2019年07月11日

巨星墜つ

ジャニー喜多川さんが亡くなられました。

87歳か、長生き。人生100年時代だからまだまだこれからだったとも言えるのか。

ジャニーズ帝国がこれからどうなっていくのか。当分、ワイドショーはこのニュース一色でしょうね。

それにしても一代で、あそこまでの大帝国を築いて偉大だと思います。

そして大好きな美少年に囲まれて、さぞかし素晴らしい良い人生だったと思います。

麿さんがジャニーズ事務所の忘年会に招待されて行った時。

ジャニーさんが何処にいるのか探してたら、下足番をしていたのがジャニーさんだったとか。

昔の劇場などではよくあることですが、いちばん偉い劇場主自らが下足番を務める。

そこで「この役者は礼儀正しくていいなあ。次はいい役をやるか。」とか「こんな靴の脱ぎ方をするようじゃあこの役者はダメだな。次は使わないでおこう。」とかじっと観察をしている。

相手が偉い人だからと媚びるように接して、下足番だからとぞんざいに接するような人。そんな人間の姿をしっかりと観ている。

あんな巨大なグループを率いていたカリスマです。

もちろん才能もあったのだろうけれど、そういう一歩引いて人間を観る眼があったからこそスターを沢山輩出することができたのだろうなあ。

しかし、キラ星の如くいたであろうアイドルの方々ではなくて、ジャニーさんを探すところが麿さんらしい。

とにかく目立たないように裏方に徹する人だったようです。

そして、なんでも自分でやってしまう人だったとか。

車の運転はもちろん自分、新幹線のチケットも自分でとる。皆んなのチケットも知らない間に手配して買ってあったり。

“プロデューサー”とタレント皆んなが敬意を込めて呼んでますが、生まれながらのマネージャー気質なんだな。

「ユー、やっちゃいなよ。」「ユー、最高だね。」「ユー、どうしたの?」所属タレントの全員を「ユー」と呼んでいた。

ジャニーズ事務所担当記者が理由を聞くと

「ウチは大勢いるでしょ。もし間違えたり、思い出せないでいたら相手はきっと悲しむ。だから平等に“ユー”って呼ぶことにしたんです。」

芸能界の大立者だけどいつも謙虚で腰が低かったとか。50歳も年の離れた記者にも丁寧語で話す人だった。

とにかくタレントの側に寄り添い、タレントのために生きた人生。

思いやりと気配りの巨星、ナチュラルボーンマネージャー・ジャニー喜多川さん。一度お会いしてみたかった。

ご冥福をお祈りします。

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1973年9月、テレビの収録中に頭部を負傷した郷ひろみを病院で看病するジャニー喜多川氏。photo by 日刊スポーツ。
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2019年07月10日

まだまだもっと

娘はいま中学3年生ですが、学業優秀でずーっと学年トップを独走しています。

朝から晩まで猛勉強をしています。「追われるよりも、追うほうが楽だ。」と言ってます。

完全に反面教師です。「お父さんのように成りたくないから勉強をしている。」

彼女は決められたことをきちんと守るタイプ。こちらは決められたことなんて守ったことがない。どころかやってはいけないこともやってた。

向こうは無遅刻ですが、こちらは毎日遅刻しててなんならサボってた。

そんなやることなすこと正反対の娘が最近、自分の父親を友だちに紹介するのに苦心しているようです。

舞踏家と紹介しても相手は「・・・ぽかーん」としているので、ダンサーと言い換えると「えー、やっぱり優秀な人のお父さんはすごいんだ!」となる。

それが嫌で「小さな小さな、ほんとに小さな会社の社長だよ。」と言うと「えー、社長なんだ、やっぱすごい!」となってしまうとか。

社員二人の弱小団体だとは言えない。なんせ相手の父親は社員何万人なんていう大会社の社員だったりするので。

どうでもいいですが、この肩書というのは本当に下らない。どうでもいいし面倒臭いので舞踏家と名乗っているところもあります。

このなんと呼ばれるかは、やっていることの本質とは関係がなくて大した意味もないのです。

実は舞踏家と呼ばれようがダンサーと呼ばれようが社長と呼ばれようが構いません。

決めつけずにこだわりを捨てて、もっとどうでもよく良い加減に適当に生きるのです。

面倒くさいし下らないのだけど、社会的には大きな違いでダンサーと名乗るほうが仕事が来たりする。

その社会に媚びているような態度が嫌でわざとわかりにくく、一般的ではない舞踏家を名乗っているところもあるのですが。

何度も記していますが、兄弟子の村松卓矢が言うように演出家と名乗ると社会の態度が豹変したりします。

先生扱いをしてもらえたりする。社会的信用度が舞踏家とは雲泥の差。

その兄弟子の言葉の影響で"演出家”と名乗っていたことがありますのでお恥ずかしい。

しかし舞踏の舞台は原則的に振付も演出も自分でやるので強ち間違いではないのですが。

演出が好きというのもありますが、好きとそれで食べているというのは別です。

舞踏の草創期から活躍し続けている笠井叡さんは、ダンサーと名乗っているようです。しかし、もしも亡くなったら新聞は舞踏家と書くのだろうな。

俺が亡くなったら・・・いま亡くなったら記事にもならない。

まだまだ死ねないゾ。

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師匠と笠井さん。撮影は笠井さんの長男坊、爾示君。photo by Chikashi Kasai.
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2019年07月09日

ダラー?

夢と現実、それをつなぐ装置としての脳。

その脳をめぐるお話。

影も影、ほとんど闇に近い世界に旅人がひとり彷徨っていた。

何かを探していたのか、何かを欲していたのか、何かを追っているのか、何かに追われているのか

もうながい間、ずっと前からわからなくなっていた。

頭は重く目はかすみもう歩けない。どこかで止まらないと。

はるか彼方にチラチラする光が見えた。光の中からは沢山の足音が響き、秒読みの声が聞こえてくる。

「ここは天国かそれとも地獄か。」思わず独り言が出た。

すると影がゆっくりとうごき爆音と煙の中からロケットが姿をあらわした。

どこからか声が響く「お急ぎください、時間です。」

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左から、塩谷智司、奥山ばらば、捩子ぴじん、渡邊達也。

夢へと旅立とうとするウサギは、その夢と現実をつなぐ装置を忘れてしまう。それを届けようとする遅刻した宇宙飛行士たち。

男たちはウサギを追って旅立つが、そこはすでにウサギの夢の中であった。

一方、忘れられた脳は、今や夢と現実の狭間をさまよい、また同じように夢と現実の狭間から永遠に出られなくなり彷徨っているハゲのアリスの手の中にある。

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奥が引き戸になっている舞台美術。上の写真は?

男たちは、脳を探していてアリスに出会い脳を手に入れるが脳を手にした男たちもまた、夢と現実の狭間にはまり込んでしまう。

男たちは、ウサギに追いつき時間機械によって現実へと戻ろうとするが、着いたところは南の島の女主人が支配するバナナ王国であった。

そこは一度入ると二度と出られない迷宮。

女主人に微生物に変えられてしまった男たちは、バナナを与えられ再び死への進化を始めるのだった。

旅人は自分から欲して異界へと旅に出た。

帰れるあてなどない旅だったが、帰還を果たせば旅人の人格を劇的に変化させる通過儀礼になるはずだった。

惰性で凝り固まった日常から非日常への指向、ありふれた生の中心部から生の辺境地への興味。

旅立つ理由は様々だが旅人は現実から非現実へ

日常から非日常へ 中心部から外側へ 此岸から彼岸へと旅立ち、ふたたび生還を果たさなければならない。

ばかばかしくも懐かしいこの現実へ。

面白きことなきこの世の中に面白く、面白きことなきこの世の中を面白く。

「そうして彼らは踊りながら家路についた。」

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時間が前後しますが、貴重な舞台写真が東京事務所で出てきたので二作目『ダラーの宇宙』について記しました。って俺は一体、誰に語りかけてるのだろう。photo by Kohji Fukunaga.
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2019年07月08日

上京

回想はさておき。

淡路島の五色町都志を離れました。

ドイツへと行くためですが、久しぶりに一ヶ月以上留守にします。雑草が心配ですが仕方がない。

そして家は人が住んでいないと途端に老いてしまいます。不思議ですが命あるものが脈動しないと死んでしまうのでしょう。

本来なら夏合宿を淡路島でやらなければならないのに、他人の尻馬に乗ってしまって猛省しています。けれども、やると決めた以上は楽しんでやります。

来年は必ず、都志にて合宿をやるぞ。

昨日は、川西に滞在して母親の付き添いで梅田芸術劇場へ。

玉野和紀さんという方の主宰するグループの公演でした。

玉野さんは日本を代表するタップダンサーだとかで、宝塚歌劇団へも指導をしているとか。そういうことも可能性としてあるのか。

舞踏の指導をタカラヅカでやれたらいいなあ。色々と面白いことができそう。そのためにはもっと知名度を上げないと。

途中休憩があったけれど三時間半に及ぶステージでたいへん。歌って踊って観ているだけで疲れた。若くないと出来ないことです。

玉野さんは俺と同世代なのかな。後半フラフラで「えらい疲れてるな。」と持っていたら全国ツアーの千秋楽なのでした。

フィナーレが打ち上げの挨拶みたいになって、感極まって泣く出演者がいたりしてちょいともらい泣き。

内容はザッツエンターテイメントで好き勝手やっていました。でもそれで良いのです。自主公演でスポンサーがいないからこそ気を使わず気楽にやれるのです。

客席は爆笑に次ぐ爆笑でしたが「そんなに面白いかあ。」とも思ったり。内輪受けが多くて心の底から笑えなかった。

タカラヅカのOGが二人出ていて芸達者で、歌も踊りもお芝居も上手くて感心しました。玉野さんのコネクションだな。

2003年から作品発表をやっているとかで16年目。因みに、こちらは2001年から作品発表をしているので18年目。

いつもそうですが舞台は観ていると「何故客席で観ているんだろう。舞台でやる側なのになあ・・・」と悔しく思います。いい舞台だとより強くそう思うのも不思議。

心が刺激を受けるのだな。そして公演をやる大変さも嫌という程知っているので、そんなことも想像してより疲れたりするのでした。

そんなことを思いながら、機械仕掛けの人形のようにヨチヨチと歩く母にテンポを合わせながら劇場をあとにします。

今回、母親は杖ではなくて押して歩く歩行器を使って行き帰りをしましたが、なかなか良好であれなら倒れる心配はないでしょう。

しかし周りとの速度の差がもの凄かった。周りのスピードがあまりにも速すぎるのです。何故あんなに急いで歩く必要があるのだろう。心が急いでいる。

何故か?群衆の心理なのか?わからない。

今日の朝は川西から大阪駅へと行ったけれど、よりスピードがアップしていて皆さん殺気立って行進していました。

こちらは、大阪駅から高速バスで約八時間かけて東京へ。花の都、大東京はもっとスピードが速くてもっと人が多いから目が回るぞー。

嫌だなあ。

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右:吉野圭吾さん、左:玉野和紀さん。吉野さんが挨拶で泣いてた。大変だったのだな。撮影・柴仁人
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2019年07月07日

肉体と物語と試みと

四作目は男だけでやろうと決めた。

兄弟子、村松卓矢は文化庁の在外研修員としてアメリカへと行ってて不在。心の中で小さくガッツポーズをした。

これで村松に気を使わずに男だけでやれる。

一年というのは壺中天に於いては、新作を創るには十分な期間なのだと思う。

一般的には、企画・制作の準備期間としては足りないが場所は壺中天があるので大丈夫、制作体制も整っていて本当に恵まれているのです。

しかしそれに気付くのは独立してからですが。

タイトルは『舞踏虎ノ穴』と11月頃に決まった。だいたい本番の半年ぐらい前に決まれば上出来。宣伝にも余裕をもてる。

「タイトルが決まれば八割できたようなもの。」という言葉があるぐらいでそれぐらいにタイトルに引っ張られるので重要だし慎重になる。

しかしいいタイトルは「ぽんっ」と何の気なしに決まったりする。既にそこにある題名。

逆に難航したものは作品制作に入ってもぐずぐずと内容が固まらなかったりする。

虎ノ穴はその点、早い段階で決まって内容もそれに即して最終的にうまくハマった。

創りながらどういうことなのか?どういう世界観なのか?と突っ込んでいった。

企画段階でのアイデア、安宅や勧進帳よりも虎ノ穴という場所にフォーカスを絞ったのが功を奏した。

日々行われている舞踏の虎ノ穴での稽古風景を活写する。大駱駝艦“壺中天”という稽古場で、もしかしたら毎日行われているのかもしれない架空の激しいようなヘンテコな稽古風景。

ありそうでなさそうという絶妙な塩梅で創っていった。

それまでの壺中三部作とはまったく違う世界観に振れたのが良かった。「ガラッ」と変えるにはまったく違う切り口が必要です。

前年の新国立劇場での『2001年壺中の旅』の再演の時に師匠が「わしの作品もそうだが良くも悪くも物語に寄り過ぎているところがある。」と言っていた。

その言葉を踏まえた上で脱物語を標榜したところもあった。物語よりも肉体により重心を置く。

物語色が強いと肉体が物語に従事してしまうことがあるのです。

徹頭徹尾、からだに重きを置く。そんな一つの挑戦であり試みでもあった。それで果たして作品が創れるのか。それまでとは全然違うので勿論不安もありつつ・・・

毎度のことだが毎日、壺中天に泊まり込んで舞台美術を作ったりしてた。稽古場が既に現場であり本番の場であるというのは贅沢なことです。

寝ても覚めても作品のことだけを考えられる。

独立してから稽古場問題はずーっとつきまとっていました。公共の施設は何人以上とか何時間までとか色々と制約が多くて稽古にならない。

大声を出してはいけないとか演劇の方たちはもっと大変です。東京には公共劇場はもう要らないから公共の稽古場を作って欲しいのです。

容れものばかり作って、肝心の中身を創る場所がないのだものなあ。なんとかしないと。

さて、オープニングは20分間の群舞を試行錯誤しながら創りました。

『海印の馬』の中の“安産祈願”に憧れたものなら一度はやってみたい長回しの男の群舞に挑戦。

そのあと洋行帰りの田村一行という先輩と若林淳という伝説のダンスマスターが登場するシンプルな構成。

そのあとに戯作者としての向雲太郎が登場して終わる。ソロが一つというのも初めてだったのか。だいたい中盤にソロをやって締めにもう一つ踊るのだが。

今回も築山建一郎に音楽を依頼してほとんどを建一郎の曲で行った。それもまた一つの試みだったのか。

そうしてこの作品は、白塗りをしないという麿赤兒演出も加わってスマッシュヒットとなるのだった。

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音響だった我妻恵美子さんが稽古中に書いた虎ノ穴のイメージイラスト。スタッフは稽古中は暇なのです。
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2019年07月06日

3と2分の1

踊りってなんじゃい?何をこれからやっていくのか?何をこれからやりたいのか?

オープニング 号泣するネコ

2005年8月20日 ぴったりした布 布の変化 風呂上がり

ご存知、2パーセントの男の帰還 安宅 勧進帳 虎の尾を踏む男達 虎の穴の尾

やったらあかんことをどんどんやっていい仕事。

10月3日 地獄のロンパールーム

何をやるのか

下らないことをやるにしても、怖いことをやるにしても既成の価値のてんぷくトリオを図るお祭りである。

脱物語

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タイトルを書きつけたノートに娘が落書き。

2005年11月『舞踏虎ノ穴』〜壺穴に入らずんば舞踏を得ず

“虎ノ尾を踏む男達 虎ノ尾を踏み蛇の口から逃れたる心持にて 鹿が出るか、蛇が出るか、馬がでるか”

まずは舞台というものの宿命、逃れられない客との時間の共有、即ち“作品”ではなく“生・ライブ”であるという必然の事実をあらためて強く打ち出します。

自らの舞台を創るうえでの指針として存在する、ニューヨークのホテルで深夜退出際の麿さんの「所詮戯れ事じゃ、魂戯れじゃ。」”SOUL PLAYING GAME”であるという言葉とその考え。

“和して同せず”という日本最古といわれる能の個人主義、舞台上にて己の絶対的な間を持っている個が互いに主張し合いぶつかり合いながらつくり出す一体感。

この三つの事実と指針と構造を背骨に肉をつけイメージを膨らませて、4月新作公演の世界観を創り上げたいと考えています。

そして実験性という壺中天初期の自らのなかでの初発の気持ちを甦らせつつ「踊りとはいったい何なんじゃい。」という疑問に挑戦してみたいと思います。
〜虎ノ穴 企画書より

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鼻にボルトと頭におわんか・・・舞台の簡略図はそのまま活かされた。

オープニング『老松の前、修行する僧の前に現れる闇、あるいは漂着した猿』

2パーセントの男の可能性について

鳥だと信じ飛行訓練に励む羊と尻が三つにわかれた男たちと、鍵盤がねずみで出来たオルガンを叩きのめすミュージカルのパフォーマンス

キャミ一枚で椅子で踊る“ザ・舞踏地獄のロンパールーム”

どもるように踊る、群舞

富樫と弁慶〜演劇スノッブの父とそれを嫌って炭鉱夫になった息子のスケッチ群

“相撲の勝負を大司教が押し出しで制し神の存在が証明されたと宣言する”

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まだだいぶん能の影響が強い。

出演:向雲太郎、若林淳、田村一行、松田篤史、塩谷智司、奥山裕典、渡辺達也、湯山大一郎、谷口哲平、仲林勝司

最初の審判:麿赤兒 最初の舞台に対する価値を判定する絶対的審判者

自分は何を必死になっとるのか?

気楽に華麗に 物語そして作品至上傾向にある壺中天をいま一度見直し、重くなりつつある自分自身のモノ創りへの姿勢も見直す。

肩の力を抜いて愉しんで、もう一発軽く抜いて引いて見つめて新機軸を考え出す。

構造物語り:感じるくらいの簡単な筋。シーンシーンはなんとなく繋がる。

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アイデアの段階は、雑多で色々なイメージがあればあるほど世界が広がる。

肉体を個々が磨き研ぎ澄まし向上させ“創造そのものを学ぶ”場であり「作品を創るとは?舞台を創るとは?おどりを踊るとは何なのか、どういう事なのか?」を問う場。

この壺中天という"舞踏虎ノ穴"で日々行われる問いかけこそ、今回の舞台で問いかけられるものであり、その根幹を成すものである。

“虎の尾を踏む男達”と“虎ノ穴” 虎つながり 虎ノ穴そのものの原典、虎ノ穴の物語をやるのではなくその本質を。

舞踏の虎ノ穴。その虎ノ穴にて何が行われるのか?

舞踏とは何かと問われれば答えに窮してしまいややあって「よくわかりません。」と答え「そのわからないところが魅力であってわかってしまったらもうやめている。」とも答える。

機会があるたびそして常に自問自答するが、それは変わっていなくて変わっていないどころかますます何でもありの舞踏の魅惑的な面白さの虜。

この世界全ての要素を孕んでいて、答えなど無いものだからわからなくて当たり前の舞踏というもののやっぱりそこが魅力であるなあと確信。

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このスケッチは群舞で活かされた。

必死で遊び戯れるとはどんなんなんじゃい。

“能舞台の上のインド人と弁慶とモンティーパイソンと土方巽とタイガーマスクとマルセルデュシャンとドリフとの出会い”

そんな舞台を

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なんだろう?illustration by Kumotaro Mukai.
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2019年07月05日

2パーセントの男

2003年4月『ジャーオデッセイV』の麿赤兒総見。

アムステルダムから来た10人ぐらいの見学者がいて、異様な雰囲気だった。向雲太郎の新作を買いにきていたのか。

通しの前に栄養ドリンクを2、3本飲んだのを覚えている。それぐらいに背水の陣だった。何かの予感だったのか。

通しが終わったあと「コーヒーを苦くしてくれ。」師匠は、そう吐き捨ててトイレへ行った。

精魂尽き果ててやれるだけのことはやった感じだった。へとへとでもう一本栄養ドリンクを飲もうとして誰かに止められたような。

師匠の態度や雰囲気であんまり良くなかったことはわかったけれど、そこまで酷い出来ではなかったように思っていた。

「お前のやっていることは98パーセント間違っている。」

トイレから帰ってきてからの麿さんの第一声だった。

皮を一枚残して一刀両断にされた。

これは、厳しいとかいうような生易しいものではなかった。2ヶ月間の努力と労力の完全否定。

いや完全否定ではない、100パーセントの否定ではない。ここが味噌。

弟弟子の松田篤史が後ろにいて、その瞬間に俺の背中一面に油汗が吹き出てきて驚愕したとか。

俺はといえば、あまりのショックで周りが真っ暗になって視野が本当に直径10センチぐらいになってもう少しで気絶するところだった。

持ち堪えたとは我ながらあっぱれだと思う。そこは30歳の自分を褒めてやりたい。

「楽になりたい。早く横になって楽になりたい。公衆の面前だとか関係ない・・・」

人生であれほどの衝撃はもうないだろう。いや、それはわからないか。人生何があるかわからないから面白いのです。

「無茶苦茶言うたった。」師匠は、そうも言ってたな。

そのあと稽古をしながら色々と一緒に紐解いていくのだけど、とにかく自信がまったく無くなっていたのでほとんど何も答えられなかった。

麿総見が終わって夜の11時くらいだったのか出演者全員に頭を下げて謝った。

「申し訳ない。力不足でした。ごめんなさい。」

今井の敦っちゃんが何か文句を言ってたけれどそれにも答えられなかった。何を言われても仕方がなかった。

それから本番まで毎日毎日針のむしろだった。でも逃げなかった。娘の顔に助けられながら、必死のパッチで稽古場へと向かった。

結局、本番は98パーセントの間違いを残りの2パーセントで全力で救って評判は良かった。内容構成は、麿さんに初めて観せた時とほとんど変わっていなかった。

けれど出演者全員が背水の陣で臨んでいたし、皆んな鬼気迫るものがあったのだと思います。麿さんに見せた時とは別物だったのだろう。

そういう風にあらゆる手段でお膳立てして調整して持っていくのも作家の手腕なのだが、未熟だった。

本番を観にきてくれた辛口の音楽家、千野秀一さんも喜んでくれていた。

麿さんと千野さんと何故か三人でお酒を飲んで「今回ギリギリでもうダメかと思った。」的な話しをしてたら麿さんが豊玉伽藍の時の話しをしてくれた。

借金が3億だとわかってこれから債権者会議に行かなければならない時に、陸橋の上から衝動的に飛び降りようとフェンスを乗り越えた。

「さあ飛ぶぞ。」

その瞬間に会議にいつもくるヤクザたちの顔を思い出したとか。

全員が本当に見事にパンチパーマで、そのパンチパーマを思い出した瞬間に笑いが込み上げてきて爆笑してしまったのだとか。

笑ったら最後、死ぬのはやめて会議に向かったそう。

作品の一つや二つ酷評されたところで本気で死のうなんて思わなかったけれど、3億の借金に比べれば大したことないのです。

サブタイトル通りになんとか生還した2パーセントの男は、タダではこけずにめげずに次の年に新作を創るのでした。

やるな雲太郎。

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一枚しか残っていない貴重な舞台写真。エンディングシーン、寄せては返す波打ち際でステップを繰り返しながら暗転。
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2019年07月04日

三作目

二作目から三作目は3年間も開いている。

処女作から連続で作品を創ったけれど、二作目で辛い目にあってさすがに懲りたのか。

ノートは2003年からつけている。面白いアイデアがたくさん書きつけてあるのに、活かされていないのでもったいない。

数あるアイデアの中から結局は、なぞりの方向へと納まってしまう不思議。安易なんだな。

レクチャーパフォーマンスのアイデアも書いてあったけれど、実現できずに力不足。

さて、三作目ですが女性だけでやることに決めた。

雰囲気をガラリと変えたかった。兄弟子・村松卓矢と、二度と一緒にやりたくなかったのでそこをかわす意図もあった。

いま思えば二作目でそれをやるべきだった。後手後手に回っている感じ。惜しかった。非常に惜しい。しかし人生なんてそんなものか。

初の女性への振付・演出。

結構良い感じで進んで、稽古を妨害する存在もいなくて皆さん協力的でどんどん出来ていく。

オープニングは壺中と同じにしてそれを女性でやってみるという試み。まずこの時点で間違っていた。出発点が間違っていた。

二作目も踏襲しているところがあったのに、またなぞるという愚行。三匹目のドジョウを狙う愚行作戦。楽をしようと思っていたわけではないのだが・・・

軽く考えていたんだな。適当で良い加減だった。

出発点はなぞったけれど、そのあとは当たり前だがそのまま行けるはずはなくどんどん違う世界になっていく。

弟弟子、松田篤史のリップシンクもなぞってしまってこちら苦し紛れでアイデア不足だったか。壺中の旅では「バシッ」と決まったが。

そんで女性独自の肉体とその踊りをわかっていなかった。突っ込み不足と感性の不足。

男性のからだというのは、それだけで馬鹿っぽい。女性のからだは馬鹿にはなりにくい。存在が家を守るとか伝統とかという趣がある。

大駱駝艦女性ダンサーの華、ゴムまり娘・八重樫玲子さんと今はフランスにいる全身全霊ダンサー・小林裕子がサポートしてくれて心強かった。

当時、絶賛売り出し中の我妻恵美子がダンスマスターで絶大なる頼りになりまくった。

八重樫さんのコタツの踊り良かったなあ。コタツの天板を股に挟んで布団を引きずり揺れながら道ゆく。流石の舞踏。

女性の群舞でいままでやったことがなかったけれど、本公演の振付を少し拝借して創るということをやったり。

決して麿さんの振付を揶揄するなんていう意図はなかったけれど、何故かそう師匠に伝わって逆鱗に触れるのだけどまさかそんなことに成るとは思ってもみなかった。

ほんの少しのボタンのかけ違いで、修羅場になってしまうこともあるのです。

若羽幸平、その頃は谷口哲平ですが。も出ていた。何故か?

何か魂胆があったのだろうけれど、覚えていない。けれど確かにぴかりと光り効いていた。俺の分身だと言われたりして。

音楽は初めて依頼した築山建一郎。

それまでもライブペインティングは、一緒にやって気心が知れていたのでかっこいい音楽を何曲か創ってもらった。

建一郎の曲は、ダンサーを踊らせてくれるので踊りを創りやすいのです。

脳も登場させて壺中から続く、三部作的な面持ちになってきて。

さあ仕上げを御覧じろ。

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三作目『ジャーオデッセイV』公演チラシ。design by Hidejiro Kimura.
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2019年07月03日

前提について

今日は新月です。

新月は新しいことを始めるのにいい時、ということで色々と新しいことを始めます。

まずは、ドイツワークショップのカリキュラム作り。

最近は、綿密にカリキュラムを決めることをしませんが、一昔前は緻密に内容を決めてリハーサルまでやってました。

3時間なら3時間、リアルタイムで進行させて内容が行き詰まったら時計も止めてそこで推敲してまた始める。ゲネプロではないけれど一度は通しをやっていた。

そのあとは本番ギリギリまでイメージトレーニングする。最高に楽しく盛り上がるようにイメージをしていく。

そこまでやっても本番はつまるところ即興、臨機応変に対応して面子によっても変化してその瞬間瞬間が最も活き活きとなるように全細胞で全力を尽くす。

というかそこまでやるから、流れや構成を決めてしまって盛り上がりそうなのに終わってしまったり次へと行ってしまったりして勿体無いこともしばしば。

そういう時は反省しきり。

考えていったカリキュラムが「違うなあ。」と思ったら破棄してその場で考える。そこは思い切りよく判断する。

決めていったことにこだわって無理を通すとつまらないし、盛り上がらないのです。逸脱や寄り道上等、時には脱線しまくっても良い。

そういうことも経験なのですが。

一番強烈な経験は、車椅子の全身麻痺の方がきた時のワークショップでした。

考えていたことがすべて通用しなかった。歩けるということを前提にして考えてしまっていた。

立てるということを前提に考えてしまっていた。思慮不足で浅薄な自分に気づかせてくれたほんとうに貴重な体験。

ワークショップでよくやる“半眼”。

目を開けるのでもなく閉じるのでもなくその間、見るのではなく見ないのでもなくその間。

しかし、これもやはり目が見えるという前提でのお話。目が見えない人にとっては半眼もクソもない。

この社会は目が見えて耳が聞こえて立って歩けることを大前提にしていたりする。一歩街へ出ると当たり前のようにそういう世界が広がる。

しかし実はそんな人ばかりではないのに、普段の自分のからだの状況や状態でものごとを考えてしまう。

「障がいがあるというのはハンデではなく前提である。」by Oriza Hirata.

「それがどうした?」とそこから始まるワークショップ。「どうやったら一緒に遊べるだろう。」

ここで重要なのはからだがよくうごくほうが良い。という常識を捨てること。

早く走れるほうが良い、早くうごけるほうが良いというオリンピック的な価値観を捨てること。

もしもゆっくりとしかうごけない人がいたら全員でゆっくりとうごいてみる。早くうごくのが良いという常識を捨てる。

もしも立てない人がいたら全員で立たずに何かをやってみる。立って何かをやるのが当たり前という前提を捨てる。

目が見えない人がいたら、全員が目隠しをしてワークショップをやってみる。何ができるのか?そこからの閃きと創意と工夫とインスピレーションで一緒に遊ぶのです。

その場、その状況でしかできないことをやるのです。思い込みを忘れるのです。常識を疑うのです。

あたまを柔らかく、こころを柔らかくしてこだわりや決めつけを捨てる。

そして前提をなくして考えるという大切なこと。

そのためには、やはり常日頃から前提を疑って本当か?本当か?と疑い続けることが必要なのです。

いまある自分の立場や状況を常に疑う。

本当か?

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疑うことが難しいことほど覆った時に面白い。
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2019年07月02日

コチュウからウチュウへ

第二作目、『ダラーの宇宙』

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宣材用イメージ写真。

オープニング:『お急ぎ下さい、時間です』

暗転。と鳴り響くサイレン、明転すると走っている四人の男たちの姿が浮かび上がってくる。男たちは遅刻しそうな宇宙飛行士であります。

オープニングの男たちの走る群舞は、我ながらなかなかいい群舞だと思います。走る姿というのは見応えがあるもの。

そして踊ろうとするのではなくて、全力疾走している姿という嘘のない肉体は説得力を持つのです。

と、そこからフォーメーションを変えながらジェット噴射で飛んだり馬に乗ったり、車に乗ったり様々な手段で先を急ぎます。

ラストはスローで走る鬼の形相の四人。と暗転、ロケットの発射音からの音楽。スライド。スライドを使うほどの転換でもないのに前作を踏襲してまずは反省。

しかしここは、スライドを手持ちにして時間を長くして見せ場にするように改良します。スライドショーの如く色々なところに照射して見せよう。

と明転したらそこは月面、ウサギが寝ている。

これは田村一行の当たり役で再演も一行に頼まねば。大野慶人さんへのオマージュも込めたシーン。

ウサギの耳をつけた可愛い一行の独壇場です。

と、そこにスペースシャトルが飛んできて先ほどの宇宙飛行士たちがやってくる。

スペースシャトルから一人ずつ現れるのは麿さんの演出ですが、全員が汗だくなので「シャトルの中、どんだけ暑いねん。」音響の故・関克郎さんに笑われてました。

確かに全力疾走した後なので如何ともしがたい。それぞれが自作したヘルメットも白く曇って中が見えなかった。まあいいか。

一行ウサギと四人の儀式のような群舞から、餅つきになって盛り上がって四人はウサギを捕まえてシャトルに戻って去っていきます。

はじめて作曲してもらったミシガン大学音楽教授、エリック・サントスの音楽がシーンを盛り上げてくれます。

そこからクロスで向雲太郎のソロに入ります。

ハゲのアリスです。原爆で髪の毛が抜けてしまって気も狂ってしまった。

このソロでは、引越しの時に麿さんに頂いた脳みそのオブジェを使いました。総見では直接持っていたのを麿さんの演出で透明の板の上に乗せて踊った。

このソロもなかなか良かった。脳無しのソロ。

脳がないのにうごけるのか?とか面白い問題もありながらまだまだ突っ込める踊りかもしれない。

と時間機械男、村松卓矢登場。創作時にずーっとここで止まってた。この辺りから脱線して迷宮へと迷い込んでいきます。

村松の椅子と格闘する力技のソロがあって盛り上がって拍手が起こったり。

そこへ一行ウサギを連れて四人がやってきて、この時間機械男とウサギを合体させる。

そして皆んなで時間旅行の旅に出る。ここの群舞は俺が機能不全に陥っているあいだに勝手にできてました。

「すみません。」

村松曰く「こんなに間抜けな曲は初めて聞いた。」というオーディオアクティブの音楽に乗って踊ります。と到着。

そこは女主人、松田篤史と召使い、田村賢二がいる月光のきらめく庭園。四人は幻想の中をさまよいアリアにのって知恵の実“バナナ”を食べる。

それから女主人に連れられて、全員で何処かへと向かって行進するのだった。いったい何処へ?

行進を止めようとするハゲのアリス。気が完全に狂って取り乱している。右往左往して走り回って皆んなを必死で止めるが止まらない行進。

「行くなー!」

行進する人々。

エリックの音楽で暗転。

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エンディングシーン“マゴットブレイン” 
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2019年07月01日

意識改革

今日は、都志の海開きです。生憎の雨ですが。

全国的にもそうなのか。しかし月曜日に海開きとはこれいかに。土曜か日曜にすればいいのに。こちら曜日は関係なく海には行っていましたが。

いま浜がおそらく一年で一番美しい時です。海開きに際して業者の方が大量のゴミを片付けていました。

海岸や砂浜で一番多いのはプラスチックゴミです。このプラスチックゴミによる海洋汚染は世界的に深刻な問題です。

水に浮くというのが厄介で、波打際に流れ着いてぷかぷかといつまでも漂っています。

ペットボトル、マヨネーズのボトル、ケチャップのボトル、発泡スチロールの食品トレーやビニール袋、etc...etc...

薄汚れたそれらは、他の漂流物に比べて気持ち悪さでも他を圧倒します。

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ケニア・ワタミュビーチに打ち寄せられたプラスチックゴミ。photo by WWF.

しかも凄まじく安っぽい。木片が浮いているのは風情がある。流木ならなんならかっこいいので持ち帰ります。

ペットボトルは自然分解されるまでに400年かかるとか。(WWFジャパン,2018/10/26)

メラミンの“激落ちくん”てのはだんだんバラバラになって小さくなって魚の体内に入って、それをまた人類が口に入れるというのでさらなる問題になっています。http://musashino.seikatsusha.me/blog/2016/10/16/6009/

コンビニ袋をウミガメが大好物のクラゲだと見誤って食べてしまい死んでしまう事故も起っているようです。http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005402553_00000

しかしビニール袋は”燃焼しても塩化水素等の有害ガスは発生しません”いうて書いてあるから燃やせばいいのです。政府主導でコンビニ袋を有料化するらしいけれど遅いしずれてる。

問題なのは他の使い捨てのプラスチック製品です。これらをどう減らして無くしていくか。

都志はプラスチックゴミへの関心が低くて何でもかんでもプラです。ひょっとしたら海にプラを捨ててるかも・・・流石にないか。

テレビで見ましたが、海洋ゴミ排出量第2位のインドネシアは海にばんばんゴミを捨ててました。

2億7500万トン。これが世界中で年間に生み出されたプラスチックごみの重さだとか。(2010年)

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地球を汚染し続ける人類という生物。

そのうち480万から1270万トン(中間値は800万トン)が海に入りこみ、海洋ごみになったと推定されているだって。Jambeck et al. 2015

ちなみに800万トンってのは、重さにしてジャンボジェット5万機相当だって。(WWFジャパン,2018/10/26)ジャンボジェット5万機・・・

水に濡れても大丈夫というプラスチックの特性を生かしつつ自然分解のスピードが速くてしかも環境に優しい。

そんなプラスチックに変わるものを、優秀な今の人類なら簡単に発明できそう。

とか思ってググっていたら・・・カネカのプラスチック、「微生物が分解」と国際認証

プラスチックでなくてもいいものは身の回りに沢山あります。卵のパックは紙に変えればいい。お米の袋も紙でいいな。ストローにカップ、etc...etc...

プラスチックというのはとにかく便利で「便利便利。」と何でもかんでもプラになって溢れてしまい制御できなくなってしまっている。

人間ってのはアホやなあ。かくいう自分もそのアホな人間の一人ですが。

人類の意識を変えるしかない。大人になってしまうとなかなか意識を変えるのは難しい。

なので、まだ頭が柔らかい子どもの頃から意識をしっかりとつくっていく。そのためには教育あるのみなのです。

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こちらハワイ島カミロビーチ。 Photo: Kajiwara Mizuho.
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2019年06月30日

二作目

さて処女作で師匠も唸ってびっくりするような傑作をビギナーズラック的に創ってしまってさあ大変。

2002年、翌年にはもう新作を創りはじめた。

「向なんか嵩にかかってどんどんやればいい。」麿さんのそんな言葉にも後押しされてやる気になった。

二作目は皆んなの期待もあるしプレッシャーもあったと思うけれど、そんなに心配はしていなかった。

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『ダラーの宇宙』公演チラシ。design by Hidejiro Kimura.

座組は前回と同様、出られる男全員。

もう少し考えて工夫をすればよかった。油断したのか。いや、まさかそこまで苦心するとは思ってもみなかった。

アイデアはそれなりにあって、壺中の旅の続編という位置づけで考え始めた。

稽古始めの前にはそこそこ構成やシーンが出来ていたけれどいきなり難航した。

とにかく兄弟子・村松卓矢がまったくやる気がなくてやる気がないだけならまだいいけれど、足を引っ張ってやろうという気が満々で彼もそれを隠そうともしなかった。

嫌がられせだな。稽古中もずーっと喋っていてこちらを見ながら隣のやつに耳打ちしたりして中学生か。でもこれは嫌だったなあ。

自信満々でそんなことは気にせずにやれればいいのだけど、創作中というのはそこまで自信がなかったりする。

先輩だし注意するのも憚られたりして言えなかった。言わなかったのか。村松君のことは好きだったし、けれどそんな甘いことを言っててはダメだったのだが。

弱かった。一作目の負い目もあった。「じゃあ一人でつくってみなよ。」そんな声も聞こえて来たりして。

時間だけが過ぎていって毎日毎日、村松のシーンで止まってしまって「手が痛い。」と稽古もしなかったり。気ばかり焦るけれど進まない。

若手にも悪影響が出てやる気のある奴がいないような状態になってしまって、制作的に進行が完全にストップしてた。

しかし誰のせいでもなくて自分の力不足だった。

演出と振付不在のような状態になってしまって、村松が勝手に振付を始めたりしてめちゃめちゃだった。でもそれを許してしまう雰囲気も出来てしまっていた。

途中、テレビの取材が来たけどまったく余裕がなくて相手ができなかった。

ダメだなあ、30歳の俺。まだまだよのう。

毎日稽古場に行くのが苦痛だった。でも頑張って行ってた。当たり前だけど。

なんとかかんとか這々の体で、麿総見にたどり着いたけれど不本意だった。

期待された二作目は、前作を踏襲したり苦肉の策に満ちていたけどまあまあの出来で終わった。

ニューヨーク公演の時に麿さんの部屋に用事があって行ったら「この作品はこれで、なかなかよく出来ていて面白いのだけど・・・」そんな風に言われた。

「前作は超えなかったな。」

とは言われなかったけど、それは事実で皆んなそう思ってただろう。

さあ、それから約10年に及ぶ、あまりにも出来過ぎた処女作との闘いが本格的に始まるのでした。

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エンディングシーン。今、思い返してみたらそれなりに面白い作品だった。都志での再演が楽しみ。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:26| ブログ?

2019年06月29日

さて

関西もやっと梅雨入りしたようです。

観測史上もっとも遅いのだとか。困っている方々は大勢いると思いますが、おかげ様で爽やかすぎる6月を過ごさせてもらっています。

晴れの日は、砂浜で稽古してついでに泳ぎます。

今年の夏はドイツツアーと鉄割スズナリ公演で、淡路島五色町都志に1日もいないのでその分も泳ぎためです。

しかし爽やかだった天気から一転、バケツをひっくり返したような雨になったり。

風も強くて台風が来てるのか。極端だけど自然のやることだから仕方がない。神の領域です。

そして仕事が来ました。嬉しい。

まつもと市民芸術館の演劇工場からの依頼です。前回のワークショップが非常に手応えがあったので良かった。

自分のやっていることで人から必要とされるのは本当に嬉しいのです。他の誰でもなく取り替えの効かない、自分にしかできない仕事で呼んで貰う。

前回、推薦してくれた山田うんちゃんに感謝です。

「ありがとう。」

うんちゃんとは、お兄さんがセツモードセミナーの同Q生だった関係で結構、古くから付き合いがあります。

「妹がダンスをやってるんだよね。」とお兄さんの山田君が言ってたけれどまさかこれほどの大物になるとは。

世田谷パブリックシアターでソロだもんな。あの大空間で一人で踊るなんて、考えただけで興奮する。俺だったらどうするか・・・依頼は来ませんが。

松本の演劇工場の講師の四人のうちの一人で、串田和美さんと加藤直さんの大御所ともう一人の木内宏昌さんは知らないけれど売れっ子なのだろうな。

錚々たるメンバーに囲まれて大したものです。

世界中を駆け巡って若者を食べさせて。いま日本のダンスチームの中でも大所帯です。売れてるレパートリーが沢山あるのだ。

野方に立派なスタジオを持っていて素晴らしい。自分の場所を持っているというのはそれだけで最高です。

羨ましいがこちらはこちらで頑張って頑張らないのだ。

しかしワークショップというのは、相変わらずドキドキワクワクします。

いかにワークショップ生を能動的にさせるか。受動的で一方通行のワークショップほどつまらないものはありません。

何かが教えてもらえる。という姿勢から、自分が行動しないと何も得られない。という姿勢にどうシフトさせるか。

お菓子会社“シャトレーゼ”の社長さんがインタビューで「教わるのは好きではない。」と言っててそうだよなあ。と思ったり。

やはり教えて貰うよりも自分で気付くほうが強いのです。萩本の欽ちゃんも「聞いちゃだめ。」と言ってますが。

そんで今日は、副代表・湯山大一郎が都志に来て打ち合わせです。

なんとか都志で公演をやって食べていけるようにという壮大なる計画の作戦会議です。

大駱駝艦時代の作品も上演していくことにしたので、レパートリーの幅は広がりました。それらをどう赤字にならないように上演するか。

まだまだこれからです。

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第65回芸術選奨文部科学大臣新人賞に選出、ダンサー山田うん。Googleで検索したらかっこいい記事がたくさん出て来た。売れてるし精力的。photo by Google.
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2019年06月28日

壺中の旅公演データ

“現代の平和な家庭に地獄へ通じる穴があった。家族とはぐれてしまった男は、あとを追いかける地獄巡りの旅へ出た。”

"Wildly imaginative!-The New York Times, 2002

"Scantily Clothed With Humorous Intent, Butoh Returns!!"-The New York Times, 2003

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東京初演 ”向雲太郎、麿のゐぬまに”
2001.5/11(fri)12(sat)13(sun)
於:大駱駝艦 壺中天

ニューヨーク公演
2002.7/16(tue)於:Japan Society

サンフランシスコ公演
2003.6/27(fri)28(sat)
於:Yerba Buena Center for the Arts

大阪公演
2003.9/18(thu)
於:Art theater dB

大阪再演
2004.10/30(sat)31(sun)
於:Art theater dB

東京再演
2005.12/24(sat)25(sun)
新国立劇場・小劇場

韓国公演
2006.10/20(fri)
於:韓国国立劇場小ホール

岡山公演
2007.7/6(fri)
於:岡山県天神山文化プラザ

新潟公演
2007.7/18(wed)19(thu)
於:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館

パリ公演
2007.10/4(thu)5(fri)6(sat)
於:パリ日本文化会館

博多公演
2008.9/11(thu)12(fri) 於:イムズ

愛知公演
2008.9/25(thu)26(fri)
於:愛知県芸術劇場小ホール

壺中天再演
2009.12/16(wed)〜23(wed)
於:大駱駝艦 壺中天

スペイン公演
2011.11/5・6 於:バルセロナ
2011.11/9〜11 於:マドリード

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作・演出・振鋳:向雲太郎

鋳態
向雲太郎(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

村松卓矢(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

田村一行(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

田村賢二(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演)

松田篤史(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

捩子ぴじん(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演)

魄(壺中天初演・NY・SF)

塩谷智司(NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天・スペイン)

奥山ばらば(NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

長谷川明弘(NY)

渡邉達也(SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09)

湯山大一郎(大阪・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

若羽幸平(新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

仲林勝司(新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知)

橋本まつり、市本雅上、小田直哉、小林優太、ジュリア・ベッシー(以上、壺中天09)

若林淳、石川正虎、小林裕子、今井敦子(以上、韓国)

狸穴善五郎(壺中天初演)

特別出演:麿赤兒(スペイン)

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スタッフ
舞台監督:石川正虎(壺中天初演)中原和彦(NY・SF・大阪・岡山・新潟・PARIS・博多・スペイン)鈴木康朗(新国立・韓国)田中翼(愛知)塩谷智司(壺中天09)湯山大一郎(壺中天09)

照明:柿嵜清和(壺中天初演・NY・SF・大阪・新国立)森規幸(韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・スペイン)しもだめぐみ(韓国・岡山・新潟・PARIS)小沢葉月(博多・愛知・スペイン)谷口哲平(壺中天09)高桑晶子(壺中天09)藤本梓(壺中天09)

音響:我妻恵美子(壺中天初演・壺中天09)花井ミワ(NY)石井浩美(大阪)関克郎(SF・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・スペイン)

写真協力:松田純一
制作:山本良

プロデュース:新船洋子

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監修・総監督:麿赤兒

協力:潟Gコーコーポレーション21、滑J成洋紙店、カネボウコスミリオン梶A潟Aイネット、DANCE BOX、Damda!

強力:辻桜子、進藤文枝、渡辺亜哉、小澤隆太郎、長谷川明弘、茂木令子、飯田研紀、樋口恭子、北村誠、鉄割アルバトロスケット、間中涼帆、MDラフィー、大石篤志、須田知尋、伊藤明日香、大原汐里、松尾有紀、西原英里、中村絢、ロビン・ワセルマン、藤井健仁、大鯨艦、and more...

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to be continued.
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2019年06月27日

当時のノートより

2000.11
『ファンタジーの終わりから始まる』4人一列→礼→アンコール 父出てくる 卓袱台蹴りとばす〜転換、パカパカ

5人メシ喰ってる 嘘に嘘を重ねて徹底的な嘘の世界を創り上げてゆく

12/5
日本の食卓「ザ・パワークライストコンパウンジュ。」

死体の海を男が馬で通りかかる 4秒戻ります BGMは要らない TV暗転〜スライド

12/31
パリは〜スッとやめて消える〜松ちゃん残る で何をやる ケセラセラ 口パク パリは燃えているか〜

扇風機 桜吹雪 奪衣婆 エバ エデンの東 ノドへ

2001.1/10
食卓→夢、誰の夢 ファンタジーの終わりとは?エレベーター下着売り場 合図無視して歩き始める 行進 近づいてくる〜加古

街〜宿 山ちゃんフラメンコ「温泉行こう。」オレ 一行「温泉かあ。」でしたとさ めでたしめでたし

僕は彼女にチェリーをあげた でも種なしだった チキンもあげた でも骨なしだった

2001.1/29 
『2001年壺中の旅』

3/10 
“素股”理由と入り方●物忘れ〜ちいさい振りの合わせ●仕草〜身振り(振付けるのではなく、決め事“イメージだけ”決める)→ゆえに物語から来る

3/28
卓袱台?卓袱台背負う 卓袱台と闘う 卓袱台と踊る オープニング→ソロ→尻叩き

驚愕の嚝野 驚愕とは啓発である 驚愕するとは啓発される事である

3/27
群舞、チンコ切られる 取られる

ホワイトノイズ全ての音 聖ペテロの門 審判 ドア 馬鹿が足りん 壺中天は場所か空間か

混沌の中の秩序、何かひとつ 逆回転、盛り上がりから〜最初へ

“夢”筋道は要らない アプラクサス蛇のとぐろ

がっこう砂浜皆で走る 壺中に天がある 天が壺中である 円周 “生あるままに”

迷いの窓 モノリスは四角?西洋、丸い?東洋 こだわるな。

枚数をこなせ 良くなるかもしれないという甘い予測的観測はない これだという確信のみ

五匹の猫 ソロ 小野篁 サラブライトマン 狸ネオン

2001.4/20
ウォー 宇宙見えた感じ、ほっぺ レゲエ(村松)麿のゐぬまに

「おかえりなさい。」暗転

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2009年クリスマスにキャストを二組に分けて行われた。10年に及ぶ再演の中で最低の出来の回があり残念無念。しかし取り返しがつかない。design by Hidejiro Kinmura.
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2019年06月26日

壺の中の旅のつづきのつづき

“師、麿赤兒『毛皮のマリー』全国ツアー中”

新しいシリーズでは、麿さんのことを作品の中でどう位置付けるかもそれぞれが考えてチラシに提示することになった。

それまでは“伏魔殿”と記載されてたけど、あまりいい意味ではないというので麿さんが嫌っていた。

俺にとって麿赤兒とはどういう存在か?こういう時はあまり考えすぎずにシンプルなそのままがいい。しかし“師”という言葉がなぜ出てきたかは覚えていない。

それまでは「師匠。」と麿さんのことを呼ぶ者はいなかったかもしれない。結構画期的だった。大友透なんかは麿さんのことを友達だと言ってた。

だからかギャラを貰うようになったのが気に要らないとも言ってた。「お金をもらった瞬間に主従関係ができてしまうんだよ。」

壺中の旅の初演は、チラシにも書いてあるように師匠はいなかった。

サブタイトルの“麿のゐぬまに”があんまりいい意味ではないと責められたのを覚えている。

「儂のいない間に何か悪いことでもやるつもりか?」

実際は、大したことはできなくて師匠に内緒で村松卓矢がフルチンになって踊るぐらいだった。

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村松のシーン『暴走機関車』photo by Junichi Matsuda.

そう、本番初日は“ツン”を履いていたけれど終わった後の飲み会で「村松らしくない。」とか「ツンなんて要らない。」という話になって二日目からはフルチンで踊るようになった。

今もそうだけど、本番が開けてからも「あーでもない。こーでもない。」と話してどんどん面白くしようという気概に満ち溢れていた。

村松君のフルチンは、これ以降定番化して結構長くそのままだった。

ある時、若林淳が替わりに村松君の役をやることになってフルチンではなくなった。

ちんこにも人格があって村松君のは邪気がないのだけど、若だと途端にクレームが出た。許せないちんこなのだな、不思議。

何日目かに市川海老蔵君と中村勘太郎君が観に来てくれたりして、大いに盛り上がって終了。

新しいシリーズのオープニング役をド派手に決めて鼻高々、サンフランシスコで麿さんにその鼻をへし折られるまで意気がりまくってた。

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オープニング『ファンタジーの終わりから始まる』photo by Junichi Matsuda.

初演の打ち上げの時に村松が「なんでこんなに評判がいいのかわからない。皆んな騙されてるのではないか。」と挨拶してて「確かになあ。」と思ってた。

村松という天才的なアイデアマンがいて狸穴善五郎という稀代の変人がいて、村松のシーンは村松が狸穴のシーンは狸穴のアイデアで創られた作品だった。

さらに田村一行というしっかりとしたダンスマスターがいて、松田篤史という魅力的なターレントがいてこその壺中の旅。

それらをまとめあげたのは自分だが、一人で創ったわけではないということは重々承知していた。

しかし、どうしても作・演出・振付にスポットが当たってしまう。

ヤキモチと言ってしまうと身も蓋もないけれどこれ以降、嫉妬に苦しめられることになるのだった。

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エンディング『家族の肖像2』photo by Junichi Matsuda.
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2019年06月25日

壺の中の旅のつづき

紙吹雪を大量に降らせるアイデアがあって、村松が冗談で「クライマックスは惜しまずに最初にあったほうがいいでしょ。」と言うのを真に受けてオープニングに持って来た。

新しく始まるシリーズのオープニングで暗転して明転したら大量の紙吹雪が降っている。

悪くない。これは強烈でオープニングが終わると拍手が起こるようになった。

それはいいけれど大量の紙吹雪をどうするか?片付けるしかない。その転換も見せてしまおう。

大音量のノイズの中、転換が行われるアイデアはゴキブリコンビナートを観に行った時に頂いて温めていた。

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チラシ候補案。兄弟子・村松卓矢にだいぶん気を使ってる。illustration by Kumotaro Mukai.

村松君のシーンで「線香を大量に咥えたい。」言うててこの人は一体何を言ってるのだろう?と思っていたが初七日の線香だと気付くまでには何年もかかった。

死者たちは、線香の煙の陰に隠れて鬼たちに見つからないようにあの世を旅するのです。

毎日毎日、稽古場に泊まって夜遅くまで稽古をした。

一人で壺中天に残りウンウン唸ってあらゆることを考え尽くした。狸穴君のやりたいという赤玉づくりにも付き合って。

この辺りのことは無我夢中であまり覚えていない。

真剣勝負である師匠・麿赤兒に初めて観せる総見の日。出来ていようが出来ていまいがとにかく最後まで通す。

「これでお客さんに観てもらおうと思います。」師匠に観せて審判を仰ぐ。

実際に紙吹雪も作って紙吹雪を片付ける時に投射するスライドとか色々と本番並みに仕込んで、ものすごい緊張したけれど企んでいたことが面白いように決まって気持ちが良かった。

舞台監督の石川正虎曰く「初めはそんなに面白いか?と思った。」作品は麿さんの賞賛という予想外の反応を得てとうの本人たちも驚く結果となった。

面白いとか面白くないとかいうことを超越して麿さんの心に響いたようで観終わった後に「驚いた。」とかいうようなことを麿さんが言ってたと思う。

一番驚いてたのは自分だった。自分自身がわかっていないことも沢山、師匠には届いたようだった。

壺中の旅の一番の理解者の誕生であり、超強力な後ろ盾を得た瞬間だった。

総見の後の稽古でちんこ切りのシーンで秤を使うことになったり、麿さんも色々と面白がってくれてアイデアを幾つか頂いた。

こうして師匠も共犯になってくれるのが、壺中天の唯一無二で素晴らしいところなのです。

多分、本番初日にジャパンソサエティーの塩谷陽子さんが来ていてニューヨーク公演が決まったのだと思う。

ニューヨークを皮切りに“壺中の旅”の快進撃が始まるのだった。

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『2001年壺中の旅』初演チラシ。design by Hidejiro Kimura.
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2019年06月24日

壺の中の旅のはじまり

『2001年壺中の旅』は構想10年、あの頃の自分のできることそれまでに考えていたアイデアのすべてをぶち込んだ作品でした。

タイトルは安易で、2001年に壺の中を旅する物語。

もちろん大好きなスタンリーキューブリックの『2001年宇宙の旅』にかけた。

それまでも、後輩の石川正虎と共同で作品を創ったり『千秒の孤独』と題して20分のソロ作品を創ったりしていたけれど丸々一つの作品を責任を持って創るのは初めてだった。

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『漂遊戯族』チラシ。今は亡きジャズミュージシャン古澤良治郎さんが音楽。舞台上で焼きそばを投げ合ったり好き勝手やって楽しかった作品。

大駱駝艦稽古場『壺中天』で新しく始めるシリーズの開幕作品でもあり、張り切りまくって臨んだ作品だった。

狸穴善五郎と村松卓矢という兄弟子二人に出てもらうという贅沢な座組みで。まずは村松君が決まったのか。

電話で弟弟子・田村一行に出演交渉をした。

話してる時に「僕は男全員を使って作品を創りたいんです。」とか一行が言ってて、感じ入って壺中の旅も舞台監督の石川正虎と若林淳以外男が全員出る作品となった。

初めて創る作品なのにそんなに手を広げて大丈夫か?いまなら心配になるが、あの頃はやる気が横溢してたので関係がなかった。

稽古に入る前から構成はだいたい決まっていた。しかしそんなものは叩き台にすぎない。

面白くするのは現場である稽古場で、面白くなければ面白くなるまで考えて稽古をした。

兄弟子の村松卓矢ができた群舞にいちいちケチをつけるのでその度に創りなおした。たぶんその度に面白くなっていったのだと思う。

まだ新人だった松田篤史がリップシンクをするというアイデアは、結構前から決まっていた。確かドラッグクイーンのショーを観に行って思いついたのか。

途中の群舞はやりたいアイデアがあってそこにどうつなげるか?という演繹法で創ったのが功を奏した。

素股の群舞をやりたい。素股のアイデアは、海印の馬の麿さんのソロから頂いた。

素股になるためには、ちんこが無くならなくてはならない。どうするか?

三途の川で奪衣婆に服を剥ぎ取られるが服も着ていなけりゃあ、六文銭も持っていない男たち。

そいつらが最後の金目のものというか大切な“ちんこ”を替わりに切り落として、三途の川を渡してもらう。というのではどうか?

そのちんこを秤にかけて罪の重さを測って通してもらったりして。

馬鹿みたいな話だが大の大人が大真面目に考えて実行した。このシーンがまさか中盤のクライマックスになるとは思ってもみなかった。

人生、何が起こるかわからない。

アイデアは思いついて考えるのは簡単だけど、実行して実現させるのが大変。そしてさらにそれを面白くするのが肝要。

大変でしんどいのだけど、それこそが醍醐味だったりするのです。

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振り付け、麿赤兒ともいうべき卓袱台のソロ。再演を重ねるたびに麿さんに稽古をつけてもらいどんどん強度が増して行くのだった。photo by Junichi Matsuda.
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2019年06月23日

淡路舞踏社

大駱駝艦のデザインをはじめた頃。

格好がいいからとロゴを使っていたのだけど、麿さんにある日「天賦典式とは、本公演のことをいうんだけどな。」と窘められた。

そのへんは、よくわかっていなかった。けれどあの頃いたメンバーで、そのことを分かっていたのは何人いただろう。

本公演のタイトルが大駱駝艦『天賦典式』であって、”ぶとう”ではなく”てんぷてんしき”なのだと。

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『大駱駝艦 天賦典式 ロゴTシャツ』モデル:松田篤史 デザイン:木村秀治郎 photo by Google.

「この世に生まれいったことこそを大いなる才能とする。」という理念のもと「うごくな。何もするな、そのままでいいのだ。」と肉体を板の上に放り投げ出すところからはじまる。

そしてそれらの者たちのお祭り。典式だから少し儀式めいている。

初期は、一作品ごとに番号がついていた。YとかZとか。いまは60作品目ぐらいなのか。ものすごい数だけど、もうすぐ50周年だもんな。

現在、舞踏家集団デュ社のレパートリーは、6作品。大駱駝艦時代の作品も合わせると19作品あります。今年11月につくるのを入れれば20作品。

2001年『2001年壺中の旅』

2002年『ダラーの宇宙』

2005年『The Jar Odyssey V』

2006年『舞踏虎ノ穴』

2007年『をどろベイビー!』

2008年『MANNA』ソロ作品、共同制作:エリック・サントス@ミシガン

2009年『遊機体』共演:画家・鉄秀、音楽家・築山建一郎

2011年『底抜けマンダラ』

2011年 舞踏レクチャーパフォーマンス『生一本』共演:音楽家・築山建一郎

2012年『アホとロマンの皮袋』ソロ作品

2012年『大正解』振付・演出:湯山大一郎

2013年『ワークインプログレス』

2013年『舞踏?』ソロ作品

2014年 『ふたつの太陽』

2014年 『Encounter with another world』@メキシコ

2015年『春の祭典』

2016年『舞踏?プレゼンテーション・ショウ』ソロ作品

2016年『改題ぴちがい裁判』

2019年『舞踏?レクチャーパフォーマンス』

さて、そんな全20作品を淡路島の五色町都志のデュ社本拠地で一挙上演しようと目論んでいます。

「麿さんは自分の弟子たちに、通してはじめて完成する作品を創らせようとしてるのではないかと思ってるんです。」とある時、湯山が言うてました。

まだ完結しないモノガタリ。か、面白い。

乞うご期待。

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photo by Masami Mori.
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2019年06月22日

回想といま

先日、兄弟子・村松卓矢と壺中天の終演後に久しぶりに飲んだら「だって、俺はお金なんて欲しくない。」と何度も言ってて面白かった。

稀代の天邪鬼だからお金の話をする俺への反発。

もしこちらが「この世はお金ではない。」なんて言おうものなら、集中放火を浴びます。

「たって、この世はお金でしょう。」

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人相悪いわあ。copyright Camel Arts Co.

最近は“カチャーシャ”というブラジルのお酒を飲んでると言ってた。

後輩に取らせに行って持ってきたらほとんどなくて、まっちゃんに「これ全部、村松さん一人で飲んだんですよ。」言うて突っ込まれてるのがおかしかった。

「今日はこれじゃないな。」と焼酎に切り替えてた。何かが違ったのか。

昔から、お酒は飲まないのだけどすごく強くて一度、ウイスキーをストレートでぐいぐい飲んで一晩で一瓶開けてたことがあった。

でも酔っ払わずに理路整然と会話をしてたのが驚きだった。いつも醒めていて、決して酔うことのない精神。

今回は昔のようにワイワイ騒いで飲むという感じではなくて、人数も少なくもう一発盛り上がらずに重い空気が稽古場に漂っていた。

いまの大駱駝艦の空気なのだろうな。しかしこの約50年の歴史でそんなことは、何度もあってその度に切り抜けて来たグループだから心配ご無用。

そういえば、今年の11月に世田谷パブリックシアターにて新作を発表するとか。去年、新国立劇場にて新作を発表したばかりなのにびっくり。

そして羨ましい。いや、麿さん大丈夫か?とか思うけれど、師匠ぐらいの巨匠になると別にそんなことは大したことではないのか。

昔、壺中天の公演の時にこんがらかったシーンで「ちょちょいのちょい」と一瞬で面白くしていた。

「子どもの靴紐がほどけて結んでやるぐらいのことなんじゃない。」と村松が言っててなるほどな。と思ったことがあった。

伝説の豊玉伽藍で1年間、毎月新作を創るという大変なことをやったことがあって師匠自身も「あの時の創作的な蓄えがいまも役立っている。」的なことを口にしてたことがあった。

そんなものなのか。その域にはまだまだ至れないし、新作もなかなか創れないこの身の上だけれど機会をじっと待つのだ。

そうして、4週間ぶりに淡路島五色町都志に帰って来ました。

しかし、そこまで庭の雑草が伸びてなくて「ほっ」と一安心。

今回の滞在は2週間なのでどう作業を進めるか。来週、湯山が来るというけれど関係なく廊下の天井画に取り掛かるか。

庭の雑草をなんとかしなければ。しかし蜂が怖い。

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“村松卓矢”で検索したら出て来た。忘年会でビートルズをやったのか。左から松田篤史、田村一行、村松、塩谷智司。photo by Google.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:39| ブログ?