父が遊び場にしていた部屋を片付けていたら北大路魯山人の本がでてきたので拝見。
美の巨人、魯山人。そんな巨匠のことばをメモ、メモ・・・
仰いでは宇宙に字を書け。俯しては砂上に字を習え。
書には必ず「美」がなければならぬ。
人間の行為、にんげんの作品はそのひとをはんえいせずにはおかない。よい字というものは、よい人格が生む以外、ほかに生んでくれる母体はない。
美を探求する、美を愛する、美を身につける。美と接吻をつづけるのでなければ、芸術家としての生命はない。
感興の触れる儘に、順序もなく統一もなく、極めて散漫に製作している。
この世の中を少しずつでも美しくしていきたい。わたしの仕事は、そのささやかなあらわれである。
人間なんで修行するのも同じことだろうが、じぶんの好きな道で修行できるくらいありがたいことはない
ひとはいつ死んでもよいのである。ひとはこの世に生まれて来て、どれだけの仕事をしなければならぬときまったわけのものでもない。
分かるやつには一言いってもわかる。分からぬ奴にはどういったってわからぬ。
芸術とは計画とか持たないもの。刻々に生まれてくるものである。言葉を換えていうならば、当意即妙の連続である。
ものさえ分ってくると、おのずから、趣味は出てくるものである。趣味が出てくると、面白くなってくる。おもしろくなってくると、否応なしに手も足も軽くうごくものである。
我々は食をくうことによって、美をくうのである。
・・・魯山人は最初に書家として活動をはじめる。その後にパトロンとなる豪商や大金持ちに依頼されて、看板や扁額を書いて糊口をしのいでいく。
そうして茶の湯に出逢い、陶芸の道へとはいっていく。
星丘茶寮をつくり美食倶楽部なるものを立ち上げ、財界人が出入りするようになる。そうとうにうるさくて厳しいかただったようで、喧嘩の逸話は数かぎりない。星丘茶寮も最後は追放されている。
孤高も孤立もすべては美のため。
美に生きて芸にすべてを捧げた巨人であった。
おなじく掃除していたらでてきた父が描いた仏画、部分。