2020年03月06日

右向け左

野田秀樹さんがウィルスによる公演中止について意見書を発表した。

下記に全文を転載します。

「コロナウィルス感染症対策による公演自粛の要請を受け、一演劇人として劇場公演の継続を望む意見表明をいたします。

感染症の専門家と協議して考えられる対策を十全に施し、観客の理解を得ることを前提とした上で、予定される公演は実施されるべきと考えます。

演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。

スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。

もちろん、感染症が撲滅されるべきであることには何の意義申し立てするつもりはありません。

けれども劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません。

現在、この困難な状況でも懸命に上演を目指している演劇人に対して、“身勝手な芸術家たち”という風評が出回ることを危惧します。公演収入で生計をたてる多くの舞台関係者にも思いをいたしてください。

劇場公演の中止は、考えうる限りの手を尽くした上での、最後の最後の苦渋の決断であるべきです。

“いかなる困難な時期であっても、劇場は継続されなければなりません。”

使い古された言葉ではありますが、ゆえに、劇場の真髄をついた言葉かと思います。」by 野田秀樹

社会の流行に流されてはならない。

社会の流れに鋭敏ではあるべきですが、それに迎合するのは芸術の死を意味する。

芸術は社会の対極にあらねばならない。

社会のありとあらゆる常識から自由でなくてはならないのです。

社会が右というのなら左を向く。左だというのなら右を向く。常識を疑って疑って「本当か?本当にそうなのか?』問いかけ続けねばならないのです。

そうして新しい価値観を想像する。新しいものの見方を創造する。こんなんでもいいんだ。こんなのでもいいんだよ。

このクソつまらなき世の中を面白く。このクソつまらなき世の中で面白くだ。

若い頃に読んだ野田さんの全演劇人へ向けた「どうか最前線で闘うものたちの足を引っ張らないで欲しい」という檄文も永久保存しています。都志にあるのでそのうち全文を記載しよう。

野田さんかっこいいなあ。

3.11の直後にAERAが“放射能がくる”と表紙にでかでかと見出しにしたら、すぐに連載をやめてしまってた。気概があるのだな。

「決してまけない、決してやめない、決してあきらめない」

先日、出会ったスリランカ人“ガヤ”の言葉を思い出した。

身勝手だとか攻撃されることをものともしないタフな精神を育みたい。検閲されても弾圧されても屈しない強靭な魂を養っておきたい。

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学園祭のポスターみたいになってしまった。
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2020年03月05日

魔法の油

魔法のオイルと呼ばれる“パーム油”

スーパーに並ぶ商品の約半分に含まれていると言われる。

食品への利用が全体の8割を占めるが、ほかにも、食器・洗濯・掃除用の洗剤やシャンプーにも使用され、石けんには主成分として含まれている。

コンビニやスーパー、外食チェーン店などのフライドチキンやコロッケ、またドーナツなどの揚げ油としても、日本では広く使用。

実際の原料表示では、次のような名で記されている。

植物油・植物油脂・ショートニング・マーガリン・グリセリン・界面活性剤、etc...

数多くある植物油の中でも、パーム油が世界一消費される植物油なのには理由がある。

まずはその使いやすさ。

パンやお菓子、洗剤など、さまざまな商品に利用できる。また、食品に使用するときは、トロっとした食感も、サクっとした食感も出せる。

他の植物油と違い、肥満や心筋梗塞を引き起こすとされるトランス脂肪酸を、ほとんど出さずに加工できる。

さらに、苗を植えれば、年間を通して収穫できる時期が約20年以上つづくとか。つまり、他の植物油に比べて、生産効率が高く、その収量が桁外れに多いのです。

価格が安いことも、魅力の一つといえるとか。

そんな良いことずくめで世界中で需要が増え続けてる、パーム油がもたらすさまざまな問題。

「パーム油が、世界中で幅広く利用される一方で、その生産にともなう開発は、東南アジアの熱帯林破壊をもたらす原因として指摘されてきました。

また、火災や泥炭地開発がもたらす気候変動への影響、開発に伴う人権侵害、アブラヤシ農園での劣悪な労働環境など、生産に関わる問題は深刻なものばかりです。」

うーむ、どれもこれも大変な問題だな。

「この、アブラヤシ農園の開発に伴う、森林や泥炭地における火入れの影響は、特に問題視されています。

インドネシアやマレーシアの森林や泥炭地の火災は、毎年、雨が少ない乾季に多発しますが、その原因の多くは放火だと考えられています。

水が抜かれて乾いた泥炭地は、非常に燃えやすくなっているうえ、雨季が来るまで完全に火災を消し止めることが困難であることから、大量の温室効果ガスの発生源となってしまうのです。」

うーむ、これはもはや犯罪だな。

「無計画なパーム油生産の拡大は、熱帯林を減少させ多くの野生動物からすみかや食物、そして命を奪ってきました。」

これも問題。

「パーム油の生産が引き起こしている、さまざまな問題を解決するうえで、現在もっとも重要なのは、環境や地域社会に配慮した“持続可能なパーム油”の生産を広げることです。

WWFジャパンは、持続可能なパーム油の普及をめざし、その生産国であるインドネシアと、消費国である日本、双方への働きかけを実施しています。

消費者の皆さんが、環境や社会に配慮して作られたパーム油が使われているのかどうか関心を持つ。メーカーに問い合わせして聞いてみる。

こうした1つ1つのアクションが、持続可能なパーム油への需要を高め、原産国が森の環境を守る機運につながります。」

了解です。気にしてみます。

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RSPO『持続可能なパーム油のための円卓会議』承認製品とRSPOマーク。制作:Kumotaro Mukai.

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2020年03月04日

translation

マーセル・セロー著『極北』を読了しました。

翻訳の村上春樹さんが書いているように“近未来小説”ともいうべき物語だった。

近い将来に来るべき地球のお話しか・・・

戦争なのか気候変動なのか放射能なのかウィルスのせいなのか、あるいはそのすべてか小説のなかでは詳しくは描かれないが、人類はほとんど死に絶えている。

極北に生き残った人間は廃墟の中で原始時代さながらの狩猟生活をしながら人に怯え人を怖れ、ひっそりと隠れながら生きている。生き延びるために武器は手放せない。

襲撃者が殺人、略奪をおこなうからだ。捕まれば奴隷にされる。

平和な時のような優しさや思いやりは人間には残っていない、どこまでも冷たく乾いて不安に満ちた世界で主人公はタフにサバイバルを続ける。

小説の内容は何度も「えっ」と驚かせられる意外性に富んでいて、一気に読み進んでしまいました。ラストにはわずかな希望が残される。

小説の内容もさることながら、翻訳された文章が上等なのでしょう。翻訳しているのがノーベル文学賞の候補になるような超一級の小説家だものな。

海外の文学は翻訳された文章がへんてこなことが多い。なかなか読み進むことができなくて、途中で断念するのはその問題が大きいと思います。

文才というのは天性のもの。訳は合っているのだろうけれど、文章に魅力がなかったりするのです。

そんな中でいまでも覚えている面白かった名訳の小説は、やはり翻訳しているかたが上手だったのだろう。

若い頃に読んで衝撃を受けたスティーブ・エリクソンの『ルビコンビーチ』は島田雅彦さんの翻訳だった。

“ふたつの太陽”の制作のために読んだ『ヒロシマを壊滅させた男 オッペンハイマー』の翻訳は、池澤夏樹さんで資料として読んだけれどノンフィクション小説として単純に面白かった。

雑誌“Coyote”で読んだジャック・ロンドンの『野生の呼び声』は柴田元幸さんの翻訳だったけれどかっこ良かったなあ。

アウシュビッツ絶滅収容所に収容されていた心理学者、ヴィクトール・E・フランクルが書いた名著『夜と霧』は霜山徳爾さんと池田香代子さんの二人の翻訳版が出ている。

それぞれ興味深い違いがあると新聞で読みました。

名著とかいいながら恥ずかしながらまだ読んでいないので、池田さんの新訳をみすず書房に早速注文。

井上陽水さんの名曲『傘がない』をロバート・キャンベルさんが翻訳した。

タイトルを当初は “I've got no umbrella” としていたけれど、陽水さんに見せたらダメがでた。

「傘というのは、生きているうちにある色んなことから自分たちを守ってくれるものだから、誰かのものであってはならないんです。」by Yohsui Inoue

結局、陽水さんのいう通りに “No Umbrella” になったが、キャンベルさんは納得がいっていないようです。

翻訳か・・・

原文で読めれば良いのだけれどなあ。

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“FAR NORTH” 高山裕子さんのカバー絵を模写。徹頭徹尾、かっこいい小説だった。
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2020年03月03日

直哉、合格、アイデア、ひなフェス

先日、後輩の小田直哉と会いました。

膝の靭帯を痛めているので最近、お酒は控えているとか。

われわれ舞踏家はからだが資本。まあでも「からだがあればいいんだよ」からださえあれば大丈夫。

怪我をしていようが病気だろうが舞台には立てます。

片腕がなくなろうが片足がなくなろうが、目が見えなくても耳が聴こえなくても舞台には立てる。惚けて右も左もなにもわからなくなっても大丈夫。

大丈夫どころかそのほうが面白い踊りができるのです。不健全な肉体に健全な魂が宿ったりもする。

大先輩の田村哲郎さんはガンにおかされながら舞台に立っていた。そしてそれは、感動的なとてもいい踊りだったようです。

ガンを売りものにするのは感動ポルノと一緒で嫌らしいけれど、感動を与えられる強い説得力は生まれたりするのだろう。

直哉に作品を創れと激励して散会、自分も作品を創らねばなあ。と思う。新しい作品を創りたい。アイデアは沢山あるのだけれど・・・

昨日は都立高校の合格発表の日でした。

娘が志望難関校に合格しました。朝6時から深夜2時まで毎日猛勉強をしていたからな。そこまでやっても合格ギリギリだとか言われて泣いていたので良かった。「おめでとう」

夢は願って努力すれば、叶うという成功体験をひとつ達成です。

夜は風呂に入っているときに『ふたつの太陽』のソロのあとについて思いを巡らす。

そのあとの展開がいまいちで気に入っていないのだけれど・・・そうか『2001年壺中の旅』と同じ展開にしたらどうかと閃く。

オープニングは1945年8月6日の広島の風景からはじまる。そして8時15分、すべてが止まる瞬間。その瞬間から群舞に入って冥界でのシーンへと続く。

亡くなって彷徨う主人公、木谷真一の独りのシーンがあってから亡者があらわれる。三途の川の船着場にてのエピソードがあってから川を渡って閻魔大王の前へ引き出される。そこへ菩薩があらわれて煙で衆生をすくって暴走機関車へ。

ケセラセラから赤玉がでてきてエンディングへ。つながっていく物語り。

そして今日はひな祭りです。

ひな祭りといえば、ひなあられにハマグリのお吸い物か。これだというような食べものは特にないのだな。お祝いだからなんでもいいのか。

色んなイベントで食べたりするものは何の根拠もないものが多いようです。節分にやるまるかぶりは、花柳界の下品な遊びからきたものだと落語のネタに残っています。

バレンタインデーのチョコレートってのも怪しくて、どうやら日本だけの風習のようです。すべて商いにつなげていく逞しい日本人の商売根性。

まあ、遊びみたいなもの。難しく考えずに楽しめばいいか。

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大駱駝艦舞踏手、小田直哉。大駱駝艦の制作体制は整っているのでらくだにいるうちに作品をどんどん創ったほうがいいのです。一歩外へ出たらリスクが高過ぎて作品を発表できなくなってくる。
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2020年03月02日

デマに振り回されるな

SNSなどでデマゴーグが拡散する。

そのデマゴーグを信じる人があらわれる。

たとえば「マスクとトイレットペーパーの原料は同じで新型肺炎の影響で今後トイレットペーパーがなくなる」

トイレットペーパーの原料は国産や北米産の木材由来のパルプであり、マスクにつかわれる不織布とまったく異なるものなのでこれは嘘です。

「中国製のトレットペーパーの輸入もできずに品切れになる」

こういうデマも流れているけれど、去年1年間の中国製などの輸入は2.5パーセントに過ぎずほとんどは国産品であるからこれも嘘である。

けれどもそのデマを信じて買い占めに走る人があらわれてしまう。

そうするとたちまち品薄状態になる。実際に欠品になり、店頭から商品がなくなる。それを目にした人がさらに購入しようとして社会的な現象になってしまう。

いっぽうでそのデマを信じない人たちもいる。

信じなくて買いに走らない人がいます。うちのワイフがこれですね。

自分は信じていないけれど、信じる人がいてトイレットペーパーがなくなることは十分にある。と考えて買いに走る人です。前日に実際に品薄になっている状況も目にしていた。

このデマを信じて買いに走る人と信じていないけれど買いに走る人が合わさって、ほんとうに品切れになってしまうらしいです。

いまこの事態が起きて店頭からトイレットペーパーがなくなっています。

マスクと同じ素材だからとか中国製だからという部分は嘘なのに、品切れになるというのは本当になってしまういわゆるデマの現実化が起こっている。

WHOはこうしたデマを“インフォデミック”『情報の感染爆発』と呼んで、ウイルスより速く拡散すると警告。

インフォデミックは社会を無駄に疲弊させるため、その抑制には情報の送り手だけでなく受け手にも、これまで以上に注意が必要になっているそうです。

こういったデマの中でも情報が確認できないものと、確認ができるものがある。

トイレットペーパーに関するデマは情報を確認できるものです。

この時の最適な情報確認のやり方がクロスチェックというもので、複数の情報をチェックするという方法。

まずは匿名の情報は鵜呑みにしない。又聞きではなくて信頼できる機関の情報を調べる。それも複数の情報機関から得たほうがいい・・・要するに落ち着いて情報を判断しろということか。

いちばん厄介なのは、情報が確認できないもの。ほんとうか嘘かわからない情報か・・・

こういった偽情報に振り回されない方法はどうすればいいかなあ。聞き流せるようなデマならいいけれど、トイレットペーパーがなくなると困ると思うのは人情。

まあでもそんなのワイフの言うようになんとでもなるのか。

いざとなれば水で洗えばいいのだし。

いずれにしてもデマに振り回されないためには、不安になる自分の気持ちを見つめて冷静になるこころが肝要。

そうして舞踏の魂とも通じますが“疑う”というこころが大切なのです。

「はい、安易に買いに走って反省しております。」

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デマによる売り切れの仕組み。

参照:2020年2月29日 朝日新聞『社会』 2020年3月2日 毎日新聞『社会』  Yahoo!ニュース 2/29 7:00   Yahoo!ニュース 2/29 8:38
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2020年03月01日

デマゴーグ拡散

コロナウィルスパニックの中、トレットペーパーとティッシュがなくなるというデマが発生。

原因はSNSによる拡散だとか。

一昨日、スーパーへといったらティッシュは「一人一つ」と書いてあって「可笑しなことを書いてるなあ。」と思っていたら昨日の朝日新聞に記事がのっていた。

ないと聞くと欲しくなる不思議な人間の心理。

右にならえは大嫌いという舞踏家ともあろうものが、まんまとそのデマにのせられて、朝イチでスーパーへと走ります。

スーパーには、すでに長蛇の行列ができていてびっくり退散。

他のドラッグストアーへと走ったら、見たこともない大行列ができていて仰天。あきらめて向かいの業務スーパーで買い物をして帰ろうと店内へ。

必要なものを買って、レジに並んでいたら米がひとつもなくなっていて不思議に思う。店員に聞いたら「昨日、家から出るなとニュースでやってたので皆さん買いだめしてるようです。」

ここにもデマがひとつ。

もう一軒のローカルなスーパーへと走って、まんまと買い占めの雰囲気に乗せられて買いだめする。

確かに外へ出るなと言われたら買いだめするしかないのか。そのスーパーにも米は数えるほどしか残っていなかった。

うちには隆夫さんが送ってくれた玄米もまだあるし、米を買いだめするのはやめました。必要以上に買うのは買い占め行為です。

しかし、このままだとそのうちに「全国のスーパーに閉店要請」なんてことにならないとも限らないのか。働いている人は感染リスクとかいうのがあるのだものな。

そんなことを考えるいっぽう「あの行列が、万が一感染した時の飛沫防止のためにマスクを買おうとする大行列だったら」と考えたら少し気分が違ってきた。

他者への思いやりのために並んでいる人々・・・

午後にもお酒を求めて遠方の格安スーパーへと走る。食べるものがなくなるともちろん困りますが、呑兵衛としてはお酒がなくなるのも怖ろしい。

スーパーへ入ったら皆さん鬼気迫る雰囲気で、すでに色んなものが品薄になり、ものによっては売り切れていた。

もちろんマスクはなくてトイレットペーパーとティッシュもなくなっている。お酒売り場へいったらアサヒスーパードライがいちばん売れていたな、ほとんどなくなっていた。

今年も3月11日が近づいてきていますが、あの時は買い占めというか略奪に近い感じでスーパーの棚がガラガラになっていた。

今回も異常な大衆心理が働いて混乱がはじまっている気がする。

夕方6時から安倍総理の緊急演説会を視聴。

ほとんど何も見ずに何も読まずに、いろんなことを堂々と演説していたので感心した。

立場上、責められたり非難されたりするけれど、ひとつの国を背負う人の姿がそこにはあった。自分にはできないことを確かにやっている人の姿がありました。

ここまで騒ぎが大きくなってしまったのはメディアとやはりSNSというものの存在が大きいと思います。

安倍さんは「断腸の思い」と言っていたけれど安倍さんだけの責任ではなくて、無自覚なすべての大人の責任なのでしょう。

子どもたちのためにも、この騒ぎがはやくおさまることを切に願います。

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ワイフが演説を隣で真剣に聞いてるなあ。と思ってたら寝てた。

参照:2020年2月29日 朝日新聞 社会
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2020年02月29日

ちぐはぐしてる

松っちゃんの作品、楽しみにしてたのに腹がたつなあ。怒りがおさまらない・・・とにかく騒ぎすぎなのです。

そうしてなんと娘の中学校が休校になりました。

安倍首相の要請で、全国の小中高校も休校するらしい。要請か・・・責任を各自治体に転嫁している。

もっと濃厚接触をする学童保育は原則開所だって。意味がなくて、矛盾してる。

インフルエンザならクラスに何人か感染者があらわれたら先ずは学級閉鎖、それでも感染者が増え学級閉鎖が続くようなら休校です。それも滅多にない事態。

それをまだ感染者もあらわれていないような、県や地域もすべて休校要請って乱暴すぎるでしょう。ここは冷静に柔軟に対応していきたいところです。

たいへんなシワ寄せが全国各地の学校関係者や両親、そして片親のひとなどに重くのしかかることになってしまいます。

やっている感を出すためだけの、パフォーマンスではないのかと言われても仕方がない。

いろんな人がシワ寄せを喰うけれど、これで感染拡大がおさまればそれでよし。感染拡大が続けばさらなる対策をすればいいだけで当の安倍首相にとってはなんのリスクもないのか。

さまざまなイベントの中止で大赤字を喰らって倒産なんていうところもあるでしょう。仕事がなくなってたいへんな人もたくさんいそう。

安部さんは何をそんなに恐れているのか。

オリンピックが中止になることなのか?自分の支持率が下がることなのか?支持率ならもうすでに下がってま・・・おっと、失礼。

マスゴミ、おっと失礼。マスコミが騒ぎすぎなのです。ワイドショーも騒ぎかたが酷いものな。そうしてどんどん過熱していくコロナパニック。

マスクも相変わらず品不足が品不足を呼んで店頭にはありません。

政府は焦ってメーカーに働きかけて24時間体制で増産しているそうだけれど、そのマスクたちはどこへいっているのだろう。

けれどもマスクは飛沫の防止には効果があるけれど、予防にはあまり効果がないのです。

少しでも隙間があると意味がないし、そもそもコロナウィルスは通してしまうとか。気密性が非常に高い“N95マスク”というマスクでも同じのようです。

昨日も記しましたが、インフルエンザの例年の感染者総数は、推定1,000万人、死者数は去年、3,000人以上です。

いま、現在の新型肺炎の感染者総数は、938人、死者数は、11人なのです。

ことの重大さは数ではないですが、比較するとあきらかに騒ぎすぎなのがよくわかります。

正当に怖がりましょう。

そして湯山が言うように、去年インフルエンザで亡くなった3,000人以上の遺族の方々は複雑な気持ちでしょう。

今回のように政府が重大視して対策を取っていれば、亡くならなくても済んだかもしれないのですからね。

へんなの。

受験を必死で頑張って期末試験も終わって「さあこれから」という全国の中高生、最後の最高の一ヶ月間の楽しみも思い出も尻すぼみです。

はあ、怒りが収まらないな。

けれども所詮は芸者風情、この『ブログ?』で気炎を上げるぐらいしかできないのか。

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マスク女子をスケッチ。

参照:2020年2月28日 2月29日 毎日新聞 2020年2月28日 2月29日 朝日新聞 厚生労働省 PRESIDENT Online 2020年2月22日 朝日新聞『マスク依存社会』より「元気な人の予防なら不要」久住英二(内科医)
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2020年02月28日

上野で中止の報を聞く

昨日は上野にて溝端代表と下見&打ち合わせでした。

電車に乗ったらやはり8割ぐらいの人がマスクをしていた。隣の小学生が布マスクをしていて可愛かったな。

自分はマスクを忘れたので、咳をしないように気をつけねば。

しかし、そう考えると急に喉がムズムズしてくるので何でやねん。まあ万が一、咳が止まらんようになったら手拭いでマスクしよう。

しかし予防にはあんまり意味がないのに、これだけの人がマスクをしているのは何故なのだろうか。不思議な大衆心理です。

たぶんワイドショーが騒ぎまくるからでもあるのでしょう。

山手線に乗ったら半分ぐらいがマスクをしていなかった。けれども予防には効果がないのだとしたら、しててもしなくても実は同じか。

マスクをしてない人の中に新型肺炎の人がいたら感染するのだな。しかしそれは相当に運が悪いというか、いまは確率的にはどのぐらいなのだろう。興味が尽きない。

手すりや吊革には触らないほうがいいのは知ってるけれど、マスクをしていても皆さん気にしていないようなので「手洗いはしたほうが良いですよ。」と心配になる。

うがいよりもこまめに水を飲むほうが良いとテレビで言ってたな。しかし新型肺炎の場合はどうなのだろう。いま調べたらやはり予防効果があるようで、口の中が乾燥するのが良くないようです。

今日の打ち合わせと下見は"Tokyo Tokyo Festival"の企画です。

上野の噴水広場で金粉ショウをやろうとしています。上野はヘブンアーティストのゴールデンズ時代によく活動してたけれど、こんなに良い場所でやれるのは東京都との企画だからです。

ヘブンアーティストの頃は「なんでやねん」と思うぐらいに、日の当たらない片隅でやってたものな。

打ち合わせのあとにせっかく上野まで来たので、東京国立博物館へ行こうと思ったらなんと新型コロナウィルスのため閉館してた。「ガーン」別に中で喋るわけでもないだろうにへんなの。

そしてなんと、大駱駝艦松田篤史公演『まだら』文化庁からのお達しで公演中止との連絡が小田直哉から入った。

麿さん、怒ったやろなあ・・・

「これから皆んなでヤケ酒ですわ。」by Naoya Oda

1ヶ月以上、皆んなで一生懸命稽古してきたのに中止だものな。

文化庁ってのはあいちトリエンナーレでも助成金を取り下げたり、弱腰で情けない。気概というものがないのだろうか。

いっぽう、芸術文化振興基金から助成金をもらっている小野寺修二さんは公演をやるらしい。芸文金、素晴らしい。

政府としてはオリンピック前になんとか終息させたいのだろうけど・・・そんなことを考えていたら、超超満員の電車が到着。

自分は乗らなかったけれどなんなんだろう、本当に馬鹿みたい。へんなの。

場当たり的に対処しているからこんなに混乱しているし、とにかくメディアが騒ぎすぎですよ。

ちなみに例年のインフルエンザ感染者数は、推定約1,000万人。

インフルエンザの死者数は去年、3,000人を超えているのです。

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松っちゃん、残念だったなあ。まあしかし作品は出来ているらしいのでいつでも公演できる。Photo by Twitter.

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2020年02月27日

人類初期化

「一生に一度は、すべてを根こそぎくつがえし、最初の土台から新たにはじめなくてはならない。」by デカルト

大駱駝艦から独立するのには勇気がいった。

それまでの20年間の何もかもを捨てて外へと出る。

しかし振り返ると入った当初から独立心は強くて、いつもいくら頑張ったところで麿さんの手の上で遊んでいるようなものと納得がいかず悔しかった。

「牛の尻尾になるよりも、鶏の頭になれ」という父からの教えもこころに強くあった。

独立したら大駱駝艦で得た経験と知識も捨てるつもりで、新しく何もかもをはじめた。実際に20年間のツテも人脈もらくだかんの中にあったので、すべて置いてきたようなものだった。

それこそすべてを根こそぎ掘り返して、最初の土台から新しくはじめる覚悟だった。

いまだに、その土台は出来ていない気がする。新しい根っこは淡路島の都志に張るつもりだが、それは今年から本格的に開始です。

先日『芸術家と子どもたち』代表の堤さんとお話しする機会があって話しを聞いていて思ったけれど、場所を借りるというのはほんとうにリスクが高い。

芸術家と子どもたちは「一度も家賃を払ったことがない」と仰っていた。水道光熱費も払っていないとか。

それも素敵な運と縁のお陰だろうけれど。

そうして芸術家をすでに人の集まっているところへと派遣するので、人を集める労力も要らない。いいアイデアです。

そういえば、これから少子高齢化の時代なので『芸術家と老人たち』も必要だと強く思います。

砂連尾おさむさんがそういう活動をしていたけれど、本で読んだら面白そうだった。老人ホームへと行って、呆け気味の老人たちとワークショップをやったり作品を創ったりする。

場所代が限りなく安いというのは大切で、本気で稽古場を借りようとしている時に親切な不動屋さんに「家賃が10万円を超えると一ヶ月滞納したら終わりなのです」と真剣に忠告をしてもらった。

結局、家賃が払えなくなって手放して借金だけが残るなんてことになるのだな。怖ろしい。そういうことを教えずに「ほいほい」貸して手数料で儲けている不動屋も多くいる。

必ず焼き鳥屋になるけれど、すぐに潰れて次もまた焼き鳥屋という物件はよくあるものな。

都志の家は土地が自分のものではないので、借地代はかかるけれど田舎のこと、大した金額でないに等しい。

ありがたいことです。

さて環境破壊が叫ばれて異常気象が頻発しています。オーストラリアの森林火災はもう鎮火したのか。

世界中でナショナリズムが台頭して、あらゆるところで分断が進んでいる。

核戦争の脅威もなくならないし、テロや紛争や内乱で犠牲者や難民が大量に発生している。

この世界、地球の何もかもも一度根こそぎにくつがえし、最初の土台を新しくつくり直すところからはじめなければならないのかもしれない。

それも世界大戦や環境の大異変ではなくて、人類の人智と叡智で・・・

子どもたちの輝かしい未来のために。

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今回の森林火災で死んだ動物は10億匹以上とか。写真は助けられたコアラ。Photo by REUTERS / AAP Image/David Mariuz.
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2020年02月26日

ヒステリックコロナ

昨日は確定申告へ。

街へ出たらマスクをしてる人としていない人がいると記しましたが、電車に乗ったら80%ぐらいの人がマスクをしていて驚きました。

けれどもマスクには感染症から身を守る効果は、実はあまりないそうです。

通常のマスクは0.1μmのコロナウイルスを通してしまうのです。そしてウィルスってのは目からも入るとか。本気で予防のつもりならゴーグルもしないと頭隠して尻隠さず状態。

しかしこんな状況になるとしていないと申し訳ない気分になって、好きとか嫌いとか言っていられない。

もう少し流行したらマスク率が100%なんていう異常事態になりそうです。

同調圧力も感じる。

「なぜマスクをしない?感染拡大してもいいのか?」確かにこの状況だと全員がマスクをしないと意味がないようにも感じた。

「自分に感染してよくても80歳以上のひとに感染させたら命の危険があるのだからたいへんだ。」とも思った。

だがマスク不足は相変わらずで、どこへいってもマスクがまったく手に入らないのでどうしようもなかったりもする。

朝から並んで買うような状況で、東京ではマスクの奪い合いがはじまりつつあります。地方はどうなのだろう・・・情報は日本国中、全国各地に届いているのだからどこでも同じなのか。

中国ではマスクの強奪も起こっているとか。福岡ではマスクをせずに咳をしている人がいると緊急停止ボタンが押された。

日本中、世界中でコロナウィルスが原因で差別やいじめが起こっています。困ったなあ・・・

何故マスクが不足しているかというと、中国で作っているからだとか。そりゃあ、手に入らなくても仕方がない。日本なんて比べものにならないぐらいに、いろんなことが深刻な状況です。

いざとなったら、手ぬぐいをマスクにしよう。本気ならば・・・まだそこまでの状況ではないか。もし手ぬぐいをマスクにして電車に乗ったら「ギョッ」とされるだろうな。

あとは布マスクを手作りすればいい。ワイフと娘によるとすぐに出来るらしいです。

そして、色んなイベントや集まりがどんどん中止になっています。

仕方がないな・・・仕方がないのか?感染拡大を止めるのは人と人の接触を防ぐしかないないけれど、そんなことが可能か?

不要不急の集まり・・・大した用事ではない場合か・・・こんな注意喚起では仕事は休めない。

とにかく満員電車通勤をなんとかしなければいけません。そうじゃないといろんな集まりの中止が馬鹿みたいです。

壺中天での松田篤史の公演はどうなるのだろうか。

「そのイベントが組織・会社にとって本当に重要か考えて欲しい」by 専門家ら 日本テレビevery.

松っちゃんの作品発表は、大駱駝艦にとって本当に重要だから断固としてやるべきだな。

そういう意味では「オリンピックが日本にとって本当に重要なのか?」

本気で考える事態に成りつつあるのかもしれません。

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マスクの買い占めは切実にマスクを必要としている人たちへの配慮に欠ける行為。

参照:「元気な人の予防なら不要」久住英二(内科医)2020年2月22日 朝日新聞『耕論』 2020年2月25日 毎日新聞『国際』 2020年2月26日 朝日新聞『天声人語』
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2020年02月25日

新しいことをはじめる

昨日は新月でした。

新月は新しいことをはじめるのにいい時、ということでさまざまな新しいことをはじめました。

『ブログ?』を記してから時計の電池を替えたり、雛人形を飾ったりと最初に家の中のことをいろいろと新しくしていきます。

次に自分の仕事のことをはじめます。

まずは3月、富山のイベントの内容や諸々を考えはじめます。富山は劇場のロビーでの公演と大道芸っぽい感じなので場の雰囲気を見ながら臨機応変にいこうと思う。

着いてすぐに本番だからその場での閃きが勝負だな。

控室から登場して現場でいろいろと準備して金粉を塗りはじめる。養生のシートを用意しなければ。金粉を塗ってる時に人が集まってきたら客入れというか喋りながらやればいいか。それも現場だな。

塗り終わったら口上は要るか・・・

投げ銭を頂くわけではないから口上は必要ないような気もするけれど、舞踏についての説明をしても良いかもしれない。

建一郎の音が入るけれど、喋りは城崎の時もあったからどちらでもいけるでしょう。

どっちが良いか・・・

うーむ、わからん。これも現場の雰囲気を見ながらでいいでしょう。

一応、喋る言葉はそれぞれ用意しておいてと。終わってからグランドフィナーレとかいうのがあるらしいけれど、富山から大阪まで建一郎の車で帰るので我々は不参加です。

ゆっくりともう一泊できればいいけれど、予算内でのやり繰りなので仕方がない。

その次は4月、都志公演のことを考えはじめます。

こちら公演というか近所の人への顔見せ興行です。なので時間は30分ぐらいでいいか。1時間はやりすぎだな、長すぎる。

内容はどうするか・・・金粉がわかりやすいし面白いのでそうするか。

最近、金粉が多いけれどそれも社会からの要請なのか。派手でわかりやすくて面白いからなあ。ザッツ・エンターテイメントの金粉ショウ。

だんだんと難しいことをやっていこう。観客を育てるというのも必要なのです。間口は広く、奥は深くだな。

入場料金を取らないつもりなので湯山へのギャラは自費になるが仕方がない。なので湯山が出演するのは1日だけだな。経費でいちばんかかるのは人件費なのです。

1日をチームでやって1日はソロにするか。

まずはソロでやって、2日目にチームでやるとか。音は都志公演はカラオケでいいか。残念だけど建一郎を呼ぶ予算がないからな。

8月の夏合宿は来てもらおう。こちらは多少は予算が組めるだろう。それも合宿生が集まればこそだけれど。

助成金を調べてみるか。兵庫県の助成金があったな。

軌道に乗るまでは助成金頼りになっても仕方がないのです。

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チラシ用に地図を作成。三ノ宮から最寄りの五色バスセンターまで約1時間半です。五色バスセンターからデュ社本拠地までは3分です。
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2020年02月24日

ウィルスってなんだろう

新型コロナウィルスがだんだんと流行しはじめたのか。

これからどこまで拡がるのか・・・

春節の訪日客を止めずに利益を優先した安倍さんの責任だと、巷ではもっぱら喧伝されているようです。

もちろん新聞やテレビではそんなことは言えませんが。

中国ではコロナウィルスの責任問題で習近平さんが失脚しそうです。共産党には権力の座を虎視眈々と狙っている人が大勢いそうだからな。

先日、テレビを観ていたら感染専門医が「おさまるまでに数ヶ月かかるかもしれない」と言っていた。

このままではオリンピックがピンチですが万が一、中止になったらもうこれは呪われているとしか思えないです。

いま一歩、街へ出るとマスク姿の人が溢れているかというとそうでもなくて、マスクをしている人としていない人の違いを観察していると興味深い。

女性はマスクをしている割合が高いです。

普段から危機管理に対しての意識が高いのか。夫婦連れでも奥さんがしていても旦那さんはしていないことが多い。

男性というのはそういうことには無頓着なのかもしれない。自分はマスクは臭いし苦しいし鬱陶しいし煩わしくて、嫌いです。

先日、風邪をひいた時は咳による飛沫防止のために仕方なしにしていましたけれど、普段は滅多にしません。他人がしているのもあんまり好きではありません。

防止のためなら仕方ないけれど、予防のためにしているのは自分さえ良ければという風に見えてしまう。

しかし、女性がマスクをしているのは目だけが見えてイスラム女性が顔を隠しているのと同じでミステリアスでセクシーではあります。

自分さえ良ければいいという態度の最たるものは買い占めです。嫌らしい買い占めという行為。

けれども人間というのは、突き詰めていけばそういう生きもの。

平和なときに思いやりがあって優しくて親切なのは当たり前で、戦争のような非常時にどういう態度をとるのかで人間の本性が見えてくる。

『ぴちがい裁判』の制作時に核シェルターを調べていたら、機関銃とセットで売っていてびっくりした。

自分だけ生き残ろうという究極のセットだけれど、それが人間の姿を象徴しているのかもしれないと思ったりした。

マスクをしていないおじいさんもいれば、いっぽうで白いマスクの上に黒いマスクをしているおじいさんを見かけて「ぎょっ」としたりもする。

未知だから怖ろしい、新型コロナウィルスの流行。

ウィルスってのは何なんだろう?

大駱駝艦の創立40周年公演が『ウィルス』というタイトルだった。

「全宇宙生命の創造と破壊を設計したあなたのゆったりとした微笑に私は哄笑で答えよう ヒトは大悲のウィルスとなったのだから」by Akaji Maro

35億年前から存在しているというウィルス。

何かに寄生しないと生きられないウィルス・・・

しかしこれは麿さんが語るように、人間を含めて全生物に当てはまることか。地球に寄生している人類、地球にとって最悪の働きしかしていない人というウィルスのようなもの。

そして生きものは決して自分だけでは生きられないのです。

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ドイツ、ブルーリン城での振付フェスティバル"exit"にての仮装パーティーで防護服とマスクをして「舞踏ウィルスから身を守ってるんだ。」と言っていたファルコン。冴えてたなあ。Photo: schloss bröllin e.V. / Peter van Heesen.
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2020年02月23日

日本の外へ

舞踏家集団デュ社、副代表の湯山がカナダでの仕事を終えて帰国しました。

羨ましい・・・世界中から移民を受け入れ、史上はじめて多文化主義を法制度化するなど世界最先端の国、カナダ。

1月28日から2月20日までの24日間の滞在でした。今回もなかなかの日数だったな。前回も1ヶ月近く滞在していた。

引き続き、カナダ人アーティストと作品を共同制作しています。

今年の10月に作品発表の予定だそうで楽しみ。発表の場はまずは京都です。

さてあらためまして、そんな湯山大一郎のプロフィールです。

京都府京都市出身、在住。

2003年に大駱駝艦に入団し以降、大駱駝艦のすべての本公演に出演。らくだかんのアトリエである壺中天の公演にも新作20作品以上に出演。

壺中天は通称“舞踏虎ノ穴”と呼ばれ1年365日、1日24時間、切磋琢磨し腕を磨いている場所で、空間が狭く一挙手一投足がよく見えるので舞踏手にとっては手強い空間なのです。

高校3年生の時にアメリカ、オハイオ州に1年間のアメフト留学を敢行。真剣にプロアメフト選手を目指していたというから向こう見ずというか、パイオニア精神が強いのだな。

その時の経験を活かしてらくだかんに入団以来『無尽塾』『白馬合宿』をはじめとする、2003年以降の活動のすべてで通訳を担当。

麿赤兒の通訳を長く務めていたのは、とんでもなく貴重な経験なのです。

2011年、宮本亜門さん演出『金閣寺』神奈川芸術劇場の初演から2014年までのすべての再演に出演。

2012年4月に処女作『大正解』を演出・振付・主演して大駱駝艦のアトリエ壺中天にて発表。これは都志で再演しよう。

2012年には唐十郎さん脚本・演出、唐組金沢公演『海星』にも出演。

2015年9月にジェームス・マディソン大学での共同創作作品“Memory of the Land” 於:Exile Stauton, VA, U.S. 出演・演出・振付。

10月にはLEIMEY Ludusとの作品創作企画: “Gappies” 於:Cave, Brooklyn, NY, U.S. 出演・演出・振付。

2016年8月、現代美術作家、山下昇平さんの個展『主菜は英雄のお肉』イベント“みちづれの夜”の演出・主演。

2017年11月、山下昇平個展『雨と舟』オープニングイベント“水面の声”に出演。

2018年3月、大駱駝艦を退団し舞踏家集団デュ社に入団。

2019年8月、『EXIT』振付フェスティバル招聘 於:ドイツブルーリン城。

2019年11月、デュ社第四回公演『舞踏?レクチャーパフォーマンス』於:城崎国際アートセンター。

湯山は舞踏家として英語が達者なのが武器、どんどん日本から出て舞踏の伝播に貢献してもらいたい。

自分自身は日本国内での活動にこだわっていたけれど、いっこうに埒が開かないのでこれからはどんどん日本の外へ出ていこう。しかし言葉の問題が・・・まあでもそんなのは何とかなるもの。

そして言葉が要らないのが舞踏の魅力。

場さえあればことばを超えてこころを打てるのです。

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舞踏家集団デュ社副代表、湯山大一郎・・・なかなか男前。Photo: schloss bröllin e.V. / Peter van Heesen.
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2020年02月22日

いい経験

娘の受験が終わりました。

毎日毎日、朝6時に起きて深夜2時まで勉強し続けていた。

「夢見ることができれば それは実現できる」そう机の前に貼り紙して日々、努力をし続けていた。

発表はまだ先だけれど、そこまでやっても合格しないかもしれないのだって。

そんなに厳しい世界があるのだとはじめて知ったかもしれない。オリンピック選手でも寝不足になるぐらいまでは練習しないだろう。

しかし、人生に一度ぐらいはそんなことを皆さん経験しているのか。

いま朝6時に起きて深夜2時まで仕事をしている人がいたら、心配になるな。おいおい、それってブラックだぞー。

受験戦争か・・・

それをビジネスとして喰いものにしている奴らがいる。そういう輩は霊感商法と同じで不安を煽ってくるので気をつけましょう、ましょう、魔性の商売。

いっぽうで熱心に子どものことを考えて指導してくれる先生もいるのだけれど。

そこまで厳しい世界に身を置いて「その先には何があるのか・・・」とも思う。社会の敷いたレールに乗れば、必ず幸せになれるのだったら良いのだけど。

一流大学へいき、一流企業へ入る。

一流企業で給料が良いから満員電車なんて乗らなくていいのか。自家用車で通勤する。

結婚して子どもが生まれて夫も育休を取ってくれて順調に子育ても終える。課長になって部長になって専務になって、その頃はハイヤーで送り迎えだな。

無事に定年になって一流企業だから相当な退職金をもらって、それで南の島に家を建てて陶芸をやりながら余生を送る。

「うーむ、悪くないだろう」

自分自身は中学2年生ぐらいではやばやとドロップアウトしたので、受験戦争なんて経験したことがない。

兄貴が猛烈に勉強していたけれど今回ほど親密ではなかったので実感しなかった。どころか猛勉強に励む兄貴をチラ見しながら遊び呆けていた。

兄貴は一流大学へ入り一流企業に入り猛烈に仕事をしている。そういう猛烈な運命なのだな。けれども幸せそうなので良かった。それが一番。

人生の目標なんて幸せになることといっても過言ではないでしょう。

朝6時に起きて深夜2時まで努力をしたのは大駱駝艦に入ってからだな。創作の魔力に魅入られて猛烈に働いた。

けれども努力は必ず報われるものではなく、どれだけ傑作を夢見て努力を続けても実現しないこともあるのだと身に沁みて体験した。

どれだけ頑張っても報われないことがある。いくら夢見ても実現できない夢もある・・・

自分は子どもの頃からそう達観していたのかもしれない。

挫折の毎日。挫折人生だな。そうして舞踏家なんていうこの世にまだないなりわいを選びとっている。

それでも生きている。

いや生きさせて頂いている。ありがたいことです。

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いまは叶わなくてもいつかは叶うもの、それが夢か。
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2020年02月21日

笑顔

今回、ワークショップをやっていたのは特別支援学級でした。

スマイル学級というとても雰囲気の良いクラスだった。

最初は「なぜ分けるのだろう」と疑問に思っていた。

けれども一緒にワークショップを重ねるうちに、こちらのほうが自然なかたちなのかもしれないと思うようになってきた。

色んな個性の人がいる多様な社会そのもののようなクラス。

1年生から6年生までが同じクラスで一緒に学んで共に生きていく。6年生が2年生の面倒をみたりしてる姿がまるで兄弟みたいで、素敵だった。

その雰囲気をつくっているのは今回、呼んでくれたチームリーダーである岡田先生。

自分がワークショップと学園祭での発表をやった特別支援学校に前はいた。

石神井の特別支援学校は重度と言われる子どもたちが集まっていて、入ってみるとなんというか皆さん動物みたいでその動物さが自然というか本来の人間の姿なのだという気がした。

コミュニケーションは言葉だけではない。

言葉を使うのが当たり前という前提さえ捨てて対すれば目でものを言っていたり、態度や雰囲気ですでにものがたっていたりするのです。

猫は、一緒に暮らしていても言葉なんて使ったコミュニケーションは取らないけれど、意思疎通は十分できる。

犬なんてもっと意思疎通が出来る。ゴリラとかだったらもっとコミュニケーションの取り方は複雑になるだろう。

コアラとか駱駝はどうかな・・・

スマイル学級には自閉症気味の子や多動とかダウン症の子がいて、その他にもそんな分類なんて関係ないような子どももいたのかな。

なぜこの子はこのクラスにいるのか?不思議に思うような子もいたけれど、なにかあるのだろう。ケーキを切れないなんていう子どもも入っていたりするのかな。

見た目で分かりやすいのはダウン症の子どもたち。

皆んな愛嬌があって人なつこくってユーモラスで、そして踊るのがとっても好きだった。舞踏というよりもダンスが向いていそう。ダウン症の子どもたちのダンスグループがあったな。

ダウン症の人たちは芸術方面に才能を発揮することが多いので、それでなんとか食べさせてもらえるような状況をつくりだす。

世界中にそういうサポート施設はあって、日本でも全国に出来てきているようです。

自閉症の子どもたちは舞踏向きです。奇妙奇天烈な踊りを繰り広げてくれます。とっても静かに踊ったり面白い仕草を繰り返したりするので観ていて飽きません。

自閉症の人たちもとんでもない才能を発揮するので、その才能をどう伸ばすかが重要。

少子化で学級はどんどん減っているけれど、特別支援学級は逆に増えているのだとか。同じ年齢で分けて集めるなんていう利便性だけを考えた作為に無理があるのだとやっと気づきはじめたか。

画一化して同じことをさせるなんていうことが出来ないとやっと気づいてくれたか。

多様であることは決して特別なことではない。

そうして多様なことを受け容れられる豊かな社会をつくっていきましょう。

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天才書道家、金澤翔子さんの作品。Photo by Google.
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2020年02月20日

エコー

子どもたちとのワークショップ、振り返っては「楽しかったなあ」と余韻に浸っております。

5回、1日2時間・・・2時間というのがやってみると手強かった。

毎回、振り回されて終わるとへとへとに疲れ果てて抜け殻みたくなっていました。

しかし、喉もと過ぎれば熱さ忘れる。

前回に拗ね気味になって、二人で長く対話したリョウスケが休んでいて残念だった。けれども同じチームのユウダイとチセアはそんなことはまったく関係なく楽しそうに踊っていた。

ユウダイとチセアは普段は踊りの才能を発揮する場所がないらしいので張り切っていた。

常に元気だったハルノ、カイト、シンゴのチームも楽しそうに遊んでいた。3人ともアイデアマンだから最後のさいごまで創意と工夫がとまらなかった。

静かな抑えた踊りをするタイガが休んでいて、二人で踊るのを楽しみにしていたので残念だった。けれども大人は一緒に踊らないほうが子どもがよく見えていいと今回、あらためて実感した。

ソラと踊っている東洋を見ても思った。大人のほうが目立ってはいけない。

ソウジロウとリコトとカノンとナナのチームも先生が一緒に踊っていたけれど、子どもたちだけにしたほうが良かったな。心配だから一緒にやりたくなる気持ちは痛いほどよくわかります。

けれどもそこは「ぐっ」と我慢して、信じてあげるほうが子どものためになるのです。揃っていなくたっていいし間違えたっていいし、どうなっても良いのです。

そして、それが面白いのだ。

そんな風に感じてカズマ、ハルマ、フク、トモキ、ソウタ、センショウ、リュウスケのチームと一緒に踊ろうと思っていたけれど、やめました。

子どもたちだけで踊るほうがだんぜん美しいのです。

石神井の学校でワークショップをやった時は、先生たちとのミーティングを重ねてだんだんと子どもから離れるようにしてもらった。

「子どもたちだけでやるなんて無理だ」という意見も最初は出たが、最後は勇気をもって離れてくれた。「手放すのは怖かったけれど、離れて観ていたら感動した。」と理解も得られた。

次回はそういうヘルプの先生たちとのミーティングもやろう。

女の子は「発表がある」とお洒落をしてきていたと、終わったあとに芸術家と子どもたちの舩元さんから聞いて「へえ」と思った。気づかなかったので反省。

全体的に振り返ると2回目の新聞をつかった日がクライマックスだったと感じる。責任者なんていない完全に自由な空間。観ているひとなんていない時間。

一瞬一瞬が二度とない掛けがえのないときだった。

帰りに「もう会うことはないかもしれない。」と彼ら彼女らの姿を見ながら思う。

けれどもそんなおっさんの感傷とは無縁に、子どもたちの日常は続いていくのでした。

「どうぞ、元気で幸せになってください。」

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子どもたちと踊るときに使おうかと思っていた扇子。結局は使わなかった。「岡田先生お疲れさまでした。ルツさんありがとう。」
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:19| ブログ?

2020年02月19日

もっと自由に

子どもたちとのワークショップが終わりました。

残念なような寂しいような「ホッ」としたような複雑な心境です。

不安なのは毎回だった。

どうなるのかまったく想像を超えてくるので、頭が真っ白になることも毎回。

そのまま子どもたちと遊んでいればいいのだけれど「それでいいのか?」という大人の視線を感じるのでそうもいかなかった。

「なんとかしなければ・・・」

そこをどう受け止めるか。の度量が子どもたちと遊ぶときには必要になってくる。どこまで遊ばせるのか。どこまでも一緒に遊びたい。自分も遊ぶ。率先して遊べ。皆んなで遊ぼう。

何かをやらなければならない。何かしらの成果のようなものが必要だとかいうこころは、子どもにとってはまったく必要のない大人の都合。

けれど、大人の世界ではそういうことが求められる。

呼んでくれた岡田先生が率先して遊ぶようになって嬉しかったけれど、他の先生とは意思疎通をしていないし目標を共有していなかったのが惜しかったな。

次回からの課題です。

教師も全員が理想とする目標を共有していれば、もっと気を使わずに伸び伸びとさせることも出来たし自分も楽だったかもしれない。

昨日はまずは一人で踊って、ペアでからだをつかってお話しをする。そしてチームに分かれて踊りをつくって発表して、最後に皆んなでからだをつかってお話しする。

という流れにしようと思っていたけれど、行きの車中で東洋に「最初に皆んなでからだうごかしたりしますか?」と聞かれて「そうだよなあ。そのほうがいいか」と思う。

最初は皆んなでからだをうごかして、最後は皆んなでからだをつかって対話をしよう。

今回は音楽家の熊坂路得子さんが入ってくれたので、何をやっても良い感じになって有り難かった。

ルツコさんのアコーディオンの音色が子どもたちの踊りを包んでくれて、とてもとても素敵な瞬間に満ち溢れた。

最後に全員でからだで対話するというのをやりたかったが、時間切れになってしまって残念。

けれども予定は未定、計画通りになんかならないのが子どもとの時間の魅力。

休憩のあと全員が好き勝手に遊んでいるのが良かった。大人も子どもも皆んな好きなことをしていて、昨日で一番いい瞬間だったように思う。

「これでは休み時間と同じだな。」と思って止めようとするけれど「まるで休み時間のように自由に遊んでいて、それを止めてまでやるようなことなどあるのか?」と自問自答する。

意味のないことをするのが舞踏。

先日の2回目のテルプシコールの撮影でも感じたけれど、舞踏家というのはほんとうに役立たず。人間のクズのような存在です。

でもそれでいい。

もっと役立たずにもっと適当にもっといい加減に、どうでもいい何でもいい「これでいいのだ」とこころを遊ばせて、からだを遊ばせて魂を遊ばせるのです。

そうして意味から永遠に逃れ続ける。

率先して社会にとってまったく役に立たない存在になる。それでこそ逆に社会での存在意義が出てくる。

そんな風に思うのです。

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ルツさんのアコーディオンで何の変哲もない体育館がパリの街角のようになっていた。
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2020年02月18日

テルプシにて撮影

鷹野隆大映像作品『Red & Green』の撮影が中野テルプシコールにておこなわれました。

テルプシコールは舞踏の聖地のような劇場。

独立して一発目のソロ『アホとロマンの皮袋』をやった場所で、久しぶりに訪れたらやっぱり趣深い、いい空間で懐かしかった。

鷹野さんの作品は、ほぼ真っ暗な中でたまにフラッシュが焚かれてからだの影が白い壁面に残るというもの。そして、その影と踊るのを撮影する。

撮影で山海塾の蝉丸さんとはじめてお会いした。

噂はたくさん聞いていたけれど、第一印象は普通のおじいさん。しかし踊りはじめたら本物のオーラを発してた。美しく気品溢れる踊り。

蝉丸さんは撮影2日目だというので、リードしてもらいながらセッションした。自分の中にはないうごきだったので興味深く導いてもらった。

大駱駝艦の塾だったところからはじまって、独立して室伏さんのあとを追って皆んなで渡欧。

路上でパフォーマンスしているのをスカウトされパリ市立劇場で毎年新作を発表するところまで行くという、若者にとっては夢のようなサクセスストーリーを実現。

パリでの高田さんの落下事故を乗り越えて、天児さんとともに世界の山海塾へとのし上がった。

フロントマンの天児さんを陰に日向に支えながら、右腕として「ずーっ」と牽引し続けている。

飲みにいくのを楽しみにしてたけれど「明日の朝に富山で積み込みなんです。」とのことで残念。

蝉丸さんの住む富山に倉庫があってトラックに舞台美術を積み込んで、そのまま北九州へ移動だとか。

北九州芸術劇場にて『ひびき』の再演。ひびきは1998年の作品か。

先日、松岡君と話したら仕事が減ってきていると口にしていた。

いまはたいへんな時だから辞められないとも言ってたな。最後までやるとも宣言していた。山海塾の最後か・・・

撮影の合間に小屋主の秦さんがいたので立ち話し。「このあいだのイベント、健在だったわね」といわれて恐縮。

「そういえば、大森が良かったと言ってたわよ」ともいわれて耳を疑う。秦さんの旦那さまは大森政秀さんといいまして舞踏の草創期から活躍されている舞踏家なのです。

「良かった、硬派でいいオドリだった。 垂直に上に伸びていって一気にバタンと倒れるところなんかは憎い! 意表を突いた。

至近距離に室伏鴻がいて、遠くに田村哲郎がちらり。

頭を床にガンガンやって室伏チックなんだけれど「イテッ」というところは向かな・・・

自分勝手にのめり込んで行かずに、その孤独が良い按配でまわりに広がっていく。 己が持つ孤独が周辺に広がって行く・・・」by Masahide Ohmori.

大森さん、ありがとうございます。

ドイツでも田村哲郎さんに似てるといわれたな。

たむてつさんは大駱駝艦の大先輩で若くして亡くなられていますが、ユーモラスな踊りをする舞踏家で自分は若い頃から好きなのです。

褒められるのは嬉しいもの。

気持ちよく足取り軽く、撮影を終えて帰ったのでした。

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蝉丸さん。63歳だったかな、とてもそうは見えない肉体だった。
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2020年02月17日

mina perhonen

ミナ ペルホネン展覧会『つづく』

とっても感性が刺激を受けた・・・その真面目なものづくりの魂にふかい感銘を受けました。

教えてくれた工藤千愛子さんに感謝です。

「せめて100年つづくブランド」と1995年に皆川明さんがたった一人ではじめたファッションブランド。

だから今回の展覧会のタイトルも“つづく”なのだな。

いまやファッションだけにとどまらずに、東京都現代美術館で大展覧会をやるほどのブランドに成長。

品のいい女性がたくさん観に来ていた。一人、とんでもなくお洒落な男性もいた。ありゃあ、ファッション業界人だな。格好をつけてるとかではなくてセンスが滲み出ていた。

上野などの博物館や美術館へ大挙してくるおじいさん、おばあさんたちとは観客層が一線を画していた。

質感と手触りを大事にして、こころを込めて大切につくられたものたちが美術館の空間に所狭しと並んでいた。

アイデアスケッチの数々が可愛くて何点か模写をした。

北欧的なデザインが素敵だと思ったら、輸入家具を扱う祖父母の影響もあり皆川さんが北欧のいろいろなものから刺激を受けているようです。

ミナ ペルホネンは、流行のスピードが速いファッション業界においてまったく時代の流行とは関係なく、良いものを素材から手づくりで生み出す姿勢を貫いている。

テレビコマーシャルとかとはまったく無縁な知る人ぞ知るブランド。

ユニクロとは対極をなすブランドだな。対極なのだけどおそらくイメージの部分、理想的にはユニクロが目指しているところなのだろう。

だけど大量消費を即す巨大チェーン態勢と、大量消費に完全に背を向けるものづくりの態度の違いは決定的。

メールを送るのではなくて、顧客に手紙を出すというのに感心した。そういうひとつひとつのローテクなことを大切にするこころが違いを生み出す。

一生着ることの出来る服、一生使うことの出来るものを生み出し続ける努力が共感を呼ぶ。

使い捨ての時代のまったく逆を進み、使い捨ての時代が終わりつつあるいまは、その活動は最先端。

糸井重里さんを筆頭に感覚の鋭敏な人たちを惹きつけてやまないミナ ペルホネン。

パリでおこなっているファッションショーの模様を映像で観たら、演劇的でとってもセンスがよくてワクワクした。

マームとジプシーが衣裳を依頼していた。

そういう時代の最先端を纏いたいという気分はとてもよくわかる。ひと昔前なら山海塾がイッセー三宅に衣裳を依頼してたような気分。

向雲太郎がもっと有名で活躍していて、自分が制作だったらやはり衣裳を纏わせたいと思っただろう。よくわかる。痛いほどわかるけれど、俺は俺です。

皆川さん、1967年生まれで同い年だった・・・

自分も己れの好きな世界をこのまま突き進んでいこう。自分を信じて、それしかない。いまはまだ報われないけれど。

その先にあるのは何なのかはわからないけれど。

「頑張るぞ」

肚の底から力が湧いてきて自分に誓ったのでした。

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展覧会を観ていて、この『ブログ?』に写真だけではなくてどんどん絵も入れていこうと思った。模写に彩色。Illustration by Kumotaro Mukai.
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2020年02月16日

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

イベント中に野村監督が亡くなられました。

84歳か・・・京都生まれだったんだな。

根っからの愛妻家でどう見ても悪妻の沙知代さんをこころの底から愛していたようです。

沙知代さんを亡くしてからメッキリ老けたとか。

奥さまが帰ってきてぽいぽい脱ぐ服を、あとから付いていって片付けてたらしい。偉いなあ。いや、愛ゆえに出来ることなのか。

「自分には野球しかない」そう断言していた。なかなか断言できるものではない。

もの凄い形相で怒ったとかいう逸話を知ると、執念のようなものを感じて師匠の麿赤兒を彷彿とする。

パリーグの南海ホークスで活躍し続けた。

600本塁打という大記録を達成した日は観客が7000人。いっぽうの巨人戦は5万人近く入っていた。

「悔しい思いもしたが、花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」

己を知る悟性だな。自分を冷静に見つめるというのはなかなか出来ることではないです。

観客が多い少ないというのは、やる気にも直結する。

土方さんも大野さんも、客が多くないと燃えなかったみたい。客が少ない方が燃えるなんていう、奥村勲みたいな役者さんもいますが。

家が貧乏だったので、バットを買えず一升瓶に水を入れて素振りしていた。

無名の高校生の時はデータを調べて正捕手の年齢の高い南海ホークスを狙ってテストを受けて、入団に成功。この頃からデータを分析するような性格だったのだな。

初打席は三球三振。

何度もクビになりそうになりながら、頭を使う野球でメキメキと頭角をあらわす。努力と工夫と研究も凄まじい。けれど当たり前か、プロだものな。

そこからの記録は数え上げたらキリがない。ワンシーズン、52本塁打は落合も並んでいるけれどいまだに破られていない。

キリがないのだけど選手時代の記憶を持つ人が圧倒的に少ないのだとか。それはやはりマイナーなパリーグで選手を続けたから。

自分も覚えているのはもう監督を兼務してて、選手としてはイマイチな印象の野村さんです。

勝つためにあらゆる手を尽くす。知略を巡らし作戦を練る。選手時代からそれは変わらないようです。

引退するきっかけは自分が試合に出たいために、味方の選手に「打つな」と思った時だとインタビューで語っていた。

監督になってからは名言が多数ある。

苦労をしているから人間洞察が途轍もない。ID野球と言うぐらいで頭のキレも抜群。常に論理的に考えているから説得力がズバ抜けている。

言葉にいちいち深いものを感じる。

「人や集団をうごかすものは言葉しかない。ほかに何があるんですか」が口癖か・・・これはどうなんだろう・・・自分が率先してうごくというのもある。あとは情熱なんてのもあるかもしれない。

人生という二文字から四つの人の生きる道を説いています。

「人として生まれる 人として生きる 人を生かす 人を生む」

自分も人を生かすところまでは行っているけれど、人を生み出すのはまだまだだな。

もっともっと素晴らしい舞踏家を生み出さないと、自分自身にも未来はない。

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1961年、日本シリーズ前の練習で長嶋茂雄と談笑する野村克也。合掌。Illustration by Kumotaro Mukai.

参照:2020年2月12日 毎日新聞 Wikipedia.
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