめながらにこやかにホフムラは喋った。

はじめて?ホフムラさんはなんども来とるんですか。まあね、オニとあきないをしとるもんで。

オニ?聞いたことのないことばにシンイチは、内心戸惑いながら曖昧にうなずく。あの銃をもって入り口にいた、肌が白くて真っ赤な顔をした鼻の高い男たちのことか。

よく見えなかったが、シンイチにはわからないことばでなにかを話し合っていた。だって悔しいじゃないですか。あいつらのためにわしらこんなふうになったのに、まだいじわるしよるねん。

ホフムラは心底うんざりした顔でそういうと、ため息をついた。彼らのためにこうなった?どういうことだろうか。考えながら歩いていると前が明るくなってきた。

暗闇から突然に明るいところに出たので一瞬目が見えなくなる。相変わらず凄まじい大音量に混じって悲鳴が聞こえている。

まだ状況はよくわからない。

舞台のようなところに老婆と老爺がいて、1人づつそこへとあがり何かをしている。それをオニたちがとり囲んでワイワイと騒いでいる。

つぎ!

ばばあがそう叫ぶとシンイチの前の男がおそるおそる舞台にあがった。明かりが男に当たる。からだが浮き上がるほど、音楽が大きく鳴り響いている。地面が揺れるぐらいの大きさだ。老婆が包丁をまな板に突き刺して、怖しい形相で男をにらんだ。

オニが何か叫んでいるがよく聞こえない。男は首を振りつづけるが、観念したように包丁を持つと自分の股間に包丁をあてる。

ぎゃー!舞台上には男の凄まじい叫び声が鳴り響き、オニたちは爆笑する。男は股間から血を流しながら、切りとった自分のイチモツをじじいに渡す。じじいはそれを目の前にある天秤にヨロヨロとのせる。

あれで愛国心をはかってんねんや。うしろからホフムラが笑いながら耳元にささやいた。

カタンといって天秤はイチモツのほうへと傾いた。

男は老婆からチケットのようなものをもらうと、先の黒いカーテンのなかへ泣きながら消えた。

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『無題 2020.1.7』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:41| 小説のようなもの

2021年01月06日

ブログ?について

この『ブログ?』をはじめて今年で3年目です。

「50歳は新しいことをはじめるのにいい歳」という糸井重里さんの言葉に触発されて、51歳の誕生日にはじめました。

ウェブサイトの立ち上げは、妻にやってもらった。Webの仕事をしているので心強くて頼もしいです。

最初の立ち上げはやってもらったが、いまは自分自身でやっています。HTMLのソースを直したりしてつくっている。ウェブというのはHTMLという下記のような構文でできているのです。

<div><span style="font-size: 11pt;">文字を大きくしたり小さくしたりもソースコードでやります。</span></div>

でこんなことができる不思議でもあんまりやりすぎるとです

ソースがわかるのは、大駱駝艦時代にウェブサイトをつくっていたからです。勝手に立ち上げて毎日、しこしことやっていた、むかし取った杵柄。

この『ブログ?』は嘘がないように心がけているけれど、最近は小説風のフィクションも記しています。

文章は結構、気をつけています。漢字もなるべく読みやすいように、ひらくようにしています。

井上ひさしさんの『私家版日本語文法』によると句読点の決まりというようなものは特になく、大手新聞社がその規範をつくっているそうです。

大手新聞社はカギ括弧の外に丸をつけますが、芥川龍之介や宮沢賢治はカギ括弧の中に丸を入れています。

「別にどちらでもいいのです。」

「文章なんて読みやすければなんでもいいのだ」。

若い頃にデザイナーをやっていて、大駱駝艦でもデザインをばんばんやっていたのでPhotoshopとIllustratorのソフトをつかえます。

最近アップしているイラストもPhotoshopでコントラストを上げて彩度を上げたり、色をつけて加工をしている。

いまアウトプットの場は、この『ブログ?』ひとつ。

文章と絵と写真とソースとで構成されるウェブログという“媒体・メディア”。

なりわいの舞踏では肉体というメディアを駆使します。新聞、本、ラジオ、テレビ、映画、そしてインターネットなどの二次元のマスメディアに決定的に欠けるものは“肉体性”だったりする。

リアルな肉体をつかっての表現行為、舞台活動。からだをつかっての表現はたいへんです。たいへんだけれど全存在をかけて他者とかかわれるメディアなので、おもしろさはとてつもない。

とてつもないけれど、非常事態のさいには真っ先に影響を受けてしまう。

運や縁もあるのだろうけれど、いまのこの緊急事態のなか『ブログ?』がじぶんにとってのベストメディアなのか。

そう思ったりするのでした。

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画用紙に描いた原画を・・・

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いろいろとPhotoshopで加工して完成。
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2021年01月05日

おめでとう

「舞踏というまだない職業で食べさせて頂こうとしているパイオニアみたいなものだから、貧乏なのは仕方ないよね。」といってくれる妻。

苦労ばかりをかけています。

1月3日は、そんな妻の誕生日でした。

出会った頃は、まだふたりとも20代だった。それから約30年。いろんなことがあったけれど、ふたりで乗り越えてきました。喧嘩はあまりしませんが、どんなときでもほぼじぶんが悪いので「ごめんなさい。」

仕事では一生懸命に勉強して泣きながら手に職をつけて子どもを産んで、在宅で仕事ができるように考えて子どもを育ててきた。

じぶんの糊口をしのぐので精一杯の旦那に代わって、ひとりで娘を育てているようなもの。あたまが下がります。あたりまえですが、仕事がないときはできるかぎり主夫をします。

洗いものに片付け掃除に洗濯、ゴミの分別、ゴミ捨て、買いもの、etc...etc...

家事というのはたいへんな仕事ですが、いちばんたいへんな料理をつくるのを妻にやってもらっているので偉そうには言えない。彼女は料理をするのが好きなようです。

じぶんはどうも料理より、洗いものや掃除や片付けのほうが得意なようなので分担しています。

掃除はアルバイトで長くやっていたし、好きなので徹底的にやります。各部屋の掃除からはじまってキッチンの掃除、廊下、トイレ、風呂、洗面所、玄関、etc...etc...

先輩や同期や後輩は、みんな生活のために舞踏をやめていった。妻のためにやめるという選択もある。

じぶんは結婚するときに「女房、子どものために舞踏をやめることはしない。それでもいいのなら。」と承諾を得ています。

「すまない。」こころで手を合わせます。

1年に1度しかないせっかくの誕生日。まずは朝からコーヒーを入れてあげます。コーヒーミルはクリスマスにプレゼントしました。

ほんとうはホテルで豪華な会食ができればいいけれど、そんな身分ではないし贅沢なので、自宅で出来るかぎりのことをしようと家のなかをぴかぴかにします。

夜は新年早々、なんとお風呂が壊れたので近所にあるスーパー銭湯『お風呂の王様』へ。大きいお風呂はやっぱり気持ちがよくて「これも誕生日プレゼントだな」としみじみと思います。お風呂が壊れなかったら思いもつかなかった。

お風呂のレストランで晩ごはんを食べて、つつましく乾杯。

「これからもどうぞ、よろしくお願いします。」

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常識人の妻のために一応、結婚式はあげた。
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2021年01月04日

あらためまして、プロフィールのような

向雲太郎(むかいくもたろう)ともうします。

舞踏というものをなりわいとして、生かして頂いております。

1994年に舞踏カンパニー大駱駝艦に入団。

舞踏家、麿赤兒に弟子入りし修業。

それから約20年間、すべてのラクダカンの本公演へ出演し2001年からは、自身の振付・演出作品の発表を開始。10作品を発表して、国内6都市、国外6都市でも公演。

2001年に創った処女作『2001年壺中の旅』がさまざまな要因がかさなり、ビギナーズラック的に大ヒット。師匠も唸るほどの出来栄えで再演をかさね、2006年には、第37回舞踊批評家協会賞・新人賞を受賞。

2012年7月に大駱駝艦から独立、ソロ活動を開始。

12月、ソロ作品『アホとロマンの皮袋』を発表。白塗りとの訣別の気持ちを込めてオープニングで塗り、エンディングで白塗りを落として終わった作品。

「やっと雲太郎という名前の意味がわかった」by 山田うん

「ここまでおもしろいとは思わなかった」by 遠田誠

「この人はこれからどんどん有名になる人だから」by 大須賀勇

「あなたの頭のかたちは観ていて飽きないわね」by 秦宣子

評判はとても良かったけれど、再演の機会がなく今日まで来ています。どこでも再演いたします。

2013年からセゾン文化財団のシニアフェローを頂きはじめた。これは嬉しかったなあ・・・日本で年間に数人しかもらえない助成金。

普通は伝手があったり、独立してからの仕事の目処をつけて辞めるのだろうけれど、そういうことが嫌だったので徒手空拳のまま独立。あるのは不安だけだった。

この独立してから助成金をもらっていた3年間は、夢のような充実した毎日でした。だいぶん舞い上がって『ワークインプログレス』『舞踏?』『遊機体』とたてつづけに作品を発表。

2014年に曽祖父が被爆死したヒロシマの原爆を扱った作品『ふたつの太陽』にて舞踏家集団『デュ社』を旗揚げ。

2015年、前代未聞、全編無音の問題作『春の祭典』を発表。賛否両論を巻き起こすが、ちから及ばず世間的にはまったく話題にならず残念。リクリエイションしたい。

2016年『ぴちがい裁判』では劇作に挑戦して死にそうになった。クラウドファンディングもやって頑張ったが、赤字を背負って身うごきができなくなる。

2018年、活動の拠点を淡路島へと移動。

2019年、デュ社第4回公演『舞踏?レクチャーパフォーマンス』を城崎国際アートセンターにておこなう。

「舞踏とは何か?新しい舞台表現とはどういうものか?」と問いながら、おもしろいということにこだわり作品を創りつづけています。

また日本国内はもとより世界各地でも、からだへの様々なアプローチを試みるワークショップを開催しております。

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『舞踏という何か』刊行イベントにて。photo by bozzo. 2020.2/14
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2021年01月03日

1年の計

1年の計は元旦にあり。

ということで2021年のスケジュールをグループ内で共有、確認。

文化庁継続支援事業の申請が採択されたら1月から準備に入り2月に材料を買って、2月7日から14日まで作業をする。

都志の庭に感染症対策万全の舞台を作ります。野外だから換気も必要ないし、観客も距離をとりながら外で観るのです。

感染症対策万全の舞台を作るのだから、どれだけ感染が広がろうが作業をするぞ。そうじゃないと事業じたいをやる意義がない。

移動しても、2週間外出自粛して誰にも会わなければ経験上安心、大丈夫。

東京に緊急事態宣言が出るようですが、街を歩いても危機感をまったく感じない。30歳より若いひとたちがテレビを見ないので情報が共有されていないという話しを聞いたけれど、いまはネットの情報もあるし関係ないのではないのか。

そもそもまわりに感染したひとがいないし、ましてや重傷者やもちろん死者なんていないのだから危機感など持ちようがない。

いくら数字を並べられてもピンとこないし「ほんとうに緊急事態なのか?」と疑いたくなる。何度も同じことを言うので、オオカミ少年のように信じてもらえなくなってしまっているのかもしれない。

緊急事態のところはどこかと考えたら医療の現場なのだな。と容易に想像がつく。

けれども医療の最前線なんて、いつでも緊急事態なのではないのか。そんなふうに思う。

常に緊急事態の医療の現場とそうではない、お琴の音色が流れるのんびりとした市中。このコントラストはいままでもそうだったし、そしてそれが正常な状態なのでしょう。

都志での作業が終わったら、3月ぐらいから5月京都でのワークショップの内容を考えてチラシをつくって宣伝開始。上野で金粉ショウの予定があるがどうなるか。

6月はいろんな助成金の募集が開始されるので「がんばろう。」

7月、雲太郎は横尾咲子さんに招聘されてメキシコへ。鉄秀とライブペイントです。こちらもどうなるか微妙。帰ってきたら鉄割アルバトロスケット公演。今年はやれるか・・・もし鉄割が中止ならばオリンピックも中止だな。

8月は都志合宿と発表会。こちらもどうなるか。9月か10月に我妻さんの公演に出演。

そのあとはとにかく人数を増やしつつ、2022年5月6月の『デュ社』京都、東京ツアーを目指します。

新しい年のはじまり、みんながリーダーだと思っておもしろそうなアイデアをどんどん出し合っていきます。

どんな状況でもしたたかに、あそびアソビなのです。

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村上翠亭『ガラス戸』臨書
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2021年01月02日

2021年、元旦

さあ、正月です。

今年の元日は浅草の加茂川旅館からスタート。

世田谷区民のために寝ずに働いている奥村勲君には申し訳ないけれども、正月恒例の朝湯朝酒朝寝です。

部屋の風呂に入り、朝っぱらから昨日、気のいいアラブ人の兄ちゃんがはたらくコンビニで買った京都の銘酒『玉乃光』を頂きます。

呑みながら、テレビで新春らしい観世流の狂言『すえひろがり』を拝見、臍下丹田の一点で呼吸し発声しうごく狂言師の見事な一挙手一投足に感動。

感動したあとも日本各地の神事を拝見、神さまをうやまうという人間の尊いこころに思いを馳せます。

仏を思う気持ちでも神さまをうやまうこころのどちらでもいいけれど「人間にとって宗教は必要なのだ。」

ほぼほとんどのひとがヒンズー教のインドの現代美術館で、そうひしひしと感じた。

ほぼほとんどのひとがキリスト教の国、アメリカはワシントンにある巨大なリンカーンの白い像を見たときに感じ、1ドル札を見るたびにもそれを感じる。

とかとか、ぬくぬくとした布団の中で考えていたら眠たくなってきます。

元日は風呂の湯があふれる初夢を見た。

気づいたら巨大なお風呂の湯があふれていて、廊下もお湯がひざぐらいまできている。そのなかをみんなが「ざぶざぶ」いわしながら右往左往していた。

水の夢はこころの歓喜をあらわすとか。お金も貯まるとの説もあるので、今年はお金に縁があるといいなあ。

チェックアウトの時間になったので名残惜しいけれど、宿を出立。

元旦の浅草の町は、それほどひとがいなくて屋台は出店停止になっていた。テキヤのみなさんはお気の毒、数字でしか考えないからこんなことに・・・

と、新年早々愚痴はやめておこう。

働くのは生まれて2度目の娘の姿を遠くから眺めたら、もこにゃんの待つ我が家へと帰ります。

帰りの電車はひとが少なくて、冬晴れと相まって気持ちが良かった。1日24時間、1年365日、こんな感じだったら生きるのが楽なのに。

大晦日は足が冷たくなるぐらいに寒かったけれど、路上で寝ているひとを何人か見かけて「大変だなあ。」と同情した。けれども、じぶんには余裕がないので助けてあげることはできない。

毎日毎日、最高級料理店で有名人や取り巻きと会食してるお金を少しまわしてあげれば助かるのになあ。

とか思いながら、申し訳なくて顔をすこし下げながら通り過ぎました。行政がやればいいのだろうけれど、ベンチに寝転べなくするなんていう弱者に厳しい世の中になっているのです。

と、また暗い話しになってきた。

もうすぐ、かわいいもこにゃんの顔が見れる。

帰る足が自然と早くなるのでした。

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臨書『ゆき』書:青木香流 詩:草野心平
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2021年01月01日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

本年も向雲太郎、そして舞踏家集団デュ社、ともども「よろしくお願いいたします。」

ことしは明るい素敵なとしになるといいなあ。

昨日は浅草へと家族で小旅行、天気もよくておだやかないい大晦日でした。浅草寺にいったらアジア系の方が沢山いた。けれどもさすがに欧米からの観光客はひとりもいなかった。

大晦日の仲見世通りにしてはひとが少ないのだろうけれども、あれぐらいが歩きやすくて店にも入りやすかった。

お店からしたらいつもより売り上げは落ちているのだろうけれども、いままでが異常だったのです。

おなじく観光都市の京都も海外からの観光客でごったがえして歩くこともできず、バスにも乗れないなんていう状態になっていた。

いきすぎたグローバル化で・・・まあ、いいか。

食べものもほんとうは地産地消が自然だし、海外の食べものなんてむかしのように将軍や天皇だけが食べるので結構。

空輸してなにかを犠牲にして速攻で届くなんて不自然、ひとはもっと不便さを知らなければならないのです。

とか考えながら早めに宿へとチェックインして荷物を置いて浅草をぶらぶらします。

それにしても浅草ってのはカッコがいい町です。一時期、戌井昭人氏が住んでいましたが、住みたくなる気持ちがわかる。道ゆく地元のひとたちもどこかイセイがよくてカッコがいい。

伝統を感じさせる素敵なお店も沢山あるし、だんだん興奮してきます。

お昼ごはんを食べたら日本で1番古い遊園地『花やしき』へ。

花やしきは大駱駝艦のメンバーだった今井敦子が貸切で結婚式をやったり、映画の撮影で通ったりとなかなかになじみ深い。

ひとしきり遊んだらふたたび町をぶらぶら、娘がチェックしてきた流行りのおしゃれなスイーツのお店めぐり。

凄まじく寒くなってきたのでじぶんはさきに退散、宿へと戻ります。泊まったのは仲見世通りからすぐの加茂川旅館で伝統はあるようだったけれど、おしゃれで小綺麗だった。

裏は浅草公会堂。

ここには新入りのころにらくだかんの公演で通った。毎日近くの店で呑んだくれて楽しかったなあ。

時間になったのでお風呂へといきます。なんと貸切、広いお風呂をひとりじめ。1年の終わりに最高の気分になって腹の底からやる気がみなぎってくる。

「やるぞお」とひとりで気を吐きます。

夜は寒いので部屋で乾杯。

はやばやと寝て、起きたら年が明けていたのでした。

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今年の年賀状。photo by bozzo.
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