2018年11月08日

雑談

さて、何を記そうか。毎日大変なことが起こっているようでいて、別に生き死にに関わるようなことは起こっていない。

舞台の上では本気で泣いてはいけません。本当か?本当にそうか?舞台の上はフリースペース。何をやったっていいんですよ。本当か?実は何をやってもいい場所ではなかったりして。

観る、観られるってどういうことだろう。観られていると意識をしてつまらない踊りしかできなかったり。でも観客のいないところでの踊りは、独りよがりでだめだったり。

本番三日目、中学生が大挙して観に来て。「意味はまったくわからなかったけど、感動した。」とか言ってたと聞いて結構ショックを受け。意味?

”意味”って何だろう?作品の意味?踊りの意味?舞踏の始祖、土方巽は徹底的に意味から逃れようとした人だけど、中学生に意味がまったくわからない。と言い切られてしまうとやはり考え込んでしまう。

そして昨日は、舞台に出るということも考えさせられる日で客入れからオープニング、楽屋でもらい泣き。「恥ずかしい。」って何だろう?恥ずかしさのない舞台は、下品なだけなのかもしれない。存在のチラりずむ。そしてソロでやっと初日が出たか。

舞台上で色んなところを打って舞台の外で毎日飲みすぎてからだがボロボロですが、木谷真一70歳ですから多少ボロボロぐらいの方がリアリティが出るかもしれません。

そう言えば、本番中に赤ちゃんが泣きはじめ。ソロをやっている時だったので、1945年8月6日のあの日の夜、唯一の希望は赤ちゃんの鳴き声”生命の息吹”だったのではないのか?と舞台上で耳を澄まし微笑む。神の演出。からの原爆”リトルボーイ”前で猿になるという閃きも得て。

火を手にしてしまった猿、人類。プロメテウスから火を与えられた人類。

とりとめがない話になってしまいましたが、ここメキシコではこの20年間で14万人の人々が殺されているそうです。一発で14万人殺す。20年で14万人殺す。

人間というのは自分のことしか考えていない、自分がよければいい。自分の利益のために人を殺す。いつ本能が壊れてしまったのか?「猿は猿を殺さない。」でもわたくしのまわりにはそんな人は一人もいないので安心安心。

しかし、それも平和だからなのか。いざという時、全員がほんとうに大変なときにどう動くのか?常に考えておかないと、平気で親友を裏切ったりしてしまうのかもしれない。

恐ろしい。

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出演者紹介。エスパル家の長男、じげん。お母さんの言うことをまったく聞かない悪戯坊主ですが、妹と相撲をしてわざと負けてやったりする心優しいところも見え隠れ。初演で松原東洋がやっていた走る役を務めます。
posted by Mukai Kumotaro at 13:04| 日記

2018年11月07日

1997年2月、30歳

Don't act. More real. More simple. 演じるな。動くな。そこにいろ。

ヒトが一緒に見ることのできる夢とは結局、この現実。リアリティということ。頭の中で考えたリアリティではなく現実のうごきを、アクションを伴った現実の世界に、ほんものの変化のチャンスを与えるほどの力を持ったものでなければならない。のか。

しかし現実と立ち向かい、現実を凌駕するほどの夢もあるのだと思う。政治も科学も不可能だとわかりきっているいま、創造行為は可能なのか。常に自問自答して、でも柔らかく面白く。このクソつまらなき世の中を面白くしたい。

2月4日
キムさんより留守電。モノになる、モノが在る、そこにある身体。について「オレは身体をモノだと思っているので、やはり在る。というほうがあっていると思う。」

昨日、森下スタジオのワークショップのあとに飲み屋で話したことについて、電話をくれ留守電を入れてくれたキムという男の生真面目さに驚く。

2月17日
天鶏アメリカツアー中の、上田ユカリちゃんからエアメールが届く。

トリヰさんのヘナチョコパワー全開でアメリカ人もびっくり。スタンディングオベイションの嵐、Sold out 続出で追加公演決定だって。陸奥子さんは元気で、上田ちゃんは倒れて海老はホームシック。

そう言えば、この天鶏アメリカツアー中、照明の柿嵜清和がアメリカ人スタッフに10メートル超の脚立をわざと倒されて、脊椎損傷の大怪我をしたのだった。

アメリカはユニオンが強いので礼儀をわきまえて付き合わないと、そんな仕打ちを受ける。向こうにとっては死活問題。仕事を奪われてはやってられない。任せておくことが大切。郷に入っては郷に従えだ柿嵜。

さて2018年11月7日、昨日は初日よりもいい雰囲気で本番を終え、ほっと一息。12時からだったので14時には全てを終えて。

さて、あとは何をしたらいいのか?わからないような贅沢なような調子が狂うような。そんな感じでした。

今日は、ソロをもっとよくします。まだまだ考えることが一杯あります。

俺の仕事は考えることなので当たり前。そしてそれを実行してみて、また通しで観ている咲子とDillの意見を聞くのだ。

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ダンサー紹介。Aime Irasema Sanchez ”イラセマちゃん”と呼んだ方がいいようなヤングガールです。 
posted by Mukai Kumotaro at 07:09| 日記

2018年11月06日

いま

時差の関係で、メキシコはいま11月6日(火)の午前9時です。日本より15時間遅れています。ということはどういうことだろう?

このブログ?は日本についたら二日分書けばいいということなのか?まあいいか。

昨日は、CEDRAM公演初日。よく言えば緊張感のある舞台で、そうでなければやや硬かったかな。という感じで。全体的にはまあまあという手応え。

しかし自分のソロというのは最後の最後まで後回しになるのでほぼぶっつけ本番でになるのですが、やってて「なんだかただうろうろしてるだけだなあ。」とかやりながら思ったり。

作・演出・振付が出演していると、本番を自分の眼で客席に座って通しで観ることができない。という宿命を抱えます。このスタイルは世界中に沢山いると思いますが、皆さんどうしてるのかな。

信頼のおける人にかわりに観てもらう。これが一番多いのか。ビデオでチェックする。これはあまりよろしくないです。映像にはその場の雰囲気や大切なものが写っていなかったりするので。単なる間違い探しやあげ足とりになりかねない。

一番手っ取り早いのは出ずに作・演出・振付に徹してしまう。まことクラヴの遠田誠も最近このスタイルになっていますが、最近わたくしも自分が出てしまうことの無理を感じています。

伊藤キムさんも一時期、自分は出ないようにしていましたがはたから見てるとそれだとつまらない。

大駱駝艦の舞台を観ているとそんな問題は全く感じないので、やればできるのだと思ったり。まあしかし麿さんは麿さんで俺は俺なんだとも思ったり。

昨日の本番前の通しでは足がずーっとつっていました。劇場が寒いというのが原因だと思うけれど、思うようにいかない自分のからだに腹が立って頭にきました。もう寒い時期は踊れないからだになってきています。

そういう意味でも作・演出・振付に徹する時期に来ているのかなと思ったり。まあでも行けるところまでは頑張って行ってみるか。

今日は、二日目。昨日は晴れて久しぶりに太陽を拝むことができて、気分も晴れやかになって本番に臨むことができました。今日は朝から息が白くなるほど冷え込んでいます。なんとか晴れるといいなあ。

作品も晴れやかにもっと面白くなるように、咲子プロデューサーからダメ出しや感想をもらって皆んなで打ち合わせして二日目に挑むのだ。

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ダンサー紹介 Shila Rojas 通称”シーラ”。冷静で知的でエレガントなお姉さんです。 
posted by Mukai Kumotaro at 09:14| 日記

2018年11月05日

さて

昨日は、朝から明かりづくりでした。同時に音のチェックもするのでたいへんです。目が回ります。

ナレーションに合わせてうごきもチェック。しかしスペイン語なので、いまなんと言っているのかわからないからこれもたいへんです。

踊りのほうは長い時間をかけて創ってきているので安心。あと入りの隆夫さんの演出も同時につけていきます。遊び心に満ち溢れ、存在感抜群の肉体を持っているのですぐに決まります。よし。

初演の時に師匠の麿赤兒から頂いた、幾つかのアイデアを現実化させます。

客入れでカーテンの向こうで本を読む少女”しず”。そこに不気味に近づく黒い影”隆夫”。真っ白な太陽を横切ってカーテンの中にゆっくりと忍び込んでいく黒い影。

初演の時はここで暗転にしたのですが、麿さんに「あれは勿体ない。あそこからの展開が観たいんだよ。」との感想をもらったのでそのあとを創ります。

忍び寄る影に気づく少女。ゆっくりと椅子から立ち上がり後ろへと下がっていく。ゆっくりと近づく影。逃げる少女。でも興味もある。「なんなんだろう?」すこうし近ずいてみる。「逃げないと危ないぞ。」

あとは、エンディングです。

原爆”リトルボーイ”の模型を斎藤英治に作ってもらったのですが、初演ではマッドサイエンティストと木谷真一でラグビーみたくキャッチボールをしたりしていました。

後日、大駱駝艦の事務所に行って色々な感想やダメ出しを聞いたのですが麿さんに「あれ、お前観客に渡したらいいんじゃねえか。」と言われてなるほど!

原爆を渡された観客は、困ってしまいます。人類の未来を手渡されたようなものですから。模型ですが単純にそんなもの渡されても困ります。持ってるしかない。のか。誰かにまた手渡してしまえばいいのかもしれない。

本当か?本当にそうなのか?人類が創りだしてしまった怪物”核兵器”。それが爆発したら皆んな死んでしまうんですよ。

なのに「核の抑止力なんです。」とか言ってる馬鹿な宰相もいますが、矛盾に満ちた人間というものの姿の象徴だと言っても過言ではないと思います。

それはさておき。。ん?おいといていいのか?まあいいか。死ぬ時は死ぬんだし。仕方ない。

今日は、朝から新しく参加してもらうスタッフへの申し送りをして、オープニングとエンディングをあたったあと通し稽古です。

そして、18時から本番一発目。いかが相成りますか。乞うご期待。仕上げを御覧じろ。です。

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ダンサー紹介。エスパル・タカス・マルチネス・カルデナス。通称”タコ”。俳優で舞踏家。横尾咲子さんの旦那さんで3人の子どものパパです。めちゃめちゃいい男です。将来は冗談ではなくメキシコの文化大臣になるでしょう。
posted by Mukai Kumotaro at 06:06| 日記

2018年11月04日

スペイン語

『ふたつの太陽』は少し台詞やナレーションがあります。最初は、この場が1945年8月6日の広島なのだ。とわからせるために皆んな日本語を喋ります。

メキシコのダンサーが苦労して覚えていました。たどたどしく喋るのがいいなあ。なんて思っていたら自分がいざスペイン語を覚える段になるとさあ困った。あした本番だというのにまだ入っていません。

Soy Kumotaro Mukai. Pero mi nombre real es Kenji Kidani. Tengo 51 ahos... えーと。。

音楽家のDillに今回は音響もやってもらうので、ドーニャ・ルルーのナレーションを録音してもらいました。スペイン語です。

旦那さんも役者さんだというので、初演に江戸川萬時が担当していたナレーションを喋ってもらいそれも録音。楽しみです。

色んな人の協力を得ながら作品を創っています。人手不足なので一人何役もこなします。きついこともありますがそれも楽しんでいこう。

海外で作品を公演するというのは本当に大変なことです。やっぱり時間と労力とお金がかかります。これが大駱駝艦の本体を呼ぶなんてことになったら受け入れ側は一苦労だろうなあ。

独立して活動しているからこそわかる苦労。独立していないとわからない麿さんの偉大さ。です。

最近、ここパツクアロは雨が続いて寒いです。劇場が石造りなのでこれまた冷えます。裸になるのでからだが冷えるので、怪我だけは気をつけないと。

とか思うけれど肉離れするときはするし奈落に落ちるときは落ちてしまうのだ。思い切っていこう。

今日は、昨日できなかった止め通しです。音楽と明かりと踊りや字幕、ナレーションを合わせて調整して最高の状態に仕上げて行きます。スタッフもダンサーも優秀なので大丈夫だ。

あとは自分のソロとラストか。

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スペイン語のナレーションについて打ち合わせ中のDillと咲。
posted by Mukai Kumotaro at 09:28| 日記

2018年11月03日

1997年1月9日

チームSの稽古を見る。狙いはわかるし、好きな世界もよくわかるが、この人たちのやっていることに何か意味はあるのか?これをやることに意味はあるのか?

”やおい”という言葉がある。「山なしオチなし意味なし。」ということをあらわす言葉だが、やおいでもいいのか?問題意識や危機感は彼らにはないのだろうか?

だらだらとした格好だけの世界に誠意は感じられるのか?舞台を創ることの面白さ、作品を創る意味、踊りを創ることの必然性は?

「自分が知らないということをこそ知る。」だからこそ問いかけてみる。わかっているから問いかけるのではなく、わからないからこそ問いかけてみる。

「一つの問いかけは、千の答えよりも多くの起爆剤を含んでいる。」要するに疑うということ。「本当か?本当にそうなのか?」大切なのは問題意識。

シリアスな表現をしようとすると、もとになっている感情も同じだし結果もシリアス・悲劇になる。簡単で当たりまえだし想像のできる範疇でつまらない。

逆にこれを笑い飛ばして、アイロニカルやギャグやパロディーとして創る。その方がよっぽど強度を持ったものとして立ちあらわれて来るのだ。同じことをより強く表現できることもあるのです。悲劇も喜劇もどちらもあるのがこの世界だし。

死神が皆んなを踊らせようと それぞれの手をとらせ 長い列をつくらせて 先頭には大鎌と砂時計を持つ死神が立ち 竪琴を持った道化が最後尾

重々しく踊りつつ 夜明けの空から 踊りをつづけながら 暗闇の国へと向かう 雨が彼らの顔に降りそそぎ 彼らの頰から 苦難の涙を洗う

舞踏の日本的・民族的・土着的で具体的なディテールを取り払い、輪郭をはっきりさせることによってインターナショナリティ・普遍性を獲得しようと考えた。八紘一宇・アメノシタヒトツイエ作戦の成功?

舞踏にとっての絶対条件だった表層や細かなディテールを取り払った結果、からだはただの表層になってしまい身体性や物質性が薄く、どこにも存在しない単なる記号になってしまった。

何を言うとるねん?1997年1月9日の俺。

さて、今日はいつものように9時から朝食を食べて10時に劇場入り、アップをして頭からダンサー、照明、音を合わせて全体を創っていきます。16時まで6時間、集中していくぞ〜٩( ᐛ )و

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先頭は”カトリーナ”。死者をあの世へと導いていく。
posted by Mukai Kumotaro at 08:45| 日記

2018年11月02日

死者の日

昨日と今日は“死者の日”です。ここメキシコでは、“死さま”というような敬いかたをするそうです。お墓を掃除して死者を敬って盛大にお祭りする。日本でいうとお盆みたいな感じなのか。

しかしそこはラテン系、一晩中大騒ぎしてます。ここパツクアロは町の名前が”死者”というような意味で、死者の日の中心地なのでメキシコ中から人がどんどん集まってきています。

露店が沢山出てネオンが光り輝き盛り上がります。夜中に花火なんて当たり前。パトカーに救急車、消防車が一晩中走り回っています。

とにかく一番でかい音は電車の警笛です。踏切がないので車が横切ったら一巻の終わり。

そうならないように「近ずいてるぞー!!!!!」とものすごく遠くから、力一杯警笛を鳴らし続けます。だんだん近ずいて来てしまいには爆音になります。稽古も中断、話し声がまったく聞こえなくなります。

人生で二番目にでかい音かもしれません。一番はミシガンの踏切で聞いたこれも電車の警笛の音。

アメリカミシガン州に二ヶ月滞在しての作品制作中。最初、言葉が通じなくてちと落ち込んでいたのだけれど、あの耳をつんざく信じられないほどでかい音を聞いたら、思わず叫んでて励まされたような気持ちになって元気が出たのを覚えています。

それはさておき。死者の国の死者の町で、死者の日に死者のお話の制作をする。でも厳かとか静粛にとかとは違ういろいろな弔い方があっていいのです。とらわれず決めつけず柔らかく行こう。

今日から後乗りの二人も合流、出演者が揃って劇場に入ります。舞台美術を仕込んで照明を仕込んで、頭からシーンシーンで諸々の確認をしながら稽古を進めていきます。

よろしくお願いします。頑張ろう!!

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第二スタジオにて床にはる舞台美術、(by 杉山至)をみんなで制作中。
posted by Mukai Kumotaro at 09:22| 日記

2018年11月01日

CEDRAM

ここCENTRO DRAMATICO DE MICHOACAN、通称”CEDRAM”は、ラサロ・カルデナスというメキシコの歴史上、とても人気のある大統領の別荘だったそうです。

いまは文化芸術の施設です。日本でいえば大名のお屋敷が庭園として生まれかわるみたいなものか。

広大な敷地の中に劇場とどでかいスタジオがあります。CEDRAMのコンセプトはリサイクルらしくすべて一度舞台で使ったセットで作られています。

でかいスタジオは前衛的で宗教的なお芝居の教会のセットと舞台美術で出来ています。

一回り小さいスタジオがもうひとつと劇場の隣の作業場と、国立劇場の衣裳の保管場所だというあらゆる衣裳がズラーっと並んだ壮大な衣裳倉庫、移動式のステージトラックが2台にスクールバスが2台あります。

レジデンス施設も充実してて1人部屋が10室に2人部屋が10室、家族で泊まれるような部屋が何室かあるようです。

緑にあふれていて、朝ライムを収穫してそのまま朝食に使います。イチジクやマカダミアナッツなんかもなってます。ので頂きます。

羨ましいですが、文化予算が削られて大変なようです。それは、どこでも同じか。文化芸術なんてのは無用なものと考えられて隅に追いやられてしまう。人が生きていく上で本当に大切なことは何なのか。

ボスのマエストロ・チャマコのオフィスは大統領の元執務室でこれまた羨ましい。一階が食堂になっていてそこで朝9時に朝食を食べて16時にランチというかディナーというかを頂きます。

そんなCEDRAMに今日から、川口隆夫さんと井上裕二 a.k.a Dillが合流、月曜日の本番を目指します。

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元大統領の執務室でいまは、マエストロ・チャマコのオフィス。
posted by Mukai Kumotaro at 17:36| 日記

2018年10月31日

言葉について

日本語ってなんだろう?だいぶん前にテレビで日本語について考える番組を見た。いまの若い人が方言を喋らなくなっているという内容だった。恥ずかしいのだな。

いわゆるテレビの中で使われている言葉”標準語”を喋りたい。そういう気持ちなんだろう。俺は東京に来てからしばらくは関西弁を喋っていた。

高円寺の風呂屋で殴り合いになったのも原因は言葉だった。関西弁を馬鹿にされたのだと思う。

子どもの頃、淡路島に行くと東京からいとこの浩幸くんというのが来るのだけど、東京弁との戦いで影響されて喋ってしまうと気持ち悪くて恥ずかしかったのを覚えている。

テレビの影響で標準語を喋る人たちを”モノリンガル”というのだそうです。だいたい30代まで。

俺のようにどちらも喋れるのが”バイリンガル”。30代から60代。いっぽうで方言しか喋れらない人たち、70代から上の世代がいる。

いま、子どもたちとおじいさんおばあさんが話せないらしい。言葉が通じないから、コミュニケーションを取れない。そこで潜在話者と呼ばれる、間の俺たちの世代がとても大切な役目を担うのだそうです。

でもまあ、関西弁ぐらいなら問題ないけれど、山形弁だとまったくわからなかったりするらしい。ましてや他国語だったらお手上げ降参状態。

そうするとコネクター、通訳的役割が必要になって来るのだな。シズとかジゲンが相手によって、パッと言語を切り替えるのが見てると頼もしくてかっこいい。どんなに知的なことを考えていたって、相手に伝えることができなければ仕方がない。

外に出す方法がない。幼児レベルでしか言葉を発することができない。ということは要するに知能が幼児レベルだということとイコールだと思う。誰にも通じない思い。考え。

コミュニケーションってなんだろう。言葉によるコミュニケーションが全てではない。けれど大切な手段のひとつであることは確か。シティで迷子になったときはもうダメかと思ったもの。

知ってる言葉が「ありがとう。」だけ。道を聞くことも、ここが何処かも訪ねることができない。『母を訪ねて3000里』の主人公マルコになった気分だった。「あー、このまま中南米で道に迷って、最後には南米の方まで流されてさまよって。」

めちゃめちゃに歩いてたら偶然もとの劇場に戻ってきて、安堵したけど危なかった。まあ万が一、日本に帰れなくなったら大道芸で食べて行くのです。

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骸骨とバカボンのパパ。「これでいいのだ。」
posted by Mukai Kumotaro at 11:18| 日記

2018年10月30日

子ども

エスパルと咲ちゃんには、子どもが3人います。毎日午後から稽古に参加しますが、まあ賑やかです。しかし子どもを見てると自分にあんな頃があったなんて信じられない気持ちになります。

嫌なことは嫌。と言うことを全く聞かない。心が自由なんだな。一時もじっとしていない。けれどその方が自然なんだろうな。人の目や教育や躾によって規定されてしまっている身体のうごき。

そんなこと関係なく自分の動きたいように生きる。そうすると怒られる。でも全く気にしない。決して懲りない。なんていうことを次男のジゲンを見てると思う。常にうごき続けてじっとしていない魂。

子どもというのは本当に遊びの天才です。常に遊んでる。木があったら登って、棒があったら持って振り回して、斜めの板があったらとりあえず乗ってみる。花があったら両方の鼻の穴に突っ込んでみる。これはミヤビですが。

あの遊びへの欲望と探求の心を大人になると忘れてしまう。からだのすべてを使って遊び倒すのではなくて、小手先の小さな遊びで満足するようになってしまう。残念です。

お姉ちゃんのシズちゃんは、そんな大人への階段をすでに登り始めている。美人さんなのでエスパル心配だろうな。

末っ子のミヤビはまだまだ赤ちゃんなところが残ってます。そういえば、咲ちゃんも3人兄妹の末っ子で、ミヤビの気持ちが良くわかるらしいです。放っておくと何処までも行ってしまう。

突然「ブルファナキソの人と結婚するから。」と言い出すなんてことが想像される。でも咲ちゃん的には「どうぞどうぞ。」な気持ちでいるらしいです。いいね。

ジゲンがそのまま大人になるとエスパルになる。ミヤビがそのまま大人になると咲子になる。そんなことが見てると想像できるので面白いです。

子どもを産めよ増やせよ。身勝手にそんな風に思います。しかしパツクアロというおおらかな田舎だから、子どもが3人いても平気なのかもしれない。日本で、とくに東京だったら3人なんてたいへんで無理なのかも。

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土方さんの前のエスパルとミヤビ。
posted by Mukai Kumotaro at 17:54| 日記

2018年10月29日

神楽から

今日から神楽舞に入ります。その前に今までの復習をしようということになり。やってみると意外と忘れているものです。

その日の調子や雰囲気によっても変化してくるので微調整します。目の前に見えるものを面白くする。ただそれだけ。

では、足りないこともあるけれど最終的にお客さんがどう感じるかは、本番になってみないとわからないこともあるので、適当にしましょう。

蛍光灯と無音でまあまあ面白かったら、照明と音楽が入ったら相当面白いと考えていいと思います。稽古場でどこまで創っておくのか。創りすぎると重たくなってガチガチのつまらないものになっている。なんてこともありがち。塩梅ですね。

ただ蛍光灯の方が面白かった。なんてことも起こるから不思議。明かりはまわりの雑多なものごとを隠して見えなくしてくれるので有り難いですが、観せるポイントを照明家がわかっていなかったら台無しになってしまいます。

今回、CEDRAMのテクニカルスタッフ・ジージョにたいへんにお世話になっています。ジージョの本職は照明でしてなんとメキシコで3本指に入る、有名な照明デザイナーです。前回のメキシコツアーの時は照明をデザインしてもらいました。

そして、CEDRAMとメキシコシティの公演ではジージョの兄貴分で同じく照明家のバレンティンが明かりを担当してくれるということでとっても心強い。

ジージョは俳優のようないい男ですが、兄貴分のバレンティンがこれまた渋さの不破さんを小綺麗にした感じのナイスミドルでして、女性にもモテモテだとか。

そういえば、CEDRAMのボス、マエストロ・チャマコも素敵なおじさまで女性にめちゃめちゃモテるそうです。腹違いの子どもが3人いて、いまは咲ちゃんと同い年の女性とお付き合いしているそうです。

それはさておき、メキシコで3本指に入る照明デザイナーにお世話になって、本番はその兄貴分に照明デザインとオペレーションをしてもらう。ということは3本の指の2本にお世話になっているということなのか。

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右:ジージョ、左:バレンティン。
posted by Mukai Kumotaro at 19:05| 日記

2018年10月28日

懸案

昨日は、初演でうまく行ってなかったシーンの創りなおしでした。こういう手直しは下手をするとドツボにはまって手こずって、時間ばかり食うということがあるので気を引き締めて稽古に向かいます。

けど真面目は禁物、ふにゃふにゃ頭のこだわりゼロで向かいます。思い込みや決めつけも要りません。幸い遊び大好きなメンツなので、心配していたようなことは起こらずに面白くかたちになって行きます。良かった。

先へ進もうかとも考えるけれど予定よりも進んでいるので、このシーンをかためます。何回も通すと、よりいい感じになって稽古を終了。ひと安心。

ルルおばさんの美味しいランチを食べて「サブロッソ。」細い麺の入ったトマトスープと鶏肉と温野菜の盛り合わせでした。ライムとチリを入れてさらに美味しくします。

ここメキシコには400種類のチリがあるらしく、家庭ではだいたい10種類ぐらいを使い分けるらしいです。

そのあとエスパルと床にはる舞台美術を引き取りに郵便局へ。そして今回は骸骨が4体になるので街へ出て骸骨探し。死者のお祭りが近いので街には骸骨が溢れているとかで、いいのを探します。

そういえば、ここパツクアロは死者の日の中心的な場所らしくメキシコ中から人が集まってくるとか。昨日の夜も一晩中大騒ぎをしていました。うるさかったなあ、夜12:00に花火て。

さて街には適当な骸骨がなかったので自分たちでつくることにします。なるべくつくれるものは自分たちでつくるのが大駱駝艦魂です。

夕方から雨が降りはじめ夜通しシトシトと降り続けます。天気がスッキリしないと気分もスッキリしないもの。こんな日は、お酒も飲まずに読書をしながら眠りましょう。また明日。

と思ったけど眠れなさそうなので、ビールとパツクアロの地テキーラ”メスカル”を頂きながら作品のことを考えます。

今回、骸骨を四人にしようかと考えていたけど一人の方がいいと気づく。人数が増えると派手にはなるけれど力が分散してしまう。一人の方がやっていることがわかりやすく集中してみれる。

こういう気づきは時間が経たないと出てこなかったりするので恐ろしい。そのまま本番をやってしまったりして取り返しがつかないことになったりするのだ。

CEDRAMの猫”ピンチ”と咲ちゃん。
posted by Mukai Kumotaro at 09:57| 日記

2018年10月27日

あいのうた

昨日も稽古は、朝10時からはじまって快調に進みましていい感じ。16時に終わってランチです。

こちらメキシコはだいたい16時ぐらいに遅めのランチを盛大に食べてそれからシエスタしてまた仕事して、夜は軽めに食べて終わりらしいです。

CEDRAMの食堂でドーニャ・ルルおばさんお手製のランチを食べます。これがほんとうに美味しいのです。優しい味でホッとします。ルルおばさんの本職は女優でありまして市民演劇の指導者でもあります。『ふたつの太陽』のナレーションもお願いします。

ランチを食べ終わって、みんなで街へ出て伝統音楽のライブへ。少し文化レベルが高い感じのカフェにて音楽を聴きます。

しかし、ミュージシャンが遅れているとかでしばしお姉さんのスピーチ。なんだか早口で喋りまくってます。言葉がまったくわからないのでまるでお経を聞いているよう。

きっかけよく席を立ち店の中をぶらぶら物色。そうこうしているとミュージシャン到着。小太りの4人組でコントラバスとギターが2人、1人は手ぶらです。

超絶演奏が始まると手ぶらのおじさんが歌い始めました。おそらくラブソングを歌い上げます。4人は一曲歌い終わるごとに店から出されたテキーラを飲んで、特にボーカルのおじさんは立ってるのもやっとの、ほぼ泥酔状態。

しかし一度歌い始めると、風態や顔からは想像できないファルセットボイスな声を絞り出します。

恋い焦がれる彼女の家の中庭で、2階の彼女の部屋にめがけて伴奏を従えてラブソングを熱唱している。そんなイメージです。

めちゃめちゃノリのいい曲なのだけど4人が全く乗っていないのがまた素敵で格好いい。乗りというのは極力抑えたほうが格好いいもので、内側でノリノリになる。乗りを内燃させるともいいます。踊りでもそれは同じだと思います。

メインボーカルのおじさんの弁髪が印象的でした。泥酔状態でお客の前に出なければいけない理由。いやそもそも理由なんてないのか。でもおじさんの唯一のアイデンティティをそこから感じるのでした。

サボテンのどぶろくとかいうのを飲んでほろ酔いで帰りました。それではまた明日マニアーナ。

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CEDRAMに飾られれるという、どでかいポスターを発見。こちらはいちいちスケールが大きい。
posted by Mukai Kumotaro at 19:42| 日記

2018年10月26日

稽古開始

CEDRAMにて稽古が始まりました。劇場に隣接するスタジオにて先ずは舞踏の基本から。そのあとオープニングを稽古。

今回、参加してくれるシェラとイラセマはメキシコで著名なダンサーだそうです。2人ともプロなのでさくさくと進みます。

予定のシーンよりも先へと進んで、「よしっ。」てな感じで。やはり再演というのは初演とは比べ物にならないぐらいに楽です。初演に労力と時間とお金をかけた結果です。

再演でそれを回収していく。報われていく苦労。てな感想はまだ早い。成功してこそ報われる。必ず成功するように全力を尽くします。頑張れ、俺。

さて、今回まずは俺の言葉を湯山が英語に、それをエスパルがスペイン語に通訳して。ということがインタビューの時にあったのですが、まさにリアル鉄割の演目みたいでなんなんだろう。この感じは?不思議です。

カナダでは英語圏とフランス語圏に完全に分かれているらしく、植民した人たちの母国語がいま使われている。ということですね。

「国なんてなくなれば平和になるのに。。言葉も同じだったらいいのになー。」みたいなことをぼやいたら、隆夫さんが「いや、雲太郎くんそれは違うわよ。言葉は分かれてるからいいのよ。」的なことを言われてその時は「うーん。」と思ったのでますが今回、その意味を噛み締めています。

ちなみに隆夫さんは、3ヶ国語を喋ります。日本語、英語、スペイン語。

言葉というのは不思議で面白いものです。エスパルと咲ちゃんの息子、じげんが、隣で日本語を喋ってくると、誰にもわからない秘密の暗号を喋り合っているみたいな密やかな楽しみがあるのです。発見。

その人のわかる言葉で喋ることが出来る。コミュニケーションが取れる。素敵なことなのです。

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今回、新しく加わる骸骨“カタリーナ”。『アホとロマン』で創り上げエスパルと育てたピースが大切な役目を負います。
posted by Mukai Kumotaro at 23:21| 日記

2018年10月25日

メキシコ2日目

今日は、朝から取材です。本番を行う劇場へ。その前にお店で腹ごしらえ、スープを食べます。「サブロッソ。劇場裏のカフェで先ずは一件、メキシコ有力紙の女性記者からインタビューを受けます。

Q: ヒロシマに関する作品をメキシコで再演するきっかけは何ですか?
A: もともとエスパルタコと大駱駝艦のつながりがはじまりです。そして横尾咲子さんと私がつながり、メキシコでエスパルとデュオを何度も踊り、広島の神楽がメキシコで行われたりと段々と再演のきっかけが整ってきた。そんな感じです。

Q:『ふたつの太陽』における、あなた自身の想い、模索に関して語ってください。
A:この作品がメキシコ公演の成功を経て世界へと羽ばたいていって欲しいと想っています。 広島の若い人は原爆の話しにうんざりしていると聞きます。そんな“いま”だからこそ、この『ふたつの太陽』という作品を日本で公演をしたいと模索しています。

Q:『ふたつの太陽』は原爆のトラウマを忘れないために創られたと想像しますが、ヒロシマで起きた非道を73年経った今、どのように捉えますか。
A: 何年経とうが、決して風化させてはならない。そう捉えています。

Q:作品の中には、政治批判がありますか?
A: 作品の中に政治批判はありません。舞台上で解釈が起こってはならない。ましてやスローガンやメッセージなんてのもあってはならない。そう考えています。

Q: 舞踏に関してですが、あなたの長いキャリアの中で舞踏はどんな問いを投げかけてきましたか。また、どんなことを明らかにしてくれましたか?
A: 舞踏は付き合えば付き合うほど興味深い。ただ何かが明らかになるようなものではありません。問いを投げかけ続ける精神が大切なのだと思います。

Q: 舞踏家としてのあなたの狙いは何ですか?
A: 狙いというのは特にはありません。

Q:舞踏に見られる、“精神(メンタル)”と“無意識"について語ってください。
A: 常に常識を疑う。というのは舞踏の大切な精神のひとつです。 また方法として、無意識的にうごかされる。というのはあります。

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公演が行われるメキシコシティ市立劇場へ。100周年だそうです。
posted by Mukai Kumotaro at 10:10| 日記

2018年10月24日

メキシコ1日目

日本から12時間かけてメキシコシティに到着。入国審査の長い列に並んで重い荷物を持ってジリジリジリジリと進みます。早く出たい後ろの日本人にぶつかられながら進みます。

メキシコの入国審査はアメリカ程に差別的ではないです。アメリカも人によるといえばよるけれどだいたい偉そうで上から目線です。

今回、パフォーマンス集団『世界装置』主宰の斎藤栄治に小道具のリトルボーイをメンテナンスしてもらって箱も新調して荷物として預け。

メキシコ税関で得体の知れないものだというのでチェック検品を受けました。それはそうです。原子爆弾の模型ですから。

言いがかりをつけられて絡まれて、カツアゲのように金を取られたりしながら這々の態で入国。この辺はアメリカより野蛮。だけど仕方ない。国なんて元々が、、まあいいか。

エスパルの出迎えを受けてとにかくホテルへ。メキシコは雨季ということだけど、快晴でタクシーの窓から爽やかな風を受けながらホテルへ。

荷物を置いてから「疲れを癒して欲しい。」という横尾咲子ちゃんのこころ遣いでお風呂へ。日本のお風呂とはだいぶん違うけれど豪華な感じですっきりと旅の疲れを癒します。

そのあとは晩ご飯。お目当てのマヤ料理屋は閉まっていたのでチョコレートで肉を焼くお店へ。なかなか流行ってた。虫の乗ったトルティーヤと豚肉のスープと肉のチョコレート焼きでお腹いっぱい。ぶらぶら帰ってたら猛烈に眠くなります。

そのままホテルに帰ってばたんキュー。明日は劇場で朝から四件取材を受けてそのあとバスで移動。夜の8時にやっとこさ目的地のパツクアロへ到着です。

それでは、アシタマニアーナ。

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メキシコはもうすぐ死者の祭り。街には骸骨が溢れている。
posted by Mukai Kumotaro at 01:01| 日記

2018年10月23日

宗教

遠藤周作さんの小説『沈黙』を読了しました。

ポルトガル・イエズス会の高名な司祭、フェレイラ教父が日本の長崎へ布教に赴き捕まって通称”穴吊り”という拷問を受けて棄教したとの報告がポルトガルまで届く。

稀にみる神学的才能に恵まれた不屈の人。若い司祭たちの恩師でもあった。その人がいかなる拷問をされたとしても神と教会を捨てて異教徒に屈服したとは信じられなかった。

遠い東の果ての島まで行き、ことの真相をその目で確かめたいと三人の司祭が日本へと潜入する。

主人公の祭司、ロドリゴは次々と起こる困難の中で自問自答し続けます。「神はいるのか、いないのか?居るのならば何故、黙っているのか?」

読み進めるとだんだん『沈黙』というタイトルは決して黙っている神のことだけを指すのではなく、捕まったロドリゴが「転べ。」「棄教せよ。」といくら説得されても黙っていることも指しているのだとわかってきます。

自分の信じるものを踏みにじらせる日本人考案の拷問“踏み絵”。踏むだけにとどまらず、唾を吐きかけ詰らせる。その拷問を経験することによって、辱めと侮蔑に耐える顔が人間の表情の中で最も高貴であることに主人公は気づきます。

自問自答し苦悩する彼を余所に番人と罪人が笑いながら話しをしていたり、祭司の果てしない悩みとニホンの限りない長閑さとの対比が鮮烈で目眩を覚えるほどです。

フェレイラを転ばせた拷問”穴吊り”をとうとう受ける時、深夜の入れられた悪臭漂う穴の中で、彼はいびきを聞く。もうすぐ死を迎える自分とは関係なく他人は眠りこけ無関心である。「なんという滑稽。」と豚のように眠りこける人間たちを馬鹿にして嗤い出してしまう。そして怒り出してしまう。自分の神聖な殉教の場をいびきで汚されたくないと。

しかしそのあと、そのイビキが棄教しない自分の為に穴吊りという拷問にかけられる信徒たちの呻き声だと知らされて。。

最後に彼は気づきます。あの人は決して沈黙していたのではなかった。答えは自らの中にずーっとあったのだと。

キチジローという弱虫がいたりして、要約なんてできないほど奥深くて、”信じる”とは”信仰”とは何なんだろうと考えさせられる小説です。自ら切支丹である遠藤周作さんの格調高い文章と相まって凄まじい物語りが胸に迫りますよ。

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ちなみにわたくしは仏教徒です。真言宗なのでチベット密教とは近いのかな。
posted by Mukai Kumotaro at 14:35| 日記

2018年10月22日

いよいよ

昨日は、十川英二さんに山の上にあるゴルフ場の高そうなレストランでランチを湯山と一緒にご馳走になりました。

美味かったなあ。俺はカツカレーで湯山はテールスープ。最後の和食と思って頼みました。前にも記しましたが、わたくしはカレーが大好物でして子どもの頃、誕生日におふくろさんが「何がいい?」と聞いたら「カレー!」

明石家さんまさんは、インド人もびっくりするというぐらいにカレーが大好物らしいですが、俺も負けないくらいに大好きです。

舞踏家になってからは、盆と正月以外は食事制限をしているので、カレーは食べられなくなりましたが。

それはさておき、メキシコへいよいよ出発です。まずはバスを乗り継いでから伊丹空港へ。伊丹空港から成田へまずは飛びます。飛びます。

成田で衣裳の富永美夏さんから新しい衣裳を受け取って真鍋淳子さんから新しいツンを受け取って、そのまま走って成田空港へGO.

コンビニで何かを買って、チェックイン。両替をしなければ。幾らするか?毎日朝飯と昼飯と晩ご飯は作ってもらえるようなので、酒代だけか。あとお土産代とでえーと。まあいいか。

さて出国です。ここでペットボトルを捨てます。これはテロ対策という名を借りた。まあいいか。長い列に並んで顔をジロジロ見られて、判子を「とん」と押されて無事出国。でもまだ日本なのか?曖昧な感じ。さあ一番面倒くさい荷物検査へ。

人を疑うのが仕事の人達にレントゲン検査されます。そろそろとゲートを通ったら「ピンポン!」。前にも記しましたが、わたくし幼き頃に右大腿骨骨折という大怪我をしてまして、足に鉄のボルトが入ってます。ので必ずゲートがなります。

なんだかヘンテコなテニスラケットみたいなもので身体を弄られます。
さて無事無実の罪が晴れまして、とそこに広がるのはお金をふんだんに持っていたら大騒ぎしそうな免税店。

散財しそうになるのをなんとか抑えて、ゲートを確認。ふーっとひと息。

続きは明日。

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教育長だった英二さんの五色町への貢献は計り知れないです。
posted by Mukai Kumotaro at 23:59| 日記

2018年10月21日

Awaji Butoh Shrine

ただいま、淡路に帰っております。舞踏家集団"duex shrine"の本拠地"Awaji Butoh Shrine"にて副代表の湯山大一郎と鋭意、合宿中です。

毎日、朝から晩までのんびりと稽古しています。大駱駝艦の本拠地”壺中天”もそうでしたが、稽古場が隣にあるというのは本当に贅沢なことです。

淡路島という雄大な自然の中で暮らしていると、色んな瑣末なことがもうどうでも良くなってくるので「いかんいかん。」と頭をフリフリどうでもいいかもしれないけれど生きていくために必要な様々なことを頑張ってやります。

そういえば「締め切りのある人生は短い。」んだって。(毎日新聞 “時の過ぎゆくままに”岡田満里子) 効率的に生き無駄がないように生きる。そして最速で死に向かい死んでいく。

しかし自給率120%の淡路島にいるとひよっとしてここだけで生きていけるのではないのか。という気分になってくる。米を作って野菜を育てて。

「俺を観たいならこの部屋ごと連れていけ。」と言ったという舞踏の始祖・土方巽。ほどではないですが「俺を観たいなら淡路までおいで。」という気分になってきたり。

淡路人形座というグループがありましてなんと立派な(実はまだ行けてないのですが。)劇場をお持ちで、毎日、朝から晩まで公演をやられています。(これは本当です。)福良高校だったかな、近くの高校生が毎年就職して新メンバーになるらしい。

今度お世話になる松本の劇場でも公演をされてて、この間は大駱駝艦がフランスの本拠地にしているパリ文化会館でも公演を打たれている。憧れの存在。

人形つながりですが、ひとみ座の人形遣い60年という良子さんと朝ごはんを一度、一緒に食べたのだけど、食べていた60分の間で生い立ちから芸の極意まで伝授されたのにはびっくりしたなあ。

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メキシコ公演と帰ってきてからの神戸ダンスボックスで行われる金粉ショウの稽古もしています。
posted by Mukai Kumotaro at 18:38| 日記

2018年10月20日

ほんもの?

世の中には真似したい人と、真似をしたくないなあ。という人がいます。

真面目な人の真似はしたくない。偽善者の真似はしたくない。嘘つきの真似はしたくない。

不良?それは真似しますよ。格好いいですから。そう、このカッコいいかどうか?というのは大事。判断基準をそれだけに絞ってもいいぐらいではないですか。

本当か?本当にそうか?かっこ悪いのもいいのではないか。無様に生き残ったりとか。

先日、新宿都庁前の平和祈念資料館で、「嘘をついたり人のものを盗んだりしなかった善い人は皆んな死んで、悪に目をつむれた卑怯な者だけが生き残ることができた。」という記述があった。

強かにしぶとく生き残るために多少の悪には目をつむる。仕方がないと開き直り。罪悪感を抱えながら生き抜いていく。そんなこと当たり前と人を押しのけて生き続ける図々しい人も沢山いる。

死んでいくのは動物として弱かったのだ。弱肉強食が自然の摂理。綺麗ごとや愛や平和という理想なんて嘘だと泥にまみれながら生き続けるしかない人間という矛盾した存在。

そういえば、資料館でナチスドイツと日本帝国が勝利しなくてよかったと思ったけど、悪者になってしまってはいけないのだ。とも思った。

ユダヤ人を大量虐殺する。とか。色々原因はあったにせよ宣戦布告する前にパールハーバーを攻撃してしまう。とか。だいたい独裁政権が世界征服を目論んで戦争を仕掛ける。という図式はテレビでも映画でも完全に悪者。

それはさておき、この世の中に真似じゃないものなんて一つもないのかもしれない。すべては模倣からはじまり誰かの影響を受けながら育っていく。

でも真似は良くないという思い込みも一方では根強い。

「本物なんてひとつもない。でも心地いい。本物なんてひとつもない。。」

一時期、麿さんが夏合宿で来ている作務衣を皆んなで真似したことがあって。麿さん、速攻で作務衣着るのやめました。

恥ずかしかったんやろな〜。作務衣がユニホームって、お坊さんかー!みたいな。すんません。

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自分の身体をメディア(媒介)にして踊った『舞踏?』。土方さんの踊りのコピー、振付の“トレース”をした。早い話しが真似をして観客に靴を投げ込まれた問題作『舞踏?』photo by bozzo
posted by Mukai Kumotaro at 23:59| 日記