2020年05月23日

どこが

腹が出てきました。

全体的にからだがひとまわり大きくなったようにも感じます。

先日、奥村君にもらったぴったりしたポロシャツをきてみたらぴちぴちでびっくり。

まったく贅沢はしていないのだけれど、ついてくる贅肉・・・贅沢な悩みだな、アフリカの子どもたちに申し訳ない。

コメやパンやメンをめったに食べないようにして糖質をオフ、食べる量を少なくしてカロリーをオフ、キャベツを刻んで玉ねぎをスライスしてサラダを中心にしていても腹が出てくる。

思いついたときには稽古しているけれど、ぜんぜん足りていないのだろうなあ。

節制しても節制してもオーバーしてくるカロリー・・・

これは、もうもとに戻らないかもしれない。

とか気にしてたら「ありのままとか言うてるのにぜんぜん違うやんけ。」とワイフに突っ込まれました。

「どこが天賦典式やねん。」

たしかに・・・生まれたことがもうすでに才能であり、そのままで作品である。とかいつも言っているのにじぶんをつくろうとするこころがある。

理想と現実か。

「ひと前であるがままであれ」と「ひと前にこのからだで、いやそれ恥ずかしいでしょう。」恥ずかしいと思うきもちは大切らしいのでまあいいのか。

「恥ずかしさのないものは下品なだけである。」

土方さんとか室伏さんの真似をしようとする精神がよくないのだな。神話を追いかけるな、伝説に憧れるな。

腹がでているとか頭がはげているという見てくれをかっこ悪いとか恥ずかしいとかおもう気持ちこそが、かっこ悪くて恥ずかしいのだとさとれ。

はい。

かつらをかぶるとか衣裳をきて腹をかくすとかではなくて、逆にさらして武器に変えていくのだ。

はい。

いつあるかわからない舞台のことなんて考えずに、体型なんて気にせずに思い切って好きなものを食べてしまえ。

はい?

うごけるでぶをめざせ。かっこいいでぶになろう。

舞踏界のニューデブブトー登場・・・

まあしかし言い訳にはせずに、やれるだけのことはやろう。

そんでだめだったら開きなおろう。

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『きゃべつ』
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2020年05月22日

おおらかにいきたい

感染を過度に怖れるのではなくおおらかに生きていきたい。

インフルエンザとおなじように、うまくつきあっていくしかないのでしょう。

感染に気をつけつつ日常をとりもどしていきたいものです。

ひとは死ぬときは死ぬのです。いまこの瞬間に大地震がおこって死ぬかもしれない。今日買いものにいく途中に車にはねられて亡くなるかもしれない。

晩ごはんを食べていて誤えん性肺炎で亡くなるかもしれない。むせて窒息死するかもしれない。もちがのどにつまって亡くなるかもしれない。脳溢血でバタッと逝ってしまうかもしれない。

マスクをつけて走っていて呼吸困難になるかもしれない。

人生一寸さきは闇、どうなるかわからない。だからこそ、このいまをたいせつに生きていけるようにしたいです。

店でマスクが売られるようになってきました。昨日はビバホームでみかけてダイソーにも売っていました。

こちらお手製の布マスクがあるし、じぶんより必要とするひとがいるでしょうから購入は控えました。

テレビのニュースでやっていましたが、これからの暑い夏用にひんやりした素材のマスクとか和紙でできたマスクや保冷剤の入れられるマスクとか、皆さんいろいろと考えてどんどん進化しています・・・

夏もマスク着用がマナーになるのか。参ったなあ。まあしかしこのウィルスの特徴は感染していても無症状というところ。飛沫感染を防ぐためにはしかたがないのか。

やるべきことはやりつつ、気をつけつつ人生を楽しんでいきましょう。

いっぽう、あべのマスクは446億円もかけて布マスク1住所あたり2枚配られる予定だったけれど、不良品が続出。

回収されていまスタッフが昼夜を問わずに検品しているとか。その検品作業に8億円かかるのだって・・・

そんななか菅官房長官が記者会見で「布マスクの配布により需要が抑制された結果、店頭の品薄状況が徐々に改善された。」と説明したとか。マジか?

記者にその根拠を問われると「東京などに届きはじめてから、店頭でマスクが売られはじめたんじゃないんでしょうか。非常に効果があると思う。」と自画自賛。

あべのマスクは18日時点、13都道府県で約1450万枚しか配られていないという。配布の予定は1億3000万枚。

まだ1割強しか配布できてないのに、店頭にマスクが戻ってきているのです。

逆に恥ずかしがれよ。

厚顔無恥で嘘を嘘で塗り固めてきた、まったく頼りないこの政権・・・いまだに33%のひとが支持しているのが信じられないのです。

権力とは無縁の舞踏家は、したから見あげながらそう思うのでした。

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『アベガマスク』

参照・引用:2020年4月26日 毎日新聞 2020年5月21日 朝日新聞
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2020年05月21日

ゆめ散る

夏の全国高校野球が中止になりました。

感染のリスクとかいうのは気をつければなんとでもなると思うけどなあ。

しかし、まったく練習できないのだから仕方がないのか。夏休みもなくなるというし、どうしようもないのか。

甲子園だけを夢みて朝から晩まで汗と涙をながしながら練習してきた結果がこれか・・・

インターハイも中止、合唱の甲子園であるNHKコンクールも中止です。いままで応援してきた親たちもがっくり。

残念、無念。悔しいだろうなあ。腹がたつなあ。あたまにくる。

なんでこんなことになってしまったのだろうか・・・

やはりどう考えても大騒ぎをしすぎです。

インフルエンザの例年の感染者総数は、推定1000万人、死者数は去年、3000人以上です。 いま、現在の新型肺炎の感染者総数は、1万6457人、死者数は、784人なのです。

メディアはよくスペイン風邪を引き合いに出すけど、スペイン風邪での日本の感染者数は2380万人、死者は約38万8000人にのぼったとされる。

ことの重大さは数ではないのは当たりまえですが、騒ぎすぎたのだろうなあ。

感染を異常に恐れすぎている。

いつのまにか絶対に感染してはいけない感染させてはいけないみたいな雰囲気になってしまって、身うごきがとれなくなっている。感染しないさせないというのが、新しい道徳や正義のようになってしまっている。

その原因は騒ぎすぎたマスコミやメディアにあると思います。

つぶやいたり、SNSで情報を流してこの状況をつくり出してしまったすべての人の責任でもある。

じぶんもふくめた、すべての大人の責任。

そうして自らのパフォーマンスのためにそんな権限もないのに、全国一斉での休校要請を出してしまった安倍首相の責任。

本来ならば各自治体の教育委員会が判断して出さなけれならないのに、首相がそんなことをしたらじっしつ命令になってしまうのはあたりまえのこと。そうしていまの教育現場の大混乱です。

自らのパフォーマンスのために日本ではできないロックダウンなんてことを口にする知事がいるから、世論に押されて緊急事態宣言なんてものが出てしまった。

じぶんもそんな世の中の雰囲気にのまれて、緊急事態宣言が出るのがいいことだなんて思ってしまった。

大混乱する日本。すべて中止になってしまうイベントのかずかず。

じぶんでじぶんの首を絞めてしまった。

そうしていつでも、どんなときでも犠牲になるのは子どもたちです。

高知の名門、明徳義塾の監督さんが言っていたように「苦しいときにこそ自分は試されるのだぞ。まだまだはじまったばかり。みんなこれからだぞ、これから。」

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『さいごの夏』

参照:2020年3月7日 毎日新聞 / 2020年4月24日、5月8日、5月21日 朝日新聞 / 厚生労働省HP
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2020年05月20日

#抗議します

この『ブログ?』では、政治的な発言をあまりしないように気をつけています。

いっかいの芸者ごときが政治を語るのを、いましめているこころもあります。

師匠の麿赤兒が政治的にアナーキーであり、その「右でも左でもどっちでもいいじゃないか、原発あってもなくてもどっちでもいいじゃないか」という姿勢を見習っているというのもあります。

政治的なジョンレノンよりも、それに否定的なフランクザッパのほうが好きということもあります。

記者「なぜ、ビートルズみたいに平和や反戦の歌をうたわないんですか?」

ザッパ「いまおれはデンタルフロスの歌をうたったんだが、お前の歯は綺麗になったか?」

なので最近の検察庁法改正のことについても、ずいぶん前から知っていましたが「よくわからないなあ、なにをやってるんだろうなあ、どうなるのかいな。」と思いつつ、ここへ記すのは控えていました。

けっきょく政権は、なにがやりたかったのかというと、今年1月31日に閣議決定された黒川弘務検事長の定年延長という違法行為を、あと追いで合法化したかったのだとか。

検察トップである検事総長に政権が操りやすい、じぶんたちに都合のいい人物を起用するために法律を変えようとしているのではないか?との疑いも日本中からもたれていました。

「内閣の恣意的な人事が、今後おこなわれるといった懸念は当たらない」

安倍首相がわかりにくいことばで否定していたけれどこれまでの言動ややってきたことで、まったく信用できないのは火をみるよりあきらか。

政治権力から独立性を強くもとめられる検察官。その理由はときには政界に切り込み、総理大臣をも捜査し取り調べる必要が出てくるから。

いっぽう黒川検事長とはどんなひとなのか・・・

政権べったりで、菅官房長官の大のお気に入り。

小渕優子さんの政治資金規制法違反問題、松島みどりさんの選挙違反問題、甘利明さんのUR口利き問題、下村博文さんの加計学園パーティー券問題。

そうして佐川さんらによる森友学園公文書改ざん問題、これらすべてを不起訴にしたのが黒川さんだと言われている・・・

そんななか政府が今国会での法案の成立を断念、見送った。見送りということは、まだあきらめてはいないということだな。

抗議のツイートが急拡大とニュースになったのが5月10日ぐらい。10日たらずで民主主義が勝利した感じです。政府はいつものように民意ではないと押し切ろうとしていたけれど無理でした。

日本にいる人間のほとんどが不要不急の自粛ということを政府の要請にしたがって協力をしている真っ只中に、日本のリーダーが不要不急の法案を通すというのはまず許されないでしょう。

いま安倍政権は、支持率が33%まで落ちている。

おごれる平家はひさしからずです。

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『おこっている』

参照・引用:2020年5月12日、14日、16日、19日 朝日新聞 / 2020年5月17日、18日 読売新聞 / 2020年5月17日 毎日新聞
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2020年05月19日

えー!?

5月15日、金曜日から東京都の芸術文化活動支援事業の登録がはじまりました。

5月31日までです。

まずは個人登録をします。そして動画の企画を応募する。その企画が審査で採択されたら動画を作成するというながれです。

うっかり忘れていて昨日起きてそういえばと思い、朝イチで登録しようとサイトをみたら・・・

令和2年5月15日、重要なおしらせ

「予定数を大きく超えるお申し込みをいただきましたので、個人登録の受付は18時をもっていったん終了いたしました。ご了承ください。 」

という文字が目に飛び込んできて愕然とします。

「えー!?

募集人数が4000人程度となっていたので油断していた。そうだよな東京都内のアーティストなんて4000人ではきかないし、考えてみたらユーチューバーなんてのも出せる。

ダンサーはもちろん、ミュージシャンに役者さんにお笑いに落語家やマジシャンなんてのも出せるか。いま身うごきができなくてなんにもできないひとたちが、10万円をもらおうと応募するのだものな。

いまみたら対象が、“パフォーマンス(ダンス、音楽演奏、朗読、合唱、寸劇、作品の一部等)。美術などのライブ制作。自身が関わった作品についての紹介、解説。プロフェッショナルとしての専門分野についてのトーク。

アニメーションやドキュメンタリー等の短編映像。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に伴い、中止・延期となった活動に関わるもの(ゲネプロなどの一部映像等)で未発表のもの。”

となっていて、そんなの4000人でおさまるわけがないと思った。

ショックが大きすぎてしばらく呆然としました。・・・呑気すぎた。

麿さんだったら激怒しただろうな。「むかい!!いい加減にしろ!おめえはいっつもぼーっとしやがって。だいたい甘いんだよ、必死さが足りねえ!」1時間は説教だな。

さいきんスケジュールがガラ空きなので、スケジュール帳を見なくなっていたのです。すぐに予定を忘れるので、1日1回は見る習慣をつけていたのですが。とか言い訳してもあとのまつり。

いろいろと考えて思い出しては落ち込んでため息をついていたら「まあ、応募するなということだったんじゃない。」と娘になぐさめられた。

まあな。

師匠の名言に「忘れるようなものは要らねえものなんだ。」というのがありますが、たしかにそうなのかもしれないと考えてじぶんをなぐさめたりします。

あー、湯山と加奈子に申しわけない。

ほかの人にはまだ声をかけていなかったのが不幸中の幸いだな。

「今後については今回の反響を踏まえ、改めて検討いたします。」とあったので追加募集に期待です。

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『わらえないとき』
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2020年05月18日

わらう

毎日、毎日くらいニュースばかり。

自粛警察に強制自粛に誹謗中傷に罵詈雑言。

人間は弱いものいじめが好きだからなあ。

こんなときにいちばん大切なのは笑いです。なんでもかんでも笑いとばすのです。

じぶんの人生は、笑いに何度もすくわれてきました。それだけにいつも笑いは大切にしています。

どんなときにもアホなことを考えて、馬鹿なことをやりたいと思っています。

いつもニヤリとさせてくれる、戌井君の週刊ポストの連載見開き反対ページに小松政夫さんのインタビューがのっていた。シリアスな芝居よりもコメディでのお芝居のほうがぜんぜんむずかしいと話されていました。

その精神は師匠である植木等さんから学んだとか。「芝居で涙なんか流しちゃダメだ。涙を流すマネをするんだ。鼻水がダラダラでて、セリフが言えるか。」

小松さんは師匠に浄瑠璃も観なさい。と言われたとか。

無表情な人形が観客を感動させるのはなぜか?

まじめになるのは簡単だけど、笑わせるとなると途端にむずかしくなるか・・・

そうなんだよなあ。楽なほうへいかない。まじめは禁物、クソまじめなんてクソだ。

広島の原爆で亡くなった曽祖父をモデルにしたデュ社の旗揚げ公演『ふたつの太陽』のときはシリアスにならないようにまじめにならないようにと終始、気をつけて制作した。

けれども結局、シリアスに押されてしまった。悲劇的な題材に飲みこまれてしまったのだな。

核をテーマにして制作した第3回公演『ぴちがい裁判』のときは喜劇にしようと頑張ったけれど、むずかしかった。こちらは無謀ともいえる劇作への挑戦もあったのでそこも原因ではあったな。

悲劇から喜劇へと向かおうとするこころが大事なのだと思います。

みんなが深刻でなかなか喜劇になっていかない、いまの状況。みんながシリアスで遊びや笑いを許さないようないまの状態。

かんたんなまじめのほうへと向かわないようにしたいなあ。安易な真剣へと向かわないに気をつけたい。

正義を振りかざして勧善懲悪のつまらないドラマにならないように願いたい。

まあいいじゃないかと笑いたい。どうしようもないねと笑いたい。

こんなときこそ。こんなときだからこそ。

踏んだり蹴ったりするのではなく、踏まれて蹴られていたい。悪口をいうよりも、悪口をいわれていたい。指をさすよりも、指をさされていたい。笑うより笑われていたい。

そうしてすべてをうけ流し、真にうけないようにしたい。

つよく、したたかに。

小松さんは、いい歳をした大人が白髪を振り乱して必死に電線音頭をおどるのがいいのだともおっしゃっていました。

どんなときでも全力でコメディーにかえていきたい。

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『わらおう』
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2020年05月17日

流血

昨日は手を二箇所切ってしまった。

もこにゃんにいなばの「外はふっくら中はとろとろ」というとっても美味そうな“ちゅるビー”というのをあげようとしたら、プラスチックの包装紙で指をすっぱり。

カミソリ並みのキレ味で気づいたら切れていた。

じぶんがやくざだったらタダではすまないぞ。すぐに電話して「指切れてもうたやんけ。どうしてくれるんじゃ、あー!」

じぶんはやくざではないので絆創膏をはって終わり。もこにゃん、よろこんで食べていました。

つぎは食べおわったシーチキンの缶を捨てるためになかをティッシュで拭いていたら指をざっくり。所帯じみていてしょぼい理由でごめんなさい。

これはけっこう深く切れてしまい血が吹き出てきた。ティッシュでおさえて手をうえにあげて止血します。ワイフに絆創膏をはってもらって「ありがとう」

二か所とも右側だったのでキツネでもついているのかと思いたいところですが、たんに利き腕だから。

そうして男は女性とはちがってめったに血を流すことがないので、たまに流血するのはいいことなのです。女性は1ヶ月にいっかい流血して、血をあたらしく入れ換えているので長生きできるのです・・・

ほんとうかどうかは、わかりません。

そのむかし旗揚げのころの大駱駝艦の打ち上げでは、かならず流血さわぎがあった。

男たちは室伏鴻の影響をうけて、本番2週間ぐらいまえから断食に入ります。

ほとんどなにも喰わずに本番をむかえるので、舞台上の男たちはみんな眼がギラギラしていたそうです。それがまたしびれるほどかっこが良かったと、元パブリックシアターのかじやさんが言っていた。

そうして本番がおわると打ち上げですが、なんせ2週間ほとんどなんにも食べていないので一気にとんでもなく酔っ払います。血気盛んな若い男たちのこと、酔っ払ってくると売りことばに買いことば。

「いま、なんて言った?」

「おめえのおどりがつまらねえって言ったんだよ」

「なんだと」

ビール瓶持ってガツーンといっぱつ、血がブシュウッ・・・

火元はいつも山田一平さんです。当時のステージネームはビショップ山田、ビショップさんは酒乱だったようで、血をみないと気が済まなかった。

最後はいつも麿さんが、そのうえをいく大騒ぎをおこして事態をおさめていたようです。

たいへんだわ。

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『血のような』
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2020年05月16日

いろいろなはなし

昨日は湯山大一郎とオンラインミーティング。

今回もzoomにお世話になりました。

湯山は先日亡くなられた、お父さまの遺品整理をはじめたそうです。

学者であり研究者であったお父さまの莫大な論文やレポートや記事、資料のかずかずは、学術的に価値があるので専門家に見てもらわないと湯山では手にあまるようです。

もともと専門としていた物理学のことはもちろん、あと3つのことを生涯かけて追いかけて研究をされていた。

根っからの研究者だったのだな。

そうして最近、お母さまと話す機会が増えたようです。お母さまは日本史の先生をやられていて、いまも教えてらっしゃる。

日本史はここ5年ぐらいでガラリと変わっているらしく、いままでの間違いをどんどんただす方向へと向かっている。

昨日聞いたのは、今回のウイルス騒動でもよく出てくる“鎖国”ということばがいまの教科書にはのっていないという話し。

徳川幕府は海外と取引する港を4か所に絞るという政策をしただけで、鎖国するとはひとことも言っていなかった。

江戸の末期に鎖国ということばが少し出てきただけ。

それがいつのまにか江戸時代はずーっと鎖国令が出ていたというふうに歴史上なってしまって、教科書にもそう書かれるようになったのだって。

さて、昨日聞いたあやしい話しは新型コロナウイルスが中国の武漢ウイルス研究所から発生したというもので、しかもそれがわざとではないか。というのです。

もしそれがほんとうならば、アメリカは中国との戦争で細菌兵器によって被害を受けているという図式になるのか。

一国だけとんでもない数字になっているものな。今回の新型コロナウィルスはアメリカへ向けた中国のウイルス攻撃だった・・・

アメリカの感染者数が異常に多い理由は保険の問題が原因です。

日本のように保険が国民に行きとどいていない。それをなんとかしようとオバマさんが頑張っていたのにトランプが台なしにしてしまった。そこにコロナパニックです。

トランプさんはちかい将来に失脚するのだろうな。けれども娘のいうように「強烈なインパクトはのこした」

何年かたったら「いたいた」と話題になるのか。

あとは映像について話しました。

志村けんさんを亡くなる前よりも亡くなってからのほうがよく目にしていると言っていて、確かに。テレビでしょっちゅう観る。けれど、実際には一回も会ったことない。

「じぶんのなかでは志村さんは亡くなってないんです。」

映像の魔術だな。

いかに儲けるかとかいう考えよりも宣伝だと考えて、いままでの作品の動画を配信する。

そういう活動のほうがいいのだとも話していて気づきました。

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『シラン』
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2020年05月15日

腑に落ちない

なにが不要でなにが必要なのか。

パチンコは不要であるそうです。ほんとうか?

誰かと喋るわけではないし黙って玉を打つだけなのにな。消毒をきっちりとやれば、やってもいいんじゃないのか・・・

クレームを入れるひとがいるのだな。遊びを許せないひとたちがいる。

銀行の営業は必要である。でもほんとうか?

ATMがあいてればたいていの用事は済ませられるんじゃないのか。窓口があいている必要ってほんとうにあるのか?各種手続きなんてネットでできるのではないか。

ホームセンターは営業をつづけている。

けれども生きるためにほんとうに必要なものなんてホームセンターにはないんじゃないのか。東京都は休業要請をしようとしたけれど、政府がまったをかけたとか。

大人の事情か・・・

そうしてなんと市民グラウンドが使えなくなっていました。

あんなに広いのに感染するか?

感染の可能性というよりも、ひとが集まるのが嫌なひとがいるのだな。クレームを入れるひとがいる。ひとりのクレーマーにみんなが合わせなくてはならない時代か。

やな渡世だねえ。

公園も閉鎖しているところがあるとか。クレームを入れるひとがいるのだな。

小金井公園は閉鎖はされていないけれど、遊具が使えなくなっている。感染リスクがあるのか?立入禁止の黄色いテープでぐるぐる巻きにされた無残な遊具を見て、クレームを入れたひとは気が済んだかな。

電車の中のほうが感染リスクはぜんぜん高いだろう。電車はゆるされて公園の遊具はゆるされない。腑に落ちない。理屈はわかるけれど腹が立ってくる。

そんななか閉鎖されているグラウンドで、テニスの練習をしている男の子とラクロスの練習をしている女の子がいた。誰かが告げ口してやめさせられるのか。

グラウンドのちがう場所で若者二人がバスケットボールでもやったあとなのか、上半身はだかで座って話していて青春だなあ。と思った。彼らも自粛警察に見つかったら注意されるのか。

感染のリスクはないと思う。けれども言うことを聞かせたいひとたちがいる。

彼ら彼女たちは寛容さに欠けるひとたちのクレームによって決められてしまったルールを、たしかに破っているかもしれない。

けれど、なんの罪もおかしていないと思います。

おじさんは陰ながら応援してるぞ。

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『紫蘭が咲いた』
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2020年05月14日

込め込め

音楽を聴いていると踊りたくなる

でもいまは我慢

出すのではなく込めるとき

悔しさを込めていく

むなしさを込めていく

怒りを込めていく

踊りたい気持ちを込めていく

どうしようもない、いろんな気持ちを込めていくとき

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"Untitled3"
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2020年05月13日

ナイチンゲールデー

昨日、5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日でした。

1965年に彼女の功績をたたえて看護の日にさだめられたそうです。

誕生したのはいまからちょうど200年前の1820年、イギリスの裕福な両親のもと。2年にわたる新婚旅行中だったんだって。2年間の新婚旅行・・・

想像を絶するお金持ちだったんだな。その旅の途中、イタリアのフィレンツェで生まれたから英語読みのフローレンスと名付けられた。

そんなめぐまれた境遇にあまんじることなくフローレンスは、看護のみちをこころざして両親に猛反対される。当時は看護婦の地位が低くてお金持ちがやるような仕事ではなかった。

看護婦か・・・たいへんな職業です。いまは看護師というのか。

献身的にひとをささえる仕事。

重労働で肉体を酷使するし夜勤もあるし精神的にもきついのだけど、医師にくらべるととんでもなく給料が安くて報われない職業、そんなイメージです。

クリミア戦争へ看護チームを率いて派遣されると病院で女性差別をうけます。「おんなは引っ込んでろ」というやつだな。そこで、できることからはじめていく。

まずは不衛生きわまりなかったトイレの掃除からはじめる。

むかしは水洗なんてなかったからたいへんだぞ。水洗ではないトイレの匂いは凄まじいものな。アンモニア臭に人糞の匂いか、想像しただけで胸くそわるくなります。

そして病室のなかも空気を入れ換え掃除をしていく。傷ついた兵士のからだを拭き、包帯の交換などをおこなう。だんだんと清潔になっていく病院。

認められていく看護チーム。

フローレンスたちの活躍によって病院での死亡率は42.0%から2.2%へと劇的に減った。戦場の傷ではなく不衛生から起こる感染症でいのちを落とす兵士が多いことを見抜いたんだな。

彼女はとにかく目立つのが嫌いだったようで、戦地から帰国するときも大活躍したフローレンスを待ちうける記者たちの目をごまかすために偽名で入国したとか。

帰国してからも活躍する。戦地で経験して感じた看護の重要性と権限の必要性をうったえるために、レポートにまとめて提出。

そのさいに子どもの頃に得意だった数学の才能を発揮して、数値データをわかりやすくグラフにしたそうです。

そのレポートは女王陛下も見たとか。

その後、看護学校をつくったりして看護と介護という、金持ちが慈善活動としておこなっていたものを専門職にまで高めた。

1910年に90歳で永眠。

いまこうしているあいだにもウィルス最前線で活躍されている、ナイチンゲールの魂を受けついだ看護師のかたがた。

身を呈して献身的に患者に寄り添う看護師たちか・・・

じぶんには到底できないまね。

あたまが下がります。

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『白衣の天使』

参照:2020年5月1日 毎日新聞 / 2020年5月12日 Yahoo! news / 2020年05月12日 tenki.jp / バーバラ・ハーメリンク著、西田 晃訳『ナイチンゲール伝―近代看護の創始者 』
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2020年05月12日

もこにゃん

猫を飼っているのである。

なまえはもこにゃん。

正確には吾輩が飼っているのではなくて、ワイフと娘が飼っているのである。

もこにゃんは保護猫である。なのでひだりの耳がさくらの花びらのようにちょきんと切ってある。

いちばんなついているのは娘、二番目がワイフで吾輩は番外といったところであろうか。

近よると逃げるのである。

保護した保健センターの捕獲員が男だったのだろうな。追い詰められて乱暴に捕らえられたときの恐怖と衝撃がこころに残ってしまって、男性に対して警戒心が強いのだろう。

いつも大好きな娘が勉強しているつくえの上に寄りそって寝そべっている。

いつも娘のあとをついてまわっている。トイレへいったらそのあとをついていくのである。

娘は近づくだけでグルグルいってうらやましい。吾輩が触るときはそうとうに油断しているときで、けっこう長い時間をかけて丹念になぜないとグルグルいわない。

たまに寝込みをおそって抱っこをする。そんなときはとても癒されるのである。

愛玩動物か・・・ほわほわでもこもこで、あったかくてなんなんだろうあのいきものは・・・

猫ってのは、ほんとうに気まぐれである。さっきまでそこにいたのに、いまはちがうところにいる。昨日まで毎日あそこで寝てたのに、今日からはちがう場所で寝る。

自由闊達、融通無礙である。そして好奇心がとてもつよい。家中を鼻をふんふんいわせてパトロールしている。好奇心がとてもつよいが、とても怖がりである。

いつもびくびくしている。

そのわりにはふてぶてしく腹をみせて、まるでおっさんみたいに寝転んでいたりもする。

たまに観察していると間のとりかたが絶妙で感心するのである。きゅうに止まったり、トリッキーにうごいたりゆっくりうごいたりする。いつまででも観ていられるので見習うのである。

猫のごはんはエサというと怒られる。こうなってくるとペットとかではないのだな。家族の一員のような感じか。

ドラえもんが押入れを寝床にしていたように、押入れは大好きである。大好きなのはいいけれど、布団が毛だらけになっていたりするので困りもの。

じつは娘は猫アレルギーなのである。

そんなもこにゃんですが、いつも窓辺で外をみています。

出ることの叶わない外の世界。憧れなのか諦めなのか、窓のむこうをずーっとみながらたまに深いため息をついたりする。

食べる心配もなく気楽でいいなあ。とか思ったりするけれど、自由が限られているのはさぞや辛いのだろうな。

いつか外で遊ばせてやりたい。

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『ねむるもこにゃん』
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2020年05月11日

いつもありがとう

前略、おふくろ様

昨日は母の日でした。

ありがとうの気持ちを込めてワイフに、にぎり寿司をつくりました。

じぶんとワイフは、おからにぎり寿司です。娘とおなじカロリーを摂取してたら、からだがたいへんなことになってしまうのです。

オフしてもオフしてもオーバーしてしまうカロリー。

豪勢に刺身を買いたいところだけれども、そんな状況ではないじぶんをかえりみてこころですまないと手をあわせる。

スーパーで刺身の切り落としを購入。あとはタイのあらがあったのであら汁をつくりました。

タイのあらは安いけれど、美味しい身が豊富にくっついているのでお得。お得ですが下ごしらえがけっこう面倒なので安いのですよね。

まずは、水であらって血や汚れをおとします。そんでお湯を沸かして湯通ししてからうろこをとります。

都志ではじめてタイのあら汁をつくったときは、うろこをとると知らなくて出来上がって「さあ飲もう」としてそのうろこの多さに驚愕した。透明だからタイのアブラと見分けがつかないし、のどに貼りつくしあれはびっくりしたなあ。

もうこりごりなのでしっかりとうろこをおとして、しょうがとねぎと煮込んで味噌を入れてできあがり。美味しかったです。

さて、母親を看取ってはじめて一人前だという話しをどこかで聞いたことがあるような、ないような。

最近、おふくろ様は足が弱くなってきて歩くことがままならなくなって心配していますが、こころとあたまはしっかりとしているのでひと安心しております。

子どもの頃から母親の言うことはまったく聞かなかった。聞こうとも思わなかった。なんとも思っていなかったなあ。親不孝ばかりしてきた人生です。

20歳のときに家出して5年ぐらい連絡をしなかったものな。

子どものことを思って口うるさくなってしまうのだと、じぶんが親になってはじめてわかります。わかりますがじぶんはほとんどなにも言いません。

ワイフにまかせています。ふたりで口うるさいとよくないですからね。

結婚してからワイフのおかげで、だんだんと親孝行ができるようになってきてよかった。

感染させてはいけないので、様子を見にいくことができませんが、体調はいかがでしょうか。

散歩はしているかな。マスクはありますか?布マスクをつくって送ろうかと思っています。

それでは。

草草

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『モナリザにらくがき』
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2020年05月10日

ある日のメモ

ひげに手袋をぶら下げて、男がひとり座っている。

前には弓と矢がある。男はゆったりとゆっくりと、その弓を取り上げ、ゆっくりとゆったりと矢をつがえて、きりきりと引き絞り、ちからいっぱい矢を放つ。

全宇宙にエコーする、クラリオンが鳴り響く。

交叉時間・クロスホエン。

ものがたりは肉体のためにあり、肉体と踊りによってこころの景色がつくり出され、生まれて、拡がる。その心象風景が観るもののさまざまなイマジンをかき立てる。

そのことによって、観客は劇場の空間にまぼろしを観る。

最初の半句、一言一句、ことばの断片、絵、写真、映像、風景、見るもの、触るものすべてから立ち上がる幻視、イメージを捕まえて、採集し、拡げて、膨らませ、突っ込んで、育てつづけていこう。

我々は何処から来たのか?

胎児は母親のお腹の中で、人類の壮大なる進化の歴史を十月十日で経験するとかなんとか、人間はどうやって生まれるのか?ということはわかっているが、ではなぜ産まれて来るのか?ということになると、誰にもわからない。

我々とは何か?

人間存在の謎に無限の想像力で迫りたいとか思いつつ、そんなことどうでもいいか。

我々は何処へ行くのか?

どこでもいいじゃん。そんなことわからない。

死という誰もが逃れ得ない、絶対平等の真実か・・・古いですね、もっと普遍的な主題をもとに作品をつくったほうがいいかな。

わからなさにつけ込んで狂った貴族が出鱈目なお祭りをつくり出すとか、どうかな。

邪念を捨て 自意識と遊び 狂気と遊び 自我と遊び 厳しすぎず 甘すぎず 媚びすぎず 懲りすぎず 簡単に アカルク トキニシズカ二 トキニウルサク コムズカシクナク ハレヤカニ イコウ

我らだけが彼岸へと到るのではない。彼らもまた彼岸へと連れ去り、あらゆる一切の衆生をも昇天させて終わる。

最も暗い夜の、輝ける闇。

人は生の手触り、生の質感というようなもの、生きているという手触りに、生きているのだということを感じられる体感に、知らず知らずに引きつけられる。

それは決してバーチャルな二次元のものではなく、汗や匂いや熱気をともなう全方位の劇場的なもの。

それはそこにしかないもの、そこへいかないと感じられないもの。よいものを創りたいという思いと、よいものを観たいという思いが、がっちりとスクラムを組む。

ふむふむ、いいね。

その目的を達成するために、こころに信念の種を植えつける。

その種に水をやりつづけ、栄養を与えつづけていきたい。

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『ある日の絵』
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2020年05月09日

出口あり

企業の倒産やお店の閉店がぞくぞくと増えてきています。

吉祥寺井之頭公園入り口にあった芙蓉亭という伝統あるレストランも閉店、山形の素敵な立ち飲み屋さんも閉店してしまったそうです。

家賃が払えないのだものな。融資もはじまっているようですが、再開の目処がたたないのだから返す目処もたたないので申請ができない。

シングルマザーで子どもが3歳で職場をクビになったけれど、ハローワークにいけないというひとがテレビで取り上げられていた。

そんなひとがたくさんいるのだろうな。

食べられなくなって、自殺。このままだとコロナウィルスでの死者数よりもそちらのほうが多くなるかもしれないです。

いっぽう保育の現場も介護の現場も医療の現場も、あいかわらず危機的な状況がつづいているようです。

減収、虐待、派遣切り、内定取り消し、失業、コロナうつ、etc...etc...テレビも新聞もくらいニュースばかり。

クソー、コロナウィルスのやつめ。・・・けれどもウィルスを恨むのは違うのだろうなあ。

もともとは人類が巻き起こした環境破壊が原因です。自然を破壊して開発することによって野生動物と人間との接触が増えてしまった。その接触によって未知のウィルスが人間へと感染している。

中国武漢の研究所がはじまりだともいわれているけれど、それも人間のしわざ。人類といういうものが存在するがゆえのウィルスの大流行、原因は自分たちにあるのです。

自分たちで自分たちの首をしめてしまっている愚かな人類。

鉄割も夏の都志合宿も年内のあらゆる仕事がなくなりつつあるいま、そうして来年までこのみうごきのとれない状態が続くかもしれないと言われるいま。

この事態が収まって欲しいとこころの底から願います。

「ごめんなさい」

地球を汚して壊しつづけ同じ過ちをなんどもなんども繰り返す、愚かすぎる人類という生きものをどうかお許しください・・・

そんなふうに思う日々ですが、なんとなく、なんとなく長かったトンネルのさきに光がちらちらと見えかくれしているような感じがしてきています。

ほんのかすかに。

まだまだ気はまったく抜けませんが、武漢では終息したし韓国や台湾、そしてニューヨーク、ドイツ、ニュージーランドもピークを越えたようです。

かならずや終わりはやってくる。明けない夜はない。

そうしてまた繰り返される愚行のかずかずか・・・

いかんいかん、悪いことを考えるとそのとおりになる不思議。世界はどんどん良くなっている。

トンネルを抜けたさきの未来も、なにかしらいい方向へと向かうのでしょう。

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『無題1』

参照:2020年4月23日 5月9日 朝日新聞
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2020年05月08日

ことばとおと

いまの1日の情報量は、江戸時代の1年分に相当するという話しを新聞で読みました。

現代人が目にする情報の1日分が、365日に引き伸ばされるようなイメージかな。

いまの人々が1時間に得る情報を江戸で暮らす人々は20日間で得るという感じか。約1ヶ月弱・・・ちょ〜、のんびりしてたのだろうなあ〜、ゆるやかにおおらかに流れていく日常。

テレビもないしラジオもないし新聞もないし、ましてやインターネットなんてのもない。

情報を得るのは、せいぜいかわら版ぐらいのものなのか。あとは井戸ばた会議だな。

のんびりしてたけれどそのぶん、情報のひとつひとつの価値が高くて貴重。情報のちからが非常に強い。

情報が少ないということはことばも少ないということだから、ひとことひとことにちからがあったのだな。

いまの時代は情報を遮断しても遮断しても入ってきて目についてしまう。じぶんはSNSをすべてやめてしまったけれどテレビがあるし新聞もあるし、Googleで検索するとすぐに情報が目に飛び込んでくる。

その莫大な量の情報が消費されるスピードもとてつもなく早い。垂れ流されていく情報と、ことばのかずかず。

いまテレビを観ていると無理につづけている感じがします。この機会にちょっとやすめばいいのにと思うぐらいに早朝から深夜まで途切れなくやすみなく時間をうめつづけている。

そうしなければならないという強迫観念みたいなものなのか。

ピアノを調律するときはまず“ラ”の音をあわせて、その音を基準にしてほかの音を合わせるという話を本で読みました。

そのラの音は440ヘルツなのだそうです。

ヘルツとは1秒間に空気が振動する回数のことで、数値が高いほど音も高くなる。

いまは442ヘルツを基準にすることもあるし、現代のオーケストラで基準の音になるオーボエのラの音は444ヘルツになってきているらしい。

モーツァルト時代のヨーロッパではその基準のラの音が422ヘルツだったとか。モーツァルトが作曲をしていたころから比べると半音近く高くなっている。

高くなるということは音が明るくなるということでもある。そうなっていくのは、時代がもとめることでもあるのでしょう。

明るい音をもとめたくなる時代か。

おなじようにスピードやテンポも時代とともに、どんどん速くなっている。

情報が溢れているけれどこころは貧しくて、音楽は高く速くなるけれど暗く満たされない・・・

舞踏はことばをほとんどつかいません。

そうしてゆっくりと速度をおとすことを良しとします。

舞踏の思想そのままにできるかぎりことばを厳選しつつ、この一瞬を大切にしていけるといいなと思います。


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世界共通で赤ん坊の泣き声は440ヘルツらしい。

参照:2020年4月21日 毎日新聞 / 宮下奈都著『羊と鋼の森』
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2020年05月07日

をどりたい

『羊と鋼の森』をもういちど読んでしまった。

そんでまた感動していろいろと刺激をうけました。

2度目は1度目には気づかなかった言葉や文章があらわれてきたりします。

「100の川を見るのと1つの川を100回見るのは同じ」そんなことばがインディアンのことわざにあると読んだことがあるけれど、得られることや気づくことは同じだという意味か。

じぶんは次々とあたらしいものを見ることも好きだけれど、同じものを見ることも好きかもしれない。

おなじ曲をなんども聞いたり、おなじ漫画を何度も読むのも好きです。

小説をふたたび読んで、ことばのちからの数々に触発されて「おどりたいなあ」と思った。素敵なことばの数々がこころに沁みて「ソロをゆっくりとていねいにおどりたい」と思った。

シアタートラムとかパブリックシアターなんていうゼイタクな空間で孤独にソロをおどりたい。

ひとのこころを惹きつける、ちからのある踊りをつくりたい。

観るものと踊るものの、こころをわくわくうきうきと躍らせるような音楽で群舞をやりたい。

観るひとに元気をあたえるようなおどり、観おわって興奮してそのまま帰るのがいやで飲みながら誰かと話したくなるようなそんな踊り。

いつか来るその時のためにいまは、こころを研ぎ澄まそう。こころを研げば、おどりも研ぎ澄まされてくる。

しずかにしずかにそのときを待とう・・・

意表をついた幕あき、颯爽とした登場、うごきの可笑しさで、苦しいほどに笑わせ、愉快な足どりと、怪演で魅了する。

目の離せないソロをおどり、存分にあそぶ。

ていねいに丁寧にうごき、どうでもいいと何もかもを放り投げて、愚行、蛮行はあたりまえ。日常の裏側の世界、深層心理の世界の身振り手振りでおどり、非日常の狂気をもってして観るものの日常を殺してあげる。

格好の悪いかっこ良さを、滑稽でぶざまだが愛しい人間のすがたを描く。人間はここまで自由でいいんだとみせる。

エロティックな官能に酔いしれさせ、肉体がイメージを喚起してやまない。活き活きとおどる人間のエネルギー、パワーで感激させる。

スリリングなミュージシャンの演奏が場を盛りあげ、ハッと驚く演出の意外性でびっくりさせ、夢のようなつながりで構成し、ラストの大団円によって人間の悲哀というものが実感として胸にせまってくる。

そんな舞台を!

全身全霊で祈り、生贄になり、身をさらして、ただひたすらに、ひたむきにおどる。

それが観るものに勇気と元気をあたえ、胸を打ち感動をあたえる。

そう信じて。

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Photo by Masami Mori.
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2020年05月06日

こどものぜんそくとごえんせいはいえん

昨日は5月5日、子どもの日でした。

明治時代、関西地方の大阪か兵庫でつくられた鯉のぼりを模写してみました。

真鯉の背に金太郎をのせたものは関西で盛んにつくられてきたそうです。

男の子のすこやかなる成長を願う端午の節句か・・・あんまり記憶にないなあ。おそらく兄貴は盛大に祝ってもらっていたのだろう。二番目は兄貴とセットになるし、いろいろと手抜きになるのです。

そのぶん気楽に生きてきましたが・・・

兵庫県の西宮市で生まれ、子ども時代は伊丹市で過ごしました。伊丹はあの頃、公害がひどかったのか小児喘息をわずらっていた。

夜、せきが止まらなくて息ができなくて死にそうな思いをしていたので、肺炎の息苦しさはわかります。

息ができないというのは怖ろしい。

怖ろしいのだけど、ヒステリックに怖がるのはやはり間違っていると思います。死ぬときは死ぬのです。

先日、俳優の志賀廣太郎さんが亡くなった原因の誤えん性肺炎も含めた肺炎での死者数は年間で10万人以上だそうです。

ガンでも亡くなるし、脳溢血で明日亡くなるかもしれない。交通事故に遭うかもしれないし、つぎの瞬間に大地震で死んでしまうかもしれない。

だからこそいまを悔いなく生きようとするのだと思います。

「命ファースト、命を守ろう」というけれど、死を怖れすぎ自粛しすぎて自殺するひとがでてくるのでは本末転倒。

ここまでヒステリックにならずに、もう少し大らかにやれたらいいのになあ。と思います。

誤えん性肺炎は肺に食べものや飲みものが入ってしまって肺炎になる病いのことで、志賀さんとおなじ職業だけでいっても、日下武史さん、根津甚八さん、山城新伍さん、中村勘三郎さんなんかも誤えん性肺炎で亡くなったそうです。

さいきん自分もしょっちゅうむせますが、年齢とともにそんなことが起こるのはしかたのないことなのでしょう。

さて幼稚園のときに伊丹から川西へと引っ越して喘息はうそのように終息してたすかった。

新型肺炎もまるで夢のように終息してみんなをたすけてくれないかしら。

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『金太郎をのせた鯉のぼり』

参照:2020年03月14日 Japan Medical Journal Web / 2018年12月1日 日経電子版
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2020年05月05日

新しいマナー

最近、手づくり布マスクをしているひとが多くなっていていいなあ。と思います。

手づくりのマスクに比べて既成のマスクは安っぽいというか無機質すぎるというか、こころが込もっていないというかなんなんだろうあの違いは。

あんなに違うものか・・・

最近の手づくりマスクは、ひとつのファッションレベルまで高まっている気がするな。あれだったらしてもいいと思ったり。

いまはいろんなお店でお洒落な手づくりマスクが売られているようです。

ある休みの日にワイフが手づくりマスクをつくりはじめたので自分も制作してみました。奥村君にもらったけれどもう着ないTシャツとミナペルホネンの展覧会で買った布で手づくり。

なかなかいい出来で満足、またつくろう。

先日は銀行に用事があったので、その布マスクをして町へ。パチンコ屋は休業しないと怒られるけれど、銀行は休業しなくていいのだな。

遊びは許されない世の中か・・・

町へと出たらマスク率、ほぼ100%。

たまにマスクをしていない人がいるとギョッとして無防備に感じる。マスクをしていないことよりも顔をさらしているのが、自信があるように見えるから不思議。

こうなってくるとマスクをしてないというのは、銭湯で股間を隠さないのとおなじ感じだな。剥き出しで見せびらかされているように思ったりして。してないのは男性が多いからか。

女性のマスク姿は目だけがみえるので、ミステリアスでちょっとセクシーに感じたりします。

娘はマスクをするのはマナーだと厳しいけれど、あと1年この状態がつづいたらこれからはマスク着用が常識の世の中になったりするかもしれない。

濃厚接触をするときにだけはずす。相手のマスクをはずす瞬間にむしょうに興奮をしたりして・・・

馬鹿なことをいっている場合ではなくて、耳の聞こえない人がくちびるのうごきをみてする読唇ができなくて新たな障害が生まれているとか。

そんななかインドネシアの聴覚障がいの夫婦が口の部分だけが透明なマスクを開発したらしい。

日本でも透明マスクをつくるうごきがあるようです。

どんなときも障害を乗り越えようとする試行錯誤がたいせつなのだな。

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『手づくりマスクをした自画像』
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2020年05月04日

夢のような

鉄割の公演。

どこだろうギャラリーのようなところ。

演目中にとつぜん壁の半立体の人形の眼から、ナミダが手品みたいに観客に降りそそぐ。

まるでミラーボールの光のつぶつぶのように規則正しくきらきらと弧をえがいて降ってくる。しかもそれは水ではない。なんなんだろう・・・樹脂のようなクリスタルのような。

「すげえなあ」とおもわず笑ってしまう。ほかのみんなも笑っている。

ほかにもたくさん面白い夢をみたけれど、残念ながら忘れてしまった。起きてすぐに書きとめないと夢はすぐに忘れてしまう。

だれか録音するという人がいたな・・・戌井君だったか・・・

彼はふだんも寝るときに演目を考えるといっていた。直哉はこのあいだアイデアを考えるのが嫌だとかいってた。天才と凡才のちがいか。

自分は創作のときは四六時中、作品のことを考えます。考えるのが趣味みたいなところもあります。いちばんのめり込むときは、それこそ夢にみます。その夢のアイデアに助けられたこともあった。

自分よりも麿さんのほうが考えるのは大好きで、創っている人間いじょうにふかく考え込んでくれたりして申し訳ない気持ちになったものだった。

そういえば麿さんの趣味は「人生」

そんな師匠があるとき「むかいが5000万円あてる夢をみた」といっていた。まさ夢にならないかな。5000万あったら都志の家を改築して稽古場兼劇場をつくって・・・

夢ってなんなんだろう。

起きているときにあったことを脳が処理する過程で出る、かけらのようなものだったか・・・若いころに夢の本をいろいろと読んで勉強したのに忘れてしまった。

夢を映像化できる機械があったら面白いのにな。

そういう意味では映画はまさに夢を映像化する世界なのか。醒めてみる夢、映画。夢のようであればあるほど良しとされる。

夢はつながりがめちゃくちゃだったりするので、映画もつながりとか気にせずにめちゃめちゃに編集したほうが面白いのにといつも思います。

舞台は夢を映像化するというよりも現実化してしまう世界だな。

360度の全方位で感じる醒めてみる夢のような舞台世界は、映画よりも強烈な体験を与えることができるのだと思います。

魔法のような舞踏というものに出会い、足を踏み入れると戻れなくなる門のなかをすすみ続けているいま。もっともっと夢のような舞台作品を創りたいと思う毎日です。

いっぽう手探りでトンネルのなかをすすみ続けているようないまのこの現実の世界・・・

夢や映画や舞台をはるかに凌駕してしまうほどのへんてこな非常が続いている。

「もういいから、はやくエンディングをむかえて欲しい」

こころの底からそう思います。ほんとうに。

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『夢でみた絵』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:31| ブログ?