2019年07月28日

駅の宿から

昨日は、より安いホテルへと移動でした。

バスステーションに近くて値段もそれほどでもないホテルに決めて「ここにしよう。」と徒歩で向かいます。

駅前の一等地で一見高そう。建物のど真ん中、普通だったら玄関があるところに素敵なカフェがあったのでひと休み。

14:00チェックインだけどどうかな。一本、ジュースを飲んでチェックイン。既に掃除が終わってて「良かった。」と部屋へ。

歴史を感じる階段を登ったらまさにステーションホテルといった塩梅の狭い部屋、しかしトイレもシャワーもついて十分です。

ホッと一息、昨日のことを反芻します。

日本でのスクールバスやアニメスタジオの事件は、ひとりの人間の狂気が解き放たれて起こった大事件。

こちらアウシュビッツは、国家ひとつが狂気に呑み込まれて起こった大きな悲劇です。

何故、あの冗談のような愚行を誰も止められなかったのか?

ヒトラーの政党は、始めはほんの小さな勢力にしか過ぎなかったとか。それが国民投票で与党に選ばれた。

そこから基本的人権のほとんどを停止して独裁化に成功、ヒトラー総統の是非を問う国民投票は、投票率95.7%、うち89.9%が賛成票を投じる。まじか。

だんだんと人種差別政策を強化していく。その最大の政策が民族至上主義。

誰かのせいにする。何かの方に目を向けさせる。情報操作をして民意を動かしていく。軍事産業で国内の雇用を生み出し、目を他国に向けさせる。

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子どもをかばって撃ち殺されるユダヤ人女性。photo by Gooble.

「いわゆる反ユダヤ主義というものは、人道上の問題ではない。それはノミやシラミ退治と同じく衛生上の問題である」by ナチ親衛隊SS指導者、ハインリヒ・ヒムラー

ゲルマン民族こそが偉大であり、その他の民族は動物以下である。一番の標的はユダヤ人。何故か?

諸説さまざまに解釈や学説がありますが、本当の理由は何だったんだろう?

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何故このようなことが行われたのか?photo by Google.

ガイドは旧約聖書のことを話していたが、キリストを裏切ってローマに売り渡したのは“ユダ”であってユダヤ人ではない。

これはユダヤ人の不幸であった。ナチスドイツも大きな思い違いをして壮絶な差別に走る。

しかしナチスは人種だけではなくて様々な差別をしている。身体・精神障がい者、同性愛者、政治的信条の相違、宗教の相違、etc...

ヨーロッパ各地から送られてくる強制収容者が、12,000人を超えてくると第2、第3の収容所が作られた。

たったの5年間で約150万人に対して行われた大虐殺。そのうち75%から80%がガス室に送られた。

人数の多い少ないではないのですが。

何故、この狂気を誰も止められなかったのか?

何故そんな過ちを人類は犯してしまうのか?そこをしっかりと真正面から見据えないと、戦争はまた起こってしまうでしょう。

「人は私の中に血に飢えた獣、残虐なサディスト、大量虐殺者を見ようとするだろう。

アウシュヴィッツ司令官はそのような者としてしか想像されないからだ。彼らは決して理解しないだろう。

その男もまた、心を持つ一人の人間だったということを。悪人ではなかったということを。」by ルドルフ・ヘス、アウシュビッツ強制収容所所長。

ヘスは、ライフルで隣接した家からユダヤ人を撃っていたとされる男です。

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豪華な家で娘と幸せに暮らしながら、目と鼻の先で大虐殺を行っていたヘス。戦後アウシュビッツにて絞首刑に。

さて今回、日本語のガイドを頼んだのですがなくて良かったかな。と思っています。

古谷は英語のガイドについたらしいが俺もそうすれば良かった。英語ならばすべてはわからないし何となく言葉を聞きとれれば、そこからイメージを広げられる。

説明や解説が多すぎると答えを言われているようでつまらない。自分で感じて考え想像する余裕が欲しかった。

また必ず来ようと思っているので、次回はガイドなしで入ろう。自分のペースで観て感じて、休んだり迷い考え込んだりしてみたい。

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ポーランドでは、1945年1月強制収容所がソ連軍によって解放された。生き残っていた人はほんの一握りだった。いっぽう7月26日ドイツでは、ポツダム宣言が発表されたが日本帝国軍は黙殺。原爆の投下は決定した。photo by Google.
参照:Wikipedia. Google.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:04| ブログ?

2019年07月27日

Oswiecim Muzeum

昨日は、アウシュビッツへと参りました。

まずは“ズルチ”をゲットするため、ホテルで教えてもらったところへ。しかしそれらしき両替所がなくてウロウロ。

ATMがあったのでチャレンジ。EURとPNLと書いてあってなんだろう。不安ながらもPNLでお金を借ります。帰ってホテルで聞いたらそれがズルチだというので良かった。

その後、タクシーでバスステーションへ向かいます。

売場で12:00の切符を買おうとしたら売り切れだからバスの中で買えと言われます。そういえば地下にも売り場があると書いてあったので下へ。

行列に並び、では12:30はどうだろうと自分の番が来たので聞きます。そしたら15:00までないと言われてピンチ。待ち合わせの14:00に間に合わないぞ。

慌ててもう一度一階へと戻ってバス停へ行って、直接乗車にチャレンジしてみたらギリギリ乗れて良かった。

そこから一路、アウシュビッツへと向かいます。1時間半かけて到着。降りると観光客が沢山います。日本人がなんとなく集まって通訳の方がやってきてツアースタート。

ほんとうに収容所がそのまま残されていた。ポーランドが管理しているがドイツの援助とサポートで成り立っているとか。

日本に置き換えたら原爆資料館の設立にアメリカが協力してるようなものか。罪滅ぼし。

収容所内へと足を踏み入れるが、実際にあったこととは思えないのはヒロシマ、ナガサキと同じだった。いまは想像をするしかない。

鉄条網がいたるところに残っていてそこに電流を流す碍子なんかもそのまま。ここでぎりぎりの命のやりとりが行われていたのです。

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逃げることは不可能だった。photo by Google.

常に死と隣り合わせの、生き残るための凄惨なあれこれが毎日毎日繰り広げられていた。

大量の遺品に圧倒されながらその頃へと想像を巡らせる。人の命が粗末に扱われる戦争というものの恐ろしさを等身大で考えさせられた。

ポーランド人の収容された方たちの写真がずらっと並んでいるところが、鬼気迫るものがあった。皆んな殺されてもうこの世にはいない人たちの顔、顔、顔・・・

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アウシュビッツには、まずはポーランド人が収容された。だいたい2年以内に亡くなっている。photo by Google.

沢山の観光客がぞろぞろと列をなしてガス室に入っていく様は、服装が違うだけでそのままの光景が70年前にも繰り広げられたのだと思った。

その人たちは二度と帰って来なかった。

“この場所が永遠に絶望と叫びと人類に対する警告であるように。

ここではヨーロッパ各地からきた150万人の老若男女、子どもや赤ちゃんがナチスによって殺害された。”〜アウシュビッツ-ビルケナウ1940–1945

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子どもや赤ちゃんは母親と共に労働力外としてガス室へ。photo by Google.

ものいわず、静まり返る収容所で誰ひとり話す人もなく暗く沈んだ雰囲気のまま解散。荷物を持ってとぼとぼと帰ります。

帰りは、なんとバスが満席で1時間半立ちっぱなしだった。しかしアウシュビッツの刑罰の“立ち刑”に比べれば大したことはない。

立ち刑は1メートル四方の穴に四人のひとを入れて、何日も立ったままにすする刑罰。よくそんなことを考える。

人間の真の姿が露呈する戦争という異常なもの。嫌だなあ。

駅近くのホテルを何件か回って、手頃なところへチェックイン。

平和を噛み締めながら酔っ払って眠りました。

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銃殺される収容者。その死体を片付けるのも収容者の役目だった。photo by Google.
参照:Wikipedia.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:09| ブログ?

2019年07月26日

ボーダレス

昨日は朝6:30に福崎まゆみの家を退出。お世話になりました。また、来ます。

途中のパン屋で昼ごはんを買って電車に乗ります。ヨアンが書いてくれた地図の通りに行く。まっすぐなので安心、すんなりと駅に入ってホームに降ります。

切符の買い方がわからなかったので、駅員らしき叔父さんに尋ねます。親切に教えてくれて地図までくれて“ダンケシェン。”

五つ目の駅で降りて表示を頼りに向かう。

途中で表示がなくなってピンチ。地下へと降りると人気がなくて、ホームレスの人たちが寝ててアンモニア臭が鼻に匂います。若者もいてドイツの現実を垣間見る。

表示がないので歩いて来た人に尋ねたら「こんな臭いのに平気なのか?」鼻を押さえながら歩き去ります。

もう一人来たので聞いたら反対側でした。階段を上るとバスステーションの表示が。良かった。

電光掲示板で乗り場を確認、飲みものを買ってバスに乗ります。さあ一路、ポーランドへ。

途中、警官が乗って来て何もしてないのにドキッ。一番後ろに乗ってた男を連行、どうやら無賃乗車だったみたい。

それからだいぶん走ったのでそろそろ国境かとわくわく、やっぱり係官が乗ってきてパスポートを見せたりするのかな・・・

とか思いながらGoogle mapを見たら、とっくに国境を越えてポーランドへと入ってた。

線があって小屋があって遮断機があるイメージだけど何もなかった。

EU、ヨーロッパ連合になって国境が意味をなさなくなったのか。イギリスはヨーロッパが嫌いなのでEUを離脱したけれど、もったいない。

分けないで一つとして考える。なんなら宇宙という規模で考えて、地球連邦になれば良いのに。

核の問題や温暖化の問題、ゴミの問題 etc.,協力して色んなことをやらないと、どっちみち自分たちだけ生き残るなんて無理なのだから。

万が一、いま核戦争になったりしたら地球のすべての人が死に絶えることは決定しています。

しかし無理か。『ぴちがい裁判』の制作中に核シェルターを調べていたら機関銃とセットで売っていてびっくりした。入ってこようとする人を撃ち殺すためのもの。

自分だけよければいい。というのは究極は誰でもそうなるかもしれないが、機関銃で撃ち殺して自分たちだけが生き残ってどうするのだろう?

とかとか考えたり本を読んだり音楽を聴いたりしてたら、そろそろクラコフか。ホテルの場所を調べようとしたらやっぱりメールの返信が来ていないのでサイトの住所を頼りにググります。

調べ終わらないうちに到着、バスを降りて椅子に座って「さてっ」と思ったら携帯もパソコンも電池切れ寸前でピンチ。

なんとかバス停を調べて向かいますが番号が見つからない。すっかり迷ってしまってお巡りさんに聞いてもわからない、電池も切れてしまってどうしよう。

歩いてたら高級ホテルがあったので、ロビーでこっそり充電します。

そのあと、1時間ほど右往左往したけれど見つからないので諦めてタクシーに乗ることにする。また1万近く取られたら嫌だなあ。

そういえば街での価格がユーロ表示ではないので、もしかしてと調べたら“ズルチ”という通貨だった。慌てて適当に両替。タクシーの運転手にこれで足りるかと聞いたらうなずくので乗車。

結構走って両替したズルチをほとんど取られて到着、とにかく宿を目指します。住所を頼りに向かうと嫌な予感、出ました前回と同じ民泊で受付がない。

ただのアパートの前で電話したら案の定つながらずに万事休すか。どこを何度調べても電話しか連絡方法がのってない。アパートの前で座り込みます。「あーあ。」と三角座りのひざに顔を埋めます。

ため息をなんどもついてどうしよう。宿の人がたまたまやって来て「どうしたんだい。」となるのを期待するがそんなこともなく時間が過ぎていく。

辺りも暗くなって来て「今日はここで野宿か。」とか思うけれど、お金を払ってあるのに野宿というのも腹立たしいし風邪もひきそうなのでやめよう。

なんとか気を取り直して近くの宿を検索する。近くにホテルが。良かった、そこへと向かいます。

いい感じのホテルです。ロビーで事情を話してこれまた感じのいい女性に電話をしてもらいます。しかしやはりつながらず。

諦めてここに泊まります。高そうだけど仕方がない。

寝床さえ確保できれば安心、部屋へ行ってシャワーを浴びて買い物へ。ロビーでもう一度違う電話番号にかけてもらうけれどつながらず。

今回の旅はブッキングで苦労をしている。

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ポーランドの町並みはドイツと似て美しい。「ありがとう」はドイツは“ダンケシェン”でポルトガルは“ジンクエ”。
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2019年07月25日

TAXと夜と霧と

昨日は結局、ホテルから連絡がなかったので福崎真弓の家に連泊させてもらいました。

前日に古谷に何回も電話連絡してもらったけれど応答なし、昨日メールでコンタクトを取ったけれど応答なし。

しかし騙されたとか考えるよりも、ドイツという国に税金を払ったと考えれば世のため人のためになっているから良いのです。

初日に空港からホテルまでタクシーで80ユーロかかってびっくり。

次の日に地下鉄に乗ったら改札も何もなくてお金を一銭も払わなかった。

これは見つかると罰金として80ユーロ取られるので、先に地下鉄の無賃乗車の罰金を払っていたと考えれば辻褄が合うのです。

ドイツは一般の製品には、22%の消費税がかかる。しかし誰も文句など言わない。そのぶん社会保障が手厚いからです。子どもができると保険などが無料になる。

日本のように先に保険料を立て替えてあとで支援金としてお金が戻ってくるとかではなくて、その場で無料になる。手ぶらで連れていけるということだな。

収入に応じてではなく誰でも無料、国籍がなくてたとえ移民であっても同じ条件で無料にしてくれる。

国家の度量が大きいのだ。

ちなみに食品は消費税が5%だったかな。生活必需品である食品への課税が低いなんて一般庶民にとってはとてもありがたい。

よく考えられているけれど、このぐらいのことは思いついて当たり前、ちょっと考えてあとは良心があればどこの国でもできるのになあ。

富裕層に有利な税制を取っている日本からしたら考えられないけれど。

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サマーホリデーでうかれるうたちゃん。またね。

そうして今日はバスに乗ってポーランドへと移動です。バスで8時間かけてクラコフという街へと行きます。だいたい東京から大阪くらいの距離か。

クラコフのホテルを基地にアウシュビッツへと参ってきます。

日本語のガイドもお願いしました。ガイドなしで無料でも観れるけれど解説がないとわからないことが沢山あるとか。

なぜここにこれがあるのか?とか。

線路が分かれていて右は収容所、左はガス室なのだとか。

ほんとうは訪れる前に本を読んだりしていけばもっとわかることが違うんだろうけれど。

今回アウシュビッツへはことがすんなりと運んでいるので、どうやら最初から訪れる運命だったようです。帰国してから『夜と霧』を読もう。

実際に行って体感しておけば、圧倒的に想像がし易いのです。

知っているのは、急にいまアウシュビッツに入れられたらストレスでとても耐えられない。

でも毎日少しずつ変化していくと、人間は自分をごまかし言い訳をし感情を押し殺しながら生き続けることができるのだ。ということです。

そうして誇りを捨て自尊心もかなぐり捨て、家畜のようにただ生き延び続ける。

他人を押しのけ自分に嘘のつけなかった良い人たちは死んでいって、自分をごまかし人にも嘘をついてずるく振る舞った者だけが生き延びることができる。

清く正しく死ぬか、汚く薄汚れながら生き延びるのか。

いざとなれば人間も動物、自由・平等・博愛という理想なんてなんの役にも立たず、弱肉強食というシンプルな構図が鮮明に見えてくる。

強い生命だけが生き延びる。

当たり前で、自然なことなのかもしれない。

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心理学者であるフランクルが一人の人間として見つめた地獄。霜山徳爾訳と池田香代子訳があってそれぞれ解釈や言い回しの違いが翻訳家の人間性が出て興味深いのだとか。
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2019年07月24日

ダンケ

ベルリン2日目です。

今日も3時に覚醒、活動をはじめ『ブログ?』を記します。

昨日は、先ずはホテルが変わるので地下鉄に乗って移動でした。住所を頼りに向かいます。

快晴で限りなく爽やかで気持ちがいい。そして街並が美しい。

ポスターなんかもお洒落で格好いいです。

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こんなのとか。

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こんなのとか。日本人特有のアルファベットコンプレックスかな。

地下鉄に乗ったら日本よりも人種が多様で面白かった。移民を積極的に受け入れているのだな。

そのぶん軋轢も多いようで、ネオナチが台頭して来てたりするのかもしれません。

住所へ行ったら想像してたような受付があってというような感じではなく、それらしき建物がなくてどうしよう。困っていると古谷充康からメール。

「用事があるので出かけるけど、一緒に行きませんか・・・」

面白そうなのでホテルはひとまずは置いておいて、古谷の家へと向かいます。

素敵なお家にお邪魔して旧交を温めます。

古谷とは20年ぶりです。しかし全然変わっていなくて感心、こころが若いんだな。

古谷は兄弟子・星野建一郎のところで舞踏をやっていていまは、ドイツを拠点に活躍するパフォーマーです。

その生い立ちは数奇で奇天烈な運命を辿っているナイスガイで、渋さ知らズヨーロッパツアーでは渡部真一と相部屋になる頼りになる男です。

とにかく人生を楽しんでいる。

「明日死ぬかもしれんし、その前にできるだけ世の中見たいですよね。」

と、世界中を飛び回っている。このあいだまでは、チェコのヘルシンキにいてパフォーマンスをして来たとか。

とかとか色々と話しを聞いてたら、これから行くのは福崎真弓の家だというのでびっくり。そういえば真弓もドイツだった。

真弓は大駱駝艦の後輩で石川正虎と同期です。古谷よりも早くにドイツに住んで活動しています。へえ、久しぶりなので楽しみ。

「そろそろ行きましょう。」と地下鉄に乗って向かいます。旦那さんは映像作家で今日はその撮影だとか。なるほど。

らくだかんの頃から迫力があったけどさらにパワーアップしている真弓の大歓迎を受け、フランス人の旦那さん“ヨアン”に挨拶して一人娘のうたちゃんにもご挨拶。

うたちゃんのアシストで撮影が終わってさあ飲むぞ。

色んな美味しい手料理に、秘蔵のお酒を頂いてご馳走さま。

ドイツ初日のひとりぼっちの寂しさが嘘のように吹き飛ぶ、賑やかな夜となりました。

「フル、ありがとう!」

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大切なことは大好きな人たちと一緒にいることなのです。photo by Hakodate photo studio.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:42| ブログ?

2019年07月23日

伯林

昨日は朝5時に起きて、家を6時半に出発して満員電車に揺られて空港へ。

不安だったけれど、予約が取れていてよかった。最後の晩餐とお寿司を少し頂いてごちそうさま。

アエロフロートは、ロシア美人な CAさんがオレンジ色の制服を着ていてかっこいい。サービスはロシア風なのか荒っぽくて、ガタイのいいおばさんがゴミを蹴り飛ばしてて可笑しかった。

狭い機内に閉じ込められてこころがどんどん荒んでいくが、3歳くらいの子どもが結構乗っていてこころが癒された。無邪気で微笑ましかった。

うとうとしつつ、約10時間かかってモスクワへと到着。

モスクワでの乗り換えは、2時間で十分だった。しかし指定されていたアエロフロートでは、そんな便はなかったので仕方がない。

JALやANAなら直行便もありますが、値段が倍以上するので仕方がない。

こんな大変な旅は二度とやめようと、日本時間の5時、約24時間かかってたどり着いた時に心の底から誓いました。

人間、24時間で一回も横にならないと抜け殻のようになってしまいます。仏教の苦行では、何日も横にならないというのがありますが恐ろしい。

もう、こころもからだもへとへとになってベルリン・テーゲル空港に到着。

一刻も早くホテルに直行して横になりたいと思っていたら、空港近くの安ホテルがなぜか取れていなくて愕然。

空港でパソコンを開いて履歴を調べるが、すでに無くなっていて自分に頭にきた。

仕方がないので違うところをもう一度取り直して、出迎えもなく一人淋しく入国。

タクシーでホテルへと向かったら、随分と遠くてメーターがどんどん上がるのでヒヤヒヤ。

「えーい、けちけちするな。」と自分を鼓舞する。

結局10,000円近くかかってなんだかなあ。安ホテルなのに合計するといっぱしの値段になってしまい反省しきり、しかしすべて自分でやっているので仕方がない。

仕方がない仕方がないって、本当に仕方がないのか?

こういうのも招聘する側がやるものなのではないのか?とか考えるけれどあとのまつり。

元建築家の親父にギャラを言ったら「それ仕事か?」と馬鹿にされましたが、そうだよなあ。いい歳して何をやっているのだろう・・・

馬鹿にされても仕方がない。

舞踏家の地位向上に全力を捧げないといけません。馬鹿にされるような値段で「ほいほい」とうごいてはいけない。これは日本から反省していることですが。

そうして、ベルリンはいま夜中の3時です。

完全に時差ボケです。

今日は、ホテルを移動ですがベルリンは東京並みに物価が高い。はやいところ脱出しないと一文無しになりかねないぞ。

しかし、まあここまできたら楽しもう。

舞踏家は一文無しでも「からだがあればいいんだよ。」

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右、親父にもらった湯沸し器“TABIGARASU"が故障してた。日本でのテストではお湯が沸いたのに・・・楽しみにしてたカップラーメンが虚しい。左はドイツの養命酒“イエガーマイスタ”旨い・・・腹減ったなあ。
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2019年07月22日

いい日

今日は、ドイツへの出発の日です。

12時15分成田発、アエロフロートロシア航空。先ずは第一関門、予約が取れているか少々心配ではあるけれど大丈夫でしょう。

成田から約10時間かけてまずはモスクワまで行きます。

「狭い機内ではございますが、どうぞごゆっくりとおくつろぎください。」

座席指定が可能で通路側を取ったので、立ったりしてうごけるから少しは楽か。

両隣に人がいたら身動きが取れず、肩身が限りなく狭くなってしまいますので窮屈なことこの上ない。気を使いながらご飯を食べたりして。

修業だと思って過ごします。

モスクワに16時到着、乗り換えが3時間半あるので余裕がある。メキシコからの帰りは、乗り換えが1時間だったからそもそもが無茶な設定だった。

あの辛い思いだけは、二度としたくないと心の底から思います。逆に乗り換えが15時間とかもあってそれはそれで大変。

そのほうが安いのだけど、招聘さているのにわざわざ大変な思いをする必要もないと乗り換え3時間半を選んだ。

19時半にモスクワを発って21時25分にドイツ、テーゲル空港へと到着。そこから空港近くの安ホテルへと移動です。

空港で一泊することも考えたけれど、もう若くないしこのあいだサンフランシスコの空港に泊まって風邪をひいたので大事をとりました。

時差があるので22日に到着。

この『ブログ?』は、行きは2日で一つ。帰りは、1日で二つ記せばいいのか。そうすれば辻褄が合うのだな。

次の日にベルリン市内へと移動、ホテルにチェックイン。

あまりに安いドミトリーは、セキュリティー的に問題があるようなので安ホテルにしました。

安ホテルに二泊三日してポーランドへと移動、アウシュビッツへ。果たしてたどり着けるのか。

またこの『ブログ?』でレポートをしていきます。

帰りはドイツテーゲル空港を8月18日12時5分に出発。

モスクワで乗り換え3時間、19時にモスクワを発って9時間半のフライト。

「狭い機内ではございますが、どうぞごゆっくりとおくつろぎください。」

日本への帰国は8月19日なのか・・・そこから鉄割の練習へと直行です。

鉄割アルバトロスケット公演『うぬ』
8月29日(木)〜9月1日(日)会場:下北沢ザ・スズナリ

自分自身も楽しみですが、皆さま乞うご期待!

ps.,予約承ります。

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@Suzunari, Shimokitazawa, "Crack Iron Albatrossket" photo by Manabu Numata.
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2019年07月21日

よくないね

今日は、参議院選挙の日です。

若い頃は全く興味がありませんでした。結婚してから女房の影響で投票するようになりました。

一般的には、参議院など要らないと選挙に行かない人が多いようです。

しかし参議院で否決されたら、衆議院で再可決するには3分の2の賛成が必要になるとか。

参議院には政権の働きぶりを評価する大切な役割があるのだそうです。裁判所でいうと最高裁みたいなものなのか。そこまでではないか。

前回、2016年の選挙は投票率が55%。そして与党への投票より棄権の方が多いのだとか。30代の投票率は44%、20代は36%か。

だいたいこの時代に実際に投票に行かねばならないなんて遅れてる。インターネット投票が出来るようにすれば若者も喜んで参加するでしょう。

それこそ“いいね”とぽちっとできるように投票できれば、もっと投票率も上がるのになあ。

もちろんシステム上の課題や問題など難しいところは沢山あるでしょうが、官民合同で本気でやればできると思います。

200万人以上いるといわれる、家から出ることが出来ない引き篭もりの人たちにも投票の可能性が出てきます。

それはさておき、もう与党が過半数をとることが決定しているとか。

つまらないなあ。

やる前からそんなことがわかってしまっていたら、投票に行く気も薄れてきます。

そういえば安倍さんが改憲をしたい理由はいろいろと言われていますが、どうやらトランプさんに最近の会談で「晋三早くしろ。」と会うたびに催促をされているらしい。

らしいというのは、ゴルフのときなどの二人きりの時に話しているとか。

トランプさんは、日本の憲法を改正させて軍隊をつくらせて武器を売りたい。

安倍さんは、祖父の岸信介の「アメリカからのお仕着せの憲法を改正したい。」という遺志を引き継いでいる。

まったく正反対の思惑ながら利害が一致している二人。これはこの先どうなるか目が離せない。

いまの憲法は、アメリカの法学生が実験的につくった理想的な憲法だとか噂がありますが諸説あるようです。

世界的に見れば憲法が長く改正されないというのは珍しい。時代に合わせてどんどん直して良くしていくのは当たり前。

悪く直していては仕方がないけれど。

まあいいか。

候補者の皆さんは、美辞麗句や理想ばかり並べるけれどどうやってそれを実行するのか?財源は確保されているのか?具体的に説明してくれないと信用ができない。

口ではなんとでも言えるのです。

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今回もまたこの光景ばかりがテレビで流れるのか・・・ photo by Google.
参照:読売新聞7月20日『拝啓 有権者の皆さんへ』特別編集委員 橋本五郎、朝日新聞7月20日『それぞれの「いいね」一票に』論説委員 青田秀樹 Google. Wikipedia.
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2019年07月20日

遠く離れて

8月の足音が聞こえ始めています。

それとともに曽祖父、戸籍上は祖父・木谷真一の命日が今年も近づいて来ています。

1945年7月、広島は大きな空襲もなく穏やかな日常が流れていました。

全国的に梅雨が長引き肌寒い日が続いていた。

広島市横町の丸佐呉服店では閉店の準備が続いていて真一は、残務整理や片付けを続けていた。

丸佐呉服店は、淡路島五色町都志出身の真一の兄・木谷實平が立ち上げた呉服屋で、往時は数十人の丁稚や番頭が働く大店だった。

實平は都志の本店と大阪、北海道、広島に店を出して大成功していた。全国を飛び回る實平に代わって広島の店は真一に任せられていた。

しかし戦争で規模がどんどん縮小し、とうとう広島の店も閉めることになったのだった。

物資が極度に不足し呉服など着る人は、軍部のお偉いさんの奥方などしかいなくなっていた。

広島の店も開店休業のような状態がずっと続いていた。

家族は先日、真一の故郷である淡路島へと疎開をしていた。広島駅で別れを惜しんだが店の片付けが終われば彼も家族の待つ淡路島へと帰るのだ。

鬱陶しい雨が降り続きやりきれない気持ちになるが、家族のことを思うと少し気分が晴れた。

ここ広島は川が豊かに流れる城下町で、いまは軍都として人が沢山働いている。

物がなく貧しい毎日だが空襲がない広島では、それ以外は戦前とあまり変わらない日常が流れていた。

ふと、戦時中だということを忘れてしまうような瞬間もあった。

しかし市内では労働力の不足を補うために全国から学徒の動員が続いていた。これによって約7200人の学徒が犠牲になるのだった。

日本軍は本土および本土近海にて制空権・制海権を失い、日本近海に迫るようになった連合軍艦艇に対して特攻機による攻撃が残された手段となっていた。

同じ頃、太平洋のテニアン島のハゴイ基地では科学者たちが原子力爆弾“リトルボーイ”が、サンフランシスコから船で到着するのをいまかいまかと待っていた。

いっぽうポツダムでは米英支三国共同宣言の用意が進み、日本への無条件降伏の勧告と天皇制を戦後利用できるかの議論が続いていた。

運命の歯車はゆっくりとうごき続けていた。

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都志の家から出て来た丸佐呉服店の伝票。伝票もなにもかもすべてが8月6日に燃え尽きた。
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2019年07月19日

自由の国

昨日は赤坂で打ち合わせでした。

来年の1月から3月のあいだに都内のどこかで、城崎国際アートセンターのレジデンスにてつくる作品を上演します。

舞踏についての作品になります。

乞うご期待。

今日のトップニュースは放火によって36人もの方が亡くなった事件です。

朝ドラの舞台がアニメーションスタジオだけに、観ていると一層悲しさがこころに響く。現実がつくりごとを凌駕していく、これは一体なんの皮肉なんだろう?

恨みや怒りや憎しみをどう解き放つか。狂気とどう向き合うか。人類の永遠の課題なのです。

ご冥福をお祈りします。

そして宮迫とロンブー亮が契約解消になりました。

仕方ないな大ごとになってしまったから。吉本も巨大な組織を守るために切ったのでしょう。

しかしあんな人気者、放火や殺人をしたわけではないのだから欲しい事務所は山ほどあるでしょう。大丈夫。

フェイスブックが通貨を独自に発行しようとして先進国からストップがかかりました。

これはたいへんデリケートなことで一歩間違えれば命を狙われます。

アメリカの歴史上、二人の大統領が独自に通貨を発行してその二人ともが暗殺されています。リンカーンとケネディです。

フェイスブックがいよいよ国家を超えた存在になろうとしている。しかし収益では他の3社に及ばないから焦っているのか。

いまの教育方法では、日本からGAFAのような先鋭的なグループが生まれえない。という話しもありますがどうなのかな。

今日読んだアエラに載ってた若者は、医学会の世界最先端の人物だったので一概には言えないかもしれない。

それはさておきアメリカっていう国は面白いなあ。

世界最先端の巨人、GAFAを生んだ国。

一方でドナルド・トランプのようなわかりやすい人も生み出す。

そして核兵器を最初に創った国。

『アメリカ合衆国』

目が離せない。

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Google, Apple, Facebook, Amazon、『GAFA』それぞれのトップたち。
参考文献:『みんなを幸せにするおカネの話』みんなの幸せプロジェクト著 近藤洋一監修 発行:(株)トータルヘルスデザイン この本は、ほんとうに目からうろこの為になる本です。
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2019年07月18日

日本への無警告無差別での原爆実戦投下決定

1945年7月16日、20億ドルをかけてアメリカ軍の威信をかけておこなわれていた原子爆弾の開発は成功した。

7月21日、実験大成功のニュースの全容をまとめたグローヴスの最終報告書がポツダムにいるトルーマン大統領に届けられた。

トルーマンは先ずは、同盟国イギリスのチャーチル首相にそのことを伝えた。それは戦後の世界の覇権交渉のカードとして非常に大きな意味を持つものだった。

思案の末、7月24日の本会議の後に「桁違いの破壊力を持つ新型兵器を手にした。」ことをスターリンに何気なく伝えた。

「それは素晴らしい。日本に対してそれを有効に使うことを希望する。」彼の反応は素っ気なかった。

スターリンは諜報員から既にアメリカの原子力爆弾の開発について報告を受けていた。

そしてソビエト連邦は2年前から核兵器の開発を独自に進めていたのだった。

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ポツダム会談。辞任したチャーチルの代わりに途中からアトラー首相が参加した。photo by Google.

いっぽう良識ある科学者、レオ・シラードは早々と原爆開発から離脱し独自に原爆の実戦使用に対する反対活動をしていたがことごとくグローヴスに揉み消されていた。

7月はじめにシカゴの科学者67人が署名した嘆願書が作成された。

日本にあらかじめ警告を発してそれでも降伏を拒否した場合以外は、原爆を使用しないようにトルーマンへと強く要請する内容だった。

しかしグローヴスの巧みな操作によってその嘆願書がトルーマンの目に止まることはなかった。

1.原爆は日本に対して使用すべし。
2.攻撃目標は民間の居住区域に囲まれた軍事施設とすべし。
3.原爆は予告なしに使用すべし。

以上、3点が暫定委員会にてすでに決定していた。

いまだに議論の余地がある、この無警告無差別での原爆実戦投下の瞬間が刻一刻と迫っていた。

日本帝国の穏健派の軍人が密かに和平工作をしていたがうまく進んでいなかった。やはり国体の保護という条件が問題だった。

穏健派が和平の仲介役として泣きついたソ連は、戦後の利権争いを見込んで太平洋戦争への参入を決めていたので要請を無視していた。

ニューメキシコ・ロスアラモスのアラモゴート砂漠での爆発実験成功のあと科学者たちは、新型爆弾の総仕上げをするべく太平洋のテニアン基地へと続々と出発した。

レオ・シラードとアインシュタインがヒットラーの核開発の脅威から連合国を守るために、ルーズベルトに提案して始まった米国の核兵器開発。

ナチスドイツが降伏をしたいま、紆余曲折を経て極東の島国日本に実戦投下することが動かさざることとなったのだった。

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爆発実験後、調査をする関係者たち。中央帽子の人物がオッペンハイマー、右隣がグローヴス。United States Army Signal Corps.
参照:Wikipedia. Google.『ヒロシマを壊滅させた男オッペンハイマー』ピーター・グッドチャイルド著 池澤夏樹訳 白水社. 
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2019年07月17日

千の太陽よりも明るく

1945年、7月初めに日本の敗北は決定的になっていた。

それでも、昭和天皇が日本の敗北を認めなかったのは、敗戦後の天皇制の保護が保証されていなかったからです。

日本の指導部が敗けを認めないあいだにニューメキシコの砂漠では、原爆開発計画がいよいよ佳境に入っていた。

最終実験は、7月16日に決まった。

同じ頃、陥落したベルリンにはポツダム会談に向かうトルーマンとチャーチルが到着していた。

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談笑するスターリン、トルーマン、チャーチル。日本の運命は三人が握っていた。photo by Google.

“ボロ実験室がオシャカを生むと 首に落ちるはトルーマンの斧 見よ、立って戦う学者の勇姿 聞け、世界に轟く不発弾”

一方の緊迫した実験場ではそんな歌が流行っていた。

20億ドルの原子力爆弾がウインチで慎重にゆっくりと引き上げられていく。

そして地上30メートルの高さにある塔の所定の小屋にセッティングされた。

実験予定時刻の7時間前、ニューメキシコ・ロスアラモスの天候は荒れていた。稲光が不気味に光り霧雨が降っていた。

原爆開発計画の最高責任者、ロバート・オッペンハイマーと軍の責任者、レスリー・グローヴスは話し合いを続けた。

オッペンハイマーはやせた先鋭的なインテリ知識人、グローヴスは太って保守的で粗野で知性のかけらもなかった。

このあらゆる面において対照的な二人は、不思議な相乗効果で原爆開発を推し進めていた。

決行か、延期か。夜明けまであと3時間、爆発実験を正確に観測するには暗いうちに実験を行わなければならない。

二人は嵐がおさまることを祈り、5時半まで待つことにした。

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グローヴスとオッペンハイマー。photo by Marie Hansen. Google.

午前4時半「雨が止み雲も切れ徐々に散りつつある。」報告書がオッペンハイマーに提出され実験は午前5時半に行うと決定が下された。

午前5時10分「予定時刻20分前。」砂漠の拡声器から声が鳴り響き、続いて秒読みが始まった。

秒読みが続き警報のサイレンが基地に鳴り響く。物理学者や軍人たちはそれぞれ近くの塹壕の中に身を伏せた。

「1分前・・・50秒前・・・」

45秒前、自動制御装置のスイッチが入れられた。

10秒前、最後のスイッチが入れられた。

「10、9、8、7・・・」

基地中の誰もが固唾を飲む中、秒読み係が声を限りに叫んだ。

「ゼロ!」

次の瞬間、千の太陽を集めたよう。と表現される核爆発が起こった。

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トリニティ実験の爆発直後の火の玉。爆発から0,016秒後、火球は200メートル幅に及んだ。地平線に沿った黒点は木々である。(撮影:Berlyn Brixner. photo by wikipedia.org)

「音もなく太陽が輝いた・・・電離した空気が発光して息を飲む光景だった。」by オットー・フリッシュ(物理学者)

「まだ夜中なのに・・・朝が来たようだった。」by フィル・モリソン(物理学者)

完全な静寂がずっと続いたあとに凄まじい爆発音がやってきた。残響は長いこと鳴り響き続けた。

あるものは泣き、ほとんどの者は無言だった。その時、オッペンハイマーの心にバガヴァード・ギーターの一節がよぎった。

「われは“死”なり。世界の破壊者なり。」

「あの時の気持ちは言葉ではとても言い表せない。いまでもそのショックが残っている。恐ろしくて不吉で、心の底まで凍りつくようだった。」by イザドア・ラビ(物理学者)

人類はとうとうパンドラの匣を開け、人為的にはコントロールが難しい未知のパワーを解き放つことに成功したのだった。

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Jack W. Aeby, July 16, 1945, Civilian worker at Los Alamos laboratory, working under the aegis of the Manhattan Project. - This image comes from the Google.

参考文献『ヒロシマを壊滅させた男オッペンハイマー』ピーター・グッドチャイルド著 池澤夏樹訳 白水社
池澤夏樹さんの訳が素晴らしくて読みものとして単純に面白いです。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:22| ブログ?

2019年07月16日

雑文が出てきたので

2001年9月11日、あの日は壺中天公演の稽古の日だった。

夕方事務所で晩飯を食べてたら「お前ら稽古なんてしてる場合じゃねえぞ、テレビを観ろ!」麿さんから電話があった。

そこに映っていたのは目を疑う信じられない映像だった。

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"From My Corner" photo by Larry Clark on 9/11/2001.

“ナイフひとつでジャンボがミサイル”

たったひとつのナイフで、ジャンボジェット機がミサイルに変わってしまう。あれは、ひとつの革命だった。

“舞台作品が現実の事件を凌駕しうるとしたら如何なる価値観の革命を、その空間に裁ち広げればいいのか・・・”

真剣に考えさせられる事件だった。

“さまざまな技術と体力と知力、性力を駆使しつつ、もっとオモシロク、もっとオソロシク、もっとカナシク、もっともっとオカシイ夢宇宙を。

現実の世界、事件などどうでもよくなるほど阿呆らしく、刺激的に創り上げ繰り広げる事が出来ればいいのだが。

真っ向から立ち向かうか、其処から高く跳び上がるか、低く低く潜航して行くか、隙間にスルリと入り込むか、回り込んで向こうに出るか。”

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あの頃、予言だとかいって流行っていた文字変換。

“なかなかの実行力と熱心なビジョン、良く出来た記憶力を持つあなたは、雑学知識の宝庫である。

狙いと計算で絵を描こうとしても上手く行かぬことは有るとしても、それらの力で斬り抜けてゆくのだろう。”

これは狸穴善五郎君のことを書いた文章。

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9月14日から16日まで狸穴:振付・演出作品『曙』に出演した。

“常識と非常識の境を良く知るそのひとは、ははのような眼つきでいつも判り易く注意してくれる。

自分を知り無理をせぬ生理を備えているあたまの良いそのひとだが、たまには実験や冒険たち、非のほうへ突っ込んでみるのも愉快なのではないだろうか。”

これは南条タマミさんのことを書いた文章。

10月5日から8日まで南条さん演出・振付『恋愛開拓志』という作品に出演した。この時は力及ばず、出番がどんどんなくなって悲しかった。

“初期、初発の面白さのひとたちである。

まだなにものでもない、やりたい思いが技術に追いつかない、混沌とした可笑しみのひとたちである。

考えることと考えないことを解っているのか解っていないのかわからないが、なかなか怜悧にたえないひとたちなのである。”

これは捩子ぴじんと魄のことを書いた文章。

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10月26日から28日まで捩子振付・演出の『青春星人』という作品に出演した。包丁を振り回して好き勝手やった。

“やりたいことなど無くやれることなどもう無いと嘯くかれも舞台でしか出来ぬこと、肉体でしか出来ぬことを知り、わかり見据えて迷い多くやるのである。

限られた空間の利用法を、二次元ではない三次元のパワーを。

エネルギーとその場、空間を共有しているという、特権的意識を秘密めいた儀式性と謎とその絵解き、性的エロスと笑い、設定のみたてで刺激する。”

これは村松君。

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11月15日から18日まで村松卓矢振付・演出作品『うしろのしょうめん』に出演した。

壺中の旅を創り、4本連続で壺中天の作品に出てノリに乗ってた時の大駱駝艦発刊紙『激しい季節』への寄稿文でした。

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2001年9月〜11月のメモより抜粋、加筆、改筆。photo by Koh Maizawa.
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2019年07月15日

死と不在

ドイツへの旅まであと1週間になりました。

今回のドイツツアーではノルウェーに足を伸ばしてみようか。

寛容政策の国、ノルウェー。一体全体待ちうけているのは、どんな国なのか。

寛容政策のパイオニア・オランダは、移民との溝が埋まらず国民不満の隙をついて新極右勢力が台頭して混乱してきているようです。

どこの国でも半分ぐらいは保守的な差別主義者がいるので、なかなか如何ともしがたいものがあったりして難しい。

ちなみに後輩の田村賢二がノルウェー人の女性と結婚してたな。確か寿司屋をやってた。

サーモンが豊富に獲れるので醤油とわさびがあればいいのか。持って行こう。

あとは『ノルウェーの森』。

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ノルウェーの森収録アルバム『ラバーソウル』

到着したら機内でビートルズのノルウェーの森を聞くのです。村上春樹さんの小説の主人公みたいに、到着してシートから立ち上がった瞬間にまるで機内放送のように音楽をスタート。

しかし調べたら宿泊料金が結構高い・・・安くて1泊10,000円以上。ベルリンは1泊2,000円とか検索すると出て来るのに。もちろんドミトリーですが。

こうなったらドイツを重点的に探険しよう。合宿がはじまる前にアウシュビッツには行ってこようと思っています。

しかし、調べてはじめて知りましたがドイツにあるのではないのですね。お隣ポーランドにあります。勉強不足でした。

ドイツからポーランドへと飛んでそこからめちゃめちゃわかりにくいようなので大丈夫か。だいたい現地では“Aushwitz・アウシュビッツ”とは言わないとか。

“Oswiecim・オシフィエンチム”

ヒロシマは都市一つを全滅させた大悲劇なので、土地が少なくてその少ない土地の中に密集して蠢く日本の都市部で、それをそのまま保存するなんて不可能だった。

いまは、清潔な資料館の中の白黒写真や残された遺品からあの瞬間を想像するしかない。

“アウシュビッツはもともとが上部シレジア地方の荒地であったし、ポーランド人の執念そのものの底深さもあって、当時の状況はことごとく保存された。”

作家・開高健さんがその著作『夜と陽炎』にそう書いてます。

噂ではとにかく、当時のそのまま保存された夥しい人骨やお化け屋敷のような雰囲気や感じもさることながら、匂いが強烈らしいです。

膨大な切り取られた髪の毛の匂い、奪い剥ぎ取られた無数の衣服や靴の匂い。

清潔で無味無臭のヒロシマやナガサキとは違う、もちろんVRのようなつくりごとでもない荒々しい全方位での歴史のタイムスリップを体験できる。

怖いなあ。数珠を持って行こう。

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“ARBEIT  MACHT  FREI”とは「働けば自由になれる。」というドイツ語だとか。
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2019年07月14日

虎ノ穴

2006年3月吉日、壺中天にて向雲太郎の第4作目『舞踏虎ノ穴』麿赤兒総見がおこなわれた。

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公演チラシ。村松君が見て「辛そうなチラシだねえ。」と言ってた。確かに韓国料理屋っぽい。design by Hidejiro Kimura.

4回目だから落ち着いていた。

前年の作品でたいへんな目にあっていたので油断はなかった。

何を言われるかはわからないけれどなんとなく自信はあった。

オープニングの群舞はダンスマスターが松田篤史。男の肉体鍛錬の場を見事に引っ張ってくれてよし。20分間集中して踊りきっていい感じ。

と、フランス武者修行から帰ってきた田村一行先輩がお気楽に登場。

軽い感じで舞台を盛り上げます。笑いが起こって小さくガッツポーズ。

『ベルヴィルランデブー』のサントラで楽しく踊ります。一番盛り上がって悪ふざけみたくなったところで伝説のダンスマスター若林淳がよれよれで登場。

男たちが見守る舞台で孤高に踊ります。

大劇場でひとりソロを踊る幻影の中で虚しく合図を出す。悲鳴のような合図が哀愁を帯びる。

けれど「くすくす」と笑いが起こってよし。滑稽な悲哀が出ればいいと思っていたので狙い通り。

ここまで来ればもう大丈夫。あとは戯作者が登場してソロを踊るだけ。確か麿さんがここでトイレに行ってしまった。もう大丈夫だと師匠も思ったのか。

ソロを踊り終えて終わり。礼はしなかった。だいたい総見ではフィナーレまではやらずに礼の前で終わる。

観終わったあとの感想でまずは褒められた。いい反応は、5年ぶりだったので嬉しかった。

『2001年壺中の旅』の時のように手放しで褒めるという感じではなかったけれど。

「むかいの肉体に対する考えが出ていて面白い。」そんな風に言われた。

そのあと色々と師匠からアイデアをもらって、持ち帰って次の日から連日稽古をしてゲネプロ。

若い頃に「ゲネプロは、本番通りにやるんじゃ。」いうて麿さんに出演者全員が怒られたことがある。

言うてる麿さんは客席にいたりするので「麿さんおらんのに本番通りにはならんやろ。」と心の中で突っ込んでた。

それはさておき。ゲネプロを観終えた麿さんが「白塗りなしでいこう。」と言い出して驚きとともに嬉しかった。

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オープニング:『或る日の虎ノ穴』

壺中天初の白塗りなし公演。「肉体の面白さが消える。」そう言ってた。白塗りをからだに纏うと非現実的に成りすぎるのです。

本番を観に来た後輩・捩子ぴじんが「とうとうやりましたね。」と言ってたのを覚えてる。壺中の旅を一緒に創ってそのあと早々と捩子は独立したけれど俺の苦闘している姿を端から観てたのだな。

大阪公演の時に先輩の鎌田牧子さんが「最初に明かりがついた時に、一斉に観客が身を前に乗り出すのを感じた。」と言っていた。

壺中天での公演を終えて大阪で再演して、そのあとニューヨークでも再演した。

初演のメンバーだった若林淳が大駱駝艦を退艦していたので、兄弟子・村松卓矢に若の役をやってもらった。

若のやっていたことをなぞるのではなく村松君らしさを前面に出した。

けれどあまりいい反応を得られずに、尻すぼみ的にその後やることはなくなった。再演の難しさだな。

淡路島でやるときは初演のバージョンに戻して若林さんに出てもらおう。

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夏合宿生募集チラシに使われたイメージ写真。合宿でもやったのだった。振付は長く金粉ショウでも使っている。
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2019年07月13日

それぞれの性格で

昨日は、奥村勲君の引き取った猫の顔を拝見しにお家にお邪魔しました。

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奥村家にやってきた猫ちゃん。

引越し以来、久しぶりなので忙しくて片付けが終わってなかったら手伝う気満々で伺います。

雨の中、カッパを着て自転車で走ります。「雨を厭わずに訪れてくれるのが真の友である。」という何処かの言葉があったような。

家から自転車で30分ぐらいか。のんびりと遊歩道を走ります。BGMはitunesのシャッフルです。

「自転車が撤去されるかもしれないので“訪問者”ステッカー貼るので下に着いたら電話ください。」いうてメールがあったので電話します。

「自転車で来ました。」告げたら「“来客”いうてステッカー作ってくれました?」言われてびっくり。いま見たらメールもらってました。

部屋へと入ったら綺麗でまたびっくり。いよいよ最終形になったようです。そして1週間に1回掃除機をかけるとか。素晴らしい。

猫が落ちているものを食べたりするので綺麗にしてるのだな。

さて、奥村君の同居する猫はオスで名前は“千太郎”です。3歳だというので人間だと30歳ぐらい。30歳のおっさんと50歳のおっさんの同居のはじまりです。

病気で片目がよく見えないそうです。そんな猫を選ぶところが奥村君らしい。茶と白のぶちです。

そんな千太郎は、最近お気に入りのベッドの下へと入ってお休み中で姿を見せてくれません。

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膝にのる千太郎君。photo by Isao Okumura.

目的の猫さんが姿を見せないので、譲渡会での話しをしてくれた。

「何故猫を飼いたいのか?」いうて質問をされたので、愛されなかった子どもの頃の生い立ちから話したようで、聴いていると真摯で熱意が伝わってくる。

しかしそこは役者さん、お芝居も入っているのかもしれない。しかし一流の役者さんだからこそ、そういうときは芝居をしないのか。

もう膝には乗ってくるようで羨ましい。

うちの飼い猫“もこにゃん”はいまだに誰の膝にも乗りません。娘のことが大好きで近寄るだけで「グルグル」いうてます。羨ましい。

俺にはいまだ警戒心があるようで心を許しません。近寄ると「さっ」と逃げます。

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玄関で大好きな人のことを待つもこにゃん。

淡路島の“鼻クロ”はカリカリをあげても5メートル以上離れないと食べません。警戒心が非常に強い。見習いたいものです。

新宿なんて歩くときは常に用心してないと、いつなにが起こるかわかりません。後ろから突然刺されるかもしれない。

それはさておき、猫にもそれぞれの個体差や性格の違いがあるのです。

普段とは違う声が聞こえるので、出るに出られなくなってじっとしていたのか。そんな千太郎に気を使ってあまり長居はせずにそこそこの時間で退出。

結局、帰るまで千太郎君は顔を出してくれませんでした。

それにしても環境といい猫といい、運勢が良い方向へと完全にシフトチェンジした感じがします。あとは役者で売れるだけ。

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2019年07月12日

スローなブギにしてくれ

いま日本国には、40歳から64歳の引き篭もり者が61万3千人いるそうです。by 内閣府 2019年3月。

「私の推定では、この二倍いるはずです。日本全国には二百万人以上の引き篭もりがいて、その半数が中高年だと確信しています。」

20年前に著書『社会的ひきこもり』がベストセラーとなった精神科医の斎藤環さんは言う。

一日に家から一歩も出ない状態が半年以上続いている人が、約9万人。

家の中で何をしているかにもよる。一日中、本を読んでいるのは良いような気がする。知的、引き篭もり。

一日中、ゲームをしている。

これはWHO認定の病気です。実際ゲームの依存症は世界中で問題になっています。他に一切、何もやれなくなるらしいです。怖ろしい。

一日中、部屋にこもってインターネットをしている。これはどうなのか。底暗い病んだ精神を感じる。

一日中、坐禅を組んでいる。これは達磨さんですが別になんの問題もない。足が痺れて腐ってくるので気をつけましょうましょう。

一日中、部屋でテレビを見ている。

これが一番多いのか。暗い部屋でテレビだけが明るく光って笑い声が部屋に響いているが、観ている人は能面のような表情というイメージ。

テレビに突っ込みを入れまくってれば大丈夫な気もするが・・・

男性というイメージが強い引き篭もり。お国のために一生懸命、額に汗して身を粉にして働いてお金は十分あるけれどやることがなくなって家に引き篭もる。というイメージ。

だけど実は女性も多くて内閣府の調査は、一概的でサンプルも少ないようです。

西洋的ないまの家の作りにも問題がある。昔の日本の家屋は簡単に戸が取り外せて、風通しが良くて引き篭もりなんてできようがなかった。

さて、何度も記していますが身近に閉じこもっている人がいたら、一緒に悩んだりなんかしたらいけません。

出て来たくなるようにすれば良いのです。放っておいて楽しくわいわいお酒でも飲みましょう。

とか記してるけれど100万人いたら100万通りの事情と状況があるだろうし、それこそ一概には言えない。

こころの問題の場合と、からだが理由の場合もある。出たくても出れない状況や状態だったり。

それにしても、何百万人をも置き去りにしてしまう日本という国家。そんな国は、なんのために存在しているのだろうか?

そして人間、何がトリガーになって凶行に及ぶかはわからないのです。

魔に飲み込まれてしまう前に何とかしよう。被害者になる前に、加害者になる前になんとかしよう・・・

この世界は、テンポが速すぎるのです。

スピードを落として、ゆっくりと生きろ人生。

そうすれば、何百万人も置き去りにしてしまうこともない。急ぐな慌てるなもう少しゆっくりと。テレビを消してローソクを灯してごらん。

気持ちも変わるってもんだぜ。

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未来もいいけど、今この瞬間も大切にしてください。photo by Google.
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2019年07月11日

巨星墜つ

ジャニー喜多川さんが亡くなられました。

87歳か、長生き。人生100年時代だからまだまだこれからだったとも言えるのか。

ジャニーズ帝国がこれからどうなっていくのか。当分、ワイドショーはこのニュース一色でしょうね。

それにしても一代で、あそこまでの大帝国を築いて偉大だと思います。

そして大好きな美少年に囲まれて、さぞかし素晴らしい良い人生だったと思います。

麿さんがジャニーズ事務所の忘年会に招待されて行った時。

ジャニーさんが何処にいるのか探してたら、下足番をしていたのがジャニーさんだったとか。

昔の劇場などではよくあることですが、いちばん偉い劇場主自らが下足番を務める。

そこで「この役者は礼儀正しくていいなあ。次はいい役をやるか。」とか「こんな靴の脱ぎ方をするようじゃあこの役者はダメだな。次は使わないでおこう。」とかじっと観察をしている。

相手が偉い人だからと媚びるように接して、下足番だからとぞんざいに接するような人。そんな人間の姿をしっかりと観ている。

あんな巨大なグループを率いていたカリスマです。

もちろん才能もあったのだろうけれど、そういう一歩引いて人間を観る眼があったからこそスターを沢山輩出することができたのだろうなあ。

しかし、キラ星の如くいたであろうアイドルの方々ではなくて、ジャニーさんを探すところが麿さんらしい。

とにかく目立たないように裏方に徹する人だったようです。

そして、なんでも自分でやってしまう人だったとか。

車の運転はもちろん自分、新幹線のチケットも自分でとる。皆んなのチケットも知らない間に手配して買ってあったり。

“プロデューサー”とタレント皆んなが敬意を込めて呼んでますが、生まれながらのマネージャー気質なんだな。

「ユー、やっちゃいなよ。」「ユー、最高だね。」「ユー、どうしたの?」所属タレントの全員を「ユー」と呼んでいた。

ジャニーズ事務所担当記者が理由を聞くと

「ウチは大勢いるでしょ。もし間違えたり、思い出せないでいたら相手はきっと悲しむ。だから平等に“ユー”って呼ぶことにしたんです。」

芸能界の大立者だけどいつも謙虚で腰が低かったとか。50歳も年の離れた記者にも丁寧語で話す人だった。

とにかくタレントの側に寄り添い、タレントのために生きた人生。

思いやりと気配りの巨星、ナチュラルボーンマネージャー・ジャニー喜多川さん。一度お会いしてみたかった。

ご冥福をお祈りします。

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1973年9月、テレビの収録中に頭部を負傷した郷ひろみを病院で看病するジャニー喜多川氏。photo by 日刊スポーツ。
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2019年07月10日

まだまだもっと

娘はいま中学3年生ですが、学業優秀でずーっと学年トップを独走しています。

朝から晩まで猛勉強をしています。「追われるよりも、追うほうが楽だ。」と言ってます。

完全に反面教師です。「お父さんのように成りたくないから勉強をしている。」

彼女は決められたことをきちんと守るタイプ。こちらは決められたことなんて守ったことがない。どころかやってはいけないこともやってた。

向こうは無遅刻ですが、こちらは毎日遅刻しててなんならサボってた。

そんなやることなすこと正反対の娘が最近、自分の父親を友だちに紹介するのに苦心しているようです。

舞踏家と紹介しても相手は「・・・ぽかーん」としているので、ダンサーと言い換えると「えー、やっぱり優秀な人のお父さんはすごいんだ!」となる。

それが嫌で「小さな小さな、ほんとに小さな会社の社長だよ。」と言うと「えー、社長なんだ、やっぱすごい!」となってしまうとか。

社員二人の弱小団体だとは言えない。なんせ相手の父親は社員何万人なんていう大会社の社員だったりするので。

どうでもいいですが、この肩書というのは本当に下らない。どうでもいいし面倒臭いので舞踏家と名乗っているところもあります。

このなんと呼ばれるかは、やっていることの本質とは関係がなくて大した意味もないのです。

実は舞踏家と呼ばれようがダンサーと呼ばれようが社長と呼ばれようが構いません。

決めつけずにこだわりを捨てて、もっとどうでもよく良い加減に適当に生きるのです。

面倒くさいし下らないのだけど、社会的には大きな違いでダンサーと名乗るほうが仕事が来たりする。

その社会に媚びているような態度が嫌でわざとわかりにくく、一般的ではない舞踏家を名乗っているところもあるのですが。

何度も記していますが、兄弟子の村松卓矢が言うように演出家と名乗ると社会の態度が豹変したりします。

先生扱いをしてもらえたりする。社会的信用度が舞踏家とは雲泥の差。

その兄弟子の言葉の影響で"演出家”と名乗っていたことがありますのでお恥ずかしい。

しかし舞踏の舞台は原則的に振付も演出も自分でやるので強ち間違いではないのですが。

演出が好きというのもありますが、好きとそれで食べているというのは別です。

舞踏の草創期から活躍し続けている笠井叡さんは、ダンサーと名乗っているようです。しかし、もしも亡くなったら新聞は舞踏家と書くのだろうな。

俺が亡くなったら・・・いま亡くなったら記事にもならない。

まだまだ死ねないゾ。

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師匠と笠井さん。撮影は笠井さんの長男坊、爾示君。カメラマンとして活躍しています。photo by Chikashi Kasai.
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2019年07月09日

ダラー?

夢と現実、それをつなぐ装置としての脳。

その脳をめぐるお話。

影も影、ほとんど闇に近い世界に旅人がひとり彷徨っていた。

何かを探していたのか、何かを欲していたのか、何かを追っているのか、何かに追われているのか

もうながい間、ずっと前からわからなくなっていた。

頭は重く目はかすみもう歩けない。どこかで止まらないと。

はるか彼方にチラチラする光が見えた。光の中からは沢山の足音が響き、秒読みの声が聞こえてくる。

「ここは天国かそれとも地獄か。」思わず独り言が出た。

すると影がゆっくりとうごき爆音と煙の中からロケットが姿をあらわした。

どこからか声が響く「お急ぎください、時間です。」

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左から、塩谷智司、奥山ばらば、捩子ぴじん、渡邊達也。

夢へと旅立とうとするウサギは、その夢と現実をつなぐ装置を忘れてしまう。それを届けようとする遅刻した宇宙飛行士たち。

男たちはウサギを追って旅立つが、そこはすでにウサギの夢の中であった。

一方、忘れられた脳は、今や夢と現実の狭間をさまよい、また同じように夢と現実の狭間から永遠に出られなくなり彷徨っているハゲのアリスの手の中にある。

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奥が引き戸になっている舞台美術。上の写真は?

男たちは、脳を探していてアリスに出会い脳を手に入れるが脳を手にした男たちもまた、夢と現実の狭間にはまり込んでしまう。

男たちは、ウサギに追いつき時間機械によって現実へと戻ろうとするが、着いたところは南の島の女主人が支配するバナナ王国であった。

そこは一度入ると二度と出られない迷宮。

女主人に微生物に変えられてしまった男たちは、バナナを与えられ再び死への進化を始めるのだった。

旅人は自分から欲して異界へと旅に出た。

帰れるあてなどない旅だったが、帰還を果たせば旅人の人格を劇的に変化させる通過儀礼になるはずだった。

惰性で凝り固まった日常から非日常への指向、ありふれた生の中心部から生の辺境地への興味。

旅立つ理由は様々だが旅人は現実から非現実へ

日常から非日常へ 中心部から外側へ 此岸から彼岸へと旅立ち、ふたたび生還を果たさなければならない。

ばかばかしくも懐かしいこの現実へ。

面白きことなきこの世の中に面白く、面白きことなきこの世の中を面白く。

「そうして彼らは踊りながら家路についた。」

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時間が前後しますが、貴重な舞台写真が東京事務所で出てきたので二作目『ダラーの宇宙』について記しました。って俺は一体、誰に語りかけてるのだろう。photo by Kohji Fukunaga.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:45| ブログ?