2018年09月29日

舞踏の未来?

限りなくゼロに近い日本の舞踏の需要。世界でいま一番舞踏の需要があるのはドイツなのかな。食べていけるようです。国の芸術への支援が手厚いというのもあると思います。

メキシコも盛んです。メキシコには日本に連れて帰りたいと思う素敵な舞踏ダンサーが沢山います。それも需要が多いからだろうな。

わたくしのワークショップはメキシコだと定員40人が大袈裟ではなくて1日で一杯になります。日本では定員20人がギリギリ当日まで集まらない。

メキシコの若い人たちは、「舞踏にこそ舞台芸術の未来がある。」と言わんばかりに反応をしてきます。けれど日本の若者は反応がほとんどない。知名度が低いからで、そもそも皆んな知らないのだから仕方がない。少し知っていても「あー、白塗りのー」で終わり。それは海外でも同じか。

石井満隆さん、カルロッタ池田さん、室伏鴻さんという海外へと渡って道を切り拓いた先達がいたからこそのいま。

そして満を持して大野一雄さんがフランスへ渡り大成功。一躍スターになって逆輸入。日本でも持て囃されたのが70歳だもんな。日本人は認めるのが遅すぎる。

誰かが良いと言わないと認められないのだろうな。まあ良いか。

そんな先達の勇気と苦労と努力とがあって、海外でも舞踏が盛んになって。メキシコでは大野慶人さんを招聘して、大駱駝艦を招聘し、笠井叡さんを招聘し、山海塾を招聘してと頑張ってフェスティバルを開催して盛り上げている人がいたりする。

日本でも70年代は舞踏フェスティバルなんてのが開かれていたようだけど、まだ土方さんと大野さんが生きていたりといまの状況とはだいぶん違う。社会状況もだいぶん違う。

1959年に日本で生まれた“舞踏”。当時は前衛的で先鋭的だった“舞踏”。いまは。。

だけど舞踏の未来なんて心配しなくたって彗星のように大スターがあらわれる。そんな気もする。

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いま見てたら北海道で舞踏フェスティバルをやってるんだな。知らなかった。なかなかちゃんとしたチラシ。助成:北海道文化財団だって。
posted by Mukai Kumotaro at 18:41| 日記

2018年09月28日

既にそこにある

1996年、この頃から作品づくりのアイデアを考えはじめている。そのほとんどは、どこかで見たことのあるものだったり、何かの影響を受けているものだったりするのだけど、チラホラと「ん、これは。」とページをめくる手が止まるアイデアが書きつけてあったりする。

いまはもうあまりやらなくなったけれど、大駱駝艦にいる頃は新しい作品に着手するときは、まずはこの日記というかノートというか雑記帳のようなものを一番最初から読み直してみる。ということをやっていた。

そうすると「とーん。」といいアイデアが見つかったりする。『底抜けマンダラ』のソロは書きつけてあった夢の絵からつくったもの。らくだから独立して一発目の『アホとロマンの皮袋』というタイトルもこの読み返しによって発見してつけたものだった。

アイデアを得るのに良い場所として、3上を欧陽脩(中国「宋」の時代の詩人・文学者)があげています。

馬上(ばじょう):馬の背に乗りながらの状態。枕上(ちんじょう):枕の上→朝起きる前の状態。厠上(しじょう):トイレの中。乗り物の中で思いつくというのはよくあるな。トイレの中もまあまああるか。寝起きも…あるか。「はっ。」として飛び起きるみたいな。

いつもやっている閃きを得る方法。まずは色んなことを見て聞いて読んで話して書きとめてイメージや言葉を収集していき、自分の中に溜めていく。アイデアや着想や閃きのための種を自分の中に植え付ける。バラバラに散らかっていればいるほど良い。

次にアイデアを咀嚼し噛みしめる。血として肉としてだんだんと脈動しはじめる。世界観やイメージや物語、内容がおぼろげながら見えはじめて来る。でも決めつけ思い込みには十分に気をつけろ。それは作品を小さくまとめてしまうから。

そして、それらのアイデア、着想を忘れてしまう。自分の中で発酵させ、熟成させるために。種がかえり芽が出て育っていくような段階。セミの幼虫が土から出て木に登りさなぎへと変化していくドロドロの混沌。幹を育て枝葉を生い茂らせ欝蒼となっていく。でも自分はそれをすっかり忘れている。

そして出来れば稽古 in の前に、

"Eureka!!"

閃けば最高。しかしなかなかそうはいかのきんたまだから、稽古に入ってから閃きの連続でも良い。だんだんと具体化し具現化して、新しいアイデアやイメージを実現させて作品を面白くするべく全力を尽くす。

試行錯誤に自問自答、トライアンドエラーを繰り返していよいよ本番。作品を世に解き放つ。

既にそこにあるアイデア。外へと出て着想を得るのもあるけれど、実は既に自分の中にあったりする。全ては、それを思い出す作業だったりするのかもしれない。

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越後妻有用のアイデアスケッチ。残念ながら落とされた。
posted by Mukai Kumotaro at 19:19| 日記

2018年09月27日

人生50年?

1996年、20年前のフランスツアーから手が荒れるようになってしまった。フランスは空気の乾燥が本当にひどくて肌がカサカサになった。

それ以来、疲れて体調が悪くなってくると手が荒れて皮膚がむけて手が真っ赤になるようになった。これは辛い。ものが持てないし、手が使えない。

しかしフランスというのはあんなに乾燥しているから香水なんていう文化が発展したのだな。ジメジメとしてたら香水なんて臭くて使えない。

それはさておき最近、からだからの体調不良のサインが手荒れではなくて歯痛として出てくるようになった。手荒れより歯痛のほうがさらに辛いから、からだの作戦は成功している。

いまも右の上奥歯と右下の歯と前歯の裏が痛い。固いものが左の奥歯でしか食べられないので、時間がとってもかかります。

面倒になって全体で噛むと激痛が走る。右上奥歯は知覚過敏もひどいので冷たいものは勿論、熱いものも食べられない。はあ〜。。

人間人生50年。そろそろからだのあちこちが傷みはじめている。長生きをしたいわけではないが辛いのは嫌である。だから養生する。

「あっ。」という間に逝けるといいなあ。人間往生際が肝心。良く逝けるように日頃から心懸けないと。

呼吸器を付けないようにとは、遺言書に書いてあるけれど、如何なる延命処置をしないようにとも書いておこう。

塩っぱいものを沢山食べて高血圧になって血管が切れやすいようにして。もし死にぞこなってもそこは舞踏家ですからその半身不随を見世物にして。

だいたい舞踏家はどんな状態でも出来る素晴らしい商売です。片目が見えなくても出来るな。下半身がなくても出来るな。1番有名なのがアルツハイマーで車椅子の老人だもんな。凄まじい商売です。

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父・大野一雄と息子・大野慶人。うごかされるという舞踏の基本をそのままやってしまう発想も見事ですが、それを見世物にしてしまう残酷さこそも舞踏の真髄。
posted by Mukai Kumotaro at 11:23| 日記

2018年09月26日

1996年12月

18日、板橋の稽古場で寝てOUT!風邪をひく。折り込みへ行ってひどくなる。積み込み最悪状態。慌てて医者へ、夜に熱が39度出る。ぎゃー!

19日、仕込み駄目。とほほ。

20日、大駱駝艦天賦典式『死者の書’96』@浅草公会堂 GP〜初日、足がガクガク、うごかないからだ。

キムさん一行が来る。女性の群舞、“日を追う少女達” 。あんなにも自然なお芝居から、をどりへの移行をはじめて観たと言っていた。心底感動したようだった。「凄く良かった。」by 伊藤キム

帰りに遠田誠と一緒になる。オープニング“電気仕掛けの死体”からシーンA“パドマナター”への流れを観て、「なんだか朱いものをからだにブラブラぶら下げてをどっているけれど、俺はいったい何を観せられているんだ?」と思ったとか。あまりにも想像を絶するので観るものの思考を停止してしまう。破天荒な大駱駝艦世界の真骨頂がそこにはあったのだと思う。

21日、少し体調が戻る。でもまだまだ。シーンD “天秤棒1・アジアに点在するキリスト”。もっこを担ぐ男の足がバラバラで気になる。

22日、昼夜公演。飽きてきた舞台でどう視点を変えて取り組むのか。「飽きてきた?馬鹿こくでねえ。一生懸命に夢中でやりなさいよ。」by Kumotaro Mukai 2018.9/26

キムさんが絶賛していた“日を追う少女達”の完成度が高くなっていく。つなぎ、流れの大切さを知る。「もたもた走るのではなくて蜘蛛の子を散らすように速く走る。」「ゆるくぬるい平均の位置で終わらせない。」by Akaji Maro

23日、死者の書公演千秋楽終わり。悔いを残してまた次回へ。

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当日パンフより。Art direction:Yukimasa Okumura,Design : Masaki Yoshimi. Aiko Ohtomo. Koushi Kawachi / The Studio T.J.,Inc
posted by Mukai Kumotaro at 17:10| 日記

2018年09月25日

バニョレ追記

1996年7月2日
ダンスとは何か?足を高く上げ、意味もなく回転する人々。なぜ足が上がるのか?なぜ回転するのか?回転したいから回転する。回転してしまう。回る理由なんてどうでもいい。ダンスに理由なんていらない?

ボリス・シャルマッツの“それがどうした?”を清水永子さんは、「若者特有の行き場のない不安が感じられてとっても良い。」と言う。キムさんは、「例えば創作者が観客のはるか先を行っていたとしても立ち止まり、振り返っていまを見ることが必要。」だと言っていた。

ジョン・ジャスパーズ、二度目の参加で受賞。シニカルで知性溢れるその作品は素晴らしかった。「皆んなに攻撃的だとか挑発的だとか色々言われるが自分ではそんなつもりはなくて、ただ自分の気持ちに正直に創っているだけだ。」

年内一杯はフランス国内からの大量のオファーに答えるので精一杯なのだそう。素晴らしい作品を創れば必ず評価されるといういい例。

勅使河原三郎さんが行き、山ア広太さんが行き、黒澤美香さんが行って、伊藤キムさんが行って。日本国内で売れるための登竜門とか言われて、その神話・伝説を追いかけて後続のダンサーがバニョレを皆、目指していた。

けれど、バニョレの審査委員長をしていた天児さんの方が格好いいなあ。と思ってしまう。山海塾が好きとか嫌いとかはさて置いといて。いまだに大駱駝艦の出世頭だもんな。

バニョレの本番が終わり。なかなかの出来でなかなかの踊りができたと思う。賞は逃したけれど作品の出来も良かったと思います。打ち上げで、観に来てくれた舞踏家・古川あんずさんとご一緒した。

大駱駝艦草創期の華、狐姫との異名をもつ大先輩。大名作『海印の馬』の男性群舞“安産祈願”は当時、身籠っていたあんずさんの安産を祈願して男たちが夜な夜な稽古場でつくった踊りだとか。

ファンが多い理由がわかるとってもチャーミングでエレガントな素敵女性でした。

少し話しを聞いているだけでもその切れ味鋭い舌鋒と厳しい視点は「なるほどなあ。」と唸らさせられるもので。いろんなダメ出しを弟子のキムさんにしていたけど、照明の使い方が古い。と言っていたのをいまも覚えている。

そのあとしばらく経ってからあんずさんは亡くなられたのだけれど、お会いできて良かった。

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フランス人の誰だったか。カメラマンが撮ってくれたバニョレの本番写真。
posted by Mukai Kumotaro at 10:26| 日記

2018年09月24日

いま

舞踏家集団デュ社、副代表・湯山大一郎、9月1日から30日までカナダへ出張中です。滞在制作をしています。今年作品をつくり、それを映像にして申請用に使ったり売り込みに使ったりするのだそうです。そういう予算も何処かから下りたりするのだな。素晴らしい。

向雲太郎は、東京に移動して『ふたつの太陽』メキシコツアーの構成開始&稽古開始です。再演というのは作品を掘り下げる絶好のチャンス。初演で力及ばなかったところへ手を入れる大切な機会。

『ふたつの太陽』はまだまだ面白くなる可能性を充分に秘めていると思う。大事に育ててレパートリーにするのだ。

メキシコで育てて、アメリカ、フランス、ドイツ、カナダ、ブラジル、世界各国を回って。日本でもいつか再演をしたい。そのためには予算が必要。どこでやるかも考えないと。広島は無理そうだから、仙台...神戸...。こういうとき、力不足を実感する。横のつながりがまだほとんどない。

時間をかけていくしかない。だが「時間は、あると思うな。」という言葉が存在するのも事実。悠々と急げ。だ。

その前に山形の矢田目隆夫さんの稲刈りのお手伝い。刈った稲は昔ながらの天日干しをします。初日は雨で作業ができなかったけれど、二日目は晴れて三日目に今回の目標は無事終わり。

お米の味を決めるのは、要するに水分なのだそうです。天日干しはどんなに干しても過乾燥にならないのだとか。

いま一般に流通しているお米というのはカビが生えないようにわざと機械で過乾燥しているとか。だから不味いのだって。

手間暇かけて大切に育てた美味しいお米と機械で簡単につくってしまった不味い米と、どちらをあなたは選びますか。

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本当に奇跡的に晴れ。また明日から下り坂だとか。昔ながらの方法で天日に干される稲たち。
posted by Mukai Kumotaro at 07:29| 日記

2018年09月23日

バイトについて2

大駱駝艦では、公演が近くなると稽古のほかに大道具の作業が始まるので朝から晩まで拘束されることになる。なので長期のバイトというのは出来ない。

そこで時間の融通が利くマッシュという派遣会社に登録した。色んな職種の様々なところへ派遣された。20年ぐらい登録してたのかな。ここでは、嫌な思いをいっぱいしたなあ。リーダーが嫌な人間だったり、一緒に働く人間が嫌な感じだったり。

しかしなんなんだろう、あのアルバイト現場の嫌な感じというのは。そこでしか威張れない人たち。仲間うちのへんな気持ち悪いノリ。まあそんなのどこでも同じか。そのグループの中にしか居れない人びと。

あ、手に職をつけようと補修屋もやったな。新築マンションの部屋の傷を補修する。しかし傷をその場しのぎ的に隠すような仕事の内容が最後まで好きになれなかった。

「これたぶんすぐに取れてしまうのだろうなあ。」とか思いながら。ここでは色んな面白い人と知り合えた。いまも付き合っている人もいる。

弟弟子、若葉幸平と中林ショウジとやった地下鉄工事は面白かった。最後の日に職人さんたちと飲みに行って。徹夜明けで飲んだもんだからべろべろに酔っ払って何万もする眼鏡を二本失くしてしまった。とほほ。

唐組の奴に誘われてやった阿波踊りの警備も面白かった。目の前を阿波踊りの連が次々と通り過ぎて行くので、警備がすぐおろそかになって気がついたら大混雑してたり。

アルバイトというのは、ほとんどが下働き。早い話がお手伝い。若い頃はいいけど歳をとってきて人のお手伝いをするのはなかなか辛い。けれど食べていけないのだから仕方がない。のか?

ある派遣現場で。舞台の稽古用のセットをつくる現場だったのかな。最後に仕上げで床のカーペットのゴミをガムテープで取る作業をしていたら「主役のホニャララさん入りまーす!」とかスタッフが声を上げてて。

入ってきた人物を見上げたら麿さんの息子、大森南朋だった。「あれむかいさん?」って南朋に声をかけられて。かたや主役で颯爽と登場して。かたやアルバイトで床に這いつくばってゴミを取っている。

それ以降、アルバイトはやらなくなった。ほんとにそれ以降だな。

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大駱駝艦の頃の証明写真。
posted by Mukai Kumotaro at 06:58| 日記

2018年09月22日

バイトについて

アルバイトは、いまはしていません。40歳まではしていました。いままでに様々な数限りないアルバイトを経験しました。

大阪の頃はお歳暮の配達、引越し屋。神社のお手伝い。東京に出てきてからは、神奈川のチョコレート工場、高円寺のデザイン事務所。そのあとは西武運輸で10年ぐらいアルバイトをした。

最初、お歳暮の繁忙期に入って。きついからすぐ辞めるだろう。使い捨てだ。とスーパーこき使われたのだけどすぐ辞めるのが悔しくて頑張った。朝から晩まで荷物をさばきまくって、腕が上がらなくなって家に帰ってバタンキュー。

でも次の日も次の日も辞めずに行ってたらだんだん認められて。慣れて来たら頼りにされ始めて辞められなくなって結局10年も続けた。

大駱駝艦に入ってからは西武運輸をやめてラクダのメンバーがやっていた鳶職をやったりした。鳶職はとても危険な仕事で同じ舞踏家のえーりじゅんさんという人が事故で若くして亡くなっている。

それでやるのをやめたのかもしれない。同じくラクダのメンバーがやっていた大道具もやったけどこれは才能ないとすぐ辞退。

掃除は結構長くやった。渋谷のパルコ、渋谷の映画館、吉祥寺伊勢丹、新宿伊勢丹、ビルやマンションの掃除。派遣の掃除屋もやったな。

渋谷のパルコでわたくしに引き継ぎで教えてくれた奴が「ここはサボれるから。」とか「ここは人が来ないので寝れる。」とかそんことばかり教えてくれる奴で面白かったなあ。その通りにしょちゅうサボっていました。ごめんなさい。

今までで一番きつかったのは佐川急便の夜間のバイト。行ったら本当にここまで殺伐とできるのかってぐらいに雰囲気が最悪で。働いてるのは、ほとんどがペルー人だった。新入り全員名前ではなくて番号で呼ばれて。

夜の仕事が始まっても新入りには誰も何も指示をしてくれない。わたくしは「はあ、そういうことですか。」と周りを見回してしばらく観察して、手が足りなさそうなところに無理やり入って仕事を始めた。日本人の若者は一晩中、無視され続けて放ったらかしだった。

とにかく荷物が延々に運ばれ続けて来てそのどれもが重量物で、しかも朝まで休憩が一回もなくて。確かそのあと体調を崩して病院へ行ったりして結局アルバイト代はほとんど残らなかった。

本当にひどい現場だったなあ。あんなひどいことをしているから…まあいいか。人間は機械ではないのだよ。

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いままでに証明写真は何枚撮ったのか。2018年8月最新版。
posted by Mukai Kumotaro at 09:21| 日記

2018年09月21日

おぺら?

昨日は、オペラシアターこんにゃく座『イヌの仇打ち あるいは吉良の決断』を吉祥寺シアターにて拝見した。原作は巨匠・井上ひさしさん。演出は文学座出身の新鋭・上村聡史さん。

こんにゃく座は、東京芸大のサークル“こんにゃく体操クラブ”の出身者が中心になって結成されたグループで今年結成47年目。新しい日本のオペラの創造と普及を目的に活動している。

オペラと呼んでいますが常識的で一般的なオペラとは違って、あれは“こんにゃく座”というしかないもので、長い年月をかけて創り出された、唯一無二のものなのだと思ったりします。

一般的に舞踏と呼ばれるが”大駱駝艦”というしかないのと同じように感じたり。

最近は、現代表・萩京子さんの作曲が多いですが、今回上演されたのは長くこんにゃく座の音楽監督と座付作曲家を勤められた林光さんの作曲でした。

光さんは、(わたくしが関わりはじめた頃は、既に亡くなられていてお会いしたことがないですが、親しみを込めてこう呼ばせて頂きます。)武満徹さんなどと活動を共にされていた日本現代音楽の草分け的な存在で、その楽曲も現代音楽的というか聴いていても高級な感じがして結構難しい。

聴いていても難しく感じるのに歌うのはもっと難しいのだろうなあ。でもその難しい歌をしっかりと確かに歌い切るのだから、いまのこんにゃく座は力があるのだと思います。

年に何回か行う都内の劇場での公演は温かく見守ってくれるファンに囲まれた言ってみれば“ホーム”での公演。一方で一年中地方各地の学校での出張旅公演、こんにゃく座のことなんて知らない子どもたちの前での言ってみれば“アウェイ”の現場も経験。

独自の表現方法で唯一無二の新しい世界の作品をどんどんと創り、独自のファンもつくりつつ、旅公演の再演でどんどんと磨かれていき、新しい観客も開拓していく。そのいいバランスこそが、いまのこんにゃく座の底力を生み出しているのだと思う。

いいなあ。

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わたくしが振付で参加した『おぐりとてるて』。この宣伝ポスター?は…
posted by Mukai Kumotaro at 08:34| 日記

2018年09月20日

ナマ

なんでもナマで見て観て聴いて食べて触って体験したほうがいいと思います。 絵も実物を見たほうがいいですよ。写真では見ないほうがいいです。はじめてその絵の前に立った時の感動が薄れてしまうから。

ニューヨーク近代美術館で『アビィニヨンの娘たち』の実物を見たときは感動したなあ。高さが2メートル以上あった。写真で見たのとまったく比較にならないぐらいの迫力で圧倒された。教科書の小さな写真の中には何も写ってなかったんだな。

1907年、画商のアンブロワーズ・ヴォラールは、パブロ・ピカソのアトリエのある“洗濯船”へと向かっていた。今日の朝、ピカソから興奮した声で新作がやっと描けたと電話があったのだ。

逸る気持ちを抑えて彼は、ギシギシとなる暗い階段を上っていく。ピカソは明るい色調の絵で最近、売れて来つつあったがまだ無名に近かった。だが、ほとばしるその才能に惚れ込んでいた。

ドアをノックするとすぐにドアが開いてピカソのギョロ目が出迎えた。相変わらずの眼光の鋭さだが今日は機嫌がすこぶる良いようだ。

部屋へと招き入れられたヴォラールは、挨拶もそこそこに早速新作の前へと向かった。真っ白な布がかけられた巨大なキャンバスがそこにはあった。何か言い訳をしようとするピカソを制して彼は言った。「いいから早く見せてくれ。」

ピカソは意を決したように布を引き下ろした。「これが新作『アビィニヨンの売春宿』だ!」

ヴォラールは絶句した。いままでに彼が一度も目にしたことのないものがそこに存在していた。完全に狂っている。頭がおかしくなりそうだった。人がねじ曲がり立体的なのかなんなのか。特に右側の娘?なのか?一体どうなってるんだ!

理路整然と絵の解説を続けるピカソの声を聞きながら、ピカソは狂ってなんかいないのだ。と思った。少し冷静になり始めたヴォラールはこの絵をどう売り出すか。計算もはじめていた。これは事件になるぞ。そんな風にも思いはじめていた。ひょっとして絵画の歴史が変わるのかもしれない。

圧倒的な天才を前にひれ伏したいような感覚を覚えながら足が震えていた。「私はいま感動をしているのだ。」やっと自分の気持ちを整理出来はじめたヴォラールはそう思っていた。

窓の外は枯葉が舞い散り初めている。アトリエの中には暖房もなかったが、寒々とした部屋のなかで幾何学的に光り輝くその絵だけが異様な存在感を放っていた。

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安藤忠雄さんがパリでナマピカソを見たらしいけれど、「完全にゴリラやった。」と書いていた。
posted by Mukai Kumotaro at 10:01| 日記

2018年09月19日

本について1

本は同時に何冊も読みます。

いま読んでいるのは、漫画家もりむら大さんが教えてくれた『宇宙船とカヌー』。図書館で一回返してまた借りてる『羊飼いの暮らし』。みみおから拝借した『火垂るの墓』。三島由紀夫に挑戦『仮面の告白』。なんだかヘンテコなお話し『悪霊』です。

先日読み終えたのは、これもみみおから拝借した小沢昭一さんの『背中丸めて』。

枕元には何冊も本を置いて読みます。色んな小説の章ごとに読んで、それが一冊の本になっていくような感じ。

戦友で親友の村松卓矢とのあいだで流行ったイタリアの作家イタロ・カルビーノの『冬の夜ひとりの旅人が』と感覚が似ている。作家が本を出版するのだけど、印刷所のミスで色んな国の作家の本のページが混ざってしまう。とかいう内容だったと思う。そんな感じです。

この本、色んな国の作家の作風をカルビーノが真似して書いてるのだけど、それがなんだか微妙に間違えてて面白い。

日本はたぶん谷崎潤一郎の真似をしてるのだけど、主人公がありそうでないような名前だったり。おススメです。

読みはじめてなんだか止まらなくなるというのは、最近なくなったなあ。ベストセラーの口当たりの良い本とかではなくて、ちょいと難しそうな分厚い本なのだけど勇気を持って読みはじめると途中から「えっ?なんなんだ?」と引き込まれていく感覚。

1番覚えているのはスティーブ・エリクソンの『ルビコン・ビーチ』。二、三ページ目で突然文字が浮き上がってくるようなはじめての感覚だった。世界がどんどん変化していく。どんどん引き込まれて。もうどうにも止まらない。

逆に全然進まなくて止まっている本は沢山あります。ツァラトゥストラ、白鯨、ドン・キホーテ、ユリシーズ、失われた世界、etc..etc...名作に多いな。

名作だから挑戦するのだけどすべて途中で止まっています。たまに開いて数行でまた断念して。入っていけないんだな。訳の問題もあるのだと思う。言い回しだったり形容詞だったり、なんか違和感がある。そういうのも入っていけない理由かも。

『死霊』も結構かかったなあ。5年ぐらいか。一回止まって何年後かに読み始めたら、スイスイ読めたのですが。集中して読む時間というのがなかなか取れないというのもあるのかな。

『百年の孤独』は10年ぐらいかけて読み終えました。100年間生きたおばあさんとその一族のおはなしだから、100年かけて読んでも良かったのかも。

本を読んで一番笑ったのは、芥川賞候補作家で親友・戌井昭人の『俳優亀岡拓次』です。電車の中では読まないほうがいいですよ(笑)

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『ルビコン・ビーチ』装幀は、横尾忠則さんです。翻訳は島田雅彦さんか。翻訳も良かったんだな。
posted by Mukai Kumotaro at 10:38| 日記

2018年09月18日

わからない

大駱駝艦へ作業の手伝いに行く。作業が終わってもまだ帰らずにトイレを借りに地下へ。炊き出しの用意を新船さんがしている。ジャングルのような台所をなんとか登って上へ。変なところに上がってしまい山本良ちゃんに笑われる。

モタモタしてたら通し稽古が始まりそう。気をつかって早く帰らねば。麿さんが真っ白なカツラをつけて寝ている部屋の前をそーっと通って玄関へ。

新作の稽古に入ってて、マーチングバンドがいたり、若者が大勢いて賑やか。玄関へ行くがどんな靴を履いてきたか覚えていない。大量の草履があってどれかわからない。

幸平が若い奴にビーチサンダルについてレクチャーしてる。楽隊のリーダーがラッパを高らかに吹き鳴らしてて盛大である。

そうこうするうちに通しが始まって。奥に村松君や我妻さんが一列で正座して並んで踊りがはじまる。音楽が何度もリフレインしてワクワクする。

あっ、夢の話です。

らくだの夢は大抵、出番なのにもう始まってるというのが多いです。全然場所がわからなくて焦りまくる。ひどい時は終わってしまう。「あー、麿さんに怒られるなあ。」どうか夢であってくれ。

鉄割アルバトロスケットの夢もよく見ます。鉄割は大概台本を覚えてないというのが多い。

このあいだ見たのは、演目がまったくわからなくなる夢。

てつわり本番中。今どこまで進んでいるのかがわからない。モニターを見るとビックバンドの生演奏で何かの演目をやっている。鉄割もここまできたか。なんて感心してる場合ではない。

昨日、休演で台本を見なかったのがよくなかったか。反省しきり。出番を終えて戻ってきた湯山が「むかいさんいなかったから。」とかなんとか興奮して低くていい声で喋っているけど何を喋ってるのか皆目わからない。

愛想笑いしながらも、今なんの演目をやっていてどこまで行ってるかがまったくわからない。まだ一回も舞台に出ていないのだ。どうか夢であってくれ!

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blue flyer. なんだろう。わからない。
posted by Mukai Kumotaro at 14:33| 日記

2018年09月17日

何必

今日は東京への移動前に京都へ。父の知り合いがやっている、京都現代美術館へ体調が優れない父の代わりに挨拶にいった。

いまは吉田カツさんの個展をやっている。

ここ京都現代美術“何必館”は八阪神社の参道・祇園に居を構える美術館でその立地だけでも驚きだが、一歩足を踏み入れると観光地特有の喧騒とは隔絶した別世界の雰囲気にも驚かされる。

考え尽くされていて、でもけっしてやり過ぎてはいない空間に絵や写真や彫刻、焼き物がこれまた考え尽くされて展示されている。

館長、梶川芳友さんの徹底した審美眼に基づく展示品と美術館の空間は静かに、でも厳しく“美”とは何なのか?と問いかけてくる。

そこに展示されているのは有名、無名を問わず梶川館長の琴線に触れた作家の作品なのだけど、来る度にその空間すべてで「お前は一体何者なのだ?」と問いかけられている気がする。

そして自分のいまの境遇や状態を省みて「まだまだだなあ。」と落ち込んだり、「頑張らねばいかん。」と発奮したりする。

“何んぞ必ずしも”との問いかけは、この世に確かなことなどはない。というひとつの答えと、本当か?それは本当なのか?との問いかけである。

芸術と呼ばれるすべてのものへの問いかけでもあり、作家と呼ばれるすべての存在が己へ問いかけなければならないことなのだ。

だからこそ、わたくしはまずは疑うという舞踏の精神とも通じるその魂に激しく共鳴するのだった。

樹木希林さんは、この何必館に撮影で訪れてから惚れ込んで何度も訪れていたようです。でも連絡して行くとかではなくふらっと立ち寄って梶川さんがいれば会うし、いなければそのまま帰る。とそんな感じだったみたい。飾らない希林さんの人柄そのままのエピソード。

セツモードセミナーの先輩でもあったし、ぜひ一度お会いしてみたかった。

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中島芭旺君ではないけれど、会いたいと思う人には自分から会いに行かなければならないのだな。
posted by Mukai Kumotaro at 18:32| 日記

2018年09月16日

ぶろぐ?

誰も見てないブログだったけれど、だんだんと見る人が出てきて反応や反響が出てきているので、細部の言い表し方に気を配らないといけません。人の悪口なんてのも書いてはいけません。これは当たり前か。。本当か?個人への誹謗中傷にも気をつけないと。

この誰かが見てるというのが、日記と違うところだな。そもそも読まれることを前提に書くweblogというのはFacebookやInstagram,TwitterというSocial Netwoking Serviceと同じことなんだな。

読まれることを前提で文章を書くことを仕事にしている人は大変だ。わざと過激に書いて売れている人もいるけれど。

毎日見ている人が何万人なんていうことになったら恐ろしい。小説で100万部突破なんてよくあるけれど、100万人が読んでいるなんて想像がつかない。

1億総評論家時代だからめちゃくちゃ言われたりするのだろうなあ。その上いまはSNS真っ盛りだからWEB上でもクソミソに言われて。それも有名税みたいなものか。

読んだ人が皆、喜んでくれればいいのだけど無理。観た人全員が良いという舞台をつくりたいけれど難しいのと同じか。しかし舞台なら不可能ではない気がするから不思議。ライブだからその場の雰囲気というものが味方になってくれることがある。

価値観なんて多種多様で100人いれば100通りあるのだから。そこで最大公約数を取ろうとすると毒にも薬にもならないしょうもないものになってしまう。

創作に毒はつきもの。人から攻撃されることを恐れていてはものなんかつくれない。そして常識的な人々の逆鱗に触れるようなものでないとつまらない。スポンサーの意向を気にしなければいけないテレビが見ていられないのはそこが原因。

作品で言いたいことが言えなくなってしまったら終わり。スポンサーなどいないので金銭的に危険。

そんな自主公演だからこそ自由に好きなことがやれるということは絶対にあると思う。

帰りたい人は帰れば良い。別にわかってくれなくても良いですよ。そういう気概があったからこそ『春の祭典』や『アヴィニヨンの娘たち』なんていうのは歴史に残っているのだと思う。

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1996年に観て、生まれて初めて立って拍手したダムタイプの『S/N』。気がついたら立って拍手してて、「はっ」として周りを見たら会場の、本当に全員が立って拍手していた。あの感動はいまも忘れない。
posted by Mukai Kumotaro at 11:17| 日記

2018年09月15日

料理について

料理と作品づくりは似ています。だからか師・麿赤兒は一切料理をしないとか。

作る人がいない時も缶詰しか食べないというから徹底している。普段、作品づくりをしているのに他に何かを作るのが嫌なのだと思う。面倒臭いというのもあるのか。

わたくしは一人暮らしなので料理します。

まずはカレー。最近はもっぱらゴールデンカレーです。牛脂不使用、添加物も不使用。結構美味しいです。

まずは玉ねぎを飴色になるまで炒める。これが肝要。玉ねぎは炒めれば炒めるほど甘くなります。

肉は安売りのを買ってきてラップをはずして水気を拭き取り、塩を振ってそのまま冷蔵庫のチルド室へ。三日ほど置いとくと味の凝縮した熟成肉の出来上がり。

牛肉ならば圧力をかけるととっても柔らかくなります。

野菜をぶち込んで煮込んで、時間があれば一回冷やすと味が染み込んでさらに美味くなります。冷える時に味は染み込んでいくらしいです。

次は鶏肉のさっぱり煮。安物の骨つき鶏肉を酢と醤油と砂糖で煮込むだけ。ジャガイモや大根や卵など自分の好きなものを入れて。生姜を入れるとさらに美味い。酢が効いてて甘じょっぱくて匂いもタマランチ会長です。

最近は器にも気を使ってます。これは本当に大切だと思います。たとえコンビニで買ってきたお惣菜でも、一手間かけて器に盛りつけ直すだけで気分が変わります。

小沢昭一さんが料理人の「工夫にナキ、心遣いにシビレ、味に感動するのです。」と仰っていますが、やはり一手間かけるかどうかなのだと思います。

この辺の匙加減が作品づくりと同じでやりすぎるといやらしいし、さりげなく気を効かせる。というのが大事。この辺になるともう勘とセンスの話になってきますが。

このあいだ、実家で親父に晩ご飯を作ったのですが「四流の料理屋。」と一刀両断されました。へんに格好をつけてお洒落に盛りつけをしたのが失敗。

ありのままで格好をつけずに普通の盛りつけをすれば良かったのだ。と勉強。

雑誌、ブルータスでいま料理の特集をやってますが、写真映えするように格好良く盛り付けるとかお洒落とかはどうでもよくて味で勝負の店、

本当の本物はいくつあるのだろう。

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今日の朝ごはん。明日のチラシ撮影のために移動なので、冷蔵庫の中のものを全部煮込んで卵でとじて雑炊に。
posted by Mukai Kumotaro at 21:44| 日記

2018年09月14日

バニョレ?

1996年6月7日から20日まで伊藤キム作品、振付コンクール本戦参加のためフランス・バニョレへ。

いまはもっとだと思うけれど20年前、すでにパリ郊外のバニョレはアフリカからの移民ばかりでちょっと異様でカッコよかった。

パリではあまり黒人を見かけないと思ったら城壁から中へは入れないようにしているんだって。さすがは意地悪なフランス人。パリでは英語で話しかけても無視されることが多いけれど、「ここはフランスなんだからフランス語を喋れよ。」という人たち。

それはさておき、13泊14日という長丁場。だけどコンクールの本選は一回という短期決戦。体調管理に苦労した。

到着して次の日にゲネプロ。時差ボケでまったくからだが思うようにうごかなかったのを覚えている。フワフワと浮いてるような感じで、現実感がまったくなく力が全然入らなかった。

だけど本番は1週間後。そこから各国の本線参加代表グループの作品を観まくった。

フランス代表の終演後「ブラボー!」の嵐だったけどまあまあの拍手で。わたくしは全然良いと思わなかったのを覚えている。一緒に観ていたキムさんも「本当に感動していたらあんなもんじゃない。」と言ってた。

あとのグループのことも日記に事細かく書いてあるけれど、これ以上はやめておきます。評論家ではないのだし。

しかししょうもないコンテンポラリーダンスを観て腹を立てていたと思う。「舞踏はまだまだ外へ出ていくべきだ。」と書きつけてある。

バニョレのこともこっぴどく書いてある。
6/11 20:30〜 バニョレフェスティバル初日
「これは振付の優劣を競うコンクール、品評会なのだ。下らない、こんなものは消えてなくなっていい。馬鹿な客、能天気な出演者。いんたーなしょなるだかなんか知らないがこれじゃミソもクソも一緒という感じだ。フェスティバル自体の質を疑う。どんどん伝統化してどんどん化石化して行ってそして消えてなくなれ。」

痛烈に批判していたバニョレはしばらくしたらその通りになくなった。けれどいま調べたら名前を変えて残ってるみたい。

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バニョレのポストカード。は洒落乙。
posted by Mukai Kumotaro at 07:48| 日記

2018年09月13日

新月?

先日は、新月だったので色々と新しいことをはじめる。新月は新しいことをはじめると良いのだそう。迷信か。でもいい。

ふたつの太陽メキシコバージョンのために映像を見る。この映像を見るという行為が本当に苦手です。自分のつくった作品の未熟なところ、力が及ばなかったところが目について。

そして作品をつくっていた時の苦い思い出などが一気によみがえる。何度も何度も繰り返し反芻していたのを、また見なければいけない。

嫌だなあ。という気持ちを振り切って思い切って見る。そうするとなかなか面白かったりして。こうすればもっと面白いな。とアイデアが浮かんでいい時間を過ごす。

データで見たので画像が悪く途中まででやめて、東京に戻ってDVDで見ることにする。宿題。

申請書を書く。舞踏の限りなくゼロに近い観客数という問題についての企画。その問題を解決する。なんていう大袈裟なことではなくて、少しずつ需要を増やして観客層の拡大を草の根的に地方からやっていく。そんな企画。

種を植え、水をやり育てていく。そのことが需要が限りなくゼロであるという問題の解決に微力ながらつながっていくのだと思う。

常に廃業の危機の際を心配しながら歩いている。そんな不安を抱えずに仕事ができるようにしたい。

売れて舞踏を有名にするというアプローチもあるけれど、職業として食べていけるように成立させる。そのために。

能も狂言も歌舞伎も最初は職業ではなかった。落語が職業になるのは江戸時代。最初はやはり大道の芸だったんだな。

素人が副業でやっていたのがプロとして専門でやるものがあらわれた。新しい職業が生まれるのは時代の要望もあるのだろうなあ。

そういう風に考えると舞踏は、もう時代が要望していないから需要が限りなく少ないのかもしれない。しかし、これから必要とされる時代がまた必ず来る。そう猛信して続けていくのだ。

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能や狂言のルーツはインドにある。インドの神様ポスターTIRAKITA.com
posted by Mukai Kumotaro at 07:59| 日記

2018年09月12日

宿命

「運命は変えられるが、宿命は変えられない。」と親友の天才喜劇俳優・奥村勲氏が言ってますが、そうかもしれねえ。

天皇家に生まれたという宿命は変えられない。奉りあげられ、悪くいうと利用され最後には責任を負わされる。か。

日本人は、すぐに責任というけれど、そういう政府をつくった全ての大人の責任でしょう。国家社会主義ドイツ労働者党も合法的に国民が選んだ政府だし。

いまもし日本が戦争をはじめたら、投票をした人も棄権した人も関係なく、そういう国にしてしまったわたくしも含めた全ての大人の責任だと思います。

話しは変わりますが、いま地方では議員の成り手がなくて困っているとかいうニュースを見たけれど、時代が変わって来ているのだから議員制度なんて無くしてしまえばいいのでは。

だいたい議員なんて代議士で国民の代弁者。わたくしたち国民に主権があってあの人たちはただの人形みたいなものです。

それが人形なのに税金を2,000万ももらってるのだから、年収200万の人形遣いの代弁者になれるわけがないです。

不正、隠蔽、偽装、水増。。嘘ばかりで自分と自分の周りの人間の利益や利権のことしか考えない。そんなリーダーや政治家、官僚ではなくて本当に天下国家のことを考える、維新の頃の政治家・西郷隆盛や坂本龍馬のような人物が出てきてほしいなあ。夢物語か。

人間は嘘つきで自分のことしか考えない生きものだけど、それは死ななければなおらないのかもしれない。

海が死ぬ けふも死ぬ 日が暮れる

月が死ぬ けふも死ぬ 夜が明ける

時が死ぬ けふが死ぬ 人も 死ね

惜しげなく いくたび死んで 時がまたくる

死ぬ海の 死ぬ月の うつくしさ

色あせず 暮れもせず のこるなら

人だけが醜からう 人も 死ね

吉原幸子『瞬間』

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人としての昭和天皇の人柄がわかるある夏の日の記事。側近が暗殺された2.26、亡き娘の命日、ヒロシマ、ナガサキ。何か悲劇があった日は外出を一切しなかったとか。見習おう。
posted by Mukai Kumotaro at 16:35| 日記

2018年09月11日

1996年春

「お前は自分を狭苦しく感じている。お前は脱出を夢見ている。それもいいだろう。だが蜃気楼に気をつけるがいい。脱出するというのなら、走るな、逃げるな。

むしろお前に与えられたこの狭小な土地を掘れ。お前は一切をそこに見出すだろう。虚栄は走る。愛は掘る。たとえお前がお前自身の外に逃げ出したとしても牢獄はついて回るだろう。

だがもしお前が中に留まって自身を掘り下げるならばお前の牢獄は天国へと突き抜けるだろう。」

そういえば1996年の春頃、『パニックエンジェル』というシリーズ物のVシネマに出演した。はじめての映像出演で、なんと狸穴善五郎とW主役。

わたくしたちの前に村松卓矢と大友透もW主役で撮影を終えていて。楽しそうに話してるのが面白かった。こちらは舞台が銀行であっちはバスだった。

初日に狸穴くんが大遅刻して雰囲気は殺伐として。滑り出しとしては良くなかった。撮影は毎日深夜に及んだけど若いのでそんなのへっちゃら。その後撮影は、好調に進んでクランクアップ。素人なりに張り切って精一杯頑張りました。

頭の弱い弟役で、まみちゃんが兄貴役。兄弟で次々と女性をレイプするという極悪非道な役。だけどそんなに酷くなくて結構笑える演出だった。

「俺たちゃ強姦ブラザーズ、ラブリラブリラブリ〜。愛してる〜」主題歌をスタジオで録音したなあ。
日記に書きつけている言葉とのギャップが関係あるようなないような。

この映画をステップに本編に打って出ようと目論んでいたイデ監督元気かな。そしてビデオはもうラクダカンにも残ってないかも。幻の主演作なのでした。

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同じ頃、狸穴善五郎主宰の“ライズーム”の旗揚げ公演が行われた。麿さんに「今回、むかいは男を上げたな。」と褒められ。お芝居はへなちょこな向雲太郎でしたが、本職の方ではメキメキと頭角を現してきていた。
posted by Mukai Kumotaro at 08:37| 日記

2018年09月10日

馬鹿と阿呆

横尾忠則さんが『アホになる修行』という本を出版されたようですが流石です。

昔からアホになろうと修行を続けているわたくしですが、まだまだアホになりきれません。関東なら馬鹿ですね。

鉄割に“馬鹿舞妓”という演目がありますが、鉄割を観た後輩が「この人たちは本当は馬鹿ではないのに馬鹿なふりをしている。何故だろう?」と思ったと感想を漏らしていました。

何故そんなことをするのか。

舞踏は舞台上で頭のおかしいふりをする。気が狂っているふりをする。そしてそれを価値観のバロメーターにしたりする。まだまだ普通だなあ。常識的だなあ。とつくり直す。

何故そんなことをするのか。

しかしわざとらしさがあってはいけません。本当に気が狂ってると思わせないといけません。だから本物が舞台に立つと喰われたりしてしまう。これは昔からよくあることです。「あっちは本物だから。」という言い訳ですね。

舞踏家は頭が良すぎてはダメですが、アホすぎてもなれない。と言われています。舞踏家には知性が必要だともされています。わたくしも若い頃はとにかく猛烈に本を読みました。

土方さんは高卒でしたが圧倒的な読書家で、当時の知性の最高峰、埴谷雄高や澁澤龍彦、三島由紀夫といった人たちを翻弄してしまうぐらいに頭のいい人でした。

反面そういうインテリたちが及びもつかないぐらいの狂気を持ちあわせた不良で、最高なアホでもありました。

知的だけど不良で想像を絶するような馬鹿なことをする。そこが格好いいんだよなあ。伝説や神話が沢山残ってますが、その神話や伝説を真似して追いかける輩がいますがそれは格好悪い。

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巨匠・細江英公撮影、土方巽。限りなく格好いい。
posted by Mukai Kumotaro at 19:22| 日記