2018年06月22日

淡路滞在、三日目

2018.6/22

晴れ。まずは洗濯。その後、仏壇の掃除。木谷家は真言密教です。お位牌のホコリを払って外へ並べる。自分が木谷家の六代目だと確認。仏壇の金箔が剥がれて来てる。京都で安い金箔がブームやとか訪米が言うてたなあ。直したい。


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木谷家の家紋は桔梗です。


一番汚れていると思われる、台所の掃除にとりかかる。ゴミが出る。ごみ収集の曜日がわからないので、お隣の住吉堂さんへ。紙・ダンボールの収集が一ヶ月に一度だと聞いてびっくり。まあいいか。


14時、十川英二さんに挨拶しに高田屋嘉兵衛記念館へ。その後、洲本のコーナンへ連れて行ってもらう。浄水のカートリッジを購入。


二日ぶりのお風呂。しかも温泉。気持がちいい。また頑張ろう!という気になる。


帰ってビール飲んで、掃除してたら出てきた1994年のワイン飲んでおやすみなさい。

posted by Mukai Kumotaro at 16:09| 日記

2018年06月21日

淡路滞在、二日目

2018.6/21

要するに別荘の主人、というか管理人というか。ただの居候というか。柔らかい感じで毎日を歩いて行こう。


そういえば、昨日行った自転車屋の奥さん「その自転車の色は、薄空色でええんかいな」旦那さん「んん、薄空色。。そうやな」自転車の色の言い方が絶妙で旦那さんも納得の表現でした。


曇りのち、薄曇り。少し日が射したり。

お墓へ行って掃除、しきび交換。


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書を飾ったり。書:五女 恒子


いつ訪れるかわからない、美人で、頭が良くて、いつまでも若々しくて、キュートで、そしてかしましい5人のお姉さま方のために、思い出の詰まった別荘をぴっかぴっかにしておくのだ。いろんなところに気を効かせて、落とし穴を仕掛ける心持ちで。


掃除、片付けを続ける。だんだんとなんとなく。


とにかく皆んなが気持ちよく暮らせる家にしよう。

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posted by Mukai Kumotaro at 09:23| 日記

2018年06月20日

淡路滞在、一日目

2018.6/20

いよいよ淡路島に入りました。川西では地震に逢い縦揺れと横揺れの違いについて経験し、淡路では田んぼから水を抜くほどのめぐみの雨が一日中、降り続く。


一日目、まずは掃除から。どんな家にするのか?イメージ作り。

家の隅々までつぶさに観察する。大事に使われてるなあ。と感嘆しかり。女性の力、お陰さまを思う。


どうしたいのか?どうなりたいのか?舞踏について。お芝居について。あれこれと考えたり。少しうごいたり。アホになったり。ロマンを観たり。


I feel about Roots, Sky, Se,e Window.Space......


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舞踏レクチャーショウ 於:兵庫県川西市 

posted by Mukai Kumotaro at 21:09| 日記

2018年06月19日

訪米

映画監督・佐藤訪米に出会ったのは、1995年1月21日。飲み友達の木村さんという方の家で、星野建一郎を介して。

当時、訪米は映画を製作中で後日、京都の事務所に泊めてもらったけれど、事務所は若者が溢れてて雑魚寝したり酒盛りをしたりと梁山泊の様相を程していて興奮したのを覚えてる。

映画が完成してそのイベントに呼ばれ京都まで星野達と行って。ジャズバーだったので本番前に村松くんとウィスキーをしこたま飲んで。人生で酔っ払って踊ったのはあの時一度だけだな。適当でいい加減なイベントだった。

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訪米はその後、祇園南座の真裏でラーメン屋を始めて。鉄割京都ツアーの時に遊びに行ったり。得体の知れない人が店の奥で寝てたり相変わらず面白かった。

いつの間にか祇園の店はなくなってて。便りは京大の近所から届いた。

『ぴちがい裁判』京都公演の時に久しぶりに行って。奥村くんが日本で一番美味いと絶賛する中華そばを皆んなで頂いた。

先日も、その京大側のお店『みみお』に伺って夏にやる夜市というお祭りで踊るにあたっての打ち合わせをした。

これからもよろしく!
posted by Mukai Kumotaro at 06:54| 日記

2018年06月18日

1995年

1/17 (tue)雨月稽古。性格を超越したエネルギーとその“ふり”によって踊る。

イメージを想起させるもの、こと。シンプルなもの程、力強いし伝わる。

稽古中にニュース速報。神戸で地震。全ては他人事か。実家へ電話するが通じず。死者300人。

こころとからだの分離。つけない嘘 俺は平気?

1/18 (wed) 死者1500人 1500人? よくわからない。

1/19 (thu) 死者2400人 煽り立てるマスメディア。混乱が混乱を呼び、騒ぎは大きくなっていく。俺は相変わらず。

1/20 (fri) おそらくスポーツ新聞だろう。とてつもなく大きな見出し『死者5000人』…なんだか喜んでいるように感じるのは俺だけか。ただでさえ溢れる人間が一人でも多くいなくなる。とか。

雨月稽古。天界と魔界 結界 焦ることはない。落ち着け、イライラするな。思い通りに行かないからといってそれがどうしたというのか。うごかない身体。とまらない欲望。うごけない世界。

1/21 (sat) そのうち現金なスポーツ新聞などは、報道しなくなってしまうのだろうなあ。そして皆んな忘れていく。本当は何も終わりはしないし、変わってもいないのに。つくりだされる悲劇、美化される人の死、忘れ去られるいま、現在、未来。

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Illustration by Kumotaro Mukai

1995年1月17日、たしか稽古中にニュースが入って、皆んなでテレビを観た。その日は、まさかそこまで大変なことになるとは思っていなかった。

そういえば、3.11の時も世田谷パブリックシアター稽古場にて、本公演の稽古中だった。

村松くんとわたくしの二人のシーンで、いままで一回もそんなことがなかったのにアクシデントが何度も起きて。おかしいなあ。とやり直していたら地震が起きた。虫の知らせだったのか。

しかし、こればっかりは自然さんのことだから仕方がないのだと思います。神様といってもいいかもしれないけれど。自然という神は無情で容赦がなくて、人類のことなんてこれっぽっちも気にかけていない。大自然の前では、本当は無力な人類の姿がむき出しになってしまうのだ。
posted by Mukai Kumotaro at 11:21| 日記

2018年06月17日

ギチョ

昨日は、昔馴染の杉本浩二と久しぶりに会いました。アダ名はギチョ。

ギチョは、小学校1年の途中に大阪から引っ越してきて。

それまで杉本マサシがいて、左ギッチョでギッチョンというあだ名で呼ばれていた。けれども同じ苗字の杉本浩二が引っ越して来て、いつの間にかギッチョンのあだ名はマサシから浩二のほうに渡ってた。

ある朝、学校に行ったら廊下に男子全員が正座してて、どうしたのか聞いたら「杉本くんに正座してろ言われました」てなことがあったなあ。

当時の先生が大学出たての若い先生でギチョの横暴があまりにも目に余るので、「誰かギチョと喧嘩しなさい!」と言ったら杉本マサシがすぐさま手をあげた。机と椅子を片付けてギチョとマサシが喧嘩して、一発でギチョがマサシを投げ飛ばし流血し終了。熱血指導。

そんな喧嘩のめっぽう強いギチョの粘土を、引っ越して来たばっかりの時に壊したらしいけれど覚えてないなあ。

ギチョは、中学では野球部のキャプテンで番を張ってて。しかし高校は公立高校に進学して文武両道。

高校では有名な厳しい顧問のいるラグビー部に入って。一緒に入った同級生は皆んな辞める中で続けてた。そういえば杉本マサシも辞めずに続けてたとか。ど根性だな。

高校を出て、夜景の見えるところでギチョの家の車に乗って、二人でよく何時間も喋ってた。わたくしは東京に行くと言ってて、ギチョは海外に行くと話してた。

ギチョは、その通りにいまはインドネシアにいる。

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ラグビー、現役続行を決意した杉本浩二・51歳。
posted by Mukai Kumotaro at 15:23| 日記

2018年06月16日

伊藤キム

伊藤キムさんは、年齢が二つ上なだけでほぼ同年代なので兄貴分みたなもので。家に遊びに行ったり仲良くしてもらって。可愛がってもらっていたと思う。

その踊りは、切れ味鋭く自分で決めた振りを何度もなんども稽古して、納得がいくまで繰り返して鬼気迫るものがあった。

いまは違うかもしれないが当時はテクニックが大好きでそのうえ、もっともっとという向上心に限りがない人で、今日右手が10センチ伸びたら明日は11センチ、明後日は12センチという感じ。それを他者にも要求して。

丁度これから世に打って出ようという時期で、勢いに満ち溢れていて凄みすらあった。応援して贔屓にするファンも沢山いた。

麿さんからの影響は、歳が離れていたこともあって当時はあんまり自覚していなかった。キムさんからの影響は歳が近いぶんわかりやすくて強烈だった。

まずは身近な兄貴の影響を受けるような感じだったのかもしれない。

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photo by Nobutoshi Takagi
posted by Mukai Kumotaro at 12:32| 日記

2018年06月15日

1994年12月11日

13:00〜 海印の馬&雨月、稽古
水槽が段々と俺の友達になっていく。馬にはまだ乗れていない。

18:00〜 キムワークショップ
疲れて駄目だった。ワークショップ自体も中途半端に終わった。

22:00〜  打ち上げ
何かをやらねば、徐々に前に進まねば意味がない。

頭が固い自分、守っている自分、下らない経験を信じ、それをなぞる。

ぬるま湯に満足し、そこから飛び出さない。右に左に手はもっとうごくのだ。怒れ、叫べ、うごけ。

自分の既成概念を、凝り固まろうとしている、カビが生え腐った思い込みをブッ飛ばせ!

しなやかな心 しなやかな体 ちょっとずつでもいい 少しずつ 少しずつ 変えるのも自分 変わらなのも自分

基本があって、心があるのではない。テクニックなど、後でつければいいのだから。

「見慣れた決め振りなど見たくない。古臭い予定調和の踊りなど見ても仕方がない。そうじゃない、もっと違う、本当の雲太郎のうごきが見たい。本当のお前の心の叫びを聞かせろ」by 伊藤キム

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photo by Nobutoshi Takagi
posted by Mukai Kumotaro at 10:59| 日記

2018年06月14日

しろぬり?

某ファッション雑誌の撮影後、風呂へ。我々舞踏家は、白塗りを落とすために風呂に入ります。たまに風呂に入るために、白塗りしているのではないかと思うこともあったり。

この白塗りというのは大変な発明でして、塗れば自分ではない生きものになれるのです。

白塗りだけではなくて、金色に塗ったり銀色にしたり黒や緑、赤や黄色なんてのもある。そのどれもがコンセプトがあって、単に面白いから塗ったりしているのではありません。

いや、人の前でどう面白くあるのか?という問いかけがまずあるからこそ、色をからだに纏うという発想が出て来るのだな。

疑いなく舞踏だから白塗りだ。という考え方はよろしくなくて、きちんと自覚を持って塗らなければなりません。

わたくしも初期は塗るのが当たり前だと思っていたけれど、だんだんとなぜ塗るのか?と考えるようになりました。

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photo by Masami Mori

風呂から出て舞踏家の地位向上を実現するためにどうすれば良いのか、湯山大一郎と作戦会議。

400年前に河原乞食と蔑まれていた歌舞伎。いまでは銀座の一等地に巨大な建物を所有するような存在。

歌舞伎の祖であるといわれるお国が踊ったという四条の河原と、そこから10メートル足らずのところにある現代の京都南座。あのたった10メートルを移動するのに400年間かかったんだんなあ。と思う。

歌舞伎のご先祖さまたちが、400年前に河原で副業をしながらも必死に続けたお陰で京都南座があり、歌舞伎座があるのだ。

わたくしたち舞踏家の子孫もひょっとしたら、400年後にはベンツの後部座席に乗って偉そうにしているかも知れない。
posted by Mukai Kumotaro at 17:08| 日記

2018年06月13日

矛盾

アメリカと北朝鮮が歴史的な首脳会合だって。ド派手なパフォーマンスの成功でトランプさん鼻高々。自分の実績をつくって有権者にアピールすることと、北朝鮮にトランプさんの親友が経営する巨大カジノをつくるのが目的だとか。ワイドショーの情報です。

もともと政治家というのは弁護士がなるもので、利益を代弁する存在だからそれでいいのか。いいのか?

そして政治家の一番大切な仕事は、税金の使い道を決めることです。

安倍さんは、今回税金を一兆円!!つかってトランプに代弁を依頼、北朝鮮と直接対話を模索する機会をつくって頂いたそうです。

一兆円分の武器を買う代わりに拉致被害問題について解決をお願いしたのに自分でやれと言われて。。

自分の名誉と友人の利益だけではなく、国民のことを真剣に考えるリーダーが現れることを心から願います。

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anonymous "untitled"

ポイントは非核化だそうです。

自分は核を持っているのに、他人には核を捨てろと迫る矛盾はどうでもいいんだな。子どもでもわかる矛盾。

こども「おじさんは核兵器を持ってるのに何故、ぼくは持っちゃだめなんだ?!」
おじさん「ガタガタ言うな。言うことを聞かないとバラバラにするぞ!」
こども「・・・」

自らは核を所持するのに相手に非核化を迫る矛盾。核ミサイルのボタンを持って広島に来て平和を語る矛盾。人間が存在するという矛盾。人間は矛盾に満ちた存在です。

そういえば皆さんあまり知らないけれど、原子力発電所で核兵器は作れます。

原発を持っているということは、核兵器を所有していることと同じなのです。

posted by Mukai Kumotaro at 08:08| 日記

2018年06月12日

あさのれんぞくてれびどらま

朝の連続テレビ小説が面白いのだ。北川悦吏子さんの脚本がいいんだよなあ。流石です。

『マッサン』以来久しぶりに真剣に観ています。演出は前回までの朝ドラと同じ感じだけど、脚本に説得力があるから観てしまうのだろうなあ。

言葉が力強くて、強いだけではなくて限りなく甘くロマンチックだったり。ベタベタと甘いだけではなくて、非常に厳しい言葉もあったり。上手だなあ。引き込まれてしまう。

片耳が聞こえない女性のお話しだけど、北川さんが実際に突発性難聴で聞こえないらしい。自伝的要素が強いのだな。それも説得力がある理由なのかな。

わたくしも『ぴちがい裁判(原題:きちがい裁判)』という作品で脚本執筆に挑戦したけれど、気が狂いそうになり死にそうになり何度も諦めそうになり、公演中止を毎晩夢見てました。

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『ぴちがい裁判』@アゴラ劇場 photo by bozzo

何もないところから言葉で物語りを生み出す作業というのは、想像を絶するほど難しくて。1時間の作品なら、1時間を言葉で埋め尽くすのだから。しかもそれが観客を感動させるほどに、面白くなくてはいけないのだから。

ほんとうに特別な才能です。

ちなみに主役の永野芽郁さんは、わたくしの家の近所がご実家だとか。勝手に親近感。

朝ドラ終了後の博多大吉・華丸さんのコメントも楽しみなのだ。

そういえば朝の連続テレビ小説の終わる時間、8時15分はヒロシマの原爆が落ちた時間。
posted by Mukai Kumotaro at 09:44| 日記

2018年06月11日

ふぁっしょん?

昨日は、某ファッション雑誌日本版の撮影。メンバーは、湯山大一郎と松原東洋。

東洋は、星野主宰の大豆鼓ファームで鍛えられ、大豆がなくなってからも舞踏を続けている稀有で貴重な人。頑張ろう。

そして兄弟子・若林淳。若さまは1990年に浅草常盤座でおこなわれた『海印の馬』を観て入団したので4年先輩。だけど歳が二つぐらい年下なのでわたくしは皆んなと同じように“ワカ”と愛称で呼びます。

ワカとは、元ジャニーズのヤックン主演のお芝居『ビルマの竪琴』に二人で出演してツアーをしたり、『死者の書』という作品でデュエットを踊ったり。

私の作品にも何度か出ていて戦友です。

麿さんも認める大駱駝艦のプリシンパルだったワカは、様々な伝説を残して2007年に退団。いまはフリーで活躍中。

冷たい雨の中なのに野外、しかもツンいちで行われるという舞踏家にとってはよくある厳しいシチュエーション。

ちなみにツンとはパンツをジャズミュージシャン風にツンパと表現したことの名残だとか。ツンいちとは舞踏家の正装でツンを一枚だけ纏った状態のこと。早い話がほぼ全裸です。

身体感覚の気心が知れて、身体の使い方のツボも心得たメンバーとの撮影はさくさく進み、イタリア人とスイス人の二人のカメラマンも "beautiful!! excellent!!" を連発して大喜びで撮影は大成功。

「お疲れ様でした」

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某ファッション雑誌撮影現場、都内某所にて。
posted by Mukai Kumotaro at 12:09| 日記

2018年06月10日

デフ

昨日は、デフ・パペットシアター・ひとみのお稽古へ。去年公演した新作が今年からツアーで全国を廻る。デフは耳の聞こえない人と聞こえる人が共同でつくりあげ、公演するプロの人形劇団。

作・演出は立山ひろみ女史。立山さんは、まだお若いのに宮崎県立劇場のディレクターをおやりになっている。大したものだなあ。

パブリックシアター三上さんからの推薦で、オペラシアターこんにゃく座の立山さん作・演出作品の振付をやらせて頂いた時からのお付き合い。

オペラシアターこんにゃく座は創立50周年、デフの母体である人形劇団ひとみ座は創立70周年!

こんにゃく座もデフとひとみ座も、まずは、時間と労力とお金をかけて新作をつくり、その作品を劇団の大切なレパートリーのひとつにする。

その後、長年の活動で培ってきた日本全国のネットワークを通じてツアーで再演を繰り返えす。

そうして、新作をつくるのにかかったさまざまな先行投資分を回収しながら、劇団員のお給料も賄っていくというシステム。

こんにゃく座とひとみ座の仕事に関わらせて頂いて、遠大な歴史と圧倒的なそのシステムを目の当たりにすると、自らを省みてしまう。

己の力のなさと、独立してからの歴史の浅さに絶望的な気分になるけれど、ひとつひとつやっていくしかない。と自らを励ましたり。

とにかく一歩一歩、足を前に踏み出して少しでも歩き続ける。

それがあの

遥か遠くに見え隠れする

ビッグジャイアンツ達に

少しでも近づくための唯一の方法なのだ。

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ひとみ座の作品、『ひょっこりひょうたん島(1964年)』のドン・ガバチョとのツーショット。本物です。ちなみに“デフ〜deaf”とは耳が聞こえない。という意味。
posted by Mukai Kumotaro at 09:41| 日記

2018年06月09日

“?”

舞踏家集団デュ社のコンセプトを一言で述べると “?” 。

舞踏?であってブログ?である。

時代のアンチとして生まれた舞踏は、その出自の宿命として疑い続ける運命にある。しかしこの疑うという行為は人類にとって非常に大切なことで、わたくしの好きな言葉で「疑いなく受け容れるのは、裏切りである」というのがあってまさにその通りだと思う。

守破離だと少し違うけれど、中盤から破ってそこから離れるためにはいちいち疑問に思うことが必要になってくる。批評精神だな。実践が伴わず評論ばかりだとうるさいけど。いまは1億総評論家時代だからなあ。

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?のもとになったブッダ・アイ。

まるで宗教のようにテレビが言っていることを疑いもなく信じ込む。まさかそんな人いないか。

あたらしい宗教 “テレビ教” の誕生。テリー伊藤さんが「20世紀の大発明はなによりテレビだ」と言ってた。

ひと昔前は仏壇があったその家の中心に新しい宗教は、陣取って、働けファイト一発!!にっぽんにっぽん!愛と平和と五月蝿くて嘘くさい。

テレビ教は、面白おかしく笑かしてくれて、たまに歌ったり世界中の噂話をちりばめながら、一年365日、いろいろと欲望を刺激してくれます。

この宗教は、人の不幸とお金が大好きで、24時間ほぼそのことばかりにまつわるお話しをやります。影響力が信じられないぐらいに強力なので、人の人生を簡単に変える力を持っています。

良いほうへと作用してくれれば良いけれどなあ。たまに気合の入ったドキュメンタリーを観ると感動する。教育テレビも知性を刺激してくれる。

この知性というのが大切で、矢野さんという電通に勤めてて大駱駝艦の追っかけをしてる方が、土方さんと麿さんのことを評して「知的な不良なんだよねえ」と言ってたけどかっこいい。

わたくしもいつまでもこの”知的な不良”でいたいと思う。

ちなみに、いまはテレビ教もあるけど細分化されてLINE教とかtwitter教とかいろいろあるな。
posted by Mukai Kumotaro at 07:46| 日記

2018年06月08日

1994年12月

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写真:ブルース・オズボーン デザイン:タナカノリユキ チョイスは、新しモノ好きの小沢さん。当時の最先端を選んでるんだな。

大駱駝艦天賦典式『海印の馬』と『雨月』の二本立て。といういきなりたいへんな公演に出ることになったわたくし。

稽古二倍、覚えること二倍ですべてが二倍だった。最高のイニシエーション・通過儀礼だな。ここを通過できなかったら、いまのわたくしはなかった。

12/4 SUN 1:00 本公演稽古 偽りの笑顔 軽い緊張感 決め振り、決め振り…指先が死んでいる

5:45〜キムワークショップ
奇妙な馴れ合いの笑いと雰囲気。ラクダとの違い。

この人達は本気なのか。そして俺は。

何をやったっていい。ここで終わり、これで良いというのはない。

相変わらずの見せつけるテクニック。参った。だが。。

ただ続けているだけでも出来てしまうことがある。途中でやめてしまったら絶対にできないよ。笑いとうごきが一致する。自分のうごきを笑う。自分のうごきに怒る。自分のうごきに泣く。

二本立てでもの凄くたいへんなはずなのに、らくだの稽古が終わったあとにすぐ伊藤キムさんのワークショップに行ってる。元気だな。

大駱駝艦という非常に厳しいところと、自由奔放を良しとするキムさんのところへと出入りできたことは大いなる勉強になって今だに財産です。

このらくだとキムさんの掛け持ちは、ツアーがバッティングするまで結構長く続く。良い加減な時代に生きることができて自由にやらせてもらって、それも運かもしれないけれど有り難いです。

そういえば、1999年から鉄割アルバトロスケット主宰の戌井昭人氏と意気投合してそちらにも出始めるのだけど、ラクダカンと鉄割という全く違う世界を知ることもまた、たいへんに勉強になっていまの自分をかたちづくっているのだ。

あんまり長いと良くない。という意見があったので、今日はこれぐらいにします。初期の『ブログ?』を見ると数行で終わってたりするけれど、最近伸びている傾向があるので。

書くのが楽しくてついつい伸びてしまうのだ〜♪ヽ(*´∀`)ノ
posted by Mukai Kumotaro at 06:18| 日記

2018年06月07日

人生即興2

人生は即興の如し。

舞踏には土方巽と大野一雄という二人の始祖がいて、「いのちはかたちに追いすがるもの」という考えのもと一から十まで振り付けて作品を創った土方と「かたちはいのちに追いすがらなければならない」と言って、即興を得意とした大野。

2013年『舞踏?』という作品で、土方さんの踊りのトレースというかコピーというか、簡単に言うとというか、身も蓋もない言い方をすれば真似をしたことがあって、youtubeで土方さんの10分のソロを見ながら一挙手一投足を真似した。

土方さんの真似、振りのトレースをして思ったのは、確かに10分の踊りなら10分間すべての振り付けが決まっているという感じはしたが、その間合いやタイミングは結構アバウトな感じがして。

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『舞踏?』@渋谷Edge photo by bozzo

大駱駝艦の踊りもすべて振り付けが決まっているのだけど、その間合いやタイミングはダンスマスターというリーダーに委ねられていて、流石は土方さんの弟子・麿さん、その辺は踏襲してるのかな。と思ったり。

このトレース作業、川口隆夫さんが2013年『大野一雄について』という作品ではじめてやって、ヒット作にして日本全国、世界各国で上演してる。

小沢康夫という大駱駝艦の前プロデューサーが「あれは、自分の肉体をメディア(媒体)にして、大野一雄の霊を憑依させてるんだ」と評しててなるほどなあ。と納得した。舞踏が日常的にやっていることを現代美術的にプレゼンしてるんだな。

そういえば土方さんソロの振付をトレースをするというアイデアは、2011年に壺中天で創った『底抜けマンダラ』という作品のときに既にあったのだけどその時はやらなかった。

何故やらなかった?というかやれなかったのか?と考えていたのだけど、やってはいけないことだと思ったんだな。

隆夫さんは「大野一雄という偶像を破壊してやる」ということを言ってたが舞踏家ではないから出来たのかもしれない。と言い訳をしてみたり。

“なんでもあり”で、舞台上でやってはいけないことなどない。はずなのに麿さんの気持ちを忖度してたのかもしれない。いま想像すると麿さんは喜んでくれたんじゃないか。と思うけど。

まだまだ舞踏の真髄を掴んでなかったんだな。もったいない。2年後の『舞踏?』で実現させるけど時すでに遅し。2番煎じはダメなんだよなあ。それで食えるのはパイオニアのみ。

ちなみに、『舞踏?』で土方さんの完全コピーのシーンで靴を投げ込まれたのだけど、投げ込んだのは某先輩。そういうことはあるだろうと覚悟をしながらやってたのだけど、最終日で心にちょっと油断があった。

前述の小沢さんは「後輩のソロに酔っ払ってきて靴を投げ込むような奴」と切り捨ててた。

けれど「はっ」としてぴりりと気持ちがアップしたのは事実。お陰様でいい最終日になりました。こういうのを神の演出というのだろう。次回から演出に盛り込みます。土方さんの完コピのシーンになったら何処からか靴が投げ込まれる。

そうそう人生即興。わたくしが好きな大野一雄さんの逸話。

中野のテルプシコールという劇場で大野さんがソロをやっている時に「今日は調子が悪いのでこれで終わりにします」とソロの途中で楽屋に引っ込んでしまったことがあったらしい。ざわざわする客席を尻目に本当にそれでその日は終わってしまって。

黒田育世ちゃんがそれを聞いて「信じられない」と怒ってたけど、わかります。けれどそこにこそ舞踏のもう一つの要素、即興性の真髄があるような気がする。

たとえ本番中でも何が起こるかわかりませんよ。途中でやめてしまうかもしれませんよ。でもそれでいいのだ。なんでもあり。舞台の上でやってはいけないことなどないのだから。

この『ブログ?』の終わりのことを最近考えるのだけど、別に今日最終回にしてもいいのだし。

「どうせ死ぬんだから」は兄弟子・村松卓矢の口癖だけど、この世は夢まぼろし。どうせつくりごと。

ならば「どうでもいい」「これでいいのだ」と諦めて全肯定して開き直って生きるほうがいいに決まっているのだ。
posted by Mukai Kumotaro at 09:19| 日記

2018年06月06日

日々勉強2

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1994年11月30日、12月1日 天鶏公演『ノクターン』@中野テルプシコール

大駱駝艦の大先輩、鳥居えびすさんと大駱駝艦初期の華だった、田中陸奥子さんが主宰する舞踏舎 『天鶏』公演の裏方に入ってお手伝いをした。

「やるなら徹底的にやる 中途半端は駄目 顔で踊るな!

常に吊られる 隅々まで行きわたる神経 ほんの少しの違いを表現する

幕一枚へだてた世界 内と外 百の視線がはね返っていく

冬の風鈴 手で呼吸 曲に乗るな 速い速い!

倒れたっていい ズルしない 上手く踊らなくてもいいんだよ かたちなんて気にしない!」

陸奥子さんに鳥居さんが厳しいダメ出しをしてたのをメモメモ。

始めたばかりのわたくしにとって、ものすごく勉強になることばかりだった。色んな局面で新しいノートに写していって、たまにページをめくって振り返っていたので、いまでは血となり肉となっている。永遠に通じる一生ものだな。

夢想的に瞑想的な、まさにノクターンという小作品だった。

そういえば、観に来た及川君と菊池君が公演前のロビーでビールを飲んでて、照明を担当してた阿部さんに「先輩の舞台を拝見するのにビールを飲むのは失礼だろ!」と怒られてた。こういうちょっとしたことも勉強だった。

そうこうするうちに、大駱駝艦天賦典式本公演『海印の馬』と『雨月』の二本立ての稽古がはじまるのだった。
posted by Mukai Kumotaro at 13:00| 日記

日々勉強

1994年10月28日〜30日 『コンチックショウ!』
上野公園水上音楽堂で行われた呉一郎作・演出のアンダーグラウンド野外劇を手伝った。

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ここには、大友透と菊池七変化、星野葉二が出てて。大駱駝艦の照明担当だった阿部喜郎さんについて照明を手伝ってた。「こうやるとラクダカンになる」とか言って阿部さんが教えてくれるのが面白かった

単管という鉄パイプで巨大なセットをつくった屋根もないようなド派手な野外劇場での現場は、内容は残念ながら覚えてないけど、毎日歌って踊って火を吹いて飲んで色んなことがグチャッとなってる感じで、大変だったけど驚きの連続で刺激的だった。と思う。

音楽は、不破大輔。
不破さんは超ビッグバンド『渋さ知らズ』のリーダーで酔いつぶれて大量のゴミに混じって寝てる破茶滅茶さと、歌声で”おめでた”だと気づく繊細さの持ち主。

若林淳と渡部真一という、大駱駝艦と鉄割アルバトロスケットからこぼれ落ちた二人をも許容することのできる、ほとんど底が抜けているのではないかという器の持ち主でもあって。

ライブで不破さんを観ていると圧倒されるぐらいに色んなことに拘っていなくて、音楽では勿論大事にしているところがあるのは知っているけれど、そのほかの些末なことを見事に放り投げ出しているさまが爽快で格好いい。

わたくしが麿さんと並んで尊敬している人。

この時、打ち上げで主宰の呉さんと不破さんが急に、ほんとうに突然に、取っ組み合いの喧嘩を始めて恐ろしかったのを覚えている。

その後、わたくしが大駱駝艦から独立して不破さんに認めてもらえるまで、現場で急に怒られたりして引き続き恐ろしい人だった。
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posted by Mukai Kumotaro at 09:28| 日記

2018年06月05日

退路を断つ

麿さんの許しを得て晴れて大駱駝艦のメンバーになったわたくしだったが、絵はまだ描いてた。「絵はどうするんだ?」と麿さんに言われたような気がする。二兎を追うものは一兎も得ず。「きっぱりとやめます」と断筆宣言した。

いまだったらそんなに硬く考えず、どっちもやればいいのに。と思うけれど、賭けたんだろうな。手応えを感じてたということもあるだろう。退路を断つのだ。というような思いもあった。

そうと決まれば、いままでの全てを出し切って個展をやることに決めた。それまでは、個展をやろうやろうとして実現してなかったのに、やめると決めたらうごき始めた。皮肉だな。

なかのZEROホールの地下の結構でかい展示ギャラリーを9日間予約して、3か月間準備を進めて。コピーでチラシをつくって。バイトもしながら絵を梱包したり。大駱駝艦の稽古もしながら寝ずにやてたな。若いから。

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個展チラシ。

搬入当日、赤帽を頼んで。80枚近く搬入して。

セツモードセミナーの同級生だった、水野健一郎と山本祐司さんと山本さんの奥さん、貴子さんが絵を飾るのを手伝ってくれた。助かりました。

セツの頃から、大切なのは絵を描いた人ではなくて絵そのもだろう。とういう思いがあって、会場に絵を描いた本人が居るのが好きではなかったので、搬入・搬出以外は会場にあまり行かなかった。

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展示風景。

個展のタイトルは "HARD, COOL AND CHEERFUL" 『硬く、冷たく そして 陽気に』伊藤キムさんが見に来てくれて「冷たいって感じはあんまりしないなあ」と感想を言ってったっけ。

麿さんが見に来てくれるというので、中野新橋の事務所から透の運転で一緒にらくだ号で行ったのを覚えてる。なんて言ったのかは忘れたけど褒められたように思う。

個展を盛大にやって絵に決着をつけたわたくしは、今までの全てを捨てて一片の悔いもなく出直す覚悟で大駱駝艦に全てを捧げていくのだった。

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会場のなかのZEROにて。
posted by Mukai Kumotaro at 11:55| 日記

2018年06月04日

みだらな蛙

昨日は、古巣大駱駝艦“壺中天”にいって弟弟子・田村一行の公演を拝見。

太古からひっそりと残された石室の中に脈々と生き残る蛙教。その蛙教・教祖の狂気のワンマン・ショウを覗き観る。一行ワールド全開でした。

売り切れの日もあるようですが、今週末までやってます。

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大駱駝艦本拠地『壺中天』photo by bozzo

一行は、高校の時の進路指導で就職先を大駱駝艦と書いて先生に呼び出されたサラブレッドで、日大芸術学部から大駱駝艦へと18歳ぐらいで入って在籍21年目。いまは、らくだかんのNO2。三男坊的マメさで、色んなところから引っ張りだこの人気者。

公演終了後、事務所にお邪魔して師匠と大駱駝艦プロデューサー新船洋子女史に挨拶して久しぶりに少し話し、元ダンサーでいまは制作の山本良ちゃんともお話しし、その後兄弟子・村松卓矢とお店へと移動。久しぶりに村松節を拝聴する。

村松卓矢は現在、大駱駝艦のトップダンサー。切れ味鋭い舌鋒で口喧嘩に負けたことのない理路整然とした思考の持ち主。踊りに対する独自の理論を持ち、わたくしも結構影響を受けている。

村松君には危ないところを何度も助けられ、危ない目に何度も遭わされ。

馴れ合いを決して許さない厳しさを持ちながらも実はヒューマニズムを愛するユーモアの持ち主で、いじめながら励ますみたいなひねくれきった天邪鬼。でもそこが愛すべきところで。20年近く朝から晩まで一緒にいて過ごして、それだけに久しぶりにあっても一瞬で昔の関係に戻ることができる。

お互いの今後などを話していると、風呂屋から帰ってきた弟弟子・松田篤史と小田直哉が合流。踊りについて、阿保なことについて熱く語り合い大いに盛り上がった。

直哉は神戸の不良で、話していると「ハッ」とするいいことを言ったりする男で、ただいま急成長のダンサー。わたくしが酔っ払ってカニに変身しても付き合ってくれて、必ず毛布をかけてくれるナイスガイでもある。

そして松っちゃんはわたくしと同じ兵庫県出身で、子どもの頃からゲイ道に目覚めその道のエリート校、報徳学園に進み。

在学中から京都のダムタイプに出入りし古橋悌二さんの最後の孫になるという早熟さんで、ダムタイプで悌二さんから洗礼を受け、大駱駝艦で麿さんの薫陶を受け。

一行とはまた違ったエリートコースを歩いてきてる人で、いまは独特の人生哲学を築き上げている。

ダムタイプの世界を内側で体験し、大駱駝艦の世界を内側で探検中の日本で唯一の人間。麿さんに作品を創ることを最も期待されている男だが本人にその気はないよう。

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松っちゃんは、チェリーバニラというドラアグクイーンでもある。

ちなみに1996年1月、ダムタイプのS/Nを東京で観て、死ぬほど感動して気付いたら生まれてはじめて立って拍手をしてて。

ふと周りを観たら観客が全員立って拍手してたのは、一生忘れられない強力な思い出。

わたくしは、あの感動を通じて渡されたバトンを世界に手渡そうと、いまも作品を創り続けているところがあるのだ。
posted by Mukai Kumotaro at 08:40| 日記