2020年12月11日

dream

インドの丘の上にいたら、急な階段を荷物を背負った亀がたくさん登ってくる。

それから・・・

おもしろい展開があったのに忘れてしまった。もったいない。

日記をつけはじめた20代の頃から夢日記もつけています。寝ながら速記のようにして書くので、ミミズののたくったような文字であとで見たら読めなかったりする。

すぐに書き記さないと忘れてしまう夢というもの。

なにか夢を記録する素晴らしい方法があればいいのだけど。

脳に直接に機械をつないで映像化できればいいのになあ。とずーっと思っています。

戌井昭人氏は枕元に録音機材を置いて夢を見たら、喋って録音してたことがあったらしい。けれども、次の日に聞くとなにを喋っているかわからなかったと言ってたな。

寝ぼけていたのか。

横尾忠則さんは夢日記を書きつづけていて、本も出版している。

村上春樹さんは夢は醒めて見ながら小説として書くので、実際にはまったく見ないとインタビューで語っていた。そんなことあるのかな。

デビッド・ボーイは若い頃、夢を書き記すためにわざと腕をヒモで吊り下げて眠りを浅くして、夢日記をつづけていたと何かで読んだ。それを創作に結びつけていたらしい・・・

デビッド・ボーイと舞台で踊っている。

ボーイが低い体勢でいるので、首を振りながら近づいていく。

首を大きく回してボーイに顔を寄せたらバッチリとタイミングが合う。そのまま口づけをしたら、くちびるが柔らかかった。

2人いる中国人女性ダンサーがポーズをとっているので、そちらにスッと入る。2人がうごいているのでこちらはうごかないでおこう。と思う。

終わって帰ろうすると机の上に野菜がたくさんあって、すべてじぶんのか。と片付ける。もやしが手に余って抱えて落としそうになりながら舞台袖へと入る。

「みんな次のひとのことが目当てなんですね」と一緒にはけてた女性ダンサーに言われて、そのひとが準備しているのを見ながら「そうなのか。売れっ子だからな」と思う・・・

イベントで売れっ子の川村美紀子と一緒になったときに、楽屋にお客さんがやってきて「あれ川村さん目当てだよ」と楽屋にいたデュオの若いダンサーが相方に説明してて「へえ」と思ったのを思い出した。

新宿ゴールデン街の会田誠さんの店に村松卓矢といったときにChim↑Pomのエリーさんが、取材人とかカメラマンを引き連れてやってきたのも思い出した。

がやがやと急に華やかな雰囲気が漂ってきて、売れてるひとの勢いを感じたのでした。

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『淡路舞踏社のトイレ』
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2020年12月10日

ダークマター、文化庁、しげのぶ君

昨日は留守中に届いていた郵便物を整理。

師匠の麿赤兒から大駱駝艦本公演の案内が届いてました。

タイトルは“ダークマスター”

いましろたかしさんの漫画が原作なのか、珍しい。ダークマスターは庭劇団『ペニノ』が舞台化して、初演は戌井君が謎のマスターの役をやっていた。と思っていたら『ダークマター』だった。すみません。

宇宙の85%をしめるという謎の物質“ダークマター”。あんな未知のわけのわからないものから作品がつくれるのだろうか。

麿さんの日本経済新聞のエッセーを読んでいたら「いまは“引力”に興味がある」とあったのは、この新作の制作と関係があったのだな。重力ではなく引力に注目するところが麿さんらしくておもしろい。

重力は地球からの引っ張りだが、引力はタテだけではなく360度の全方位、宇宙のあらゆるものとの関係。ひととひととの引力なんてのもあって興味深いです。

それにしても新作をつくるペースがはやい。あのぐらいの巨匠になると新作づくりもたいしたことではないのか。

公演のスケジュールが2月なので、どうなるか。文化庁の継続支援事業に採択されたら観にいけない。

今日は、その文化庁の継続支援事業の申請内容を見直して、わからないところがあるので電話。

ずーっと話し中で、明日締め切りだものなあ、と時間切れ。ちょうど100回発信していた。

明日もつながらないだろうから、メールをしました。

そして明日は今回の東京へときた目的、映像撮影です。

監督のしげのぶたかあき君とはセゾン文化財団の英語のプログラムで出会いました。

あの時の英語のプログラムには、数々の賞に輝く『開幕ペナントレース』主宰の村井雄君がいてよく飲みにいったり、そのあとも公演を観にいったりしている。

ほかにも現在は青年団の演出部にいる『世田谷シルク』主宰の堀川炎さんや、いまは商業演劇の演出をしている長谷川寧がいたりと、いろいろとおもしろい若者がいて刺激的だった。

しげのぶ君は、森下スタジオでやったワークショップにも参加してくれたり、村井君と3人で飲んだりしていた。

とか回想はいいから、とにかくセリフを覚えよう。

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『習作 2020.11.29』
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2020年12月09日

花の都は大東京

諸悪の根源、渦中の東京に入りました。

いざ東京へと実家の最寄りのバス停からバスに乗ると、とたんに三密です。

川西はなかなかの都会なのです。

昼前なので阪急電車は空いていたけれど梅田駅に到着すると、ひとひとひと。波をかき分けぶつかりそうになりながら、地下鉄へと向かいます。今回はバスではなく豪勢に新幹線。

新大阪駅に着いたらお昼時なので車内で食べようと弁当を物色。ビールを飲みたいところだけど前日に飲み過ぎたのでやめて、軽いものにするかとサンドイッチを購入、ヨーグルトと合わせます。

自由席を選んで新幹線に乗ると指定席は結構混んでいてびっくり、1番後ろの自由席の車両まで歩いていくと空いていた。今日は晴れているので富士山が見れるかなと山側の席をチョイス。

まだ早いので『ブログ?』を記します。1700文字にもなっていて削っていく。作業的には短いものを長くするよりも削るほうが簡単。

だいたい1000文字ぐらいが読みやすいようです。ある時、知っているなかで1番メジャーな糸井重里さんのブログの文字数を数えたら800文字ぐらいだった。

それ以来、見習って文字数を減らすようにしている。むかしの記事は1800文字のものとかあったりするので見つけたら半分に分けます。

そういうことができるのも印刷物とは違うデジタルのおもしろさ。

集中してたらいつのまにか富士山を通り過ぎていてあっという間に新横浜、そうして品川にて降車。

都会は、ひとがとにかく多すぎるのです。密集しすぎている。

すべてのスピードが速くて脱落するものは待ってくれない。どんどん置いてけぼりにしていく。みんな他人には無関心でものすごいスピードで歩いていく。白杖のひとが歩いていても見過ごされてしまう。こんなにひとがいるのに知っているひとはひとりもいない。

異常な気分で山手線へ。

隣にひとが座るってのは、よほど親密ではないとありえないことだけど山手線ではあたりまえ。やはりここは距離感がおかしいのです。

一回、若い女性と頬と頬が触れそうになって、こちらちょっと喜んだけど向こうは気づいてもいなかった。

新宿を通ったら大量の人間がいたけれど若者ばかりだった。

都会は感染のリスクが低い若者だけが住むようにして、年寄りは田舎に住むというふうにできたらいいのにと最近思っています。

けれども歳をとっても、やはり都会のほうが便利なので住みつづけるひとは多いようです。結果、孤独死なんてことも起こっている。

便利さと優しさはイコールではないのです。

家に着いたら母親から頂いた娘へのお年玉を落としてきていてショック。

実家にあるので来年、取りにいきます。

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『みれなかった富士山』
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2020年12月08日

No umbrella

暗い話題で恐縮ですが、自殺者数が増えつづけているそうです。

2019年の自殺者数は20,169人。

10年連続で減少していたのが、2020年10月時点ですでに17,219人になったとか。

いまのコロナウィルスによる国内の死者数は累計で2,398人。感染症対策よりも自殺防止対策のほうが緊急の課題です。

じぶんのいのちをじぶんで断つ。その原因はひとそれぞれでしょうが、都会での生きづらさということはあると思います。

都会という異常な生活環境をコロナ禍が浮き彫りにしている。対策としては、東京一極集中を解消して人が分散すること、そうして人と人の距離をもっと取ること。

距離は近いのだけどこころの距離は限りなく遠いところ、大都会。核家族ということもあるのでしょう。悩みがあっても誰にも相談ができない。

ところで自殺は悪いことか?

仏教は自殺を認めています。キリスト教では自殺を罪とする。

日本の知の最高峰、作家の埴谷雄高さんは「人間に出来る意識的行為には、自殺すること、子どもを作らないことのふたつがある」と断言。これはすこしニヒリスティック過ぎる気がする。

インドへいくと人間のいのちなんてたいしたものではないのを実感する。ガンジス河のほとりでは、歯を磨いてる横で死体を焼いている。歯を磨くのと死が平気に同列で並んでいる。

これはひとのいのちを軽く考えているのではなく「ひとのいのちも特別扱いしない」という考え方なのだと思います。

日本人がいのちを簡単に投げ出すようにになったのには、身近に死を感じることがなくなったということもあるのでしょう。ひとは滅多にない葬儀でしか死と向きあうことがなくなった。

いままでは仏壇とともに家の中にあった死が消え去り、その場所にはテレビが鎮座することになった。

死ではなく生が家の中心に陣取り「うごけ食べろ働け生きろファイト一発」とあおりつづけた。

その結果、ものは溢れているけれど貧しくて、豊かだけど満たされない、生きる希望を感じられない国になってしまった。

じぶんはいままでに2度ほど、真剣に自殺を考えたことがあります。1度目は中学生のとき。2度目は作品『ダラーの宇宙』の制作時。

どちらもいのちを投げ出さなくて良かったと思います。

生きてさえいればなんとかなるのです。

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『川西の地蔵菩薩像』

参照:2020年12月8日 東京新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 17:03| ブログ?

2020年12月07日

しんせいとはんせい

昨日は文化庁の継続支援事業なるものに申請しようと奮闘努力しました。

1時間で入力画面がタイムアウトするという仕組みになっているとか、了解です。

考えないといけないところはつくっておいて、コピーアンドペーストする作戦でいこう。

よくわからないところもありますが、とにかくやってみよう。

応募説明書に準じて期間は令和で打ち込んで、次々にコピーアンドペーストしていきます。けれども250文字と書いてあったのに150文字だったりとなかなか進まない。

全くわからないところがあるので湯山大一郎に電話します。湯山は申請完了したとのこと、やるな。住民票がいると聞いていたけれど免許証でもいいとの情報をゲット。これは東京にもどる前に申請完了できるかもしれない。と明るい気分になります。

1度目はタイムアウト、再度チャレンジ。

今度はスラスラと進んでギリギリ間にあうか。時間に追われて常に焦りながら作業します。あと5分、どうか。よしできた、最後に申請というボタンを押して。何にもならない。カーソルを持っていってもウンともスンとも言わない。

何故だ、あと2分、誰かたすけてくれ・・・タイムアウト。

3度目の挑戦。

やはり最後の申請のボタンが押せない。何故だろう?すべてチェックして何回も見直してあらゆる可能性を考えて、試してみてもボタンが押せない。これは参ったどうしようもない。

湯山が何か知ってるか、電話します。何度もすまん。

「えー、なんででしょうね。」湯山もわからんか・・・「日曜日もコールセンターやってるみたいです。」

了解、電話してみる。

電話したら感じのいい女性だけど「何故でしょうねえ。」

あなたもわからんかったら万事休すですわ。2人で困りながら原因を探ります。

「期間はいつまでですか。」と聞かれたので「令和3年の2月7日から14日までです。」と答えたら「期間が1週間だとそのあいだの日付の領収書しか対象にならないけれど大丈夫ですか。」と言われてなるほど、その前に材料を買ったりするので事業の期間は長めに取るほうがいいのか。

ん、待てよ。もしかしてだけどと期間のところを令和3年ではなく2021年に直したら・・・

やりました。申請というボタンが赤々と光り輝いている。ありがとうございます。と礼を述べてボタンをぽち。

とうとうやりました。15時、申請完了です。

いやー、大変だったけれど達成感がみなぎってくる。

さあ、今日は祝杯だぞ。と近所の酒屋へ。この酒屋は珍しいお酒や食べものを売っているのでたのしいのです。

店内で『獺祭』の一升瓶を発見。これだ。これで乾杯だ・・・

おっと、1000文字超えた。

昨日は調子にのってかんぜんに酔っ払い過ぎました。

今日は控えめでいきます。

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『前後不覚状態』Photo by Maki Morishita.
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2020年12月06日

一昨日、昨日、今日

一昨日は都志での最後の日。

まずは歯を磨き顔を洗いこころを落ち着けて丹田を鍛えたあとに、からだをうごかします。

ごんぎょうを終えたら仏壇の掃除です。お位牌をすべて外に出し仏壇の中を掃除します。

気分はお坊さんです。そのあとは最後のゴミ出しをして最後の洗濯をして庭の最後の作業をします。

午後は庭でとれた100%無農薬でオーガニックなレモンをお土産に、十川英二さんに都志を離れる報告へ。あたりまえのように家に上がり込んでお話しをします。

伺うとジュースを出してくれたり、お菓子を出してくれたりするので恐縮です。奥さまのみっちゃんが庭で農業をやっているので、いつも野菜ももらいます。

先日はビールと牛肉を頂いてありがとうございます。都志最後の夜のパーティーのメイン料理をゲットです。風呂のタダ券までもらって英二さんが風呂へ車でいくというので便乗。

夜の勤行をしたあとにパーティー開始、むずかしいことは一切考えずにただただ酔っ払いました。

昨日は午後に移動なので朝からのんびりしてたら湯山からラインあり。

「申請書出しました?」と聞いてきたので電話したら、文化庁のホームページの文言が変わったとのこと。どうやら上限に達しそうな感じだそうです。

湯山に「俺は今日中に出します。むかいさんも早く出してください。」言うて催促されたがごめん、今日はやらないつもり。明日、集中してやります。

そして今日。朝6時から川西にて作業をやってますが、もしも募集が中止されたら残念だけど仕方ない。

メキシコからの帰りに似てるな。

湯山は執念で帰国したが、じぶんは途中で諦めた。

けれどもその結果、美味いビールを飲んであたたかいクラムチャウダーを食べて空港で一夜を過ごすなんていう映画みたいな体験ができた。

大根田にも会えたし、失うものあれば代わりになにか得るものがあるでしょう。

とかいい訳せずにはやくやれ。

はい。

しかし書類をつくっているとなかなかおもしろい。えーとなになに、具体的な活動内容を250文字で記入せよ。

「感染症対策を踏まえた新たな練習のための稽古場の確保と新型コロナウィルス感染症に対応した新たな公演をおこなえるように、野外に稽古場兼劇場をつくる。

淡路島五色町都志の家の庭に基礎をつくり、その上に板を敷いて音響設備をととのえて舞台をつくり野外の劇場として活用し稽古場として活用し近所のかたにも活用をしてもらう。

野外なので空気の換気が必要ない。

その上でひととひととの距離を大切にする稽古場を目指す。観客もそれぞれが距離を取って屋外で観るようにする。

こどもも気軽に遊べるような場所にもする・・・」

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『自撮りおっさん』
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2020年12月05日

にほんのきぼうのひ

昨日は中村哲さんの命日でした。

アフガニスタンで待ち伏せされて銃撃を受け、亡くなられてから一年がたった・・・

中村さんがまだ医療に携わっていた頃、ある家に呼ばれ乳幼児を診たが瀕死の状態だった。息を楽にする甘いシロップを与えると、その赤ん坊は一瞬微笑んだという。

「死にかけた赤子の一瞬の微笑みに感謝する世界がある。シロップひとさじの治療が恵みである世界がある。生きていること自体が与えられた恵みなのです。」

その場しのぎの薬しか渡せないのに感謝をされると、釈然としない後ろめたさがあったという。

干ばつの猛威を目の当たりにして無力感に沈んだ医師だったころ「飢えや渇きは薬では治せない。」と井戸を掘り、独学で土木を学び、かんがい事業に取り組んだ。

「清潔な飲料水と食べものさえあれば8、9割のひとが死なずに済む。」

“100の診療所よりも1本の用水路”が持論だった。

“復興は軍事ではなく農業から”の信念のもと、ノウハウをアフガン全土に広めようと考えていた。

「地元の人が何を求めているか、そのために何ができるか。生活習慣や文化をふくめて理解しないと、善意の押し付けだけでは失敗します。」

なによりも現地のやり方を優先したそうです。

そのために自分の物差しを一時、忘れることが大切だという。常識や思い込みを忘れる。

「武器を取る者は取れ、わたしたちはクワで平和を実現しよう。きざな言い方をすれば、そんな思いでつづけています。」

一貫して非暴力、和平を訴え訴えるだけではなく実際に現地で活動をやってこられた。

「なぜわざわざ危険な地域に行くのか?」と問われたとき「道で倒れた人を見たら“大丈夫か”と駆け寄るでしょう。それが人間共通のこころだと思う。」と答えた。

「皆んながいくところには誰かがいく。誰もいかないところにこそ、我々がいく意味がある。」とも答えている。

人道支援に全力を注ぎ、戦乱と干ばつで荒れ果てたアフガニスタンの地に水を引き、実りの畑に変えつづけて来た。これまでに総面積1万6500ヘクタールの農地と、65万人に水の恵みをもたらした。

哲学者で正義の人、鶴見俊輔は「日本の希望は中村哲だけだ」と評したという。

子どもの頃はファーブル昆虫記をよみふける虫好きで、朝5時から山に入ってコガネムシやハンミョウを追いかけていた。

医師になって5年目、登山仲間とともにパキスタンとアフガニスタンを訪れた。

珍しいアゲハチョウが見られるかもしれないという期待からだった。

「もし私が昆虫好きでなければアフガンとの縁はありませんでした。」

アフガニスタンのガニ大統領から、自由に入国できる名誉市民権を授与されたばかりの出来事でした。

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享年73歳。アフガンであと20年活動するとおっしゃっていたとか・・・合掌。

参照・引用:2019年12月5日 毎日新聞 | 2019年12月5日 朝日新聞
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2020年12月04日

大掃除と夢

連日、大掃除をしています。

裏玄関のドアが壊れていて、そこにゴミが集まってきていた。

モノはモノを引きつけるちからがある。

まずは集まってきていた大量のゴミを片付けます。紙ゴミは結束して裏へ、大量に出てきた植木鉢は庭へ、脚立ふたつは物置の前へ。巨大なテレビ台は粗大ゴミで捨てようと、とにかく外へと運び出します。

モノがなくなるとすっきりとして気持ちがいい。掃き掃除をして雑巾で拭いて清めます。20年ぶりに姿をあらわした裏玄関。

子どもたちが海から帰ってきたときに、すぐにお風呂に入れるようにとつくられた勝手口だが、子どもたちが大きくなるのと合わせるように壊れて通れなくなっていた。

玄関のドアが新しくなることによって、裏玄関も直ろうとしている。こちらはそんなに大変ではなさそうなのでじぶんで直せるでしょう。

水道の配管が剥き出しになっていたりするので、それを覆うように外壁に木を張り付けていくと新しいドアと合うだろうなあ。と夢を広げます。

外壁全面を木で覆ったら素敵だぞ。

その前に錆びているところを塗ってと・・・錆び止めとしても木で覆うのはいいのです。外壁を塗装しなおすと100万はかかるけど、木を自分たちで張りつけていくのならば限りなく安く出来るでしょう。

建一郎が「印刷用のパレット要りませんか。」と言うてくれてたけど、それをバラして壁に貼り付ければ人足代だけで済むか。しかし運搬代を考えるとこちらで買うのとどうだろうか。

来年調べよう。

外壁の作業は庭の舞台設営のあとです。

東京からの移動は今回のように2週間、都志で外出自粛をすれば安心だし許される。なので2月の感染症対策の工事とイベントは敢行することにします。

その前に文化庁の申請書類をあと1週間で仕上げるぞい。大野一雄舞踏研究所代表の溝端俊夫さんと話したら書類をきちんと書けば、ほぼもらえるらしい。

予算1500万の企画で出したのかと聞いたら「いえいえ、むずかしそうなので150万です。」と言っていた。いろんな助成金をばんばんもらっている制作のプロの溝端さんでさえ1500万円がむずかしいのならば、出せるひとは日本に何人ぐらいいるのか。

そうして1500万円の企画がたくさん出るようではないと、いつまでたっても文化芸術の予算額が上限に達しないのではないのか。

上限に達しないと文化芸術予算が来年、削られてしまう。

デュ社の企画も1500万円の予算だったらば、舞台つくって壁つくって屋根まで乗せられたか。

しかし壁は感染症対策としては、ない方がいいのです。

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『淡路舞踏社』完成イメージ
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2020年12月03日

河のほとり

シンイチは河べりを歩いている。

向こう岸へと渡りたいのだけれど、いっこうに橋が見当たらない。

河はとんでもなく大きくてどす黒くうねっていて向こう岸は、はるか霧にかすんで見えなかった。

ひとつ積んではハハゲンシ、ふたつ積んではチチゲンシ、ゲンシゲンシと積むゲンシ・・・ちいさくうたいながら、河原のいろんなところで子どもが座って石を積んでいる。

子どもたちの顔は真っ黒に焼け焦げていたり、赤く焼けただれたりしている。ほとんどの子は裸だった。

そこへ真っ赤な顔をして黄色い髪の毛で鼻が異様に長い男がやってきて、子どもたちが積んだ石を蹴り飛ばして崩していく。

からだには無数の時計をぶら下げている。まるでミノムシのようだ。

あっちへいっては蹴り崩し、こっちへいっては蹴り崩す。子どもたちは崩れた石を泣きながらまた最初から積みはじめる。

むごいことよのう。シンイチは思わず呟いた。するとその男が彼のほうを振り向くとぶら下げた時計をガチャガチャと鳴らしながらズンズンと歩み寄ってきた。

はろおぐっぱい、いまなにいった?青い眼がべつの生きもののようにギョロギョロとうごいて歌いながらたずねてきた。

いや・・・シンイチはもごもごと苦笑いをした。顔を伏せながらぶら下がっている時計を見るとすべてが8時15分だった。

おまえ知らない。だから教える。このものたち、ゲンバク。亡くなり成仏ない。これからこの世界、永遠イシ積みつづける。ゴウのようなもの背負った。男はそう、へんな片言で歌うと懐から喫煙具を取り出した。

いま何時?ぽこぽこ言わしたあと男が大量に白い煙を吐き出しながら聞いた。シンイチは懐中時計を取り出した。8時15分で止まっていた。

へろうぐっぱい815だね。ふかく納得したように男は煙草と喫煙具をポケットにしまってそう歌った。

おまえ、いま世界、ここ世界。彷徨いつづける。ここ終わりない、始まりない。ある、815、ただいま、おかえり。

男はそういうとふたたび、子どもの積んだ石を蹴り飛ばしにもどった。

ゲンバク?聞いたことのないことばだった。

ゲンバクとはなんだろう。シンイチは、ぼんやりと考えながら河べりをさらに歩いていく。

しばらくいくとボサボサあたまで団子鼻の男が、なにかぶつぶついいながら歩いていた。

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『Untitled 2020.12.3』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:45| 小説のようなもの

2020年12月02日

選挙の公正、選挙の不正

「じぶんのためではない。不正に破棄された分を除いても、7400万票も投じてくれた人々のために戦っているのだ。」

トランプ氏が敗北を認めず、そろそろ1ヶ月がたちます。

もう打つ手もなくなってきているが、敗北を認めることはいまだに「非常にむずかしい」と繰り返している。

イランの核科学者を暗殺したり最後まで政治的に誤った行動をして、次期大統領が酷い目にあうように執拗な嫌がらせもつづけているそうです。

いままでに41件の訴訟を起こしているが半数以上が敗訴している。不正がおこなわれた証拠はなにひとつ見つかっていない。

そんななかアメリカの選挙の公正さは、西洋民主主義国家のなかでは最低レベルに近いと知りました。

ジョージア州では共和党による大々的な選挙妨害が行われてきた。なるほど、トランプ氏はそれを知ってるから不正がおこなわれてると主張しつづけてるのか。

同州では、2018年までになんと70万人以上の黒人の人々が有権者名簿から削除されたという。

今回の選挙前には身分証の確認を厳格化して、5万人を超える黒人のひとたちの有権者登録を保留とした。

これらの投票妨害はジョージア州だけではない。

過去数年間にさまざまな州で低所得者やマイノリティの投票を難しくする法律が成立した。身分証の厳格化によって運転免許証を持たないひとやホームレスのひとたちが投票することが出来なくしたのです。

立場の弱いひとたちを助けるのではなく虐げる法律をつくる悪意が存在する。

また投票所を閉鎖して車が持てず仕事を休めない低所得者のひとたちが、投票に行けないように嫌がらせをした。

各州で投票妨害が進んだ背景にあるのが2013年の連邦最高裁判所の判決。

黒人の投票権を保障してきた投票権法を違憲とする判決が下された。多数決だから理不尽で不正な判決でも通るのです。

故、ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事は「自分が濡れていないからといって暴風雨の中で傘を捨てるようなもの」と批判した。

「道徳的な弧の世界は長大だが、正義に向かっている」

キング牧師のことばを引用しながら未来の知性に正義の実現を委ねるとした。

その未来の知性と正義の実現を期待されているジョー・バイデン、次期アメリカ大統領。愛犬、メジャー君と遊んでいて足にひびがはいって78歳と高齢なのを心配されています。

けれども、いざとなったらカマラ・ハリス副大統領、56歳が控えているので心強い。

広報幹部7人のすべてを女性にすると発表し、主要なポストに有色人種や女性を起用するなど政権内の多様性を重視。

アメリカをなんとかしたいというバイデンさんの本気の思いを強く感じるのです。

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『ハリスさんむずかしい』

2020年11月26日、28日 朝日新聞 | 2020年12月1日、2日 毎日新聞
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2020年12月01日

長い旅の準備

そろそろ引越しの準備に入っています。

あと5日で川西へと移動。

両親の様子をみたら東京へと移動です。

諸悪の根源、東京へと突っ込んでいきますよ。1度入ったら2度とは出られない可能性のある騒動の渦中へ、ふたたびGO。

都志にいると都会の喧騒がまったくの嘘のようです。テレビも片付けたので大騒動なんて関係なく、どこまでものんびりとしている。

土曜日に移動だから、それまでに1年間帰ってこれないことを想定して庭を整理して片付けて家の中を掃除して片付けて、冷蔵庫の中をだんだんと片付けてと。これがなかなかむずかしくて、食材が残ってしまうのです。いまのところ玉ねぎが残りそう。1年間は置いておけないし、どうするか。

そんで今日は風呂屋が週に1度の半額デーなので1週間ぶりのお風呂です。わくわく。大きなお風呂は気持ちがいい。

夜にアイルランドはダブリンのかなこにラインをしよう。今後のスケジュールを彼女に伝えなくてはいけないと思いつつ連絡をしていない。

明日は家の中の大掃除をしてお墓の掃除へといきます。

明後日は仏壇の掃除、お位牌をすべて外に出してほこりを払い仏壇のなかを綺麗に拭きます。

明々後日は、都志での最後の日。レモンをすべて収穫して近所に配って挨拶して、ぬか床を処理して荷物を送る準備をして、服を1年分梱包して東京へと送ります。

これから、おそらく前回とおなじような流れになるでしょう。

年末から怪しい雰囲気になって新年から外出自粛になって大都市では、どんどんみうごきができなくなる。春から夏頃にかけてじょじょに収まって、つぎに都志に帰ってくるのはやはり秋頃か。

2月に文化庁の事業を都志でやる計画だけど大丈夫なのか・・・大丈夫ではないよな。感染症対策の企画だけど都志まで移動できなかったら話にならない。

企画を変えるか、一か八かつづけるか。文化庁の提出まであと10日、うーむ。

グループの企画ではなくて個人の企画に変更するか。

12月11日に撮影だからそのセリフも覚えねば。

大丈夫か。

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『Untitled 2020.12.1』
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2020年11月30日

運は準備できた者にのみ

ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんがお亡くなりになりました。

鉱山の地下1000メートルに5階建てビルに相当する穴を掘り、3000トンの水を入れて何か起きるのを何年でも待つ。

そんな途方もない研究で大穴をあてた。

目的は物理学の永遠のテーマ、陽子崩壊を観測することだったが、いっこうに見つからずに大失敗。けれども検出の感度をあげると違うものが見えてきた・・・

父のような軍人か、チャイコフスキーのような音楽家にあこがれたが、小児まひに夢を断たれた。入院中に担任から贈られたアインシュタインの本をきっかけに物理学の道をこころざしたという。

旧制中学5年のときに「おまえには無理だ」という担任の助言に逆らって旧制一高を受験、あえなく不合格となったが浪人して翌年現・東京大学教養学部に合格した。

大学時代は家庭教師や米軍のアルバイトに追われながら家計を支えた。

「この世に摩擦というものがなくなったらどうなるか記せ」

一時期、教えた中学ではそんな試験問題をだしている。答えは“白紙答案”「摩擦がなければ鉛筆の先がすべって紙に字が書けないから」と説明して子どもたちをびっくりさせた。

大学時代の成績は振るわなかったが「小柴は物理ができないから、物理への進学はありえない」と先生が言うのを耳にして、反骨精神がむらむらと沸き起こる。

なにくそとという負けじ魂で物理学を目指し、卒業後も勉強一辺倒ではない多様な体験を背景に資金集めの労苦をいとわないエネルギッシュな学者になった。

誰もやらない実験をと1979年、浜松ホトニクスの社長に情熱的に直談判して、岐阜県の神岡鉱山の山中に巨大な穴を掘って素粒子の観測装置『カミオカンデ』をつくるという破天荒な実験を開始。

定年を間近に控えた1987年2月、100年に一度の超新星爆発がおこりニュートリノが飛び込んだ。

これをラッキーでしたねというと真っ赤になって「ちゃんと準備していたからこそ観測できたんだ」と怒られる。

「思いもよらない成果では」と言うと、ほこりだらけのノートを見せられる。そこには「超新星からのニュートリノ」としっかりと書き込まれていた。

ノーベル賞受賞後は多くの子ども向けの講演をこなし「教科書をうたがい究明の卵をいつもこころに持って」「達成したいと思う卵をどう孵化させるか考えて」と語りかけた。

いま小柴さんがニュートリノをとらえてノーベル賞に輝いたスーパーカミオカンデのちかくにハイパーカミオカンデなるものが建設中。

カミオカンデ3人目のノーベル賞受賞が期待されているそうです。

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直径50センチの径光電子増倍管が1000本ならぶカミオカンデ内部。『Kamiokande』2007 コピーライトマーク ANDREAS GURSKY / JASPAR, 2013 COURTESY SPRÜTH MAGERS BERLIN LONDON

参照・引用:2020年11月14日、18日、19日 朝日新聞
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2020年11月29日

夢か

父が台所とリビングのあいだに仕切りを吊っている。

「へえ、ええやん」と思う。仕切りを巻いているヒモを外したらドサリと下にすべてが落ちてかたまりになる。

オブジェやったんかいな。

後輩の石川正虎と田村一行といる。

衣裳をいろいろと変えて遊んでいる。まるでからだがないみたいに見えるので喜んで正虎に見せるけど反応がそれほどでもないので、一行に見せると喜んでくれて良かった。

麦畑のなかを母が泣きながら走ってくる。「ケネディ大統領が暗殺された」と泣いている。父はなんでそんなことで泣くねんと困っている。

じぶんは母が泣いていて父は困っているのでどうしようと思う。

カメラマンの木伸俊さんの事務所で撮影をしていると、古いおおきな写真がでてきて見たらじぶんだった。

路上の立ち飲み屋。

みんなで屋台の色を塗っていい感じに仕上がったので、乾杯。

お笑いのライブにゲスト出演。

舞台に出たらすでに盛り上がっていて、悪ふざけする。悪ふざけしすぎてひとりの芸人のお尻の穴に軟膏を塗ってて客席を見たら女性が帰った。

やりすぎたか。前に出たときは白塗りして踊ったので、そのほうが良かったか。と思う。

終わってハンガーを返しに二階の教室へ。廊下を歩いてたら女性トリオ3人組が練習している。

壺中天の近くのスペースでソロ公演をやっている。

スペースのなかに四角い舞台があって、リングのようにまわりから観客が観るスタイル。村松君や松ちゃんや高桑さんに麿さんと新船さんも観に来ている。

なかなか集中力のある踊りをしていたが「なんか老生してるんだよな」という師匠の声で調子が狂う。

若々しさが足りなかったか。と反省して喋りながら仕切りなおす。「太ったんじゃないの」と新船さんに言われて腹を出したり凹ましたりしてたら、松ちゃんが喜んでくれる。

そのあといろいろと即興的にやって観客は爆笑させるがワークインプログレス的になってしまい、グダグタになってしまう。

舞台が高すぎるんだよな。と観客の若者の1人に手伝ってもらって舞台を低くしたりするが、いまいち。

そのあともいろいろと試行錯誤するが、次回に期待という雰囲気で観客がいなくなってしまい高桑が「あれ、村松さんは」とか言っていなくなる。

最後の決死の踊りもすべってしまい、麿さんも「じゃあな」といなくなってしまう。

とても複雑な気持ちで目が覚めて、床の間を見たら“水”と書いてあった。

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『模写のような 2020.11.29』
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2020年11月28日

あたらしドア

淡路島、五色町都志ボロ家の壊れていたドアが新しくなりました。

海賊船をイメージしてチョイス、まんまと海賊ですわ。

貴久くん、由美子さん、勉さん、そして陽子さま、ありがとうございました。

新しい日除け暖簾の旗揚げからはじまって、つぎは玄関のドアが新しくなった。ドアが新しくなることによって、また家のなかがちがう感じにうごきはじめたぞ。

家の顔ともいうべき場所がぴかぴかの真っさらになったから、バランスが次々と変わってきている。生きている家というもの。

シャワーの給湯器も新しくなったので安心してつかえます。潮風でさびさびぼろぼろになっていたので、爆発が怖くてつかってなかった。

合宿までは水を浴びてたけどそろそろ限界、最近は、唯一お湯のでるキッチンの給湯器も壊れていてぬるいので、沸かして洗面器に入れて風呂場で浴びてました。今年の冬はゆっくりと寒くなるようで助かっていた。

ドアとおなじように外壁を板で張っていったらかっこいいなとイメージする。隙間が少しでもあると蜂が巣をつくるので、そこが結構むずかしそう。しかし湯山もできる職人、このあいだの勉さんとこの若い職人さんと一緒に作業すればすぐにできるかもしれない。じぶんは足手まといになるので片付け専門です。しかし外壁はまだまだ先だな。

まずは庭に基礎をつくってその上に板を張って舞台をつくるのです。感染症対策に対応した新しい野外稽古場をつくります。たまに感染症対策に留意したイベントや公演にもつかうぞ。

音響機材も設置して・・・妻が近所迷惑対策として音はブルートゥースでながしたらと言ってたので、その機材も購入するか。

文化庁の継続支援事業で感染症対策のためならお金が申請出来るのです。出来るのだけど申請書を書くのが難しく感じる。苦手意識があるからか。

いざやろうとするとなかなかに手強い。不正が多いから複雑に煩雑になってるのだな。

12月11日までだけど、計画している予算に達したら打ち切りになるという文言があるので焦ってもいる。

実情は計画している予算にいつまでたっても達しないから第三次まで募集しているのですが。

このまま予算に達しないと来年度の芸術文化のお金が減らされてしまう。ならばもう少し簡単で融通がきくようにしてもらいたい。

提出の書類が素人には難しすぎる。経理がいないと申し込めないようになっている。経理を雇っている人なんて相当に売れているひとだけです。しかし実際の書類は専門的な知識がないと提出が出来ないものになっているのです。

とかいい訳するな。いますぐにやれ。

がんばります。

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『ここから世界へ』
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2020年11月27日

家族の肖像

お帰りなさい。

シンイチが家の門をくぐると、妻のフミコが出迎えてくれた。

ひさしぶりにみる妻の顔をみて、じぶんがとんでもなく長い旅をして帰ってきた気がした。

おじいちゃん。孫のヨウコが走ってきてシンイチに抱きついた。なんじゃ、もう起きとるんか。

シンイチはお土産のミカンの缶詰をカバンから出すと、さっそくヨウコに渡した。大喜びして走っていく彼女の後ろ姿を見ながら、大きくなったのう。と感慨深く目を細めた。

玄関をあがると長男のトシオがちょうど学校へといくところだった。おい、元気か。声をかけるが無視して靴をはくと出ていった。ひさしぶりやけん恥ずかしいんよ。かばんを受け取りながら、フミコがかばうように言う。

サブロウは?次男のサブロウの姿が見えないが、もう学校だろうか。クラブが忙しいみたいでね、ここのところはやいんよ。上着をうけとりながらフミコが言う。

いまは朝の7時頃か。高校へは自転車でひとつ山を超えていかねばならない。

いってきまーす。次女のナオコの元気な声が聞こえた。そちらをみるとちらりとうしろ姿の影だけがみえた。

シンスケさんとマサコが風呂をわかしてくれとるよ。朝から風呂とはぜいたくだが、ひさしぶりに帰ってきたのだ。それぐらいはいいだろう・・・ひさしぶり・・・いったい、いつぶりなのか。

浴衣に着替えるとさっそく風呂へと向かう。台所を見るとフミコが朝飯の用意をしていてマサコも手伝っていた。後ろ姿を見ながらシンイチはまた目を細める。

あー。お湯に入ると声が腹の底から出てきた。湯に入るのはいつぶりだろうか。考えようとしたがうまく記憶が出てこなかった。そういえば昨日はどこにいたのだろう。

お湯の加減はどうですか。シンスケが聞いてきた。最高じゃあ。

ほんとうにこころの底からそう思った。

ヒロシマはいまどうなっていますか。トーンを落としてシンスケが聞いてきたが、ヒロシマとはなんだろうと不思議に感じ曖昧に答えた。ヒロシマ・・・どこかで聞いたようなことばだ。あたまを振るが思い出せない。

風呂から出ると食事の用意が整っていた。けれども誰の姿も見えない。

そろそろ8時か。いまは何時だろう。時計を見ると8時15分で止まっている。

かあさん、お茶をもらえるかな。

なぜか返事がない。がらんとした家の中にうつろに声は響いた。どうしたのだろうか。不安になったシンイチは立ち上がろうとするが手に感覚がない。

あたりはどんどん暗くなっていく。

かあさん、お茶をくれんか。かあさん・・・フミコ、フミコ・・・水を・・・水をくれんか・・・

水を・・・みず・・・みずがのみたい・・・みず・・・

いつのまにか暗黒に呑み込まれたシンイチは、もうそれしか考えられなくなっていた。

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『シンイチ』
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2020年11月26日

大スター逝く

人間国宝で上方歌舞伎のスター、坂田藤十郎さんが亡くなられました。

生まれながらのサラブレッド、選ばれたひとであり生涯をスターとして生き抜いた。

1931年12月31日、二代目中村鴈治郎の長男として生まれる。

1941年10月、道頓堀角座『山姥』の金時で二代目中村扇雀を襲名し初舞台。いまなおこの初名の二代目、中村扇雀としても知られるそうです。

1953年の『曽根崎心中』のお初役で人気を博し、一躍スターになった。生涯の当たり役になったお初については「私を世間へと出し、手を引っ張ってくれた役」と語っている。

1990年、三代目中村鴈治郎を襲名。

2002年、京都の芸妓とホテルで密会、バスローブをはだけてじぶんのおちんぽを露出させてるところを、写真週刊誌『FRIDAY』にスクープされる。

もともと鴈治郎さんは若い頃から祇園界隈では遊び人として有名で、夫人の扇千景さんも夫の女遊びに対して最後に自分のところに戻ってくるなら「男の甲斐性」として許す考えであったという。

女性週刊誌等のマスコミは、写真のバスローブ姿から“中村ガウン治郎”と揶揄して「驚いた。人間国宝でも所詮芸人か。ほんとうに驚いた」などとパッシング。

本人は記者会見で「お恥ずかしいなぁ。私が元気だってことを証明してくださって」と話して、相手女性については「私を支援してくれるグループのリーダー。部屋では僕のビデオを見て焼き鳥を食べただけ」と説明。そんなわけはないですが。

記者たちに対して「世の男性も頑張って欲しい」と語った。

当時、国土交通大臣を務めていた夫人の扇さんは「彼は芸人ですから」と前置きした後で「女性にモテない夫なんてつまらない」とマスコミを一蹴したのだって。

かっこいい。

不倫リンチなんていうことが横行している昨今では、考えられないお話しなのでした。

2005年に上方和事の創始者である元禄期の名優、坂田藤十郎の大名跡を231年ぶりに襲名した。

「忘れられないのは、私が若い姫の役を懸命に可愛らしく演じようとしていた時『可愛く見せようと思うと可愛くならないよ。自然体でやらないと』と教えてくださったこと。

上方歌舞伎を現在のように認められるところまで持ってこられたのは藤十郎さんの功績。寂しいです。」

そう数多く共演した片岡秀太郎さんは声をつまらせた。

電気ひとつつけるのもおぼつかないような、芝居以外のことは何もできない、芝居だけのかただったそうです。

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『中村藤十郎』享年88歳、合掌。

参照・引用:2020年11月16日 毎日新聞 | 2020年11月17日 神戸新聞 | Wikipedia.
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2020年11月25日

人生を語る

劇作家の永井愛さんが朝日新聞の『語る』コーナーで人生について語られています。

脚本家の大石静さんと二兎社という劇団を旗揚げ、大石さんの退団以降は主宰もされている。

恥ずかしながら一度も作品を拝見したことがない。劇場へとうかがって戯曲も読みます。

高校から演劇部に入り、市原悦子さんのようになりたいと俳優座養成所のながれをくむ桐朋学園演劇専攻科へ。進んだのは前衛劇ゼミ、卒業時にうけた安部公房スタジオを落ち、バイトをしながらのあてのない演劇生活がはじまる。

ラーメン屋や喫茶店、夜は演劇人の多いスナックでバイトの日々。お客のおじさんから「あなたはお嫁さんタイプ、はやく結婚しないと人生誤るよ」なんて一方的に言われてニコニコ聴きながら「こんちくしょう」と思っていた。

20代半ばで参加した劇団で大石静さんと出会う。

キャピキャピした若くて明るい子だなと年下扱いしていたら、じつは同い年。掃除など嫌な作業のときにお互いかならず来る。それで信頼がうまれ仲良くなった。

とても元気そうなのに、すでにガンで生死をさまようような体験をして結婚もしていた。「ずいぶん色々なことを経験しているんだな」とびっくりして話を聞いていた。

27歳のころに観た井上ひさしさんの『しみじみ日本・乃木大将』に強い印象をうける。新劇でもアングラでもなく軽演劇の手法をつかったあたらしさ。知的で批評的で笑いがある。

「なにかをもらった」と終演後の紀伊国屋ホールでふるえるほど高揚したのを覚えている。だって。ひとをふるえるほど感動させるなんて素晴らしい。

1997年に初演した『ら抜きの殺意』が再演をかさねるヒットに。

ある晩、学校の先生を退職して夜間警備員になったひとが年下の上司のら抜き言葉といじめに怒り「らを入れろ」と包丁をむけて脅す夢を見た。どんな夢や。その男はなぜか植木等さん。コメディーやな。

「夢のお告げだ」と思い、通信販売会社の夜の電話番に設定を変えて脚本を執筆。

ことばと生き方の関係を探る喜劇だそうです。劇作をはじめてから男性のせりふになれようと「おい、俺に電話なかったか」なんて父親に言ったりと自宅では男言葉を喋っていたそうです。

執筆中に読んだ本で女言葉には命令形がないと知り驚いた。「出てけ」が「出てってよ」とお願いになることにそのとき気づく。

この戯曲にて鶴屋南北戯曲賞を受賞、1999年には岸田国士戯曲賞に輝く。

2005年に上演した『歌わせたい男たち』では連日満席の客席を爆笑の渦にして朝日舞台芸術賞グランプリと読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞。だって。

すごいなあ。

爆笑させたい。

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演劇とバイトに明け暮れた20代の頃の永井愛さん。

参照・引用:2020年11月12日、18日、24日 朝日新聞
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2020年11月24日

人類は感染からなにを守ろうとしているのか

大相撲11月場所を観戦するためにテレビをつないでいました。

テレビを観はじめたところ、いきなりコロナ、コロナ、コロナ。

「つぎのニュースです。新型コロナウイルスの・・・」

じぶんのまわりに感染したひとはいるのか?いない。知ってるひとが感染したのか?していない。テレビのニュースや新聞で知るだけです。

テレビをみていなかったらまったく関係なかったのに、突然の大騒動。

怖ろしい音楽とともに感染者が増えていると映像が垂れ流されたりする。あんなものを見せられたら、心理的に影響を受けるひとが出てくるあたりまえ。

テレビは自分たちが騒動をつくりだしているのだという責任を自覚して、慎重に番組づくりをしてもらいたいものです。

感染をしたひとが、そのことを隠さなければならないと新聞にのっていました。後ろ指をさすひとがいるので怖くて言えない。

企業の中でも差別が横行しているようです。阪神タイガースで感染者が出たら球団代表が辞任してましたが、完全にやり過ぎで、感染するのが悪いことだという風潮をつくり出してしまう悪しき行為。

ヨーロッパではふたたびロックダウンとかいうのをやっている。

都市封鎖なんていう暴力的で強引な対策は独裁国家で、共産主義の中国だからできたこと。国としての成り立ちがそもそも違う。

自由民主主義の国々が都市封鎖なんてことを真似したら、経済も止まってしまって困るひとがたくさん出てくるあたりまえ。

日本でも外出自粛や緊急事態宣言なんていうことばを、ちらほら見かけるようになってきている。マスメディアがそちらを向けば、国民の意識もどうしてもそちらを向いてしまう。

いまはSNSなんてのがあるから、あっという間に同調は拡散される。

国も責任問題が怖ろしいだろうから、その方向へとうごかざるをえなくなります。結果はすでに経験済み、じぶんの首をじぶんでしめる行為です。

感染での死者よりも自殺での死者のほうが多いなんていう異常事態が起こりつつある。

これから冬へ向けて日本でも感染者はどう考えても増えてくる。冷静に、過剰に怖れずに大袈裟に騒がずに生活していきたいものです。

ひとはいつかは死ぬ。

これは自然の摂理です。人間の死亡率は100%。

明日、心臓麻痺でなくなるかもしれないし、脳溢血で倒れるかもしれない。階段から転げ落ちて死ぬかもしれないし、自動車にはねられるかもしれない。老衰や寿命も、もちろんあるでしょう。

こればっかりはわからない。だからこそいまをしっかりと生きたい。

自粛とか萎縮なんてせずに、この瞬間を大切にして生きたいのです。

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『庭の柿』
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2020年11月23日

首相動静

毎日、新聞に菅総理の動静として、どこでなにをしたと詳細に記されています。

日々、読んでいますがなかなか興味深いです。

首相になりたての頃は連日、ホテルで食事とは豪勢だなとねたんでいました。

いまのうちにいい思いをしていろ、そのうちに国会がはじまったら追求されて思い知れ。とか思っていましたが、それほどでもなくいまも日々ホテルで優雅に食事されています。

一国の最高権力者、秀吉や家康みたいなものです。贅沢し放題でもあたりまえ・・・あの頃は独裁だから、ちょっとちがうか。

11月19日、7時27分、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急のレストラン『ORIGAMI』で金丸恭文フューチャー会長兼社長と食事。とあって誰やそれ?と調べてみたらおもしろそうなひとでした。

「例えば小学校では国語・算数・理科・社会というのを使っているわけですよね。1〜5までの数字で評定をつけて。でも、評定で4教科全部に1がついたら、その子はもう行き場がないじゃないですか。」

「4種類しかないんだから、当然ですよね。だからもっと、社会は選択肢を豊富にしなければいけないんですよ。」

「この国には行き場がないんですよね。人間も多品種少量生産じゃないですけど、バリエーションを増やさないと。同じような人をたくさん作ってもしょうがないんですよ。もっとおもしろい人を作らないと。」

「同期とかの横糸もいいけど、やっぱり上司とか先輩とかの縦糸が重要ですよ。織物ですから人生は。」

いろいろといいことを言ってたのですが、いまさらに調べてみたらどうも竹中平蔵さんとおなじ既得権益をえている政商のようでした。

政府のなかに入って規制緩和へむけていろいろと提言している。結局はじぶんの利益のため。ふー、がっかり。

口先だけで良いこと理想的なことはいくらでも言えるのか。

9時16分、ザ・キャピトルホテル東急のレストラン『ORIGAMI』でジャーナリストの田原総一朗氏と懇談。田原さんは反政権的な立ち位置のひとではないのか。そんなひととも懇談するのだと驚いた。

とか思っていて、いま調べたら田原さんは、どうやら自民党寄りのジャーナリストのようでした。ふー、なっとく。

先日はニュージーランドのアーダーン首相と電話会談をしていたので、いろいろと上手くいってる評判のいいアーダーン首相を見習おうと電話したのかいなと思っていたけれどそんなわけがないな。

調べたら重要な「戦略的協力パートナー」だとの確認の根回しだったのでした。

ふー、やっぱり。

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『竹中平蔵さん』

参照・引用:2020年11月20日 朝日新聞 | 2016年12月7日 サイボウズ式 | 2020年11月7日 竹中平蔵 ロバート・フェルドマン 金丸恭文の日本人奴隷化作戦 (三橋貴明)-YouTube | Wikipedia | 2020年11月20日 NHK NEWS WEB
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2020年11月22日

売れる売れない

大相撲11月場所がはじまったので、テレビをつなぎました。

そうしてお笑い芸人『ぺこぱ』の松陰寺君のサクセスストーリーを拝見。

王道のしゃべくり漫才からはじまり、歌をうたったり、化粧をしたり、着物をきたり、ローラスケートをはいたりとなんとかして売れようともがき続ける。

ツッコミとボケを変えるなんてのもあった。これは結構、重要なようでここを変えて売れたコンビは多い。

なんどもスタイルを変える松陰寺を先輩は馬鹿にしていたとか。けれども売れないことをやり続けるほうが駄目なのだとそこは信念を持っていたそうです。

10年間副業として居心地よく働いていたカレー屋さんが潰れてしまい、葬儀屋でアルバイトをはじめる。年下の先輩社員たちに馬鹿にされる日々。

芸人をやってると言うとなんというコンビか聞かれて、ぺこぱと答えると「知らねー」と笑われる。すみませんと謝りながらこころのなかで「いや、でも売れてねえ俺のほうが悪いし」とツッコんでいた。

そんなある日、ライブ中に着物を着て化粧した松陰寺が、相方にツッコんだら会場がへんな空気になった。

そうだよな変なのはどう考えても俺のほうだ。「とか言ってる俺のほうがじつは変だし」とアドリブで続けたらバカ受け。

先輩にも褒められて「これはいける」と手応えを感じた2人は、M-1グランプリを目指して脇目も振らずに頑張ったそうです。

いま人生一発逆転の可能性が高いのはお笑いの世界でしょう。一発逆転の可能性が高ければ高いほど良い人材がたくさん集まる。可能性が高いということは需要もあるということなのです。

いきなり私ごとで恐縮ですが、じぶんも売れようともがきつづけてきました。

20代の頃はそれしか考えてなかった。30代はそれよりも「良い作品をつくりたい」という気持ちのほうが勝っていて、とにかくがむしゃらに忙しく働いていた。

もちろん副業も忙しくやっていた。作品がヒットしてすこし売れかけたり。

40代はもうすこし冷静に「そもそも舞踏というものに需要がないのだから、そこをなんとかしなければ」と考えつづけていた。

貧乏暇なしで忙しいのは相変わらず。

50代になって独立もして「なんとかしなければ」というそこの考えは変わらないけれど、むかしのようながむしゃらな思いはなくなってきています。

あきらめに近い感じなのか。

あきらめたら終わりかもしれないけれど、舞踏ではあきらめも大切な要素だったりするのです。

すべてを手放して、さてそこから・・・

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絶対に売れるぞと意気込んでいた20代の頃。
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